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第15話 風邪の日の訪問者

 熱は下がった。

 頭の重さも、だいぶマシになった。

 医者には「ちょっと重い風邪ですね」って、軽く言われただけだけど。


 それでも身体はまだ、ぐったりと鉛のように重たい。

 まるで全身が布団の重さを引きずっているようで、何をするにも気力が湧かない。


 私はリビングのソファに寝転がったまま、天井をぼんやりと見上げていた。


「……はぁ。中間テスト、もうすぐなのに……」


 学校を休んでいる間にも、時間は容赦なく流れていく。

 きっと次に登校したときには、テスト範囲が貼り出されて、みんなが「ヤバい」とか言いながら問題集を開いているに違いない。


 それなのに、私は寝っ転がって、冷えたゼリーさえ喉を通らない有様。

 勉強どころか、食欲も意欲も消え失せて、やる気という言葉は記憶の彼方に追いやられていた。

 こんな大事な時期に体調を崩すなんて、タイミングが悪すぎるにも程がある。


 ……いや、待てよ。

 これ、もしかして、全部――


「……九条さんのせいだ」

 

 これも変な物を飲ませた九条さんが悪い。

 あんなことさせられたストレスが原因で、罹った風邪としか思えない。

 もしかしたら飴玉のせいというのも、あるかもしれないが。


 私はのそりと手を伸ばして、テーブルの上に置いたスマホを取った。

 手元に戻ってきた画面の中に、アイコンがいくつも並んでいる。

 ふと、思い出して、滅多に開かないあるアプリをタップした。


 Wow(位置情報共有アプリ)

 九条さんとは例の「体調管理」のためにと、強制的に入れられたもの。


 アプリを開いた瞬間――私は思わず眉をひそめた。


「……え、兄さん?」


 画面の上部、ユーザー一覧の欄に見慣れたフルネームが表示されていた。

 兄の名前だ。

 しかも、ちゃんと位置情報も有効になっている。


「なにこれ……え? いつの間に……」


 一瞬、怖さすら感じたけれど――まあ、思い返せば、このスマホ自体、兄から譲り受けたもので、文句を言えない。

 それに悪い方向に進んだとはいえ、前回、兄が私を助けようとしてくれたのは事実。

 正直、キモいけど……


「今回は見逃してあげますよ……」


 小さく首を振って、気を取り直す。

 本命はそっちじゃない。

 私が見たいのは――九条さんの現在地だった。


 画面をスクロールして、彼女のアイコンに視線を移した、そのとき。


「…………っえ?」


 私は思わず、スマホを落としそうになった。

 いや、実際、一度膝の上から滑りかけて、慌てて両手で掴み直した。


 地図アプリの中の彼女のアイコンは、私の家の前――そう、ほとんど敷地の境界ギリギリのあたりに、ピン止めされていた。


「え? ……なんで?」


 思考が追いつかない。

 だって彼女は、学校帰りのはずだ。なぜ、こんな夕方に、私の家の前に――?


 何かのエラー? 位置バグ?

 スマホのGPSってズレることもあるし……でも、この位置、明らかに“玄関前”すぎる。


 混乱したまま画面を睨んでいると――タイミングを計ったかのように、玄関のチャイムが鳴った。


 思わずビクリと肩が跳ねる。

 私はそっと玄関に近づき、ドア越しに声をかけた。


「何しに来たんですか、九条さん」

「え!? まだ何も喋ってないのにバレた?!どうして……?」

「あー……それは」


 実はタイミング良くWowを開いてました、って言っても良いけど……これをそのまま言うのは、流石に気持ち悪すぎるように思う。

 そんなの、下手したら自分がストーカーみたいじゃないか。


「わざわざチャイムを鳴らす人なんて貴女しか――」


 私が言い切る前に……


「分かった!Wow開いてたんでしょ! それでずっと私の位置確認してたんだ。一花も暇なんだね〜」


 どこか上機嫌で、からかうような口調。

 何か良いことがあったのだろうか。

 …………あの別れから、よくもまぁこんな元気よく、私に話しかける事が出来るものだと感心してしまう


 っていうか……!


「ずっとは見てません!自意識過剰ですよ!……さっき偶々開いたら、貴女の事が見えただけで……」

「ほら、見てるじゃん」

「…………」


 良くないな。

 この馬鹿に構ってたら、明日も学校に行けなくなりそうだ。

 無視しよう。

 

 私は足音を立てて、部屋に戻ろうとした。


 ――が。


「あっ、待って! 一花、待ってよ! ごめんってば、怒らないで!」


 九条さんの声が玄関越しに追いかけてくる。


「今日は、ほんとにただのお見舞い! ほら、一花、最近学校来てないって聞いたから……」

「別にわざわざそんな事しなくても、明日には行きます」

「でもでも、家族の人達も滅多に家に帰って来ないんだよね? 私、今日色々持ってきたし、家事とか何でも手伝えるし――」

「――不要です」

「…………」


 ぴたり、と沈黙が落ちる。

 ようやく黙ってくれた。


 それにしても、今日はなんでこんなに押しが強いのか。

 彼氏でも出来たんだろうか?

 まぁ私には関係ない。


 私はそのまま、部屋に戻るべく足を踏み出す。

 と――スマホが、短く震えた。


 通知欄に、九条さんからのメッセージが届いている。


 開くと、たった二文字。


 『写真』


 その瞬間、私は立ち止まり、ゆっくりと天井を仰いだ。

 

 …………病人に対し“家に上がる口実”として、写真で脅してくるような奴が、他にこの世界に存在するだろうか?


 いや、

 いない。


 はぁ、と深く吐いて私は踵を返し、玄関まで歩き、ドアの前で一拍。

 ……一応、まだ開けない。最後の確認。


「本当に、ただのお見舞いなんですね?」

「もちろん! 変なことなんて、ぜ〜んぜん考えてませんよ〜」


 軽い返事。信用できない。

 でも、もうこれ以上ごねても、向こうが引くことはないだろう。


 覚悟を決めて、ゆっくりと扉の鍵を外す。

 ドアノブを回すと、外の空気がひんやりと室内に流れ込んだ。


 そこには案の定、ニコニコ顔の九条さんが立っていた。

 制服の上に薄いカーディガンを羽織り、片手にはレジ袋。

 中からは、コンビニのゼリーやお菓子、飲み物、その他食材もろもろが覗いていた。


「お邪魔しまーす。一花のために、頑張って選んできたんだからね?」

「……勝手にしろ、です」


 九条さんが靴を脱ぐ音を聞きながら、私は無言で奥へと戻る。

 

 ……あぁ、これでもう今日の平穏は終わった。

 布団に包まってうたた寝していた時間が恋しい。


「ふふん、やっといれてくれた〜。ツンデレってやつ?」

「ちがいます」


 否定する声に力が入らない。

 体が本調子じゃないのもあるし、何よりこの人相手にエネルギーを使いたくない。


 ふと、玄関に揃えられた小さな靴が視界に入る。

 そこには確かに“よそ者”の気配があって、でも――何となく、それを追い出せない自分が、少しだけ腹立たしかった。


 まったく。

 なんで私は、風邪で寝込んでいるというのに――

 こいつのペースに巻き込まれてばかりなんだろう。

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