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第3話 お願い

 突然の出来事に脳が認識するよりも早く、全身が凍りつく。




「どうしたの?……答えてよ」


「あ……あぁ、ぁ…………」


「なんて言っても、そんなところに居たら話しづらいよね」




 次の瞬間、すっと九条さんの手が伸びてくる。


 指先が、私の手首にそっと触れ――そして、確かな力で引かれ、教卓の中から引きずり出された。




「大丈夫? どこも打ってない?」


「…………は、はい。……その、九条さんはどうしてここに……?」


「どうしてだと思う?」




 九条さんはふっと目元を細めて、微笑む。


 だけど質問を返されたところで、答えられない。


 ……こんな無駄で恐ろしい時間から、早く私を解放してほしい……




「ごめん、意地悪だったね」




 形だけの謝罪。心はこもっていない。


 私の沈黙を無視して、彼女は続ける。




「実はね、一花に“お願い”があって、ここに戻ってきたんだ」


「……おね、がい……?」


 


 今、九条さんはなんて言った?


 私に対して、お願いがあると言ったのだろうか?




 昨日の自殺を止められた挙句、傷心状態の私をあんな事をした最低な女。


 勝手に私と同じクラスに入ってきて、仲良くもない……


 それどころか、嫌いにすら傾いている相手からのお願い……?




 わざわざこんな場所まで追いかけてきた理由が、ただの頼み事?


 …………冗談じゃない。




「ふざけないでください!! あんなことをしておいて、“お願い”ですか? 私は九条さんの家族でも恋人でもない、ただの他人ですよ!?」




 声が震える。でも止まらなかった。


 怒りも、混乱も、恐怖も、すべてが言葉になって溢れた。




「むしろ……“他人”って言葉じゃ足りません。あなたは――犯罪者なんです!」




 言い終わるが早いか、私は踵を返して教室の出口へと足を向ける。


 これ以上、関わる必要なんてない。




「あなたのことは先生に――いいえ、警察に通報します」




 自身の感情の波に流れを任せ、歩きながら言い放つ。


 


 ここで終わらせる。


 もう、こんな女に振り回されてたまるものか。




 警察が本気で取り合ってくれるかは分からない。


 でも、“九条桃音”の中身が人間じゃないと知れたら、さすがに事態は動く。


 亜人なんて空想上の存在だと思っていた。


 けれど、確かにそこに“いる”。




 私が知っている程度のことを、国の偉い人達が知らないはずがない。




 亜人というありえない存在が、ありえないことをした。


 そう説明できれば……きっとそれだけで、すべて終わらせられる。





 私はもう、振り返らなかった。


 これ以上あの女の顔なんて見たくなかった。




 扉へと手を伸ばし――




「――ッ!?」




 目の前に、黒い影が滑り込むように現れた。


 まるで空気が歪むような気配とともに、九条桃音が教室の出口を塞ぐ。




 ……いつのまにか、昨日と同様に人間の姿では無くなっている。




「ねぇ、私はいま人として学校に通ってるんだよ?」


「それがどうしたって言うんですか!私には関係ありません!大人しく牢屋の中で罪を償ってて下さい!!」




 それで二度と私の前に顔を見せないで欲しい。




「ふ〜ん。あなたって意外と馬鹿なんだね。それに一人も友達もいないし、心も弱い」


「はぁ?」


「初めて見た時に“この子は使える”って思ったけど、やっぱり私の目に狂いは無かったんだ」




 その瞬間、肌が粟立った。


 言葉ではなく、本能が警鐘を鳴らしている。




「……何言って、」




 言いかけた瞬間だった。




 その言葉が、脳に引っかかる前に、




 ――――――ドスッ!




 鈍い音と共に、みぞおちに鋭い衝撃が突き刺さる。




「っ、か……は……ッ!!」




 声にならない悲鳴が喉の奥で引っかかる。


 酸素が肺に入らない。体が言うことをきかない。


 膝が崩れ、床に崩れ落ちた。




 冷たい床に手をつく。


 吐きそうになる。


 苦しい。息が……吸えない。




 ……視界の隅に、しゃがみ込んだ九条の姿がゆらりと映る。




「何が言いたいかって言うとね――そんな脅され方をして、私がむざむざ逃すわけないでしょ……ってこと」




 その声は、まるで優しい先生がいたずらを叱っているような調子だった。




「まぁこれでも見て、もう少し頭を冷やしてね」




 そして彼女は、ゆっくりスマホを取り出し、画面をこちらに向けた。


 そこに映っていたのは――




 私の裸の写真。


 それもおそらく昨日の公園で撮られたやつだ。


 


 見るに値しない醜態。人目にさらすには酷すぎる光景。


 絶対に……この世の誰にも見られたくないほど、最・低・な・顔・をしているところを撮られていた。




「……あぁ、ぁぁ……」


「どう落ち着いた?」




 ……最悪だ。


 こんなの、どうにも出来ない。


 私が一体何をしたって言うんだろう。




 もう、何もかも終わった……




 声を上げる気力も、怒る余力もなくて。


 込み上げてくるものを押しとどめることができず、私は俯いたまま、静かに頬を伝う涙をこぼした。




 ――と、そのとき。




 視界の端に、するりと何かが伸びてきた。


 九条さんの背後から伸びた、奇妙な尾のようなもの。


 先端は蕾のように丸く膨らみ、まるで花が開くようにゆっくりと開いていく。




 その内側から現れたのは……舌のような器官だった。


 それが、私の頬に触れ、涙の筋を一筋、静かになぞる。




「やっぱり凄く美味しい。……こんな体になっちゃったのは、とても不便だけど……」


「…………」




 ひやりと冷たく、どこかぬめりのある感触。


 私は反射的に身をすくめたが、声は出なかった。驚きも、怒りも、もう湧いてこない。




「…………お願いがあるんですよね? それで、私は……何をすればいいんですか?」




 どこにも逃げ道なんてなかった。


 選べるはずのない選択肢の中で、私はただ、おとなしく従う道を選ぶ。




 すると、九条さんはぱっと表情を明るくして、小さく手を叩いた。




「うん、聞いてくれてありがとう。素直で助かる」




 その笑顔が、どうしようもなく気味が悪い。


 と、次の瞬間――




「あ、ちょっと待って。話を進める前に……これだけ」




 彼女は鞄の中をごそごそと探り、薄い財布を取り出した。


 そしてその中から、何の脈絡もなく、一万円札を一枚──私の目の前にすっと差し出す。




「……え?」




 思わず間の抜けた声が漏れる。




「はい。まずはこれね。心構え、というか――前払いってやつ?」


 


 九条さんは楽しそうに笑いながら、私の手にお札を押しつけてきた。




「えっと……これは、いったい……?」




 困惑と嫌悪と、ほんの少しの恐怖がないまぜになる。




 ……わざわざ脅迫した相手に、お金を渡す理由とはなんだろう?


 もしかしてあの写真一つでは足りないような事をさせられるとか……?


 そう思うと、指先がじわりと冷たくなる。




「じゃあ、お願いについて説明するね」


「……はい」


「一花には私の命を維持するために、体液を数日に一回、分けて欲しいの」


「…………はい?」

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