第37話 歩道橋の上の告白 (九条桃音:視点)
そして、バレンタイン当日。
終礼のチャイムが鳴り終わると同時に、私は立ち上がった。
教室の空気は甘く、ほんのりとカカオの香りが混じっている。あちこちで「ありがとう」と「もしかして手作り?」なんて声が飛び交っていて、いつもの放課後よりも騒がしかった。
……でも、そんなざわめきも、私にはもう関係ない。
目だけで一花を探して、見つけた瞬間、迷わず駆け寄る。
机の上に手提げを置こうとしていた彼女の腕を、私はそっと掴んだ。
「ちょ、ちょっと九条さん……?」
返事を待たずに、そのまま手を引いた。
廊下を、階段を、靴箱まで。制服の裾が揺れて、彼女の鞄の鈴がかすかに鳴る。
振り返れば、一花は唖然とした顔で私を見ていた。
でも拒む気配はなくて、だから私はそのまま足を止めずに、玄関の外へ。
扉が開いて、夕方の風が顔を撫でた。
薄曇りの空。頬に触れるのは、小さな雪。まだ音も立てない、細くて白いかけら。
やっと立ち止まったとき、一花が口を開いた。
「……私、今日は他に誘ってくれていた相手がいたんですけど」
落ち着いた声。けれどその眉の角度には、少しだけ苛立ちが滲んでいた。
私の胸が、一瞬だけ痛む。
「……ごめん。でも今日は、本当に、とても大事な話があって……一花と、どうしても一緒に帰りたかった」
静かに、でもしっかりと伝える。
心臓の音が、自分にだけうるさいほど響いている気がする。
一花は、その場で少しだけ沈黙した。
夕方の光が窓を透かして、彼女のまつげにうっすら影を落とす。
そして、ため息交じりに、こう言った。
「……まぁ、いいでしょう。貴女の頼みですから」
その言葉に、私は小さく笑った。
それだけで、救われるような気がした。
そして私たちは並んで歩き始めた。
雪に揺れる放課後の帰り道。
見慣れた景色。何度も歩いたルート。でも今日は、少しだけ空の色が違って見える。
一歩、また一歩。
沈黙が続くけど、それが心地悪いものではないことに、私は少しだけ安心する。
そして――ふと、足を止めた。
そこは、私と一花が初めて出会った場所。
あの日、最悪な形で彼女を貶めた、歩道橋のたもとのアスファルト。
何気ない交差点。
だけど私にとっては、始まりの場所だった。
一花の生の匂いに気づき、理性と衝動の狭間で葛藤しながら、ただ声をかけた場所。
私は一花の前に立つ。
目線が合った瞬間、心臓が跳ねた。
雪はまだ降っている。
でも風は穏やかで、吐く息の白さが、ゆっくりと空に溶けていく。
足元には、白い点が静かに染み込み始めていた。
「……あの」
言いかけて、一度だけ息を整える。
緊張で喉が詰まる。指先が少しだけ震えている。
だけど、それでもいい。全部、本音だから。
私はコートのポケットに手を入れて、小さな箱を取り出した。
白地に金のリボンをかけた、それだけの、飾り気のない包装。
不器用に結ばれたリボンが、少しだけ緩んでいた。
「……これ、チョコです。バレンタインだから、っていうのもあるけど……」
言葉がすぐに続かない。
一花は、じっと私を見ていた。いつもの、あの真っ直ぐな視線で。
逃げ場のない視線。でも、だからこそ嘘は言えない。
「……ただ渡すだけのつもりは、ありません。
この五ヶ月ほど、あなたと関わって……最初は、ほんの衝動でした。
それを、都合のいい言い訳にして……何度も、あなたを傷つけた」
雪の粒が、一花の肩にひとつ落ちるのが見えた。
その小さな白が、体温に溶けて、すぐに消える。
「……でも、それでも。私は、一花のことが、好きです」
声に出した瞬間、自分の鼓動がひときわ大きくなった。
耳が熱い。
指先が冷たい。
けれど、手の中の箱は、まだあたたかい。
「あなたの皮肉も、冷たい目も、時々見せるやさしさも……その全部が、私にはすごく大事で。
この感情がただの欲じゃないって、ようやく、はっきり分かったんです」
私は、チョコの箱を両手で差し出した。
「……だから、これを受け取ってほしい。
私にとって、あなたがどれだけ特別か少しでも、伝わればいいと思って……そして、もし許されるなら、私と――お付き合いしてください」
雪がふわりと舞う。
一花の表情は、まだ読めないまま。
その沈黙に、心が揺れる。
そして――彼女が、ようやく口を開いた。
「えっと、これは……友チョ――」
「本命」
重ねるように即答した。
一花がわずかに目を見開き、言葉を慎重に続ける。
「つまり、私を恋愛対象として見ていて……九条さんは私と付き合って欲しい、と……そういうことですよね?」
「……うん」
「……ということは……私とエッチなこともしたい、って……そう思ってるんですか?」
「思ってる」
私は迷いなく、即答した。
言葉にされてみると、自分でも驚くほど恥ずかしかった。
でもそれが、正直な気持ちだった。
――雪の降る中、頬がじんわり熱を持っていく。




