第29話 久しぶりの登校
九条さんは結局――本当に毎日来た。
朝、まだ眠っている私の病室のカーテンを勝手に開け、差し込む朝日に文句を言いながら果物の皮をむき、リモコンを奪ってテレビをN◯Kに変えるところまでが毎日の流れだった。
最初は見舞いの範囲を逸脱していると思ったけど、気がつけば体調や食欲を確認するのも、看護師より彼女の方が早くなっていて。
おまけに、歩行許可が出た後は、リハビリに必要だからと病院の廊下を一緒に歩かされ、サポートという名目で何度も腰に腕を回され……要するに、お節介のかたまりである。
そして、何だかんだで私は冬休みの最後の一日を残して退院できた。
ただ、退院はできたものの、足取りはまだ不安定で、特に寒さで足が冷えると、簡単にふらついてしまう。
本当は一人で帰れると言いたかったけど……
無理をして転んでも面倒だから、しぶしぶ九条さんの腕を借りながら帰ることにした。
通行人の視線が痛かったけれど、支えてくれる彼女の顔は妙に嬉しそうだったから、何も言えなくて……
――そんなこんなで冬休みは過ぎ去った。
そして今日。
季節は年を越え、街はまだ正月気分の余韻を引きずっているが、私たちの現実は待ってくれない。
始業式の朝。
制服のタイを締め直し、私は玄関の鏡で表情を確認する。
冬の空気はまだ肌を刺すように冷たい。
私はゆっくりとマフラーを巻き直し、久しぶりの学校へと足を向けた。
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なんというか少しだけ、体に重さが残っている。
歩くたび、地面を確かめるように靴を運び、息をつくたび、横腹に残る違和感が薄く疼いた。
やがて校舎が見えてきて、私は少し息を吐く。
無事に辿り着けたことを小さく確認してから、自分の教室へと入る。
中に入った瞬間、空気のざわつきが伝わってきた。
始業式の朝とは思えないほど、教室は騒がしい。
私は静かに自分の席へ向かい、鞄を置きながら、周囲の女子たちの会話に意識を向ける。
聞こえてきたのは――やはりと言った内容で、私にはなんの面白味もない。
「村上綾香、退学したらしいよ」
「へ〜、どうして?なんか問題起こしたりした?」
「分かんないけど……全員の連絡先を消したみたいで、誰も詳しい話を知らないんだって」
「何それ怖〜」
私は知っていたので何も思わないけど、殆どの人からすれば初出の話題なので、今日はこれで話は持ちきりだろう。
というか今更だけど、これから学校に登校しても嫌なちょっかいを掛けられることがなく、静かに授業を受けることが出来るのか。
あのうんざりする日々と比べて、少しばかり信じがたい現実だ。
そして中学校でもあった話だけど、いじめや仲違い、転校でグループが崩れ、新しい派閥が生まれるなんてのはよくある話で。
この冬休み開けから暫くは、村上がいなくなった影響で騒がしくなりそうだ。
――まぁ、私には関係ないことだけど。
私は机に頬杖をつきながら、ぼんやりと窓の外を眺めていると……
「おはよう、一花!」
背後から届いた明るい声に、視線が一瞬だけ揺れる。
……九条さんだ。登校してきたらしい。
そう、それ自体はいい。
問題なのは“学校で私に話しかけてきた”という事実だ。
私は無言のまま、窓の外に意識を戻す。
何も聞こえなかったことにして、そのままやり過ごすつもりだった。
「あれ? 聞こえてない? おはようってば!」
そう言いながら、彼女は私の視界に無理やり入り込んでくる。
わざわざ顔を覗き込んで、笑顔を浮かべながら。
……さすがにこれは無視しきれない。
「……おはようございます」
仕方なく返すと、九条さんは少し眉を下げた笑みを見せた。
「うん、おはよう。それでなんで今聞こえないフリなんかしたの? 私、なんか嫌なことした?」
「いえ、そういうわけではなく……」
確かに入院中、毎日見舞いに来られるのは少し怠かったけど、
でも、そんな話をここで持ち出すのは、違う気がした。
「ここは学校なので、私に話しかけると九条さんの立場が悪くなっちゃいますし」
できるだけやんわりと、けれど明確に。私はそう告げる。
だが、九条さんはひとつ息を吐き――肩を落とすように、ぽつりと呟いた。
「それなら問題ないじゃん。……だって綾香はいなくなったし、他の人なんて全く信用できないし……」
その声は静かで、少し寂しそうだった。
彼女の中で、まだ整理がついていない感情が渦巻いているのだろう。
「そ、それでも、他の人達と関わる上で、私と話しているところを見られるのはまずいと思いますよ」
そう伝えると、九条さんは小さく首を振った。
「そんな心配いらない。今、学校で信用できるのは一花だけだもん」
「えぇ……」
……結局、あの騒動で最も大きな損害をもらったのは私ではあるけど、だからといって彼女の心情に共感できないわけでもない。
一番の友人?だと思っていた相手から、あんな裏切られ方をしたのだから。
そう思うと、私以外の人を信用できないと言い出す気持ちも、分からなくも無いかもしれない。
でも、自分で言うのもアレだけど、私が九条さんを裏切らない保証なんて無いわけであって……
その時だった。
教室の扉が開き、担任が入ってくる。
「ほーい、席につけー。今日はひとつ、大きな知らせがあるからなー」
九条さんは名残惜しそうに私の顔を見た後、渋々と自分の席に戻っていった。
そのまま授業が始まり、やがて最初の休み時間になる。
やはり、というべきか。九条さんは他の誰のところにも行かず、真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。
まるで当然のように私の隣へと腰を下ろす。
周囲の視線が気にならないはずはないけれど、彼女は全く意に介していないようだった。
……別に、嫌ではない。
でも、どう言い表せば良いか分からない『なんだかなぁ』という気持ちが胸に残る。
そんな思いを呑み込みながら、私は彼女に付き合った。
ノートの内容を見せ合い、何気ない話を交わす。
そうしているうちに、また授業が始まり、そして終わる。
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昼休み。
普段なら、みんな一斉に教室を出ていく時間だ。
でも今日はなぜか、席に残っている生徒がちらほらといた。
ざわついた空気の中、私はいつも通り鞄に手を伸ばそうとした――そのとき。
視界の端から、やっぱり来た。
九条さんが、こちらへと静かに歩いてくる。
「一緒に、お昼……食べよ?」
差し出される言葉は柔らかかったけれど、その奥にはどこか緊張が滲んでいた。
「えっと……」
一拍、言葉に詰まった私の反応に、彼女の顔がほんの少し曇る。
眉間に皺が寄り、目元の翳りが増した。
「今日の一花って、なんか……いつもより冷たいね。入院してた時の方が、まだ優しかったかも」
その言葉が、胸の奥に少しだけ突き刺さる。
「い、いつも通りですよ」
「全然、違うよ」
「……今日はちょっと、戸惑うことが多くて」
なんとか言葉を返す。
自分でもこの感情がよく分かっていないので、説明に困る。
「……っ……」
彼女は、小さく俯いて、何かを呟いた。
声がかすれて、聞き取れない。
「……すみません。もう一回、いいですか?」
そう問い返した、その瞬間だった。
「――何か私が嫌なことをしたんなら、ちゃんと言ってよ! 謝るからっ……! そんな他人みたいに距離取らないでよ!」
九条さんの声が、教室に響き渡る。
その瞬間、ざわつきがぴたりと止まった。
空気が張りつめる。
まるで時間ごと静止したような感覚の中で、無数の視線が、一斉にこちらに向いたのが分かり、心臓が縮むのを体感させられる。
「……ちょっ、九条さん!」
私は慌てて立ち上がり、彼女の口元を手で塞いだ。
驚いたように目を見開いた九条さんと目が合う。
「本当に申し訳ないんですけど、黙って弁当を持って、私についてきてくれませんか?というか、ついてきて下さい」
彼女はしばらく黙ったあと、ただ小さく首を縦に振った。
私は静かに手を離し、目配せで教室を出るように促す。
そして二人で、人気のない校舎裏へと向かった。




