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第16話 妙に優しい九条さん

 リビングに戻ると、私は再びソファに身を沈めた。

 九条さんは後ろからついてきて、当然のように荷物をキッチンカウンターに置くと、手早く中身を並べ始める。


「まだ夕飯、食べてないでしょ?」


 背中越しに聞こえたその声に、私は力なく頷く。


「……はい」

「じゃあ私が作ってあげる。風邪に効きそうなやつ、ね。期待していいよ?」


 さらりと告げる口ぶりは、自信満々というより、どこか嬉しそうで――

 一瞬だけ、意外に思ってしまった。


 九条さん、料理できたんだ――などという刹那の驚きがあったけど、それ以前に私のために料理を作る?

 

 ……風邪をひいてるのは私ではなく、彼女の方かもしれない。

 

「……今日はやけに気分が良さそうですね。何か良いことでもあったんですか?」

「別にそんな事ないよ? 前に一花がもっと優しくしてって言ってたから、こうしてるだけ」

「…………なる、ほど……?」


 その理由でこれなのか。

 いや、本当に“だけ”なのか。

 流石に今日の九条さんの行動は怪しすぎる。

 何か裏があるがあるはずだけど。


 ……案の定、九条さんはコンロのスイッチをひねりながら、さらっと続きを差し込んできた。

 

「あと……まだ余裕があるけど、私の()()もそろそろ……」

「もう〜!絶対にそっちが本命じゃないですか!それ先に言ってくださいよ!!」


 思わず声を張ってしまった。

 体調が悪いはずなのに、どうしてこうも毎度、彼女に体力を削られるのか。


 でも、思い返してみれば当然だった。

 あれから数日、九条さんは私の生命力を摂っていない。

 わざわざ家にまで来たのは、単に風邪見舞いのため――なんて、信じていた自分が甘すぎた。


 そしてもう一つ。

 九条さんが今日やけに優しい理由も、ようやく腑に落ちる。


 ――百合園さんの存在だ。

 あの人の一言で、九条さんの命運は簡単に変わる。

 そして、私の後ろには……普段、何をしているかわからない兄がいる。


 少しだけ考えてみた。

 

 もしかして今って、私の方が強い立場にいるんじゃないだろうか?

 脅し返せば、黙って引くかもしれない。


 …………いや、そこまでしなくてもいいか。


 そんなことをぼんやり思っていると、九条さんが急に慌てたように声を上げた。


「だ、だけどちゃんとお金は払うし! 夕飯代もいらないし、それに……!」


 九条さんは言い訳のように言いながら、バッグから何かを取り出す。

 差し出されたのは、一冊のノートだった。


「そろそろ中間テスト始まるでしょ? 一花が読みやすいように、授業ノート、綺麗にまとめてきたから!」


 誇らしげに掲げられたそのノートの表紙は、丁寧にラインマーカーで色分けされ、ページの角には小さな付箋までついている。

 いかにも勉強出来る人と言ったところだろうか。

 

 ……でも、なんというか、努力の方向性が斜め上すぎる。

 

「……そう捲し立てるように言わないで下さい……そんな事しなくても、食事に付き合いますし、百合園さんに貴女の事について相談したりしませんよ」

「べ、別にあの女を怖がってるとかじゃないけど……ただ一花に、前の借りを返そうと思ってるだけで……」

「はいはい。私はノートを見ているので邪魔をしないで下さい」

「…………」


 まぁこんな物を流し見したところで、点数は良くならないだろう。

 とはいえ、次の中間か期末で赤点を取ったら冬休みは無いと言われたし、多少は頑張らないといけない。

 夏休みの期末テストはボロボロだったし。

 

 

 ページを繰りながら、静かな時間が流れて――その沈黙を破るように、キッチンから声が届いた。


「できたよ〜!」


 声に顔を上げると、九条さんがエプロンを外しながら、得意げにこちらを見ていた。


 テーブルには、温かな湯気の立つスープと、鮮やかに盛り付けられた数品の料理が並んでいる。

 ……見た目は完璧だった。


「風邪に効くように、ちゃんと栄養バランス考えて作ったんだからね?」

「そうですか……では、いただきます」


 少し気恥ずかしくなりながら、箸を手に取る。

 スープをひと口含むと、優しい味が舌に広がって、思わず肩の力が抜けた。


 ……美味しい。

 正直に、そう思った。


 結局そのあと、私たちは並んで食卓を囲んだ。

 特別な会話はなかったけれど、不思議と居心地は悪くなく――


 食べた夕飯は、私が作るどの料理よりも、美味しかった。



 ---

 


「……それで、ここからは九条さんの時間ですか?」


 食器を片付け終えたあと、私はテーブル越しに九条さんを見やる。

 彼女は曖昧に笑いながら、少しだけ視線を逸らした。


「うん」


 短く肯定するその声音には、どこか子供のような遠慮が混じっている。

 

 私はひとつ息を吐いて、素直に頷く。


「まあ、良いでしょう。もう準備はできているので……早くしてください」


 そう言って、私はリビングのカーペットの上にゆっくりと身体を預ける。

 ごろん、と横になって見上げた天井は、さっきまでとは違う緊張感を伴って見える。


 九条さんがこちらに近づいてくる気配。床に膝をつく、わずかな衣擦れ。

 そして彼女は、そっと私の顔の上に影を落とした。


「…………一応、……何かしでかすかもしれないので、私の両手は押さえておいてください」


 私は黙って片腕を上げる。

 もう片方の手も、抵抗の意思がないことを示すように広げた。

 そして九条さんは、私の体にそっと自分の体を重ね、両手を取って、優しくカーペットへと押さえつける。


 彼女の体温がじんわりと伝わる。

 制服の裾越しに触れる膝や太腿の感触が、嫌でも現実味を帯びてくる。


 そんな中、九条さんの視線がふと、私の頭のすぐそばにある小さなジップ袋に向いた。


「……気になるんだけど、それ、何?」

「えっと、これは百合園さんがくれた解毒剤です。貴女の毒が私の体に残ったままだと大変なので」


 私は視線だけを横に向けて、それを確認する。

 袋の中には小さな飴玉達がぎっしり。


 吸精が終わった後、すぐに服用しなければいけないものだ。

 

「……別に薬なんて無くたって二、三時間経てば元に戻るのに……」

「そんな長い時間待ってたら、間違いなく私は貴女に()()()と、懇願しちゃいますよ」

「私はそのまま慰めてあげても良いけど……その分、お腹が膨れるし」


 ぽつりと、少し寂しげに言う。

 その声にはどこか、残念そうな響きがあった。

 

「こっちは良くないんです」


 九条さんは、少しだけ身体を起こす。

 それから――静かに、ゆっくりと、自分の尻尾を持ち上げた。

 湿り気を帯び、僅かに震えながら、私の方へと伸びてくる。


 抵抗の意志はない。

 でも、平静を保てているかと問われれば、嘘になる。


「……目、閉じて」


 彼女の囁きに、私は従う。

 瞼を閉じると、代わりに他の感覚が研ぎ澄まされていく。




 ---




「本当にそれを舐めたら治るんだね」

「…………ま、まあ。はい……」


 九条さんの“食事”が終わった直後、私はぐったりと身体を投げ出したまま、息も絶え絶えにそう言った。

 喉の奥にはまだ微かに甘辛い余韻が残っていて、肺が熱で膨れているような感じがする。


 窓の外はすっかり夜の帳が降りている。

 時計を見ると、思っていた以上に遅い時間だった。

 このまま彼女を家に残すのも、さすがに気が引ける。


 ――そう思っていた矢先に、九条さんのスマホが鳴り始めた。


「あ、ごめん。ちょっと電話出てくるね」


 と、軽い調子で立ち上がり、廊下の方へと歩いていく。

 扉の向こうからは、微かに彼女の話す声が聞こえる。


 私はその間に呼吸を整え、疲れた身体をソファに預けながら待っていた。

 が、数分もしないうちに、再び九条さんが姿を現した――と思ったら、こちらには一言も声をかけず、スマホの内カメラをこちらに向けた。


「……なにをして……」


 問いかける暇もなく、ぱしゃり、と一枚。

 私と、私のすぐ傍に立つ彼女とのツーショットが勝手に撮られ、そのまままた廊下へ引き返していく。


 唖然としながらその様子を見送っていると、やがて通話を終えた九条さんが、戻ってきてこう言った。


「親がね、『いつまで男と遊んでるんだー!』って言ってきたから、一花との写真を送りつけただけだよ」

「……なるほど」


 妙な説得力と、妙な納得感。

 でも、それもそうか。

 

 今日の“彼女の都合”も済んだことだし、そろそろお引き取り願うべきだ。


「家族が心配してるんですね。確かに、時間も時間ですし……」


 私はふらりと立ち上がり、彼女の方へと歩み寄る。

 けれど足元がふらつき、そのまま――彼女の胸元に倒れ込んでしまった。


「わっ……ちょ、ちょっと、大丈夫!?」


 彼女が慌てて私の体を支える。

 その腕の中で、私は苦笑しながら言った。


「……すみません、ちょっと全身にまだ毒の余韻が残ってて……」

「ダメだよ、一花はもう休んでて。家は近いし、自分で帰れるから」

「……それもそうですね。では、玄関まで」


 そして二人で玄関まで移動し、九条さんが靴を履き扉を出る前で……


「あっ、言い忘れてた!」

「……どうかしましたか?」

「一花が食べる用に、冷蔵庫の中に色々と作り置きしてあるから、お腹が空いたら食べてね」

「……それは、ありがとうございます」

「あと、明日はちゃんと学校に来て欲しいなって……」

「私が明日登校したところで、九条さんと会話するつもりは無いですが、心配されなくても行きますよ」

「それと――」

「貴女は通い妻か何かですか? もう変なことばかり言ってないで、さっさと出てって下さい」

「……うん」


 少しだけ唇を尖らせてから、彼女はあっさりと扉を開けた。




 ---



「明日からは中間テストだ、今日早く帰れるが、駅前で遊んだりしないように!」


 担任の声が、帰りのホームルームに響く。

 それを聞きながら、私は鞄の中の教科書をひとまとめにした。


 ……いつもならさっさと帰って一夜漬けをするところだけど、今日は百合園さんの提案で校内にある図書室で勉強会をすることになった。

 メンバーは私、百合園さん――そして何故か九条さんもいるらしい。


 百合園さんと九条さんは例の件で折り合いが悪く見えたような気もするが、九条さんは百合園さんからの誘いを断らなかったようだ。

 ……断れなかっただけかもしれないが。


 私は特に断る理由もないし、百合園さんがどういう人なのか、少しだけ気になっていたので了承した。


 先生の話が終わりみんなが帰っていく中、私は一人弁当を広げる。

 

 やがて静かになった教室で、ゆっくりと昼食を終えた後、教室を出て真昼の廊下を歩きながら、図書室へと向かった。

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