第27話 私の冬休みが無くなりそうです。
クリスマスの次の日。
朝の光が病室に差し込む頃、白衣の医師がいつものように様子を見に来た。
「その……退院って、そろそろできたりしますか?」
期待を込めて問いかける私に、医師はあっさりと首を横に振った。
「うーん。まだ無理だね。最低でもあと一週間は様子を見たいなあ」
「いっ、一週間も……ですか?」
「“最低”で一週間。心持ちだけで言うなら、三週間くらいは見といた方がいいかもね。冬休みの終わり頃に退院できたらラッキーって感じかな」
「さん、しゅう、かん……?」
初めての入院というのもあって、現実味のないその響きに、呆然とした声しか出なかった。
医師はそれ以上何か言うこともなく、カルテを閉じてスタスタと病室を出ていく。
……ひどい。酷すぎる。
中間と期末、ギリギリで赤点を回避して、ようやく冬休みだと思っていたのに。
その貴重な自由時間が、味のしない病院食と、腕にぶっ刺さった点滴針と、朝晩の検温に費やされるというのか。
私は、目の前のカーテンレールを見つめながら天井に嘆息を漏らす。
何の罰ゲームなんだろう、これ。
本気で鬱になるんじゃないかと思い始めたその時――
コンコン、と何かが窓を叩く音がした。
風じゃない。ノックのような、確かに意図のある音。
「くっ……ぅぅ……っ」
激痛に耐えながら、ベッドから身を起こして、何とか点滴スタンドを杖代わりにして、カーテンを開ける。
そこには、黒々とした羽を持つカラスが一羽、外側の窓枠に止まっていた。
まばたきを一度、二度。
だが目の前の光景は変わらない。
再びカラスが窓ガラスを嘴でコンコンと叩く。
……なんだか、ものすごく主張が強い。
無視していると更に音を立て始めるので、仕方なく窓を開けてやるとカラスは中に入って来て、オーバーベッドテーブルの上に止まった。
「…………あっ、ダメですよ。そこ、私がベッドの上でご飯食べる場所なので……」
思わず反射的に注意してしまったが、カラスは意に介さない。
むしろ、やけに堂々とした目つきでこちらを見つめてくる。
「常識的な話を、わざわざ説明する必要はない」
「……え?」
声がした。
いや、正確には――カラスの口が、こちらに向かって「喋った」。
「私は時間が惜しい。君も立っているだけでも苦しいだろう、早く座れ」
「は、はい……って、ちょっと待ってください」
ようやく異常事態に気づく。
私の視界の中央にいるこの黒い鳥――まさか、いま話している相手は。
「……あの、カラスさん? 今、喋ってるのって、貴女ですか……?」
「そうだ。言うまでもないだろうが、中身を操っているのは太陽ではなく、百合園 紀玲――私だ」
その名を聞いた瞬間、脳裏にあの白黒のメッシュをした頭が思い浮かぶ。
人の常識を踏みにじるような力を、当然のように扱う女の子。
……最後に会話をしたのは、兄が罰を受けた日だったか。
「……まぁ貴女は人に催眠術を掛けたり、どこからか鎖を出したりとやりたい放題ですもんね」
カラスを操って喋らせるくらい、わけないという事なのだろう。
私は体を引きずりながら、何とかベッドに戻り、横になる。
「さて、余計な会話をしている時間は無い。さっそくだが本題に入ろう」
「……本題?」
百合園さんの語り口はいつもながら理路整然としていて、そこに余白はない。
「君を刺した者たちのことについてだ。てっきり、知りたがっているものと思っていたが……それとも、顔を出す必要もなかったか?」
突きつけられた言葉に、一瞬言葉を失う。
確かに知りたかった。
私の体に包丁で穴を開けた彼女。
村上の言い分だと、警察に捕まるのは私の方だと宣っていたが、結局私がそうなりそうな雰囲気は、今のところない。
――なら、あの件はどうやって収拾をつけたのだろうか?
「いえ、もちろん知りたいので説明を下さい」
「そうか、では始めよう。もっとも、部外者に語れる事はそれほど多くないがね」
カラスの小さな体から発せられる、場違いなほど理知的な声。
その口調はいつもの百合園そのもので――それが逆に、空恐ろしく感じられた。
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「単刀直入に言ってしまえば、どちらも警察の世話になる事はない」
「…………じゃあ、アレだけの事をした村上さんはお咎め無しですか?」
「まぁ、そうなる」
……なるほど。
まぁ、そういうこともあるだろう。
今までもそれが当然だったし、今回もいつも通り。
「何か勘違いしているようだが、警察は動いてないが、代わりに私が全てを片付けた」
「百合園さんが?」
「そうだ。だから君達が学校で顔を合わせる事は無いだろう」
「ちょっと待ってください、話が見えてきません。一体、何をどうやったんですか?」
「それを詳しく語るつもりはない。だが、この手の事件に関する私の“処理”方法について、おおまかな指針くらいは伝えておこう」
カラスの喉から発されたとは思えないその声は、妙に静かで、重かった。
「私が事後処理に選ぶ手段は、二つ。相手を殺すか――あるいは、催眠で記憶を混濁させて、何も知らないただの人として野に放つか、だ」
一瞬、空気が止まったような錯覚に陥る。
背筋をなぞるような寒気が、病院の冷えた空調以上に肌を刺す。
「……つまり、村上さんはもう“いない”可能性があるってことですか?」
「それを確認する術は君には無い。真実を知りたければ、自分が死んでから閻魔にでも訊くといい」
さらりと語られた彼女の死の可能性。
けれど私は――不思議と、感情を揺さぶられたりはしなかった。
「後のお楽しみってわけですか。別に私はあの人が生きてようが死んでようが、二度と会わなくて済むならそれに越したことはないですけどね」
人の生き死についての話だというのに、全く関心が湧いてこない。
やっぱりこういう面で、自分が非情な人間なのだと再認識させられる。
もしくは、彼女率いるあの男達全員を人として、見ることが出来ていないのかもしれない。
……この件については百合園さんは結果を話すつもりは無いようだし、私自身もこの短い内容で興味が失せてしまった。
もしかしたら日本のどこかでバッタリと出会うか、地獄で再会する可能性もあったりするだろう。
とりあえず次に顔を合わせた時は、絶対に刺された分のお返しをする。
今、そう決意した。
「――さて、次は君の“治療”の話に移ろうか」
「もしかして、傷が治るんですか!?」
思わず、声が弾む。
「……なんだ。事件の真相よりも、そっちのほうがよほど大事そうな反応だな」
「当たり前ですよ! 冬休みがかかってるんです! 百合園さんなら……なんか、“ぱっ”て治したりできるんじゃないんですか?」
期待を込めて詰め寄る。
……正直、もう限界だった。
いや、もうほんと。
出来ることなら、今すぐにこんな場所から抜け出して、家に帰りたい。
病院はなんかもう、色んな理由から生理的に無理って感じがする。
切実に帰らせて欲しいので、猫の手でも魔法でも何でも良いから助けて欲しい。
「確かに私……というより、私の友人で君の傷を1日で治せる人材はいる」
「なら!」
「だが、君の兄の言い分は『人は痛みを通して成長する、これも経験だ』だそうだ」
……これはつまり、私の傷を治療するつもりはなく、自然治癒で傷が治るまでここに幽閉されていろ――という宣告だろうか?
いや、全然納得できない。
「は?……は?。百合園さん、冗談ですよね? 兄さんの言うことなんて聞きませんよね?」
「残念ながら、その理念を太陽に植え付けたのは他でもない、この私だ。当初は治すつもりだったが――考えが変わった」
「…………そんなぁ」
「純粋な人間がたった一日で重傷を回復するなど、それ自体が異常だ。今しばらくこの病室で過ごすことも、いずれ糧になるかもしれない」
そう言うと、カラスはひょいと身体を起こし、窓枠へ移動する。
「とはいえ、長い入院生活に耐えるには多少の慰めも必要だろう。九条桃音さんの面会は自由にしておいた。退屈しのぎに呼ぶといい」
「そのお節介はいらないんで、治療のほうを……っ!」
私の声も届かぬまま、カラスは羽ばたいた。
風の音とともに、窓の外へと消えていく。
残されたのは乾いた病室の空気と、そして――どこにもぶつけようのない、苛立ちだけだった。
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私は休日、リビングでゴロゴロしながら動画を観るような人間である。
外に友達と遊びに行く機会など無い。
つまり、基本的にはインドア派――なはず。
だから、病室で拘束されるくらい大したことではないと思っていた。
けれど、いざ体を縛られ「動くな」と言われると、話は別で……
「……むり」
結果は想像とまるで違っていた。
なんというか“制限される”ことそのものが、今の私にはどうにも我慢ならなかった。
医者の言い分では絶対安静だという。
けれど、そう言われれば言われるほど――反抗したくなってくる。
自由の侵害、ってやつだ。私は私の意思で動く。
だから私は、看護師に見つからないように、病室を抜け出す事に決めた。
◇
あとがきです。
村上達の最期は皆さんのお好きに想像してください。
こっちで掘り下げることはもうないです。




