第二話【フィックスト学園】
第二話【フィックスト学園】
あれから数ヶ月、ソルは徹底的に星神力について徹底的に学び直していた。
「それにしてもファーバスは僕が学園に行くって決めたこと、どうして許してくれたの?」
「許すも何も……私はソル様の侍女ですよ。ソル様が学びたいと思うことを教えるのが務めです」
ソルは教本を机に置いて、ファーバスを見上げた。
――フィックスト学園。将来の星神術者を育成するための教育機関だ。一から三学年まで存在し、立派な星神術者になるためのカリキュラムを受けることができる。十の街から色々な星神力を持った人たちが訪れ、入学するための選抜試験が例年3次試験まであるとされている。
「試験ってそんなに難しいの? 筆記はともかく、実技は大丈夫だって母さんたちが言ってたけど」
試験とはいうものの、その概要は星神力量と能力の把握テストだ。ただ、一定の星神力量を持ち合わせていないといけない。
「その筆記が大丈夫ではないのです。ソル様は今まで司祭になるための知識をつけてきましたが、あの学園は星神術者になるための学校です。求められる知識が違うんのですよ。ようは、残りの8ヶ月でその知識を一から学び直さなければならないというわけです」
――確か、今年は【土の街】が試験会場だったはず。
ソルは壁に掛けられているこの国の地図をぼうっと見た。
「さあソル様! フィックスト学園の入学試験まで残り少ないのです。ビシバシ行きますよ!」
「うぅ……はあい」
そろそろ集中力が切れそうな頃合いだと言うのに、なぜだかファーバスは気合を入れ直したように息を荒げていた。
――それから8ヶ月後。星歴1057年、4月。ついにその日がやってきた。
真っ白な白いローブを身に纏った少年が、そこにいた。
「もう、合格発表があったのは1ヶ月も前なのに、何でファーバスが泣くんだよー」
【地の街】の正門前には両親や知り合い、さらには街の人々が集っていた。その中で、ファーバスはハンカチで目元を拭っている。
そんなファーバスをソルは笑って諌める。だが、彼の鼓動はバクバクと高なっていた。
――とうとう、外の街に行くんだ……
そんな不安と葛藤が、ジメジメとしたものになって手のひらを湿らせている。
「ソル」
母の声だ。それが分かると、サッと体が冷えた。カラカラと喉が渇いた。
――もっと、お水飲んでおけば良かったかな。
「母さん、分かってますよ」
気づけば手のひらはサラサラと乾いていて、花びらに触れたときのようなサラサラとした声だけが聞こえていた。この声を聞くと、心配も不安も消えて、残るのは夢と希望だけ。
そっとソルの両手が持ち上げられて、温かな温もりに包まれる。
「母さんと、一つ約束をしてね」
手を握ったまま、レヴィーナは身を屈めた。まるで誰かに祈るように。
「やりたいと思ったことを、精一杯やること。何よりも、自分のことを一番に考えること」
それだけ言うと、母は顔を上げた。困ったように、嬉しそうに微笑む母の目の淵から、一つ。涙が溢れた。
「母さん」
なぜだか、この約束だけは守らなければならないと思った。
「僕、月に一回手紙を書くよ。長期休みには帰ってくるから」
だから。
「――泣かないで」
初めて見た、母の涙。ソルは申し訳なさや困惑よりも、その涙を拭った。笑っていてほしい、そう思った。
「待ってますから。ずっと、この場所で」
「うん……父さんも、ファーバスも、ジルバトおじさんも。ありがとう今日まで」
「ばっ、ばか言え‼︎ 今日までなんて辛気臭え!」
そう言って、ジルバトはそっぽを向いた。
「健康に気をつけるんだぞ。ソルも男の子だからな、多少ヤンチャしてもいいが、程々にしておけよ」
「うん、父さん」
わしわしと頭を撫でられる。それが少し照れ臭かったけれど、今となってはもの寂しさを覚える。
そして、その横で相変わらずハンカチで目元を拭っているファーバスを見る。
「もう、いつまで泣いてるのさ。ファーバス」
「うぅ、申し訳ありません……」
「謝らないで。僕はファーバスに感謝してるんだから」
侍女と主君という間柄ではあったものの、ソルにとってファーバスは自身の良き先生だった。
「うぅっ、ソル様〜‼︎」
ソルの言葉に、ファーバスはより一層目頭を熱くした。
「さ、そろそろ時間だろう。ソル」
「うん、そうだね」
父の声かけにソルは頷く。背負った荷物がより一層重く感じる。
軽く息を吸って、踵を返した。背を向け、振り返った先には、誰もいない。
――この先も、そうなのかな。
目の前には【土の街】へと続く、林道に囲まれた長い一本道がある。その先には一点の太陽だけが輝いていた。
――一人で、この道を行くんだ。
試験の時も通った道だ。だが、その時とは明らかに違う。踏み出せば戻れない道。不意に足が止まる。ここから一歩、出なければならないというのに。
とん。背中を押された。その拍子に片足が一歩、前へ出る。慌てて背後を振り返ると、笑顔の家族がいた。
――そうだ。振り返れば母さんたちがいる。
振り返るな、とは言われなかった。ただ優しく、行ってらっしゃいと言われているような気がした。
「うん――行ってきます!」
手を振った。そしてもう一歩、遅れていた片方の足を前に出す。もう一歩、もう一歩。そうやって進み始める。
✤✤
ザワザワとした喧騒の中では多くの声が入り混じっていた。ソルが知る限りの喧騒は、これよりも数段静かだった。それは逆に、この場所が彼の故郷よりも多くの人が集まっているということだった。
ソルは歩きながらも人混みに押されそうになるのを踏ん張りながら、周囲を見渡した。右を見ても左を見ても、色とりどりな髪色が目に入った。故郷を出たことがないソルにとっては、違う髪色の人を大勢目にすることはとても新鮮なものだった。まるで、陽光に照らされた風景のようだ。
「えぇっと、フィックスト学園の校門は⋯⋯」
いつまでも浮かれてはいられないと心の内で思い直す。そして地図を見直して、目的の場所を探す。だが入り組んだこの街の地図は、彼にとって複雑怪奇なものでしかなかった。
首を捻って地図と睨み合いをしていたが、数十秒経ってもそれを理解することはなかった。
誰か聞けそうな人はいないかとソルが顔を上げた時――ドンッと背後から少しの衝撃を感じた。その衝撃に押されるまま、地面へ頭が急直下する。ぶつかる、そう思った時。
「――大丈夫?」
視界の斜め上に誰かの指先が見えた。ソルは地面に向けていた顔をパッと上げると、目の前には自身の手を掴んでいる白髪の少年がいた。どうやら彼がソルを衝撃から助けてくれたようだ。
「あ、ありがとう」
急なことで驚いたソルだったが、礼を言った。すると、やんわりとした力で上体を上へ引き上げられると、なされるがまま立ち上がった。
「気をつけてね、入学式もあっていつもより混んでるんだ。見たところ、君もフィックスト学園の新入生だよね?」
白髪の少年も学園から支給された規定服である白のローブを纏っていた。だが少しだけソルよりも装飾が豪華なようだ。肩に羽織った前開きの白いローブから、制服である黒色のシャツと赤いネクタイが見える。だが白いローブの肩には金色のフリンジが付いていた。
「うん。僕の名前はソル。助けてくれてありがとう」
「いいよ、お礼なんて。困った時はお互い様っていうでしょ? 僕の名前はリレール・イオ、こちらこそよろしく」
まじまじと見直すと、リレールと名乗った白髪の少年の瞳の色は、左右で違う翠と金色に輝いていた。
「あ、そうだ。フィックスト学園の入り口ってどこか知ってる? 僕、初めてで分からないんだ⋯⋯」
「見えるかな。あそこに建ってる塔みたいなものがあるでしょ? あれがフィックスト学園、僕らがこれから入学する場所だよ」
そう言って、人差し指を向こう側に見える高い塔へと向けた。この街に来た時から、人の背よりも高くそびえ立つ赤色の塔が見えていたが、特に気に留めることは無かった。まさかそれが自分の入学する学園だったとは、とソルは内心驚いた。
「さて、僕はそろそろ行くよ。これから互いに頑張ろうね」
「う、うん! ありがとう」
にこやかな笑顔で手を振って去っていくリレールに、同じく笑顔で手を振り返した。リレールの背が見えなくなると、ソルは手を降ろして、すでに見えなくなったリレールが向かった道のりを辿った。
✤✤
フィックスト学園入り口。ソルと別れたリレールは、人目が避けた裏口に来ていた。
そこでは柱に背をもたれかけて訝しげな表情で佇む黒髪の少年がいた。黒髪の少年はリレールの姿を見つけると眉間の皺をさらに深くした。
「⋯⋯何ださっきのは。タチの悪い宣戦布告か?」
「やだな、ただの人助けだよ。人聞きの悪い」
「お前の行動は目立つ」
「ええー。なにそれ」
リレールはクスクスと腹を抱えて笑うが、黒髪の少年の機嫌はますます悪くなった。
「お前の意思に関係なく、いろいろな奴らがお前のことを注目してる」
その言葉に、リレールの瞳は今までの明るさが嘘のように静まり返ってしまった。
「⋯⋯神童、か。ヴォルは僕がそう呼ばれたがらないのを知ってるでしょ?」
「そりゃ、そうだが」
「それにね。僕は楽しみなんだよ。星神術を覚えて約十年。神童、神童と呼ばれ続けてきたけど、真の意味で互いの実力が不明瞭なこの新しい地で、どんな人がいるのか、僕はどこまでいけるのか、それを知れるのが心底楽しみなんだ」
リレールは空を見上げる。その視線の先には高らかにそびえ立つ、塔のようなフィックスト学園の校舎があった。これから出会う同級生たちや、己よりも実力が上であろう先輩たちとの邂逅。それらがリレールにとっては嘘偽りなく楽しみなのだ。
「⋯⋯そうか。お前がそれで満足なら別にいい」
「君も大概心配性だねえ。でもどうして? 彼に何かあるって訳でもないでしょ?」
リレールはそう問うが、その言葉を聞いた黒髪の少年は、前髪で隠れそうな片目すらも分かるほどに目を見開いた。
「まさかお前、知らないのか」
リレールが小首をかしげると、黒髪の少年は呆れたように大きく息を吐いた。
「あいつなんだよ⋯⋯【地の街】の入学選抜を通った、アースの民は」
「へえ⋯⋯彼が。そうだったんだ」
【地の街】それはアースの民と呼ばれる者たちが住まう街だ。フィックスト学園のある街を除けば、【地の街】を含めて十の街がある。その中でも【地の街】【死の街】【幻の街】は特別で、三つの街に住まう民の数は年々減ってきている。その民を保護する意味もあり三つの街には入学に際して、人数制限がかけられているのだ。そんな選抜に通ったのであれば、自ずと注目度が上がる。リレールが興味を持つのは最もだった。
「楽しみだね、ヴォル」
リレールは黒髪の少年を覗き込むように近づいた。黒髪の少年の瞳は青く輝き、金色と翠色の瞳は見つめ返した。その青い瞳には彼自身すら自覚していない闘志が見え隠れしており、リレールはその色に小さく微笑んだ。
「じゃあ、僕はもう行くよ。入学式が始まる前に、もう一度新入生代表挨拶を確認しておきたいからね」
リレールは黒髪の少年に背を向けた。去り際にヒラヒラと軽く手を振りながら。
一人取り残された黒髪の少年――ヴォルークは小さくなっていく背を淡々と見送った。
✤✤
「――さて、ようこそ。ヒヨッコども」
入学式が終わり、各々のクラスを発表されて早数十分。目の前の男性――つまりはソルたち一年一組の担任は、ニヒルな笑みを浮かべて言った。【死の街】と呼ばれるプルートゥの民の特徴である黒い角が生えた、エメラルドグリーンの髪を分け、片目が前髪によって隠れている。もう一つの特徴である赤目が、金色の縁のレンズの反射で見え隠れしている。そんな彼の服装は黒のワイシャツに、白いネクタイ、白いチョッキと、生徒と似た服装をしている。違うのはネクタイの色が白いことくらいだ。
――怖い先生じゃなきゃいいなあ。
「アー、忘れてた。自己紹介がまだだった⋯⋯俺の名はガウフ。変なあだ名は付けるなよガキども。見てわかる通りプルートゥの民だ」
ガウフ先生は至極面倒くさそうに首を動かしながら言った。その仕草はとてもやる気があるようには見えない。
「さて⋯⋯自己紹介もしたしなァ。する事と言やァ⋯⋯」
席に座った状態では見えずらい教卓から、黒いバインダーを持ち上げた。見たところバインダーに挟まれているものは少なそうだ。徐に開いたバインダーの中身を見て、今日何度目か分からない気だるげな表情を浮かべていた。
「⋯⋯あーそうか、ガイダンスね。おいガキども、ガイダンスやるぞ。荷物全部持って外に出ろ」
何が何だか分からないまま、生徒たちは言われた通りに荷物を持った。
ガウフの後に続き、二十名近くの生徒が校舎外に出た。配られた黒色のローブが風になびき、太陽の光に照らされて温まっていく。
「あの、ガウフ先生。ガイダンスとは何のガイダンスでしょうか。僕ら、まだ何の説明すら受けていないのですが」
整列はしていないものの、一塊になっている生徒の中で、一人だけ肩の装飾が少し豪華な白いローブをまとった白髪の少年が手をピンと挙げた。
――あれ、あの子は⋯⋯リレール君? もしかして一緒のクラスになれたのかな。
「まあお前の言う事も一律あるが⋯⋯授業のガイダンスなんてもんは、各教科の初日授業でやるもんだ。担任の俺がやる必要はねぇ⋯⋯で、そんなお前らには今から寮の案内をする」
寮、それは彼らがこれから住まう場所。フィックスト学園は全寮制。よって、実家への帰省などがない限りは、衣食住をこれから三年間を過ごす事となる。
この学園の寮は変わっていて、三つの棟がある。その一つ、【デネブ棟】は各学年の一組だけが集められている。他の二つは、各学年の二組が過ごす【アルタイル棟】、各学年の三組が過ごす【ベガ棟】だ。
生徒らは一斉に頭上を見上げる。煉瓦造りの赤い塗装、おそらくは四階建であろうことが分かる。皆が興奮気味に見惚れている中で、ガウフが思い出したように言った。
「あー、そうそう。寮に入る前に⋯⋯お前ら、配られたプリントには目を通したか?」
「プリント?」
思わず声に出たソル含め、皆がバッグを地面に置いたままゴソゴソと荷物を漁る。
グシャグシャになってしまわぬように折りたたんだプリントは、何事もなく綺麗な四つ折りのままだ。手に取ったプリントには、表の中に四桁の数字と人物名が書かれていた。何となく下に下に目を通していくと、自身の名前が載っていた。
【4010 ソル,ヴォルーク】
数字の意味は分からないが、僕の名前の隣にある『ヴォルーク』とは誰のことだろうか。
各々プリントと向かい合っていると、少しの間を開けた後、ガウフが口を開いた。
「見たかァお前ら? その四桁の数字がお前らの部屋番だ。で、同じ欄に書いてある名前が同室のやつだ。あァそれと、男女は分けてあるからな。これからの一年,それは変わることねェから。まあ仲良くしろ」
そうして寮の中に案内される。案内された場所には多くの長机と、それを囲むように置かれた椅子が多くあり、どうやら食堂のようだ。
寮の一階は、食堂と大浴場。二階から四階は三年から一年の生徒部屋になっている。ちなみに三年が二階、二年が三階、一年が四階となっており、エレベーターが備え付けされている。
「とりあえず、荷物を部屋に置いたらもう一度この食堂に集まれ。他の諸々も説明する」
はーい、とほとんどが間延びした声で返事をし、エレベーターで順番に自分の部屋へと向かっていった。
エレベーターを上がるとV字路になっていて、左手が『01番〜20番』で男子寮、右手が『21番〜40番』が女子寮だったため、同じく乗り合わせた女子と男子がふるいに分けられたように別方向に進んで行った。
ドアに書かれている部屋番号を見ながら目的の部屋へ向かう。
「8、9、10⋯⋯っと。ここだ⋯⋯」
ソルはドアノブを握る。
――どんな人だろう、いい人だといいなあ。
多少の不安を抱えながら、扉を開けた。
すると、ドアを引いたと同時に黒髪の少年がそこには居た。
「⋯⋯君が、ヴォルーク君?」
「そうだ」
黒髪の少年は首だけをこちらに向けて、伏し目がちに言う。青い瞳と艶やかな黒髪は、【火の街】マーズの民の特徴だった。ソルは笑顔で自己紹介をする。
「僕はソル。よろしくね」
「知ってる。まあ、よろしく」
彼の端的な返事は、クールと言うか⋯⋯誰とも馴れ合わない一匹狼のような印象を受ける。彼の纏う雰囲気が冷えたもののように思えて、次の言葉を何故だか躊躇ってしまう。
「ここ、空いたぞ。悪いな時間取らせて」
黒髪の少年――ヴォルーク君が立ち上がった場所には、綺麗に整理整頓された荷物があった。荷解きを終えたらしい彼は、立ち上がって踵を返す。それと同時にソルは室内に入り、ドアの前からどいた。
「あ、そうだ⋯⋯少し忠告しとく」
「⋯⋯え? う、うん」
ドアノブに手をかけたままヴォルークは動きを止めた。彼の背中越しに、少しだけくぐもった声が聞こえる。
「同室になった以上、少なからず接点はあると思うが――お前、俺と関わらなくていい」
「⋯⋯⋯え?」
「白い目で見られたくはないだろ」
彼はそう言ってドアを開けた。待って、と叫ぼうとした時には、見えていたはずの彼の背はドアに変わっていた。
彼の言葉が脳内で反復する。その意味がとても悲しいものだと言うことはソルでさえ分かった。彼の真意をソルはまだ測ることはできるない。それでも、わずかに感じた彼の優しさがソルの心の奥で引っかかった。
モヤモヤとした気持ちのまま、荷物を整理して一階の食堂に戻ると、すでにほとんどの生徒が集まっていた。ザワザワとする話し声の中で、何となくヴォルークを探す。すると、既に三、四人でのグループができつつある集団の中で、まるで群れから追い出されたかのようにポツリと窓の外を眺めるヴォルークがいた。何とも思っていないような冷えた瞳で、彼はそこに居る。
「ヴォルーク君!」
ソルは迷わず近づいてヴォルークに声をかける。すると、彼はこっちを向いて目を見開いていた。
「お前⋯⋯さっき忠告しただろ」
ヴォルークは眉根を寄せて、少し不貞腐れたような表情を見せる。今まで全てに興味がなさそうに見えた彼の瞳を、少しでも変えられたような気がしてソルは少し嬉しくなった。
「何を笑ってる」
「え、ああ、いやあ。何でもないよ」
どうやらその嬉しさが表情に出てしまっていたようで、ソルは慌てて両手を横に振った。ヴォルークは小さくため息を吐くとまた窓の外を眺め始めた。ソルがこの場から動かないことに、彼が何かを言う事もなかった。
しばらくするとガウフがやって来た。それと同時に、段々と周囲の話し声が小さくなって、次第には静まり返った。
「全員いるなァ?」
ガウフは左右は見回して、目分量で生徒の数を数えた。
「そうそう、一階には食堂と大浴場がある。学年ごとに入れる時間は決まってるから、その時間以外じゃ入れねェ。水が抜かれる。それと、各部屋に寮に関する規則やらなんやらが書かれたプリントを配布してある。また見とけ」
――部屋にあったプリントのことかな。
時間がないためスルーしたが、確かに机の上にはプリントが置かれていた。
「アー、この後は各自自由だ。荷物を整理するなり、鍛錬するなり好きにしとけ。何かあったら隣の教師寮か、学園一階の職員室に居る先生を呼べ。できれば教師寮には来るな。以上」
最後にそう言い残して食堂を後にした。彼の口ぶちから、おそらくは先生が教師寮にいると言うことだけ分かった。
しばらくして、一人の生徒が動き出した。それに呼応して、ゾロゾロと生徒がエレベーターに向かって動き出した。きっと荷解きをするつもりなのだろう。かと言う僕も荷解きをしてしまいたかった。
「ヴォルーク君、僕らも荷解きしに行かない?」
ソルは食堂から出て行く生徒たちを指差した。
「⋯⋯ああ」
ヴォルークは一瞬何かを言いかけたようだったが、すぐに口を閉じて、ぶっきらぼうに返事をした。
荷解きをしている間、驚くほどに静かだった。聞きたいこと、話したいことがいろいろあるはずなのに、なぜだか言葉が出てこない。それでもソルは、気づかれないようにヴォルークを横目に見る。彼は黙々と荷物の整理をしていて、ソルのことは意に介さないようだった。
「……なあ」
ヴォルークは手を止めて小さく言った。だがソルに顔を向けることは決してなく、背中だけを見せていた。
「どうしてお前は、俺と関わろうとするんだ」
「どうしてって⋯⋯」
ソルは返答に困った。彼が何を思っているのかが、わからなかったから。彼が何を思って、何を感じて、今まで過ごしてきたのか。その全てを知らない。ソルは、いまだ散らかったままの荷物に視線を落とした。そんなソルに向かって、痺れを切らしたかのようにヴォルークは口早に言う。
「知ってるだろ、マーズの民に……狼人族に何があったのか。それを知っていて、どうして俺と関わろうなんて思えるんだ⋯⋯!」
気のせいかもしれない、だが彼の背が微かに震えているような、そんな気がした。
【狼人族】とは【火の街】に住むマーズの民の家系の一つ。それは、ダイモス家と並び称される【フォボス家】のことだ。このフォボス家の人たちには、狼のような獣耳が生えている。
そんな狼人族はもうほとんど生きていない。十五年前にほとんどの狼人族が、各街の星神術者によって――殺された。
十五年前、フォボス家がこの国に反乱を起こした。それが、ちょうどソルたちが生まれた年のことだ。だから今の子供はその反乱の悲惨さを知らない。そして、それを知っている大人たちは口を酸っぱくしてこう言うのだ――狼人族に関わってはいけないと。
ただでさえ、マーズの民に風当たりの強い世の中で、ヴォルークが今までどんなふうに扱われてきたのか、何を思って生きてきたのか。それはソルにとって想像もつかないことだ。けれど……一つだけはっきりしていることがある。
「⋯⋯マーズの民に何があったのかは少し知ってる。でもだからって、僕にとってそれが……何もしていないヴォルーク君を嫌う理由にはならないよ。だから僕は一緒のクラスになった君と、こうして同室になれた君と友達になりたいと思ってるし、君といろいろな事をしたいと思ってるんだ。だから……君が僕を嫌わない限りは、僕はヴォルーク君と仲良くしたい」
まとまりのない言葉だ。ソル自身も何を言ったらいいのか途中からあやふやで、それでも何とか彼に自身の意思を伝えたかった。
ぎこちない動作で、ソルはヴォルーク君を見る。すると彼はソルを見ていて、目を見開いて口を小さく開けっぱなしにしていた。それがどんな感情なのかソルには分からなかったが、ヴォルークが再び顔を背けた行為に、ソルは見覚えを覚えた。
――ジルバトおじさんと同じだ。
ふとそう思った。髪に隠れていて分かりにくいが、証拠と言わんばかりに頬が赤く染まっている。
「何だよ、それ。意味わかんね」
「あはは、そうかもね」
「でも――ありがとう、ソル」
――ヴォルーク君のこんな声、初めて聞いた。
その声には、今まで感じていた冷たさはなかった。
「……ヴォルでいい」
「え?」
「俺の呼び方、ヴォルでいい⋯⋯ヴォルークだと、呼ぶ時長くて面倒だろ」
――そんなふうには思わない、けど。
ソルは心の内側から何か温かいものが湧き上がってくるような気がした。
「えへへっ、これからよろしくね。ヴォル」
「おう」
自然と笑みが溢れれる二人は、そうして互いに手を握りあった。
「あ、そうだ」
「どうした」
「一つ、質問してもいいかな」
そう言って、ソルは言葉を口にする。だが、ソルはその質問をしたことを、後々後悔することになる。そして、自身の愚かさを思い知る。
「――ヴォルって、マーズの民ではあるけど狼人族じゃ無いよね? なのにどうして、狼人族のことを気にするの?」
ソルはヴォルークを見る。その頭部には、狼人族特有の獣耳は生えていない。ただのマーズの民であるはずのヴォルークが、どうしてそこまで人を避けるのか。ソルはそれが不思議だった。
ソルは中々返答のないヴォルークを見た。
その時だ。
――バァン‼︎
勢いよく扉が開かれた。それはもう、その勢いで扉が外れてしまうのではないかというくらいに。
「やっほー! 二人とも、遊びに来たよ!」
握手をした状態の二人は、一体何事だというように目を丸くして、扉の前に立つ白髪の少年を凝視した。
「君は⋯⋯‼︎」
「お前⋯⋯っ⁉︎」
そう、その白髪の少年とは校門前で出会ったリレールだった。久しぶり、とソルが声をかけるよりも早く、ヴォルークは眉を釣り上げてリレールに突っかかった。
「お前! 部屋に入る時くらいノックをしろ‼︎」
「ええー? だってあのヴォルが誰かに気を許すなんて中々ないでしょ? だから親友としては嬉しくなっちゃって!」
「なっ、聞いてたのか……!」
「聞こえてたの間違いだよー」
胸ぐらを掴んでいるヴォルークの顔は、まるで茹でタコのように真っ赤になっていた。かと言って、リレールの方はニコニコと楽しそうに笑っている。
ソルはそんな二人のやり取りを見て思う。
「二人って、仲いいんだね!」
その言葉に、ヴォルークの動きがはぴたりと固まった。そして少し複雑そうに、目線を彷徨わせるとおもむろに口を開いた。
「ああ……まあ、腐れ縁みたいなもんだから」
「もう、酷いなぁヴォルってば。いやー、驚かせちゃってごめんね、ソル君。僕らって、小さい頃からの親友でねー」
やっぱりそうか。ソルは納得した。彼らのやりとりは、短い間柄の関係とは思えない。一人でに落ち着きつつあったソルとは反対に、少し顔を顰めたヴォルークが不服そうな表情で言った。
「で? お前はそんなくだらないことを言いに、わざわざ来たのか」
「ほら、僕って一年部の主席だからさ。部屋に同室が居なくって暇なんだよ。ちょうど荷解きも終わったところだから、二人に聞こうと思って――どうかな? 僕の班に入らない?」
そう言ってリレールは手を差し伸べる。だが、ソルとヴォルークにとってはその言葉の意味が何のことか分からず、二人揃って首を傾げた。その様子にリレールも首を傾げる。だが、すぐに何かを察したのか、一人でにああと声を出した。
「二人ともまだ見てないの? プリントに書いてあったろう? 来週の課外授業までに五人班を作っておくようにってね」
「課外授業だと?」
「そ。詳細は載ってないけど。それでどう? 二人とも」
リレール君の問いに二人は揃って返事をした。
「⋯⋯悪いが俺はパス」
「もちろん‼︎ 僕でよければ! ⋯⋯って、え?」
それも、それぞれ違った返事を。
驚きのあまり、ソルがヴォルークを見た時、ヴォルークは申し訳なさそうに二人から目線を逸らしていた。
意外な展開にソルが目を丸くしていると、リレールが言った。
「どうして?」
雰囲気が凍りついたような気がした。その言葉は、一見ヴォルークを責めているようにも感じられた。だが、リレールの表情からは笑みが消えない。それは彼がヴォルークを責めていない事への証だった。
リレールの問いにヴォルークは目線を逸らしたまま答える。
「班の人数は五人。ってことは、お前ら以外にもこの班に入るやつがいるってことだ。お前らがよくても、そいつらが納得するわけないだろ」
何を納得しないのか。それを聞く勇気はソルには無かった。というより、今までの会話の流れからその答えを求めるほど、ソルの理解力は乏しくない。
「せっかく誘ってもらったのに悪いな。お前はリレールの班に入ればいい」
ヴォルークはソルに目配せを送ると、再び視線を逸らした。一瞬見えた青い瞳は彼の心を表しているかのように、揺れていた。
――どうして、そんな表情をするの。
髪で隠れて見えないヴォルークの横顔を見ていると、どうしようもなく悲しくなってくるような気がした。ソルは思わず視線を逸らす。そして、視界に見えたリレールの表情には、変わらず笑みがあった。だが、ソルにとってはそれが少し不自然に思えた。
「バカだな、ヴォルは」
「……えっ」
リレールの唐突な悪態にソルは思わず唖然とする。そしてリレールはわざとらしく大きなため息をついた。
「あーあ! ヴォルが僕ほど優秀じゃないのは知ってたけど、まさかここまでバカだなんて!」
「ちょ、ちょっとリレール君⁉︎」
リレールの言葉にヴォルークは眉を釣り上げる。まるで一触即発のような雰囲気に、ソルは二人の間に割って入ろうとする。
だが、リレールの表情を見た途端、ソルは蛇にでも睨まれたかのように体が動かなくなった。
「――君を傷つけるようなやつ、こっちから願い下げだ」
笑みが消えていた。眉間には深く皺が刻まれて、眉根が吊り上がっている。金色と翡翠に輝いているはずの瞳は、深く憤怒の色に染まっていた。
先ほどまでの朗らかな彼の表情が嘘だったかのように、その表情は険しい。
呆気に取られたソルの視界に映ったリレールは、ただ静かに拳を握っていた。その拳は骨の形がくっきりと浮き出て、黄色くなっている。
咄嗟に、体が強張った。
――どうして、こいつは。
いつもバカみたいに笑顔で、どんなやつにも分け隔てなく優しい。それは俺に対しても同じだった。こいつのそういうところを嫌だと思ったことはない。ただ、そのせいでこいつまで割を食うことだけが気に食わなかった。
「……どうしていつもお前は、そうなんだ! 俺のことなんて放っておけばいいだろ!」
言葉が口をついて出た。どうしてこんな事を言ったのか分からない。
ただ、何度も何度も似たような言葉を、似たような光景を目にしてきたから分かる。
俺がいない方がこいつはもっと自由に生きられる。なのに、いつもいつもこいつは俺に手を差し伸べてくる。マーズの民の、俺なんかを。
「友達だから」
気づけば俯いていたヴォルークは、顔を上げた。目の前に見えたリレールの表情は、笑っていた。それは誰にでも見せるようなものではない、まるで誰かを慈しむ様な眼差しだった。
「友達だから、助けたいんだよ。友人を助けようって思うのは当たり前のことだろ?」
「……ったく、分かったよ。好きにしろ」
ヴォルークはため息をついて投げやりに言う。それを見てリレールは心底嬉しそうに微笑んだ。それを合図とするかのように、リレールが纏う雰囲気がいつものものへと戻る。
ソルは自然と肩の力が抜け、息を吐く。どうやら無意識に力んでしまっていたようだ。
「と、ところでさ! 後二人どうする? 班は五人じゃなきゃ作れないんだよね?」
「んー、そうだねえ」
リレールは顎に手を置いて唸る。その朗らかな空気に、ソルは胸を撫で下ろした。
「まあとりあえず、クラスにどんな人がいるかも分からないこの状況で、誰を誘うもクソもないよねー」
ワハハ、とリレールは笑顔で言う。確かにその通りではある、ではあるのだが。
――リレール君って、けっこう粗暴なこと言うよね。
「期限まで一週間はあるんだ。とりあえず数日は、クラスの人の様子を見てって感じかな?」
「かもな。とりあえず、どんな奴がいるかは置いといて、星神力の相性はどうする?」
「そうだね。ソル君、君の星神力の第一属性って何?」
「僕?」
星神力の第一属性――それは五つの基本属性と、四つの特別属性のどれかを指す。
ソルは二人の視線に緊張しながら、手のひらにあの感覚を再現する。体中の血液が巡るように、手のひらに熱が籠る。
「これは……熱?」
「いや、熱にしては熱くない。どちらかと言うと、温かい」
二人はソルの手のひらに浮かぶ白い光を凝視する。ヴォルークはその光に触れないように手をかざす。すると、手のひらがじんわりと暖かくなった。
「僕も星神力が使えるようになった時、司祭をやってる母さんに見てもらったんだ。そしたら母さんが【火】の属性だろうって……」
その時の光景をよく覚えている。母と父はとても嬉しそうにした後、一瞬何かに気づいたように険しい表情をした。ただ、一度瞬きをした時には二人の表情がいつもの優しいものへと戻っていたため、気のせいだろうとソルは思った。だが、どうしても一瞬見えた二人の表情が頭に残っていた。
「俺たちがどうこう言っても仕方ねえ。ちょうど明日、星神力の授業がある。その時に先生に見てもらうしかないな」
「そうだね」
ヴォルークの提案に、ソルは星神力を霧散させた。
「ところで少し気になったんだけど、どうして班の人を決めるのに星神力の相性がいるの?」
「これは僕の推論だけどね。プリントには『尚、一度決めた班は今後一年間変更しないものとする』って注意書きされてたんだ。確かに、班の人の性格やコミュニケーション能力とかは大切だと思う。けど、それ以上にこの学園は星神術者を育てるための学校だ。当然、戦闘訓練だって行うだろ? そうなった時に、班の人の属性的相性が悪かったら連携が取りにくくなる。その手間を少しでも省くためにも、必要なことだと思ったんだ」
ソルの問いに、リレールは淡々と説明をする。横にいるヴォルークも同様の考えなのか、納得した表情で聞いている。
「二人ともすごいなあ。僕、そんなこと全然思いつきもしなかったよ」
ソルは呆気に取られる。心の底から、二人の凄さを実感した。
「僕らは【火】と【木】の属性だから、班員にするなら【金】か、次いで【土】の属性の人がいいね」
「ああ。【金】なら俺とソル、【土】ならお前と相性がいいもんな」
星神力の相性としては、隣り合う属性同士の相性が良いとされている。二人の淡々と肩られる会話に、ソルは感嘆する。
――これが、世界を知るってことなのか。
ソルはその一端に触れたような気がした。
「ま、それも明日の授業で見てみないと分からないな。とはいえ、例えその属性を持つ奴がいたとしても、受け入れてくれるかどうか分からないが」
「そこら辺は地道にやっていくしかないよ。この一週間でヴォルがいかに無害で、純粋で、寂しがりやかってことをプレゼンすれば⋯⋯って、いひゃい! いひゃい!」
「一言余計だっ!」
気づけばリレールはヴォルークに頬をつねられていた。少しして「フン」と赤くなったリレールの頬から手を離すと、訝しげな表情で見ていた。
何となく、ソルにはヴォルークの纏う雰囲気が柔らかくなったように思えた。
「さて、ソル君。いや――ソル。改めて、これからよろしく頼むよ」
リレールに片手を差し出される。
敬称を外して名を呼ばれた時、ソルの胸には一筋の風が吹いたような感覚がした。
「こちらこそ、よろしくね。リレール」
伸ばされた手を握り返す。互いに見つめる瞳は、互いに宝石のような色をしていた。
「ヴォルもだよ」
「……ああ」
リレールの言葉に促され、ヴォルークは二人の手の上に、自身の手を重ねる。三人はそれぞれ互いに、互いの瞳を見る。
ガーネットのように赤い瞳、トパーズのような黄金と青白い光を浴びたアレキサンドライトのような瞳、アイオライトとサファイアを混ぜたような瞳。
それらは光を帯びて、互いの瞳に反射しあっていた。