第7話 おうちデート?
「ここが一花の家?」
「はい、そうです……」
「やっぱり思った通り近かったね、家」
夏休みが終わった後の最初の土曜日。
静けさの漂う午後、その空気を破るように、九条さんはやって来た。
そして私は、彼女を玄関先まで案内するしかなかった。
やる事はもちろん、彼女の食事だ。
九条さんに家を知られるのは嫌だったけど、行くと言われれば拒否できない関係上、頷くしかない。
しかも家がバレるだけに収まらず、位置情報共有アプリまで勝手に入れられてしまった。
お腹が減った時に、すぐ私を探し出すため用なのだろうが、流石にやり過ぎだと思う。
どれだけ不満を募らせたところで、私に自由は無いけど。
「というか、わざわざ私の家に来る必要ありましたか?」
「この前、一花が言ってたじゃん。家にはあまり親もお兄ちゃんも返って来ないから、基本的に1人だって」
「……確かに言いました」
この女は私が学校で1人かつ、他人の視線が無いことに気づくと、すぐに近づいてくる。
昼休憩でも、10分休憩でも、図書室にいる時でも。
その時に嫌々会話した内容の中で、そんな話をしたのを思い出した。
今になって考えれば、なんでこんなどうでも良い話題を出したのかも分からない。
基本的に人と話す機会が無いせいなのか、それとも彼女が聞き上手だったのか……
「ねぇ。こんな場所で話してないで、中に入っても良い?」
「いえ……出来れば中に入らずに、この場ですぐ事を終わらせて欲しいんですけど……」
「え〜、でも……」
そう言いながら、彼女は手にした箱をこちらに掲げて見せた。
その洒落た包装と形状からして、中にケーキが入っているのは明白だった。
「これ持ってきたんだけど、一花がそういうなら持って帰るしかない――」
「さっさと中に入って冷蔵庫に入れて下さい!まだ外は暑いんですから、溶ける前に早く!」
「はいはい〜」
あぁもう、腹が立つ。
こういう抜け目のない用意周到さが、何より癇に障る。
そして、それを受け入れてしまっている自分自身にも、また苛立ちが湧いてくる。
これじゃあまるで、嫌々風呂に入れられたあとの、餌で機嫌を取られてる仔猫そのものだ。
でもこの不快な行為を、何の気分転換も無しにやらされるのはもっと嫌なので、一旦諦めるのが丸い。
「ちゃんと冷蔵庫に入れましたか?」
「入れたけど今食べないの?」
「ケーキは緩くなったものより、冷蔵庫にしばらく入れた後のが美味しいので」
「じゃあ私の食事を先にするって事で良い?」
「はい」
リビングに移動すると、九条さんは当然のようにソファへ腰を下ろした。
目線は私を追いながらも、どこかこの家そのものを見回すような仕草で周囲を眺めている。
「……わりと片付いてるんだね。てっきり、本とか服とか散らかってるのかと思ってた」
「失礼ですね。私だって、最低限の整理整頓はできます」
「ふーん。まあ、どうでもいいけど」
そんな会話を交わしながら、私は台所の引き出しから包丁を取り出した。
先端を軽く確認し、そっと息を吐くと……
「あっ、待って待って!」
「何ですか?」
「この前も言ったと思うんだけど、他に方法があるの!」
「性的なやつは絶対に嫌です」
「違うから!とりあえず包丁を仕舞って」
私は包丁を仕舞う。
「で、どうするんですか?」
「ちょっと待ってね、亜人化するから」
そう言って彼女は人間の姿から、角と尾を生やした悪魔のような形態に切り替わった。
亜人化という単語を突然出され、何かと思ったけど、この変身にそんな名前が付いていたのか。
「何個か試したい事があるけど、今日は前回に例で出した尻尾で巻きつくとこからやってみよっか」
そう言って彼女は先端が蕾のようになってる尻尾を近づけてくる。
「どこに巻き付けば良い?」
「……じゃあお腹でお願いします」
「どうしてそこが良いの?」
唐突な質問に、私は一瞬言葉に詰まった。
深い理由なんて無い。
ただ、感覚的にそれが一番マシだと判断しただけだった。
「一番邪魔にならなさそうだったので」
「なるほどね~。じゃあ、お腹に尻尾を入れやすいように、服めくってくれる?」
「え、服の中に入ってくるんですか?」
「当たり前でしょ。服越しじゃ吸えないって」
軽く当然のように言ってくるその態度が、少しだけ腹立たしい。
でも、ここで拒否したところで何も変わらない。
私は小さくため息を吐き、服の裾を指先で持ち上げ、お腹が露わになる。
「よしよし、じゃあいくよ」
九条さんの声は、どこか楽しそうだった。
尻尾の先端が、ゆっくりと私の腹部へ近づく。
ぴとり、と接触した瞬間、冷たさではなく、むしろ体温に近い温もりが伝わってきた。
「くすぐった……」
思わず小さく声が漏れる。
尻尾は腹の周囲に沿って巻き付いていき、最後にはやや強めの圧で締めつけてきた。
締め付けといっても苦しいほどではない。
けれど、その「ぴったりと抱きしめられる」ような密着感が、妙に心を落ち着かなくさせた。
「私も自信持って言い切れないんだけど、このやり方だともしかしたら、一花の体力が持たないかも」
不安げに、彼女が口を開く。
「何ですか、その言い分。ひょっとして他の人で試してないことを私でやろうとしてます?」
「…………何か勘違いしてるみたいだけど、私は一花からしか生命力を摂ってないよ」
「え?」
一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。
それがどういうことか尋ねようとした矢先――
「とりあえず、一回やってみるね」
その言葉と同時に、尻尾の蕾のような部分が微かに脈打つように動き出した。
内側に、吸盤のような細かな器官でもあるのかもしれない――皮膚を吸い上げるような、じんわりとした感覚が広がっていく。
「っ……」
痛みはない。けれど、何とも言えない異物感と、身体の内側をわずかに引かれるような妙な感覚。
皮膚の表面をなぞるだけの刺激ではない、もっと深部に触れてくるような、そんな不気味な感触だった。
「大丈夫?いけそう?」
「よ、余裕ですね。大したことないです」
――強がりだ。
すでに、額に滲む汗が言葉の嘘を暴いていた。
少し息が上がっているのを、悟られまいとする自分が情けない。
「なら良いけど……こうしてる時間暇だし、学校の話でもしよっか」
「……い、いえ。今日は休みなので、いつも私が家でやってるように振る舞わせてもらいます」
「えっと、つまり?」
「……スマホでネットサーフォンですね」
九条さんは呆れたように、でもどこか楽しそうに笑った。
「それ、一緒にいる意味ないじゃん」
私はその言葉に返事もせず、スマホの画面へと視線を落とした。
余計な会話はしたくない。
黙って時間が過ぎてくれれば、それで良かった。
しばらくは、私がスマホを見続け、九条さんも隣で鼻歌交じりに自分のスマホをいじっていた。
けれど、どこか落ち着きなくソワソワしているのが視界の端で伝わってくる。
――そして、やがて始まる。
彼女の尻尾の先端が、私の視界の端でゆらゆらと動き始めたのだ。
最初は小さく。ほんの戯れのように。
けれど、次第にその動きは私の注意を引こうとするかのように、視界の中心近くまで侵入してくる。
完全に、暇の限界が来たらしい。
とてもうざい。
私は苛立ちを込めて、片手でその尻尾を掴み取ろうとする。
が――ぴたりと動きを止めたと思えば、くるりと逃げられる。
……腹立たしい。
再びスマホへ視線を戻せば、またじわじわと尻尾が近づいてくる。
チラつく。視界の端でふにふにと揺れる。
まるで猫じゃらし。
再び手を伸ばせば、またするりとかわされる。
「そういうとこ、可愛くて良いね」
その言葉に、堪忍袋の緒が切れた。
私はソファの横にあるクッションを手に取り、何のためらいもなく九条さんの顔面目がけて全力で投げつけた。
「まだ終わらないんですか!!」
九条さんが「うわっ」と一瞬驚いたような声を上げるのを聞きながら、私はそのままぐらりと前のめりに倒れ込んでしまった。
――力が、入らない。
体の内側からじわじわと奪われていくような、鈍く重たい倦怠感。
視界の端が少しずつ暗く滲んで、思考もまとまらなくなる。
「やっぱり限界だったよね?」
「……そんなこと、どうでもいいので……終わったのか、どうかを……」
「う〜ん、あんまりかなぁ。……他の方法を試して良い?」
その言葉に、もうツッコミを入れる余力もなかった。
「……出来るだけ、体力の消費が少ない方法でお願いします」
「りょうか〜い。でもその前に休憩にしよ。ケーキ、ちょうど食べ頃になってると思うし」
そう言って九条さんは、私を置いたまま立ち上がり、冷蔵庫へと歩いていった。
視線を少しだけ動かすと、彼女の尻尾がゆらゆらと揺れていて、機嫌が良さそうにも見えた。