第十一話【対等な親友 後編】
──悔しかった。自分がここまで弱いなんて思っていなかったから。
『すごいわリレール! 星神力に目覚めたばかりで、もう三つの創生術を使えるだなんて!』
10歳の時だった。星神力に目覚めてから約二ヶ月。それは歴代最年少で司祭になった兄さんでさえ、成し得なかったことだった。
『きっとリレールは誰よりも強くなれるわ。兄さんみたいな司祭にだって、きっと』
いつだって、自分にできないことなんてないと思っていた。リレールなら、リレールくんなら。そう言われ続け、自然と溜まっていく──驕りと傲慢。それがどれだけ致命的か、ようやく理解した。
──何もできなかった。班長を任されたのに、結局何も。
自身の手のひらを見る。治療のおかげですっかり傷は癒えていて、かすり傷すらない。
──ヴォルとソルは、まだ治療中なんだっけ。
課外授業では多くの生徒が怪我を負ったが、その中でも特に第四班の三人は意識こそあるものの、全身の疲労や怪我が酷かった。アルナの発熱もなかなか治らず、保健室で継続的な治療を受けている。
──みんな、戦ったのか。
敵の姿を見た生徒は少なからずいたが、その中でも敵と戦ったヴォルークとソル、スピネルは夜巡隊と学園の教師陣にその様子を報告していた。その様を、リレールは遠目で見ていた。
──僕の力は、一体なんのためにあるんだ?
最初はただ、言われるがまま家の方針に従っていただけだった。名家の次男として、司祭の弟として。この学園に入るのも当たり前に感じていた。だが、彼と――ヴォルークと出会って変わった。
理不尽にいじめられ、陰口を言われる友人を助けたい。そう思った。ただ黙って耐え続ける彼を、見ていられなかったというのもあるかもしれない。だが、それ以上に。
誰も彼も、自分の親でさえ彼を庇うことも助けることもなかった。その意味を理解していなかった幼い自分は、きっと彼らにはできないことだから、彼らはやらないのだと解釈した。ならば、と──自分ならできるかもしれない、そう思ってしまった。
だからこそ、幼い頃から培ってきたこの力で、友人を理不尽な悪から守ろうと思った。自分にはそれを成し遂げるだけの力があると、思っていた。
だがそれは、自身の世界での話であって現実ではなかった。
──結局、あの作戦だって夜巡隊には通じなかった。
「……ははっ、ははは」
静かな空間に、乾いた笑いがこだまする。
「僕は、弱かったのか……こんなに、弱かったんだ」
下唇を噛み締める。目頭が熱くなって、咄嗟に片腕で目元を覆った。
「僕はどうしてこんなに、弱いんだろう……!」
目尻からこめかみに向かって、塩気の多い水滴が流れる。そのまま髪を伝い、地面に影を残す。一つ溢れると、歯止めが効かなくなった。
「……ふっ、う……!」
いくら唇を噛み締めても、嗚咽が隙間から漏れる。悔しかった。ただ、それだけだ。だがまるで自身の人生全てを否定された気がした。いや、されたのだ。間違っていると。お前は弱いのだと。
──そう、僕は弱い。だからみんなを守れなかった。肝心な時に気絶して、与えられた役目も真っ当できず。何が主席、何が神童。そう腐るのは簡単だ。だけど、今僕がすべきことはそれじゃない。
事前に設置したトラップによる攻撃を避けるソルに向かって、数発の星神力を放つ。
「――うわっ‼︎」
案の定、ソルは体勢を崩して植物に拘束される。
「うぅ……っ! 解けない‼︎」
胴と腕を拘束され、彼の足は地面から離れた。なんとか拘束を解こうともがいているが、植物はきっちりと彼の腕と胴を拘束して離さない。駄目押しに拘束する力を強めた。
「これで終わりだよ、ソル。制限時間も残り十分弱……星神力の状態を見ても、アルナさんもスピネルさんと一緒にリタイアだろう。万一、ヴォルがトラップを抜け出せたとしても僕から水晶を奪って破壊する時間があるとは思えない」
「そんなのまだ分からないだろ!」
眉尻を吊り上げてムッとした表情で反論するソルだったが、僕はその姿勢にため息を落とすしかなかった。
「……分かるよ。だって、僕も自分の弱さを知ったから」
今まで知りもしなかった、見えていなかったもの。それらをようやく理解した。
「ソルが努力したことも、みんなが努力していたこともよく知ってる。だけど、それでも敵わない人っていうのは存在するんだよ。いくら僕がこの学年の首席だろうとも、先生方や夜巡隊、各街の司祭様たちには敵わない。あの時だって、僕の作戦は成す術なく敗れた。だから、容赦ないほど圧倒的にやるんだ。――今度は絶対、失敗しないように」
正直、僕だってこれはやりすぎだとも思った。一歩間違えれば大怪我するかもしれないほどのトラップ。みんなを心の底から傷つけたいだなんて思っちゃいないけど、それ以上に僕には責任がある。
「……ごめんね、ソル」
彼の努力を無駄にしてしまったような感覚に陥りながらも、彼を気絶させるために星神力を放とうとした――その時。
――ドッ‼︎
「……っ⁉︎」
勢いよく吹き飛ばされる。左脇腹への衝撃。勢いのまま地面を転がり、腕や背中を小さく打ち付ける。一体何が――腕を支えにして上半身を起き上がらせた直後、ソルの怒声が響いた。
「――全力でやる、だって⁉︎ だったらなんで油断なんかしてるんだよ……‼︎」
トサッ――地面に着地する音がした。そこには、先端が吹き飛ばされた植物の前に立つソルの姿があった。彼の周囲には手のひらサイズの光玉が三つ浮遊していた。それらに合流するように、僕の背後から同じ大きさの光玉がふわふわと漂っていた。
「いつの間に……それにその光玉――最初のやつを分割したのか」
宙を漂う光玉はちょうど水晶と同じくらいの大きさだった。
──あの攻撃を躱しながらもソルはずっと、できるかもしれない隙を窺っていたんだね。
油断とはよく言ったものだと自嘲する。そんな僕の思考さえ咎めるように、彼の声音は変わらない。
「そりゃ、僕らはまだ全然弱いよ。でも弱いからこそ支え合って、助け合うんじゃないか。一人で全部やり遂げるなんて……そんなの、一緒にいる僕らを信頼してないって言ってるようなものだ」
「ち、違う! 信頼してるよ‼︎ それでも僕には責任があるんだ! イオ家の次男として、この学年の主席として――何より、みんなに任された『班長』として‼︎」
上ずった声が出た。自分自身すら驚くほど、その声からは焦りが感じられた。
──僕は何を焦ってるんだ。拘束を破られたって、この残り時間で何ができる。このまま時間まで逃げ切ればいいだけじゃないか。
視界が狭まる。理解できない焦りが込み上げ、思考を鈍くした。
立ち上がり、間髪入れずに星神力を放つ。ドドドン――ッ‼︎ 土煙に乗じて、地面に埋まっている他の植物を操作する。だがことごとくソルに打ち破られてしまう。
「……くそっ‼︎」
──さっきからまともに攻撃を当てられてない! こんなんじゃ、また――っ‼︎
自分よりも圧倒的に星神力が少ない相手に手こずるなんて、あってはいけない事のはずなのに。一つ二つ――生成した植物が破壊される音がした。それよりも鮮明に感覚として伝わってくる事実が、一層焦りを助長させた。
「……僕は、完璧でいなきゃいけない。できないことなんてないって、みんなに思ってもらえるように。だからこそ、もう二度とあんな惨めな姿を晒すわけにはいかない……っ‼︎」
ストン、とパズルのピースがハマったような感覚だった。言葉にすると、こんなにも簡単なことだった。できなかったらどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。きっと両親も兄さんも、もう僕を見てはくれないだろう。
それが誇りだったはずなのに。一体いつから、この言葉が重荷になったんだろう。
手が震える。杖の先端を向けるが焦点が合わない。
──落ち着け、焦るな! いつも通りやれば僕にできないことなんてないはずなんだ‼︎
もう一度地面に向かって星神力を放ち、土煙を巻き上げる。ソルの視界を覆うと、間髪入れずに地面に星神力を流し込む。
「――うわっ⁉︎」
土煙が晴れた先では、地面が押しつぶされた豆腐のように歪み、足元を取られて体勢を崩したソルの姿があった。
「このっ――‼︎」
「――ッ⁉︎」
目の前に光の玉が迫る。咄嗟に両腕で庇う。だが踏ん張りが効かず、衝撃で僕の体は吹き飛んだ。
「まさかその状況で攻撃に出るなんてね……っ‼︎」
とはいえ、不恰好な体勢だったせいで威力はおざなりだ。数メートル吹き飛ばされる程度でしかない。すぐさま起き上がったが、ソルの両足は未だ地面に埋まったまま。
「……色々想定外はあったけど、今度こそ決着だ。ソルだって今放った一発のせいで、残りの光玉は一つ。植物を破壊するのにも、相当の星神力を使ったはずだ。そろそろ限界なんじゃないの?」
足の自由を奪われた状態だと言うのに、ソルは背後にあった光玉を何故か庇うように自身の背後へと移動させた。
──ヴォルから聞いていたソルの力。光を操るのが本当だとしたら、供給源が無い今、自身の星神力を消費して攻撃するしかないはず。一見ただ星神力を放出しているように見えるあの光玉だけど、それとは決定的な違いがある。ただの星神力は放出した瞬間――溜めの場合を除いて――留まることなく直線上に放たれる。でもあの光玉はソルの周囲に留まり続けている。僕だって、トラップやらの準備で多くの星神力を消費した。戦闘こそできるけど、余裕があるわけじゃない。ここで気絶してもらわないと。
今度は外さないように。両手で杖を構え、ソルの目の前まで迫る。杖の先端に集まる星神力によって彼の顔が照らされ、眉を寄せて悔しそうにする表情がよく見えた。
「僕の残りの星神力を君にぶつける。それっぽっちの光玉で防げるかどうかは、言わなくても分かるよね」
星神力が膨れ上がる。その眩さによって、だんだんとソルの輪郭がぼやけていった。
「――これで終わりだ、ソル」
✤✤
──リレールは強い。だから万一にでも僕が彼に勝てる可能性なんかあるわけないと、そう思っていた。でも今の僕には勝たなきゃいけない理由ができた。だから、このまま負けっぱなしにはできない。
ソルの眼前に、リレールの星神力が放たれる寸前で留まっていた。薄緑の色をしたそれは、最後に残った光玉より一回り以上も大きかった。
──終わりになんか、させるもんか。
星神力が放たれる――その瞬間。
「――“プラージュ“」
光が、彼らの目の前を覆った。
「――うりゃあッ‼︎」
リレールが光に目をくらませた瞬間、ソルは拳を振り上げてリレールの杖を上へと殴った。
「――うわっ⁉︎」
――ドォンッ‼︎
杖の照準が上向きになり、咄嗟の拍子でリレールの星神力が暴発する。頭上へと放たれた星神力はそのまま天井を突き破り、轟音と共に土煙を撒き散らした。
パラパラ、パラパラと土屑が頭上から降り注ぐ。それらは陽の光に照らされてキラキラと輝く。
「……どうして。あと一歩間違えれば、僕も君もただじゃ済まなかった。なのに何でこんな無茶を……!」
天井から差し込む陽光の一部が、リレールの顔を照らした。暗くて見えずにいたその表情が、ソルの瞳にはハッキリと映った。
「君に勝つためだ」
ソルの言葉にリレールは一層顔を歪める。彼にとってその言葉や結果がどれほど重要なのか、ソルはこの始終を通じてようやく理解できたのだ。
「君に勝って、信頼してもらう。僕にだって背負えるものがあるんだってことを」
「……な、なんで」
「ごめんねリレール。君にとって、あの日の僕の言葉がこんなに君を追い詰めてるなんて思ってもいなかった。リレールが班長でいいって言ったのも、きっとあの時の僕には“リレールならどうにかしてくれる“っていう思いも、あったんだと思う」
リレールは息を呑んだ。だが彼は決してソルを咎めようともせず、逆にそれが当たり前だと思う始末だった。そんな彼の心情を知ってか知らずか。ソルは言葉を続ける。
「でも分かったんだ。失敗したっていい、完璧じゃなくたっていいんだって。こうして僕が無事にここにいられるのも、ヴォルが助けてくれたから、止めてくれたからなんだ……だから、こんな僕でも君のことを助けたい」
「っ、それじゃダメなんだ……‼︎ みんなを信頼してないわけじゃない……それは、本当だ。でも――っ‼︎ 僕には僕の役目がある! 責任がある‼︎ それを全うできずに――一体誰が、僕のことを信じてくれるって言うんだ⁉︎」
彼はストンと肩を落とした。全身の力が抜け、狭まっていた視界が晴れた。それは決して失望なんかではなく。逆に彼の中では「ああ、そうだったんだ」という納得感を感じていた。
自身の情けなさに乾いた笑いが込み上げそうになる。こんな情けない姿を見て、目の前の友人はどう思うだろうか。自分に期待し、信頼を寄せてくれた彼を裏切った自分に。
顔を上げる。吸い込んだ空気は土の匂いが充満していた。暗闇の奥の奥まで見えるほど視界は鮮明なはずなのに、彼の顔だけが見えなかった。だがその声は、はっきりとリレールの耳に届いた。
「――信じるよ。僕はずっとリレールを信じてる」
ソルが言葉を発したあと、コンマ数秒遅れてリレールから「……は」と、まるで理解を拒んでいるかのような彼らしくない声が聞こえた。まっすぐ見据えた彼の表情は驚きに満ちていて、二色の瞳は小さく見開かれていた。
「僕だけじゃない。ヴォルもスピネルさんもアルナさんも、みんなリレールのことを信頼してるんだ」
リレールからの応答はない。それでもソルは言い続ける。
「この期末試験だってそうだよ。もっと他にもやりようはあったはずなのに、わざわざ一人の生徒を残りの班員と戦わせるだなんて……相当な無茶だ。相当その人のことを信頼してないと、思いついたとしても任せようなんて思わないよ」
「……でも、それは」
何かを言い返そうとしてリレールは口籠る。彼らしくない様子に、ソルは一層眉を寄せる。
「失敗も未熟さも、僕一人だけに見せてよ。どんなにカッコ悪くたって、それを見るのが僕一人だけなら大丈夫でしょ? 大丈夫、僕は絶対にリレールから離れたりしないから」
ソルは微笑んだ。陽光に照らされた彼の笑みが、リレールの胸を締め付けた。
「……どうして、そこまで。そんなの、君に何の得もないじゃないか‼︎」
「見返りなんていらない。少しでも君が楽になれるなら僕はなんだってする。僕はただ、友達に笑っていてほしいだけなんだ」
ソルは息を吐く。君に勝つ――言葉にしてみれば単純なものだったが、不安がないわけではなかった。だが口に出して思うのだ――食い下がってでもやらねばならないのだと。
頭上から差し込む光が心地良かった。小さく吹く風に誘われるように、ソルは腕を伸ばした。
「――‼︎」
瞬間、リレールの目の前に光線が迫る。反射的に地面の土を引っ張り、目の前に壁を作る。
ドォン――ッ‼︎ 土壁の中心に穴が空き、土埃が舞った。その隙間から目の前を見据えたリレールだったが、すでにそこには無数の光玉が宙に留まっていた。
「――はあっ‼︎」
ソルの勇ましい咆哮と共に放たれる無数の光。リレールは地面に仕掛けていたトラップの全てを用いてそれらを防ぐ。地中から飛び出す無数の植物はリレールを囲って球体を作る。蚕の繭のように全周囲を植物によって囲まれたリレールは、折り重なった茎の隙間から光が降り注ぐ光景を見ていた。
──この攻撃の密度じゃ迂闊に攻撃できない。とりあえずあの天井に開いた穴を塞いで、ソルの供給源を断たないと。
リレールは懐にしまった水晶を確認する。擦り傷すらない様子を確認すると、そっと息を吐く。
「……よし」
くい、と指先を小さく動かすと、植物は防御の形を捨て、リレールの姿が晒される。光が辿り着くまでの瞬きの間――バシンッ‼︎ 鞭のように弧を描いて幹がうねり、発射台の役割を果たす光玉を叩き落とす。
「な、なんで……さっきまで簡単に壊せたのに!」
リレールの最も得意な属性は【木】――土壇場での攻撃や防御手段を見ても明白な様に、ソルは若干の希望を見出していたはずだった。土煙に紛れてソルの困惑した声がリレールの耳に聞こえた。
調子を取り戻した様子でリレールは告げる。
「確かにソルの言う通り、本当なら植物は光玉を払い退けることなく、光線の威力によって破壊されてしまう。だから細工をした――見てごらん。植物の先端に金属の鎧が付いてるだろう? 【金】の属性を掛け合わせて具現化したんだ。これなら、そう簡単に破壊される心配もない」
キラリと小さく銀色の鎧が小さく光る。植物の形に合わせ、鎌のような形をした先端が鎧を被ったかのようだった。
ソルの中に微かな焦りが滲む。それでもソルは光を放ち続ける。それに合わせ植物がうねり、防がれる。
いくつもの衝撃音がこだまする中、リレールはそっとソルの背後にある天井の穴を見た。
──あれさえ塞げれば……‼︎
植物を操作し、光を防ぐ中でも意識の半分はその隙を窺っていた。陽光が差し込む真下にいるせいで、一層ソルの攻撃手段が増している。結果がどう転ぶにしても、それを解決しなければ自身の勝利は掴めない。
「一か八か!」
天井に向かって手を伸ばす。途端に操縦者がいなくなった機会のように、植物の動きがピタリと止んだ。
──まだこのエリアに流した僕の星神力は消えてないはず。それを使ってあの穴を塞げれば‼︎
目の前に一筋の白い光が迫る。穴を塞ぐよりも先に自身が吹き飛ばされる――そう直感した時。リレールを襲ったのは痛みや衝撃なんかではなく。
「――はっ……?」
その視界は、突如として暗闇に包まれた。
「なんだ⁉︎ 一体何が……⁉︎」
杖を持っていない方の手で、自身の目の前を扇ぐ。音は聞こえる。気配もする。だが視界だけが機能を失ったように、映すのはただの暗闇。
「ぐ――っ⁉︎」
突然、背中を押される。いや、それが威力の弱い攻撃であると気づいたのは自身が倒れ込んでからだった。ドサッと音を立てて倒れ込んだリレールは、わけも分からず地面に顔を擦った。
──落ち着け、この場にいるのは僕とソルだけ。だとするとこの暗闇も攻撃も、ソルの能力だ。
自身に言い聞かせ立ち上がる。そして瞬時に自身の周囲を取り囲む土壁を作った。
「――水晶は絶対に壊す‼︎」
どこからかソルの声が聞こえた。暗闇のせいで、声が反響しているかのようだ。意識を研ぎ澄ませ、声の位置を探る。
──右の背後!
理解した瞬間、身を半回転させ杖の先から星神力を放出する。だが。
「いない……⁉︎」
そこに感じられるはずの手応えはない。予想が外れた、叫んだ直後に逃げた――色々な憶測が脳をよぎった。
──こうなったら、全方位に……‼︎
杖を持ち上げた、そのとき。
――パリン。
まるで小さい鈴が鳴ったかのように感じられた。ピタリとリレールの腕が止まる。
──そんな、まさか……‼︎
片手でローブの内側を弄る。攻撃をされた感覚はなかった、何かが砕けたような感覚も。だが確かに聞こえた音の正体を確かめるため、視覚以外の感覚を総動員してその有無を確かめる。手のひらに触れる、ヒヤリとした小さな冷たさとツルツルとした触感。
「……割れて、ない?」
──だとすると、あの音は……?
困惑を隠しきれず、リレールの動きが止まる。その時、突然としてソルの悶えるような呻き声が聞こえた。
「うっ‼︎」
瞬間、目が眩む。
「……眩し――‼︎」
言葉を発し、気づく。思わず目を瞑った瞼の上から光が差している。ハッとして目を開くと、目の前には先ほどまで見ていた光景が飛び込んできた。
「目が、見える……」
──どうして急に? さっきの暗闇がソルの仕業だとすると、僕の周囲にあるわずかな光を星神力で霧散させたのかな。だったらそれを維持するにも相当な集中力がいるはず。じゃあ今のはその力みが解けた……ってことかな。
考えている暇はない。リレールは声の方向に振り返ると、キラリと光る何かが視界に入った。ピタリと動きを止め、足元を見る。そこにはリレールを取り囲むように3メートル程度の範囲がキラキラと光っていた。
「……ガラスの、破片?」
リレールは小さく呟く。その声はどうやらソルに聞こえていたらしく、彼は不敵に微笑んだ。
「そうだよ。これはアルナさんに頼んで作ってもらったんだ。その水晶に似せてね」
「じゃあさっきの音は……」
水晶に似せて作られたガラスが割れた音だったのだろう。リレールは安堵の息を吐く。
「もしかしてダミーにしようとしてたの? 僕が混乱するようにって。でも生憎だったね、僕はこうして水晶を――」
「――違うよ」
リレールの言葉を遮り、言葉を発したソルの表情はいつにも増して自信に満ちていた。
──何か来る……‼︎
心臓に触れられたような緊張感が襲う。息を呑んだ瞬間ソルが手を伸ばした。一秒の間もなく光が放たれた。
──足元か‼︎
まっすぐに伸びた光の先が下向きになってのをリレールは見逃さなかった。
「そんな分かりやすい攻撃じゃ、簡単に――」
土壁を作り出そうとした時だった。突如として――光が折れ曲がったのは。
「――ぐあっ‼︎」
一直線に向かってきていたはずの光は、地面に着弾する直前で直角に折れ曲がり、リレールの杖を弾く。手首に激しい衝撃が与えられたリレールは、反射的に身を引いた。だが。
「――ッ⁉︎」
目の前には、幾重もの光。それらがガラスの破片に反射し、足元が光る。
──まさか‼︎
気づいた時には遅く。パリン――と言う音と共にリレールの意識は暗闇に包まれた。
✤✤
ビィィィィィ――試験終了の合図が鳴り響く。ソルは荒い息を吐いた。
「……合図? ってことは、水晶を壊せたってこと……?」
目の前には、気絶して倒れ込むリレールの姿があった。
『――Aチーム、ソルさんによる水晶の破壊を確認しましたので……これにて、期末試験を終了します。……ええっと、各自会場からの退出をするように。怪我人は医務室へ連れて行ってください』
ガウフとは違う音声――シートリアのものだ。頭の中でアナウンスが反芻し、呆気に取られる。
「……うわっ」
支えを失ったかのように地面に尻餅をつく。
「いててて……」
じんと尻が痛む。しかしそんなことさえ気にならないほどに、目の前の事実が鮮烈だった。
「――ソル! リレール‼︎」
声がした。ヴォルークの声だ。ソルはハッとして声の方向を振り向く。そこからは光が差していて、いつの間にか入り口が開いていた。ヴォルークのシルエットが段々と大きくなっていく。
「……ヴォル、どうしてここに?」
「すぐ隣のエリアにいたからな、俺。お前らが戦闘してるんだろうなってのは分かってたんだが、リレールが仕掛けたトラップに手間取っちまって……スピネルにも謝っておかねえと」
ヴォルークの頭部には狼の耳がピンと立っていて、その表情はどこか不服そうだった。今だにぼんやりしたままの脳で、なんとか彼の言っている言葉を理解する。
「ったく、何間抜け面してんだよ。リレールに勝ったんだぞ」
「……そっ、か。勝ったんだよね、僕」
いまだ実感がつかめない。ソルは右手を眺めた。それは最後に星神力を放つために伸ばした腕だった。初めて星神力を放った時とも、エイナに向けて放った時とも違う――何かが、そこにはあった。
「勝利の証、ってやつだな」
「え?」
「俺はまあ、こいつに勝ったことなんて一度もねえけどさ。師匠と稽古して、いい結果を出すたびに思うんだ『これが俺の実力なんだ』ってよ。今のお前を見てると似た感じなのかと思って。師匠が言うにはその感覚は忘れちゃいけねえものなんだってさ。『いざって時に役立つから』……って意味はまだ分かんねえけど。ま、何にせよ『もっと自信を持て』ってことだと思うぜ? 俺もお前も」
ソルはリレールを見つめた。いつも真っ白なローブは汚れていて、擦り傷や切り傷も見られる。自信――その言葉はリレールのためにあるものだと思っていた。だが気丈に振舞っていても、彼だって自身と同じ15歳。悩みもするし、自信をなくすことだってある。今まで彼が巧妙に隠してきた現実が、露わになったに過ぎない。
「……いいのかな、僕が自信を持っても」
──本当ならリレールが持つはずだったものなのに。僕が持ったら、リレールは。
彼が弱いとは思っていない。だが彼にも弱い部分があるのだと知った。このまま、彼が失ったものを取り戻せなかったら。そう思うと、どうしてもためらってしまう。
「いいんじゃねえの。ってか、リレールに今必要なのは逆にそっちだろ」
ヴォルークはキッパリと言い切った。だがそれは決してリレールへの蔑みなんかではなく。その声音には温かみがあった。
「あいつは最初から色々持ち過ぎてたんだ。だからあいつと同じ位置でいられるやつなんて滅多にいない。考えてもみろよ、一つ一つの価値が同じのものを十個持ってるやつと三つしか持ってないやつ。同じ立場でいられるわけがないだろ? 必ずどこかで劣等感や侮りが出てくる。だから今のリレールは持ってるもんを一回捨てて、少しでも対等な立場のやつが必要だったんだよ。立場が違うやつの悩みなんて……どんなに真摯に聞いたところで、結局他人事なんだから」
彼は眉尻を下げた。その表情にはわずかに哀愁を漂わせたが、すぐに顔を上げた。
「さてっと。さっさとこいつを運ばねえと。ソルも歩けるか?」
「うん、大丈夫」
ソルに手を伸ばしたヴォルークは、ソルがその手を取って立ち上がった後、地面に横たわるリレールを背負った。
期末試験が終了した。試験会場を出た二人は入り口で待っていたガウフと合流し、ソルはリレールと共に保健室へ。ヴォルークは狼人族の耳を隠すためにガウフと共に職員室へ向かって行った。




