第38話 ……どうでしたか、好きな人からされるキスは?☆ (大空一花:視点)
どう返事をすればいいのか。
それが、いまの私には分からなかった。
……あの男子に告白された時のことを、ふと思い出す。
あの時は確かに――嬉しかった。
けれど、それは彼を好きだったからじゃない。ただ、自分が「誰かに好かれた」という事実が、あまりにも新鮮だったのだ。
では――九条さんの告白は、どうだろう。
まず断ったら、どうなるのか?
たぶん、この“生命力を与える関係”は、変わらず続くだろう。
百合園さんからの説明を考えると、この程度のいざこざで無くなったりはしない。
私が余程頑張って頼み込んだりしない限りは。
「例え話なんですけど、その告白を断った場合、九条さんはどうします?」
なるべく表情を崩さずに尋ねると、彼女は露骨に顔色を失くした。
「断りたい……の?」
目が、どこか怯えていた。
私は慌てて付け加える。
「いえ。まだ考えているだけです。ただ、判断材料として……」
言いかけたところで、彼女は小さく唇を噛み、少しの沈黙のあとで口を開いた。
「……写真で……脅すかも」
「……そういうとこ、最初から最後まで本当に変わらないですね」
「…………」
呆れながらも、それ以上責める気にはなれなかった。
彼女は本気で、私に断られることを恐れているのだ。
となると、私の気持ちは――どうなのか。
この感じだともし受け入れたら、九条さんはおそらく私に対して、強い独占欲を見せるようになるだろう。
他人との関わりに口を出し、制限をかけてくるかもしれない。
……正直、それは苦手だ。
私は、自分の行動を縛られるのが嫌いだ。
でも、私はいま――友達が、いない。
村上がいなくなったことで、多少は空気が変わるかもしれない。
けれど、それはまだ先の話だ。今の私は、学校でも日常でも、九条さん以外に繋がりらしい繋がりがない。
つまり、彼女からの告白を断ることに、大きな意味はない。
メリットどころか、関係が悪化すればこの先が面倒になるだけだ。
それに――エッチなこと、について。
最初は確かに、あれこれ不快だった。
けれど、もう何度もされてきた。
今さらその延長があったところで、心のどこかで「まあ、もういいかな」と思ってしまう自分もいる。
それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。
ただ、今の私には、これが現実なのだ。
気づけば、九条さんが何も言わず、こちらをじっと見つめていた。
声を掛けるでもなく、ただ――私の口から出る返事だけを、じっと待っている。
まるで呼吸すら忘れたような静けさだった。
私は小さく息を吐き、背筋を伸ばした。
「では……返事を決めましたので、答えさせていただきます」
その瞬間、九条さんの肩がわずかに震えたのが分かった。
息を飲む音までは聞こえなかったけど、沈黙の中の緊張が伝わってくる。
その反応に、なぜか私は妙な愉快さを覚えた。
こういう状況も、たまには悪くない。
自分の言葉ひとつで、相手の未来が決まる。
手の中に主導権があるという感覚が、少しだけくすぐったかった。
「じゃあ、そうですね……九条さん、ちょっとその場でしゃがんでもらえますか?」
「え……? う、うん……」
戸惑いを隠せないまま、彼女は素直に私の指示に従った。
床に膝をつき、こちらを見上げるその顔には、わずかな不安と期待が滲んでいる。
私は一歩、静かに踏み出し、そっと身を屈め、彼女の顔に手を伸ばした。
指先が彼女の髪に触れ、それを避けるように頬へと手のひらを添え――唇をほんの一瞬だけ触れさせた。
触れたのは、ほんの頬の一角。
それも、撫でるように柔らかなキスだった。
押しつけるでも、伝えるでもなく、ただ静かに、そこに置いた、というような接触。
けれど、それで充分だった。
それだけで、私の中にあった曖昧な想いは、ようやく輪郭を持ったように感じた。
唇を離し、ゆっくりと顔を戻すと、彼女の頬がわずかに紅潮していた。
目はまだ伏せたままで、動かない。
その静けさが、どんな言葉よりも雄弁だった。
「……どうでしたか? 好きな人からされるキスは」
小さく問いかけると、彼女は肩をぴくりと揺らし――顔を上げないまま、口ごもる。
「そ、その……つまり……え、えっと……」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。はい、オッケーって意味で受け取っておきます。これからも、よろしくお願いします」
「う、うん!!!!」
目を合わせぬままの、勢いだけの返事。
その不器用さが、逆に心地よかった。
「それと――その前に、ひとつだけ」
私は軽く手を差し出す。
「貴女のスマホを貸してください」
九条さんは一瞬だけ戸惑ったようだったが、すぐに素直に差し出してくれた。
「では、付き合う前に、たった一つだけ条件を出させてもらいます」
「え? …………いいよ。何でも言うこと聞く」
「そうですか。それなら、私を脅すために撮った写真――あれを全部消してください。そして二度と、ああいうことはしないって、誓ってもらえますか」
彼女は、はっとしたように目を見開き――そして、しっかりと頷いた。
「……分かった。一花がそう言うなら、そうする」
そのまっすぐな瞳を受け止めながら、私はスマホを操作する。
フォルダを開き、保存されていた自分の写真を一つずつ確認し、削除。
迷いも、未練もない。
「……はい、終わりました」
画面を彼女に見せ、スマホを返す。
「じゃあ、これで――私たちは恋人です」
「うん」
照れくさそうに、それでも嬉しそうに笑う九条さんの声を聞いて、私もつられるように微笑んだ。
「では、私の家に帰りましょうか」
彼女がうなずいた時、その手が自然と私の手を探してきた。
触れるか触れないかの距離で、そっと指先を重ねてくる。
私はその手を、握り返した。
---
――そして家に戻り、簡単な夕食を一緒に済ませた後のことだった。
二人並んでソファに腰を下ろし、他愛もないテレビ番組を眺めていた。
時間はゆっくりと流れ、気づけば会話も止まり、沈黙だけが室内に漂っている。
その静けさを破ったのは、隣の彼女だった。
九条さんがリモコンに手を伸ばし、無言のままボタンを押す。
――ぴ、と乾いた音がして、天井の照明がふっと落ちる。
部屋の空気が一瞬で変わった。
強すぎた白い光が消え、代わりにオレンジの常夜灯が部屋の隅々をそっと照らす。
思わずその場に息を呑む。
温もりを帯びた薄暗がりが、部屋にゆるやかな緊張を落としていく。
私は目線を逸らすようにテレビに視線を戻しかけ――
けれど、その横顔が気になって、視線をそっと戻す。
九条さんは、どこか満足げに、それでいてほんの少しだけ不安を滲ませながら、こちらを見ていた。
暗がりの中で、その双眸だけがわずかに光を宿している。
「……えっと、九条さん。これは……?」
声が自然と小さくなったのは、空気のせいか、それとも彼女の雰囲気に呑まれたせいか。
「今日は、私の食事の日。……それは、知ってるよね?」
「……はい。でも……どうして明かりを……?」
彼女はゆっくりと、いたずらっぽく微笑む。
「一花も、もう分かると思うけど……私たち、恋人になったんだよ? だったら、こういうことも……したくなるでしょ?」
柔らかく、しかしまっすぐに向けられたその言葉に、反射的に返してしまう。
「い、いやいやいや……さすがに、早すぎますって……!」
言葉とは裏腹に、自分の鼓動が早くなっているのが分かる。
視線を逸らそうとすれば、逃がさないように彼女の視線が追ってきて――
次の瞬間。
九条さんの身体が、じわりと熱を帯び始めた。
輪郭がゆらぎ、目に見えて人ならざる姿へと変化していく。
そして、静かに私の上に覆い被さる。
動けない私の耳元へと、彼女の口が寄せられ、甘く、くぐもった囁きが落ちた。
「ねえ、一花。ちょっとだけ……口、開けて?」
息を呑む。
その声は甘く、湿っていて、どこか人間の言葉を真似たような響きだった。
ぞくりとした寒気が背筋を撫でる。
……こんなの、ダメだ。
これは、いつもの吸精じゃない。
公園で気を失った時と同じ――彼女が本気で、私を満たそうとしている気配がある。
ただ力を奪うためのものじゃない。
このままでは、私は本当に――
……いや、違う。
もう、覚悟は決めたはずだ。
さっき、恋人になると口にしたあの瞬間から、私は変わった。
これが、彼女の求める“関係”なら……受け入れよう。
「九条さん。一つだけ、お願いがあるんです」
胸の奥から声を押し出すようにして言うと、彼女の動きがふと止まり、視線だけが私をとらえた。
「……聞いてあげる」
「私のことを……優しく抱いてください」
短い沈黙が落ちる。
九条さんの表情がわずかに揺れた。
それは、逡巡とも戸惑いともつかない、柔らかい揺らぎだった。
やがて、ゆっくりと彼女は頷く。
「……分かった。他の人達に靡かないように――全力で、一花を私に惚れさせるから」
その言葉のあと、彼女の手が私の頬に触れる。
冷たくも温かい指先。
そして、私達はそっと、体を重ねた。
◇
あとがきです
これで一旦完結となります。
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