第八話【それからとこれから】
爆発が轟いた。一向に生徒が戻ってこないことに痺れを切らしていたガウフは、頭上を見上げる。聳え立つ木々が揺れ、鳥たちが一斉に羽ばたいて行った。
「夜巡隊かァ……? いくら無茶をさせろっつったが、ここまで――いや、違う。知らねえ星神力だ」
不測の事態、その言葉が頭をよぎる。起こりうる限りの最悪を推し量る。
「最優先は生徒の保護だ。なら――」
地面が光る。陣のように2重の円を描き、その間には文字が刻まれている。そしてそこから小さな犬が現れた。
「番犬、お前は森の中にいる生徒をこっちまで連れてこい。知らない星神力を見つけたら随時知らせろ」
「アォン!」
黒い毛並みは、光に当たると紺青に輝く。首には小さな鈴をつけた首輪をしていた。周囲に青い火の玉を浮かべ、空中を駆け回るように浮遊している。
ガウフが番犬を森に放とうとした時だ。
「――私と同じ名を持つか」
前方から草を踏み倒す音と共に、凛とした声がした。
「……誰だ、お前」
「ケルベロス。番犬ではないが」
黒いマントをフードまで纏い、左目を前髪で隠している。唯一見えるはずの片目も、仮面のせいで見えずにいる。
ガウフは横目に森林を見る。今は爆発は収まっているようだ。
「あの爆発はお前か?」
「いや。私ではない」
「ってことは他の仲間か。何人いる」
ガウフの周囲を浮遊する黒い犬は、グルル……と低い唸り声を発している。犬歯を剥き出しにして、鋭い眼光で仮面の女を睨んでいる。
「それは、取引の結果次第で教えよう」
「……取引だと? メリットがないな。交換条件にしても、こっちからすれば、お前らを捕まえて情報を引き出す方が合理的だ」
とはいえ、先手を取られただけでなく、こちらの情報が割れている上に敵の情報は皆無。その他の要因を加味しても、学園側が不利だということはガウフも理解していた。そしてそれは相手も同じだった。女はガウフの言葉にキッパリと言い放つ。
「無理だな。夜巡隊三人と教師一人……生徒を守りながらとなると、明らかそちらが不利だ――それに、決めるのは内容を聞いてからでも遅くはない」
女は片腕を上げる。それに呼応してガウフと番犬も臨戦体勢をとる。だが、その腕は彼らに向かうことはなく――女はフードと仮面をとった。
「……まさか」
ガウフは目を見開く。自身の見ている光景に目を疑った。だがその反応すら想定内だったようで、女の表情は変わらない。
「これで、大方の事情は察してもらえるとありがたい」
「なるほど。これが、この学園……いや、俺を交渉相手にした理由か」
ガウフは臨戦体勢を保ったままではあるが、それとなく警戒を解く。
「いいだろう。内容くらいは聞いてやる――その、交渉とやらを」
✤✤
エイナは息を吐いた。何度目か分からない爆発を捌きながら、生徒たちがいない場所まで敵を引き寄せた。
「んー、確かにお姉さんは強いけど、もうその技にも飽きちゃった」
「あなた、キマイラって言ったわよね。それ本名なわけ?」
「どーだろね。お姉さんはどう思う?」
少年は猫の髭ように跳ねる桃髪と同じように、猫を被ってとぼけた。
――ッチ。肝心なところは口を割らないわね。
と、エイナが悪態をついた時だった。森の奥から鼻歌が聞こえてきた。
「ええ、今度はだれ〜?」
どうやら桃髪の少年も気づいたようで、暗い木々の隙間を見た。鼻歌はだんだんと大きくなり、音が奏でるリズムも鮮明になっていった。
「きらきら星……?」
エイナはその曲名を口にする。そして、二人が同じ一点を凝視する中から、一匹の透明な魚が現れた。
「は、魚……?」
魚は優雅に空中を泳ぎながら、少年の目の前まで迫る。訳もわからず呆然とする少年とは裏腹に、エイナは眉を吊り上げて目を見開いていた。
魚の鱗は丸い形をしていて、一枚一枚が重なり合っている。少年は興味深そうに、寄ってきたその魚を見つめる。
そして次の瞬間――魚が爆発した。直径三メートルほどの爆発は白い爆煙を生じさせた。
少年は声すら発する暇もなく、体が吹き飛ばされる。どさり、と地面に何かが倒れる音がした。
「――それは鯉さ」
気づけば鼻歌は止んでいて、その代替のように木々の間から声がした。魚の存在に目を奪われていると、木々の間から一人の男が現れた。
現れた男は長身で、180をゆうに超えている。海のような深い青い髪に、白く透明な瞳。切り揃えられた前髪からは真面目さを思わせるが、一方だけが長い横髪には遊び心が見られる。襟足は短く、刈り上げられている。
「……どうして、あなたが」
エイナは声を出す口が震えた。男はにこやかな表情でエイナの方に首を動かすと、人差し指を口元に当ててニコリと笑った。
「……な、っで……ばく、はつ」
もはや言葉にすらなっていない声を発しながら、白い爆煙の中から少年は姿を見せた。ユラユラと体に爆煙を巻き付けながら、千鳥足で歩く。
「これは幻魚と言ってね。僕の星神術で作られた魚なんだ」
すると、男が姿を現した木々の隙間から、二匹の魚が空中を泳いできた。
「【金の街】での病院の爆発事故……星神術者やフィックスト学園が秘密裏に捜査している一件を知っているかい?」
唐突に、男は話を持ちかける。意味が分からず、エイナは男へと困惑の視線を向けるが、男は構わず続ける。
「どうして秘密裏なのか。理由は簡単、民に不安を与えないため。星神力の痕跡が見つかったとなれば、必然的に誰かがそれを仕掛けたと考える。国立病院ともなれば、街や司祭への動機も考えられるだろう。そうすると、テロなんじゃないか、なんて噂も出てくる訳だ。民たちの平穏な生活のためにも、無闇に煙を立たせる訳にもいかないだろう? だから、国務機関と星神術者協会は犯人を見つけるまで情報統制を行ったのさ」
そして、男は少年に向かって人差し指を示した。
「――君だろう? ここ半年間で起こっている病院爆発の犯人は」
その言葉に、エイナは目を見開いた。
――どういうこと⁉︎ 確かに、ここ半年で【金の街】だけじゃなく、他の街の病院でも事故が多発していることは問題になっていた。けどその犯人がこいつ⁉︎ どこでそんな情報を……
エイナが唖然としていると、木々の隙間から大量の魚が姿を現した。それらはどれも透明で、いろいろな魚を模しているためか大きさが不揃いだった。
――まさか、それを全部爆発させるつもり⁉︎ 私だけじゃない、まだ避難しきれずにいる生徒にまで被害が――‼︎
止めに入ろうとエイナが口を開いた時だ。少年とエイナたちを分断するように、地面の土が少年の周囲を旋回した。
「なっ――⁉︎」
土埃を立てながら、だんだんと土の目眩しは少年の姿を隠していく。
「――悪いが、ここまでにさせてもらうよ」
その向こうで、知らない声がした。錆の効いた太い男の声。エイナは咄嗟に叫ぶ。
「誰だ⁉︎」
「正義の味方に名乗る名はない。もしかすると、また会うことになるだろうしね」
男がそう言葉を言うと、土煙が霧散するのと同時に、少年たちの姿が消えていた。
「逃げられた……!」
土煙が完全に少年を覆う前、一瞬だけ黒いコートを着た金髪の男が見えたような気がした。
――あの男は、一体……
エイナは何も発さずに呆然とする男を見た。彼なら何かを知っているかもしれないと、口を開く。だが。
「あの……」
「――行こうか」
男は口早に行って、エイナに背を向けた。
森の中で遭遇したウリスに、状況を伝えると、スタート地点で一部を除く生徒らとガウフ、バイギスが集まっていることを告げられ、そのまま二人はその場所へ向かった。
✤✤
「――と、言うことで。どうも、将来有望な皆さん。夜巡隊総副隊長を務めてるラズラ・トリトンです」
アーモンド型の目を細めて青髪の男は微笑んだ。一直線に切り揃えられた前髪のせいで、眉が見えず感情の起伏が分かりずらい。何より、終始口角を上げて微笑んでいる様には、胡散臭さすら感じられる。
「敵は全て僕が追い払ったので、安心して授業を続けてくださいね」
ボロボロの生徒たちが体育座りをして集まっている中で、彼は笑顔でそう言った。だがその姿が目に入っていないかのように、彼の発言はどこか的を外していて、その場にいる一同は困惑する。それを代弁するかのように、白髪の男性――ウリスが言った。
「副隊長、もうこれ以上続けないと思いますが……」
「え、そうなの? せっかくなら僕も混ざろうかと思ってたのに。任務帰りにこっちに寄れって言われて、少し楽しみだったんだけど」
「副隊長が出張ると一方的な蹂躙になります」
ウリスの言葉に肩を落とすラズラだったが、その表情から笑みが消えることはない。
「そっかそっか。確かにみんなボロボロだ。バイギス君。この後、君の四番隊の治療部隊を学園の方に回してくれる?」
「分かりました」
ラズラの言葉に、バイギスは礼儀正しく返事をする。すると、横から割って入るようにガウフが口を開く。
「これ以上夜巡隊に迷惑をかけるわけには……生徒の治療はこっちでどうにかしますんで」
「いえいえ。生徒の皆さんを守りきれず、あまつさえ接敵させてしまった我々の失態ですから。お構いなく」
その言葉に、バイギスたち三人は冷や汗を垂らす。が、確かにこれはラズラが正しかった。
引き下がる様子のないラズラに根負けしたのか、ガウフも「分かりました」と返事をした。
生徒たちが班員の有無をガウフに報告している中、エイナが遠慮がちに口を開いた。
「ところで、どうしてこちらに? 第一部隊の担当は【火の街】のはずじゃ……」
「私が呼んでおいた」
その質問に答えたのはウリスだった。手には、砕けた夜巡隊の認証バッジを持っている。これは夜巡隊であることの証明とともに、緊急時に各街の夜巡隊支部と本部がある【火の街】へと応援要請ができる。その方法は至ってシンプル。認証バッジを破壊することだ。
「なるほど。でも先輩、それってこんなホイホイと使っていいものなんですか?」
「いい訳ないだろう。それに今回は非常時だ。命の危機にさらされるのが私たちだけなら、使うことはなかった。だが、今回はフィックスト学園の生徒の命まで危険に晒したのだ。最悪な状況になる前に手を打った、それまでだ」
とはいえ、認証バッジを一度壊すと、修復されるまで任務には出られない。それに加え、信号を受信した各街の隊にも報告に行かなければならないため、事後処理に追われることになる。どの街の隊も一癖も二癖ある者たちばかりなため、信号を出したとあらば、すかさず揶揄ってくるだろう。
ウリスはその光景を思い浮かべ、額に青すじを立てる。だがエイナはその意味がわかっていないのか、不思議そうにしている。
「うんうん、それでこそ夜巡隊だ。自身のプライドや命より、任務優先。君たちは立派に職務を果たして偉いね」
と、ラズラは笑顔で言う。だがその言葉を額面通りに受け取ったのはエイナだけで、二人は冷や汗を垂らしている。
「……とはいえ。さっきも言った通り、生徒たちを接敵させたのは、大きな失態。君たちにはまだまだ発展の余地がある――今度、本部においで。僕が直々に稽古をしてあげよう」
その言葉の意味を知らないエイナは高らかと返事をし、逆に全てを悟ったような虚な目でバイギスとウリスは返事をした。
✤✤
【火の街】夜巡隊本部――。
ラズラは隊員たちが行き交う廊下を歩いていた。コツコツと革靴の音が響く廊下は、三人程度の横幅がある。
「お疲れ様です。トリトン総副隊長」
「お疲れ〜」
すれ違い様に会釈をする部下に挨拶をしながら、ある部屋に向かう。
――それにしても、彼らは一体何者なのか。いくら三人だったとはいえ、四番隊の主戦力であるあの三人が手こずる相手か。相当の実力者……それに――。
そうこう考えていると【隊長室】と書かれたドアが見えた。ラズラは、その扉の前で立ち止まると、木製のドアに三度ノックをした。
「隊長、今よろしいです?」
「ラズラか。ああ、構わないよ」
失礼しますと言い、ドアを開ける。すると、少し煙たいような独特の匂いが鼻の奥を突き抜ける。
「また煙管ですか。隊長」
「唯一の楽しみなんだ、そう怪訝にしないでくれ」
ドアを閉めると、その匂いがより一層強く感じられる。とはいえ、もうすでに慣れてしまったラズラは、構うことなくその人物の目の前まで迫った。
机を背に、椅子に座って窓の外を眺める茶髪の女性――一番隊隊長リィリカがいた。腰ほどまでの長髪を一つの三つ編みにし、背中に靡かせている。椅子を百八十度回転させ、見えた表情は薄く口角を上げていた。切り揃えられた前髪と、後髪に収まりきらなかった横髪が揺れている。煙を上らせる煙管を片手に持ち、水色の瞳はまっすぐにラズラを見つめていた。
「彼らは大丈夫だったかい?」
「ええ。バイギス君然り、皆ボロボロでしたけど、なんとか生徒から重症者を出すことはありませんでしたよ」
「ならよかった。ところでラズラ、一つ君に聞きたいことがあるんだ」
タレ目の瞳が、細められる。鉛筆でも乗りそうなくらいに長く生え揃ったまつ毛を見下ろす形で、ラズラはその目と合わせる。
――相変わらず鋭い眼光をなされるなあ。僕より年下だなんて、本当に世界は広い。
二年前に夜巡隊の総隊長になった彼女は、当時まだ十八歳という若さだった。だがその才覚に文句をつけるものなどこの夜巡隊にはおらず、現にこうして曲者揃いの各隊長や隊員が彼女を慕っている。
「【金の街】の件、およびその犯人をあの少年だと断定した件について報告をしてもらうよ」
「おや。ご存知でしたか、さすが隊長」
彼はそう言って微笑むが、この質問をされるのは承知の上だった。四番隊からの報告書を、彼女が目を通していないはずがないからだ。
「ふふふ。君に褒められるのは光栄だが、部下の思惑くらい把握しておかないと、いつ寝首を掻かれるか分からないからね。特に、君相手では」
「僕が隊長を、ましてやこの夜巡隊を裏切ると? 人が聞きが悪いですね〜」
ラズラは笑って誤魔化そうとするが、リィリカは食い下がるような瞳をしている。ラズラは肩を落としつつ、笑みを貼り付けたまま口を開く。
「僕の個人的な調査網で調べたところ、【金の街】以外の病院でも同じ術者による痕跡が見られました。属性としては【天】と【火】が妥当かと。それに加えて、エイナちゃんが接敵した少年も【天】と【水】と【火】を応用した術を使っていました」
「ああ、聞いているよ。見た目はマーキュリーの民のそれと一致していたと」
「ええ。必ずしも、出身の街に付随した属性を第一とするわけではないですから、稀とはいえ納得はできます。そこで、術者資格を持った者の中で【天】の属性を持つ人を調べましたが、星神力は一致せず。涜神者の情報もあらかた調べましたけど、結果は同じでした」
「つまりは未だ特定されていない涜神者の犯行と考えたわけだ。とはいえ、それだけではキマイラと名乗ったあの少年が一連の犯人だと断定はできないだろう?」
「はい、ですから――あれは鎌です」
悪びれる様子もなく、ラズラは言った。流石のリィリカもその言葉に面食らう。だが、目を伏せて最大限口角を上げる彼の表情に、リィリカは笑った。
「ふふふ、君の行動にはいつも驚かせられる。けどね、私は意味のない笑いはしたくない。そのことは分かっているね? 無闇に情報を話されては困る」
笑みで誤魔化しきれない鋭い眼光を浴びながらも、ラズラは微笑むのを辞めない。それどころか、悠々とした声音で話を続ける。
「分かっています。とはいえ、今回は結果論となってしまったので、そこはお詫びします。ところで……十一年前のことを、隊長は覚えていらっしゃいますよね」
「もちろん、忘れるわけがない」
ラズラは先日爆破事故が起こった【金の街】の病院を訪れていた時のことを思い出す。硝煙の匂いがしない、焼け焦げた病院の一室。黒く焦げた壁や家具、パラパラと崩れる瓦礫の光景を。
「そこでふと、調査した星神力のデータと似たような結果があったことを思い出しまして。照合してみた結果――彼女のデータとほぼ一致しました」
その言葉に、リィリカの纏う雰囲気が変わる。先ほどまでの笑みが消え、まるで彼を射殺さんとするかのようだ。
「……あの子が、これをやったと?」
だが、ラズラはそれを平然とした様子で否定する。
「いえいえ、まさか。僕が注目したのは一致していない数パーセントの部分です。十一年前の被害者の中で、データは残っていたのに身元を保護できなかった子がいたのを覚えていますか?」
「ああ、いたね。でもその子は……」
「ええ、死んだとされています。しかしその少年が生きていたとしたら……辻褄が合います。彼も同じ桃髪――マーキュリーの民です」
「なるほど。隣り合っていない複数の属性を掛け合わせ、尚且つその歳で高度な術を使う少年か」
リィリカの表情に、僅かな憂いが滲む。まるで何かを懸念するかのように。そんな彼女の表情を見ながら、ラズラは嫌味ったらしく微笑む。
「彼らが再び生徒と接敵する前に、過去の遺物を壊さなければいけなくなりましたね」
「とはいえ、彼らが再びフィックスト学園を目標にするとは言い切れない」
「そうでもないかも、しれませんよ」
ラズラは言葉を切る。今まで仮面のように貼り付けていた笑みが消える。
「隊長もご存知の通り、今回は意図的な襲撃でした」
学園が所有する【木の街】の北部の森周辺を調査したところ、転移に関する星神術が使用された痕跡があった。それはすなわち、謎の集団はたまたまやってきた愉快犯ではなく、目的を持っていたということ。ラズラはそれらの事前情報に補足するように話す。
「しかも、襲われたのがあの場所だけという話じゃないですか。生徒らを目的としているのなら、他クラスのいた場所も襲撃すべきだったはず」
学園が保有する敷地は各街に一箇所づつある。これは各街の司祭と契約し、課外授業などの場で使用するためだ。
リィリカはそれらの情報と共に照らし合わせ、彼の言わんとしていることを代弁した。
「学園に内通者がいると? しかも、一組に」
「はい。生徒か教師かは分かりかねますが、個人的には――ガウフさんが怪しいかと」
その言葉に、リィリカは驚く。第1級術師である彼の名は、協会だけでなく夜巡隊にも響いている。
「彼ほどの実力者がずっと同じ場所で拘束され続けていた、というのは僕にとっては信じ難いものでしてね。とはいえ、敵がそれほどの実力者だったとしたら、三人しかいなかった四番隊などすぐに壊滅させられてたはずです。まあ、彼らの頑張りもあってそれには至らなかったわけですが。とはいえ、彼を警戒する理由には十分かと」
ラズラの言い分も一理ある。とはいえ、学園に数年間勤めている彼がそんなことを今更するだろうか。疑問を持ったリィリカは目を伏せる。
「まあ、君の考えがどうあれ、事実を報告しなければならない。星神術者協会への報告……それから、ミルキール学園長にはこちらから個人的に報告しておこう」
「助かります」
ラズラが頭を下げ、リィリカに背を向けたのと同時に、彼女は書類に視線を向けながら言った。
「考察も調査も、自由にしてくれて構わないけどね――くれぐれも、こちらの威信に傷をつけないことを祈るよ」
「ええ、もちろん」
ドアノブに手をかけたまま、彼はそう言って微笑み返した。
✤✤
波乱万丈な課外授業から二日後。教師陣や夜巡隊からの質問、治療などを終えた生徒たちに本来の日常が戻ってきた。とはいえ、何人かの生徒は包帯やガーゼが取れていない者もいる。
そんな中、ホームルームのチャイムと同時に教室のドアが開かれる。革靴の音を響かせながら、出席簿を持ったガウフが教室に入る。
「全員いるかァ、ガキども」
相変わらずの素行と態度ではあるが、淡々と出席確認を行う。そして出席簿を閉じたガウフは、生徒らに向き直った。
「まァ……結果的にあんなことになっちまったが、それでもお前らの得たものはこれからの基礎となる」
その言葉に、一部の生徒の目の色が変わる。いい傾向だ、とそれに気づいたガウフは期待感を抱く。
「色々と思うところはあるだろうが、ずっとそれにかまけている暇もねェ。本来この課外授業は、お前らに戦闘とはどういうものかを教えるためのものだ。そして、それを踏まえた上で各々の課題や弱点を炙り出す。そしてそれらは――期末試験に反映される」
教室がざわつく。生徒らは、周囲の友人らと声を潜めて、驚きを隠せずに何かを言い合う。ただ、それはソルとて同じだ。
――課外授業の最初に、先生たちの目的が分からないって言ってたけど……これだったんだ。課題、課題かあ。やっぱり僕は他の創生術が使えないことだよね……具現化もできないし。
「お前ら自身が課題だと感じてることだけじゃねェ。お前らと直に接した夜巡隊から見た、客観的な課題もある。期末試験は二ヶ月後、つまりは七月だ。それまでの数ヶ月でお前らが課題を克服できるように、俺ら教師もそれとなくアドバイスをしていく。テメェが抱えている課題と、こっちが提示する課題をクリアできることを――楽しみにしてる」
ニヒルな笑みを浮かべ、金縁のレンズから覗かせる赤い瞳が光る。その威圧感に、生徒らは危機感を覚えた。
「だめだあ〜‼︎ ぜんっぜん、分からない‼︎」
「ほらほら、頑張って。あと一ヶ月しかないんだから」
ソルは机に顔を突っ伏した。紙とインクの匂いを濃く感じる。その横で、教科書を片手にソルの肩に手を置くリレールがいる。
六月中旬に差し掛かろうとしていた今日、彼らは一階にある図書室で、七月初旬に控えた期末試験へ向けた勉強をしていた。範囲は入学してから六月末までの内容。机の上に多くの教科書を積み重ね、放課後は勉強の時間に充てていた。
「うぅ……そういうリレールは余裕そうだね。やっぱり勉強は得意なの?」
顔を上げて、自身の右隣に座るリレールを見上げる。
「得意というか、慣れかな。家柄的にも小さい頃から勉強はしてたから、長時間の勉強に慣れただけだよ。そういうソルこそ、嫌いなの?」
「勉強は好きだよ。今まで知らなかったいろんなことを知れるし。でも星神力に関する計算は苦手なんだ。まさか星神術の授業で、星神力量の計算とか具現化における消費量の計算をするとは思わなかったよ……」
「あはは……でも確かに、基礎社会学の授業だとソルは生々してるよね。まあ、得意な教科があるだけいいじゃない。問題なのは――」
リレールは何とも言えない複雑な表情で、左隣を見る。そこには、ソル以上に意気消沈しているヴォルークの姿があった。
「大丈夫? ヴォル。全然進んでないように見えるけど」
「……」
もはや応答すらない。突っ伏したまま屍のようにぴくりともしないヴォルークの肩をリレールは揺らす。
「ほら起きて! 続きやるよ!」
「いい。俺はもう……無理だ」
リレールに上半身を起こされながら、小さく呻いた。その言葉に、リレールはため息をこぼした。
「ほら、諦めない! そうやってすぐに諦めるの、ヴォルの悪い癖だからね」
骨が抜けたようにのらりくらりと背を泳がせるヴォルークを、背もたれに立てかける。リレールが四苦八苦していると、後ろから声がした。
「お前ら、こんなところで何してんだ?」
その声に振り返ると、そこにいたのは教科書を数冊持ったマルハールだった。
「マルハールくん! 君こそ、どうしてここに?」
「期末試験の勉強だよ。全く、参っちまうよな。実技だけじゃなくて筆記もあるだなんて。完全に実技だけだと思ってたぜ」
ソルの横を回り込み、彼は三人の向かいの椅子に座る。六人分の椅子が周囲に置かれている机は、彼が荷物を置いても余裕があった。
「ところで……どうしたんだ? こいつ」
うまく状況を飲み込めていないような表情をする。その視線の先には、リレールに肩を支えられながら項垂れるヴォルークの姿があった。
「実は……」
「――あっははは! なんだ、そうだったのか!」
リレールの説明の直後、マルハールは音量を下げつつも爆笑する。いつもなら睨み返すはずのヴォルークは、今日に限って正気が抜けたような表情をしている。
「お前、勉強苦手だったのかよ!」
目の淵に溜まった涙を拭って、マルハールはヴォルークに向き直る。笑われた当の本人は、結局机に突っ伏して不服そうな表情をしている。
「悪いかよ……」
「いやー。悪い悪い、意外だっただけだよ。なんとなく、お前みたいに冷静な奴って勉強もスマートにこなしそうだったから」
その言葉に、ソルは内心共感する。
――ヴォルが勉強苦手っていうのは意外だったなあ。授業も真面目に受けてるっぽいのに。
教科書を睨みつけながら、眉間に皺を寄せるヴォルークを、ソルは横目に見る。
「あれ、みんなも勉強?」
四人が黙々と勉強をしていると、不意に背後から声がする。振り返ると、アルナとスピネルがいた。
「アルナさん、スピネルさん! 二人こそ勉強?」
「うん、まあね。あたしはこういう時こそちゃんと点数とっておかないと」
二人も教科書を小脇に抱えていた。すると、何かを思いついたようにリレールが言った。
「あ、そうだアルナさんって勉強得意?」
「うん、今回の範囲は一通り終わってるよ」
「まじか⁉︎」
マルハールはハッと顔を上げる。
「じゃあさ。もしアルナさんがよかったら、ヴォルに勉強を教えてほしいんだけど……」
「ヴォルークくんに?」
アルナが不思議そうに見ると、ヴォルークはげんなりとした表情で再び項垂れていた。
「勉強……苦手なの?」
いつの間にか、スピネルがヴォルークの隣で覗き込んでいた。すると、教科書が目に入ったスピネルは驚きで小さく声を上げる。
「これって……」
その呟きに、ソルたちもヴォルークが持っていた教科書を覗き込む。
「一般基礎の教科書……?」
ソルがつぶやいた。それは全街の子供が十歳になった時に、一律で国務機関から配布される教科書のことだ。
「これって、学園の入学試験の内容だよね? どうして今更……」
ソルがそう呟いた時、ヴォルークはくぐもった声で言った。
「俺、それ習ってねえんだよ」
「「ええっ⁉︎」」
声がこだまする。ここが図書室というのを忘れ、大声を上げてしまったソルたちは周囲の生徒からの視線で、咄嗟に口を手で覆った。
「ど、どういうことだよ。十歳から十五歳の間に、この五冊の教科書を学び終えることが義務化されてるだろ⁉︎」
マルハールの言葉に、ソルたちも頷く。何か事情を知っている様子のリレールだけが、困ったように苦笑いをしている。
「知らなかったんだ。そのことを」
顔を背け、少々気まずそうに言ってのけるヴォルークの表情に、一同は顔を見合わせる。
「学園に来るまで、知り合いの家に住まわせてもらってたんだが……そいつが色々とズボラな奴で。多分教科書とか、資料とか来てたんだろうけど、一度も見せてもらったことがねえんだよ。だから、入試で筆記があるってのを知って、直前まで色々やったんだけどな……」
そう言って、渋い表情で教科書を見る。どうやらその甲斐なく、ということらしい。
「それでよく学園に受かったなー……って、待てよ。お前課外授業の時、入学順位最下位だって言ってたよな? まさかそれって……」
「……」
一瞬、感心の色を見せたマルハールだったが、以前の会話を思い出し、口角を引きつらせる。彼の言いたいことに察しがついたリレールは、無言で顔を背けるヴォルークの代わりに答える。
「多分、そのせいじゃないかな……」
その場には、気まずい空気が流れる。なんとまあ、意外な裏事情だったわけだが、一部を除いた数名の脳裏には同じ疑問が浮かんだ。
――その知り合いって、どれだけズボラなんだ……?
「ま、まあそういうことだから。どうかなアルナさん。もちろん僕も色々とやるけど、少し手伝って欲しくて」
友人のためとはいえ、彼にも彼の勉強がある。リレールが様子を伺うように見上げると、アルナは快く笑って承諾した。
「そういうことなら喜んで手伝うよ! ヴォルークくんには課外授業の時に助けてもらった恩もあるしね。それに、勉強の成績で特別入学したんだもん。こういう時こそ生かさないと!」
「だったら、私も手伝う」
嬉しそうに、自信に満ち満ちた表情で胸を張る。その横でスピネルもすかさず頷く。するとヴォルークが、小さく「悪いな」と呟いた。
「……じゃ、じゃあついでに俺もいいか? 少し星神力の計算のとこで詰まってて」
「じゃあそっちは僕が教えるよ。ちょうどソルもそこ詰まってるって言ってたから」
「ほんとか⁉︎ 助かる!」
そんなこんなで、第四班と一名を加えた六人の猛勉強が始まった。
【登場人物】
・ガウフ:1年1組担当、第1級術者。プルートゥの民。
・ラズラ・トリトン:夜巡隊総副隊長、第一部隊所属。
・リィリカ:夜巡隊総隊長、第一部隊隊長。
・ケルベロス:黒いマントを纏い、仮面をつけた謎の女。




