第5話 猫は私じゃなくて貴女 ☆
そして二日ほど経つ。
幸か不幸か、
あの日を境に私に対するいじめは、ピタリと止まった。
二日しか経っていないから当たり前かもしれないが、いまだ注目の的は九条さんだ。
私に向いていた視線を全て受け持ってくれるのは、正直凄くありがたい。
一生その状態を続けてて欲しいまである。
九条さんとは、校内で話すことは一切ない。
というか最後に会話をしたのも、ケーキを奢られた時。
アレっきり、同じクラスだというのに目を合わせることも無い。
まぁ当然と言えば当然。
私と会話なんかすれば、クラスのみんなに下の立場だと思われてしまう。
普通は私に近づかないだろう。
九条さんは特に、自分の立場というのを意識しているようだし。
「今日はどこで食べる〜?」
「食堂……かな」
「えー、外で一緒に食べない?」
昼休み。午前の授業が終わり、教室がざわめき出す。
クラスの子たちは、いつも通り連れ立って教室の外へと出て行く。
今日も、私はひとりきりになった。
昼の過ごし方はクラスごとに異なる。
なぜ私だけがここに居座るのかは言わずもがな。
でも食事関係は組によって違い、誰一人として教室から出ないクラスや、ぎゅうぎゅう詰めになってるクラスもある。
まぁ誰とも話さない事には、だいぶ前に慣れた。
私はカバンから弁当を取り出し、いつものように一人で食べ始めようとした――その時だった。
「わぁ!」
すぐ横から突然、声。
「…………」
「驚いた?」
「別に……」
気づけば九条さんが隣にいた。
この人も例に漏れず、教室から出て行った筈なのだが、何故……
そういえば、九条さんの寄生先になるみたいな話を前回したけど、具体的な内容を話していなかった気がする。
「……それで何の用ですか? 貴女は村上さんと食べに行ったんじゃ無かったんですか?」
「綾香には保健室に行ってくるって嘘吐いてきたよ。あの子は他にいっぱい友達がいるし、私が抜けても平気かなって」
「そうですか。で、用件は?」
私が淡々と尋ねると、彼女は少し不満げな顔をして、むくれたように言った。
「え〜、ちゃんと答えたのに。冷たい……」
そう言いながら、制服のポケットから千円札を一枚――ではなく、二枚取り出して、ひょいと私の目の前に差し出してくる。
「昼休憩だからね。もちろん食事だよ」
私は目を瞑り、少し考える。
やっぱり思ったとおり。
私のところに顔を出してくる理由なんて、それしか無いだろう。
だけどここは学校。
結局、私が何をするのかは聞いてないが、前回の公園と同じ行為を要求してくるなら断固拒否である。
……ここら辺の話、ケーキを食べに行った時にしっかり擦り合わせをしとけば良かった。
今更後悔しても遅いけど。
「あれ、どうしたの? 私の声、聞こえてるよね?」
その無邪気な問いかけに、私はゆっくりと顔を上げた。
言葉を選びながら、慎重に口を開く。
「……一応先に言っておくんですが」
「うん?」
「貴女の言う食事って性的な事じゃないですよね?……前みたいな」
一瞬、九条さんの目がまばたきを忘れたみたいに止まる。
けれど、すぐにいたずらっぽい笑みを浮かべて――
「もしかして、して欲しいの?」
「違います! もし公園の時と同じ手段をこの場で取ると言われても、私は応じつもりなんて無い、と言いたかったんです!」
して欲しいわけがない。
もうあんなこと、二度とごめんだ。
あれは一生に一度でいい……いや、一度だって無くてよかったと思えるレベルの、最悪な体験だった。
「う〜ん……今できる食事の方法を挙げるなら、キス――」
「嫌です。絶対にやりません」
私は性的な事は嫌と釘を刺したのに、初手から持ち出してきた。
この女は話を聞いていないのだろうか?
それに……
「……それに九条さんは同姓とキスするの、嫌じゃないんですか?」
自分の疑問をそのまま口に出す。
すると、九条さんは少しだけ目を細め、肩をすくめるようにして
「もちろん嫌だよ? ほんっとうに嫌っ!」
あっさりと言い切った。
そのあまりの即答ぶりに、少し呆気に取られる。
「やっぱりそうなんじゃないですか……」
「でもこれは本能だもん、やらなかったら死ぬ。……じゃあするしかないよね?」
言っていることは分からなくもない。
だけど、それでも納得はできなかった。
この人の言い分では、相手は男女どちらでもいいらしい。
それなのに、わざわざ同性の、私を選ぶ理由とは。
私は、視線を落として、ぽつりと呟いた。
「…………確かに、貴女の言ってることは正論です。仕方のない事情なんでしょう。……それでも、やっぱり私である必要はないですよね?」
そう言うと彼女は――
「ううん。いまあの日を思い返しても、絶対に一花じゃないと駄目だったと思う」
問いかけると、九条さんの表情から笑みが消えた。
瞳が、何かを見透かすように細くなる。
「弱いからだよ」
「……は?」
耳を疑うような答えに、思わず声が漏れた。
「前にも言ったかもしれないけど……一花って、“人としての弱さ”がすごく滲み出てるんだよね。群れの中でうまく立ち回れない子、誰にも庇ってもらえない子、居場所をなくして黙って耐えてる子。そういうのって、多分、私みたいな種族には――すごく“惹かれる”」
感情の起伏のない声で、彼女は話を続ける。
「理屈じゃないんだ。本能的に、そういう子が“おいしそう”に見える。変な意味じゃなくてね。……でも、きっと人間に例えるなら、親に捨てられた鳴いている子猫を放っておけないとか、そういう感覚に近いのかも?」
九条さんはふいに肩の力を抜くと、いつもの調子に戻って笑った。
「……ま、これも二日前に似たようなこと言った気がするけどね〜」
「…………」
……あぁ、本当に、駄目だこの人。
今の一言一句が、私の中の何かを逆撫でした。
ふざけているわけじゃないのは分かる。でも、それ以上に――無神経だ。
……本当にイライラする。
「……すみません。貴女の発言があまりに不愉快だったので、その食事とやらは別日にしてもらって良いですか?」
「ね〜え! 私は質問に答えただけだよ?! なんで怒られなきゃいけないの?」
「そうですね。まずは次に会う時までに、その腐った性格、根っこから治してきてください」
私は差し出された金を突き返し、片手で払うようにシッシッと手を振った。
けれど、九条さんはその場を動かない。
むしろ、少し拗ねたように口を尖らせて、呟く。
「綾香たちには保健室行くって嘘ついて来たのに……それは無いってば。……それに、食べなかったら、私ほんとに死んじゃうんだけど」
「はいはい、勝手にどうぞ。せいぜい清々します」
刺すように吐き捨てると、九条さんは無言でスマホを取り出し、画面をこちらに向けて突きつけてくる。
画面は暗く、何も映っていない。
ただの黒い板。
……けれど、どう言う意味かは理解できる。
「そんな態度とって良いのかな、私にはこれがあるけど?」
本当にどこまでいっても、屑は屑らしい。
この年齢でここまで生きてきたのだ。
おそらく一生、この性格が治る事は無いだろう。
「……分かりました。従いますよ、ご主人様」
「うんうん、ありがとう。……一花が私を嫌うのは分かるけど、こっちも必死だから」
「もうその話は良いので、とりあえず早く代案を出して下さい。――キスと性的な行為は絶対に却下します」
「え〜、なら一花のお腹を舐めるとか?」
「却下」
私の声は冷えきっていた。
だが九条さんは気にした様子もなく、楽しげに『じゃあ次は〜』と続けようとする。
その無神経さが、余計に腹立たしいというのに。
「……一応、排泄物も多分飲めるよ? 本当に嫌だけど」
「私がその羞恥プレイを許可すると思ったんですか? 貴女と性交するのと同じレベルで無理です。却下」
「となると、少し痛い思いをするかもしれないけど、一花の血を少しだけ分けてもらうとか?」
あぁ、凄い。
今まで出された提案の中で、一番まともに聞こえるのがこれだ。
もはや一択まである。
「……もうその案で行きましょう。昼休憩が勿体無いです」
「え、それで良いの?他にも何個か案を出せるけど?」
「いえ、これでいきましょう」
……でも、やられっぱなしというのは気に食わない。
少しだけ意趣返しをしてやる。
私は静かに返事をしながら、鞄の中から筆箱を取り出す。
そしてその中から、使い慣れたカッターを取り出した。
九条さんの表情が一瞬だけ曇る。
私はそれを無視して、カッターの刃をスッと引き出し、自分の左手を机の上に置く。
指を軽く広げて、掌の中央あたりに狙いを定める。
「ちょ、ちょっと待っ――」
九条さんの声が飛んできたが、私はそれを遮るように、
――シュッ。
刃を引いた。
瞬間、皮膚が裂け、じわじわと赤い線が滲み出す。
痛みは思っていたよりも鈍く、少し熱を帯びたような感覚が掌に広がっていく。
「…………」
私はそのまま少しだけ手を傾け、垂れた血が机に落ちないように掌をかざした。
「はい、用意出来ました。どうぞ飲んでください」
「痛くないの?」
「ちょっと熱く感じる程度の痛みがあるくらいですね。問題ありません」
私の答えを聞き、彼女は姿勢を低くして、まるで祈るような動作で私の手に顔を寄せた。
「……飲むよ」
舌が触れる。柔らかく、湿った感触が皮膚の上を這う。
ちゅ、という小さな音が教室に響いた。
何とも形容しがたい、奇妙な光景だった。
……それにしても何だろう。
彼女の舌先が触れるたびに、私に疲労感が溜まっているようにも感じる。
まぁ許容できる範囲だし、別に良いか。
そんなことより……
「……そういえば、さっき私のことを動物扱いしましたよね?」
九条さんの頭を見下ろしながら、静かに言葉を継ぐ。
「でも……今の貴女の姿も、さほど変わりませんよ。血の匂いに惹かれて、静かにしゃがみ込んで舐めてる姿……まるで、ミルクを必死に飲む野良猫みたいです」
九条さんの動きが一瞬だけ止まる。
そして数秒後、小さく笑った。
「なるほどね。なんか思い通りに動いてくれるな〜って思ってたけど、そんなこと考えてたんだ」
「…………」
「一花って結構良い性格してるよね」
「……九条さんには敵いませんよ」
くすくすと喉の奥で笑いながら、九条さんは再び私の手に顔を戻し、最後の一滴まで、丁寧に舐め取った。
ぴたりと舌が止まり、静かに息をつく。
そのまま、私の手を離すかと思えば――逆に、そっと引かれた。
「ちょ、ちょっと……何ですか、いきなり」
「水道。洗わないと感染症になるでしょ。傷の処置も、ちゃんとしないと」
言いながら、私の手をぐいと引っ張る。
抗議しようとしたが、結局何も言えなかった。
水道の前で流水に手を晒しながら、彼女は必要以上に丁寧に私の掌を洗ってくれた。
痛みより、くすぐったさのほうが勝る。
そして、ポケットから取り出した絆創膏を、無理やり私の手のひらに貼り付ける。
「こんなの、そこまでしなくても勝手に治りますよ」
「……そうかもね。でも、もしかしたら気づかない内に、酷い病気にまで悪化しちゃうかもしれない」
「はぁ?」
「人間ってあなたが思ってる以上に弱いんだよ」
ふざけているのか、本気なのか。
表情にはいつもの薄笑いが浮かんでいたけれど――どこか、その目が真剣にモノを訴えているようにも見える。
……正直、この女からの心配なんてほしくなかった。
彼女は私を子猫扱いし、私も彼女を同程度の畜生と罵った。
私が弱かったから、利用されただけ。
友人でもなければ、ましてや信頼に足る相手でもない。
搾取と対価、ただそれだけの関係。
だったら……人として屑なのなら、そのまま突き進んで欲しい。
なんでこの場面で妙な優しさを見せてくるのか。
……いや、結局は人として最低なのに変わりない。
「……もう要件は済みましたよね?」
「うん」
「なら、さっさと私の目の前から消えて下さい。こんな事をしてると、昼休憩中に弁当を食べ切る事ができません」
「あはは、そうだった。邪魔してごめんね」
そう言いながら、机の端に音もなく二千円札を置く。
そして、そのまま踵を返して数歩進んだところで、ふいに立ち止まり――
振り向いて、一言だけ。
「またね」
それだけだった。
私は顔を上げず、ただ黙って弁当を手に取る。
――無視することで、これ以上会話をする事は無いと、意思表示をしたつもりだった。
……でも、何だろう。
何か妙な後味の悪さが残った気がする。
箸で白米をひと口すくい、口の中へ運ぶ。
もぐもぐと噛んでみる――が、味がしない。
……どこかでミスしたのか、今日の弁当はやけに味が薄く感じた。
◇
あとがきです
次回は多分、九条桃音視点を挟みます。
それとここまで読んで頂きありがとうございます!
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