第14話 行為を続けたければ続けるといい ☆☆☆☆?
誰もいない。
気配が、風に溶けていく。
チャイムの音が遠くで鳴っても、私の世界はそれを認識しない。
ただ、身体だけが――
胸の奥から、じわじわと疼くような熱を放っていた。
「っ……くぅ……」
脈打つように、間欠的に襲ってくる感覚。
それは痛みとも快感ともつかない、混じり合った毒だった。
九条さんが、私の身体に注ぎ込んだあの何か。
舌のような尻尾で体の内奥を掻き回された時、どこかが狂ったまま戻ってこない。
制服の内側、汗ばむ肌。
胸の先端は下着に擦れるたびにぴくりと跳ね、脚の間は熱く湿っていた。
ふいに、下腹の奥から波のような疼きが押し寄せ、私はうつ伏せのまま背中を仰け反らせた。
「は、ぁ……っ……やだ……やだ、のに……」
膝を擦り合わせる。だが、熱は治まらない。
どうして……助けたのは私なのに。
こんなの、不公平だ。
苦しくて、どうにもならなくて――私は、スカートの中に指を伸ばした。
誰にも見られていない。
もう、どうでもいい……今だけ、この身体を宥めないと、私は壊れてしまう。
指先が、下着越しに柔らかく濡れた部分に触れた瞬間。
腰が跳ねた。
脳が溶けるような錯覚。
快感ではなく、むしろ過敏すぎる感触だった。
明らかに普通の状態ではない。
でも、やめられなかった。
あとほんの少しで、楽になれそうな気がした。
――そのとき。
「とても面白いことをしているな」
……耳元で、囁くような声が落ちてきた。
全身に寒気が走り、私は反射的に顔を上げる。
視界の端で、逆光に染まる誰かの姿が揺れていた。
「っ……貴女は……」
光の中から姿を現したのは――百合園紀玲。
「あぁ、すまない。邪魔をしてしまったか」
「くっ……ぅ……!」
「その行為を続けたければ続けるといい。私は黙って終わるのを見守るとしよう」
彼女はうすら笑い浮かべて口にする。
その言葉に、顔から火が出そうになった。
羞恥で心臓が悲鳴を上げる。
「そんなわけっ……見ていないで……!助け……てっ……」
「良いだろう。だが、君は何を支払えるのかね?」
ここで人に代価を求めるとかふざけてる。
でもそんなことを言ってる暇は無い。
もう我慢の限界なのだ。
これ以上焦らされたら、彼女の前で最悪の痴態を晒すハメになる。
「なんでもあげるので……!早くっ……!!!」
切羽詰まった声で叫ぶと、百合園さんは一拍の間を置き、唇を吊り上げた。
「交渉成立だな。では……そこに置いてある、君の弁当頂こう」
彼女はまるでそれが当然かのように、私の弁当を拾い上げ――
そして、倒れている私の背中を“椅子”にして、その場に腰を下ろした。
「な、何を……!」
「静かに。弁当が食べづらいだろう。……それより、これを飲み込め」
そう言って彼女は、飴玉のようなものを私の口にぐいと押し込んできた。
舌に触れた瞬間――
「か、からっ……か、らああああい!!!」
喉が焼けるような刺激が広がった。
涙が出るほど辛い。
苦悶の表情を浮かべたまま、のたうち回りたいのに、背中に乗られていて動けない。
「あまり騒ぐな。もう既に授業が始まっているんだ。見つかってしまうだろう?」
そう言いながら、彼女は冷静にペットボトルの水を私の口に突っ込んできた。
辛さと羞恥と屈辱で、頭が混乱する。
けれど……不思議と、身体の中に渦巻いていた熱が、次第に引いていく。
毒のような疼きが、鎮まっていった。
数分後、私はようやく――まともに呼吸できるようになった。
「……その、ありがとうございます。……とりあえず、私の上からどいてくれませんか?」
目を伏せて言うと、百合園は平然とこう返してきた。
「弁当を食べ終わった後にな」
「…………」
私は思った。
私の周りには誰一人として、まともな人がいないと。
今更ながらに再確認させられた。
「……で、百合園さんは、何しにここへ来たんですか?貴女が言ったように、もう授業の時間ですよね?」
「その質問に対する回答で、1番通りが良いのは『助けにきた』だと思うのだが、この答えで満足かな?」
それが本当ならありがたいけど……
「ついさっき、九条さんを私に差し向けたと自白した人の言葉なんて、信用できませんよ……」
「それもその通り。だが、その件は様々な偶然と人が折り重なって起きた事件だ。詳しい話を知りたいのだろうが、またの機会にしてくれ。後日関係者を集めた上で話す」
もぐもぐと唐揚げを噛みしめながら、百合園さんは淡々と話を続ける。
まるで口の中の油分まで話の一部にしているかのように、ぬるく滑るような口調だった。
「そうですか……なら貴女の言う通り、その話はあとで良いです」
彼女の咀嚼音を聞いていると、こちらも無性に腹が減ってくる。
……今から授業に戻っても、怒られて居残りが待つだけ。
だったら保健室に立ち寄って、体調不良を理由に早退してしまおうか。
……そのほうが精神衛生的にもいい。
――ふと、思い出す。
大事なことを、一つ忘れていた。
「……そういえばあの飴玉ですけど」
「ん?」
「あれ全部ください」
この不思議な薬は、後々絶対に必要になる。
吸血ではなく吸精?の場合、これからも数日ごとにあの状態になってしまうだろう。
今日は百合園さんがいたから、どうにか出来たものの……今舐めた飴玉が無ければ、次の吸精を耐えられる気がしない。
自分の事が信用できないから言い切れる。
最悪だけど飴玉無しの場合、今度は絶対に九条さんに慰めて欲しいとせがむ自信がある。
「……全部、とは随分大胆だな。ちなみにこれは、一粒五千円の代物だが?」
「せ、五千円っ!? 高すぎますよっ!!」
高級嗜好品か!?
こんなの、とてもじゃないけど買い続けられない。
このままじゃ、吸われる“対価”と飴代で収支マイナス確定だ。
どうすれば――
そうだ。
百合園さんは、兄と面識があるようなことを言っていた。
なら……
「その飴玉の代金、兄が――」
「決まりだ」
「……え? まだ言い切ってないんですけど」
「言わずとも分かる。君の兄に払わせるのだろう?」
「あ、はい」
「ならばこちらで、あの阿呆の給料から天引きしておく。話は以上だ」
「え……えぇ?」
ぽかんと口を開けたまま、私は思考を止めるしかなかった。
いや、でも。
これで良かったのかもしれない。
っていうか、兄さん、一体どんな仕事してるんだろうか。
給料から天引きできるって、どんな関係……
なんて考えが一瞬、脳をよぎったけど、あの流浪者について考えるだけ無駄なことかもしれない。
平気で長い期間、顔を出さない家族について頭を回すだけ疲れるのがオチだ。
「それでは、私は保健室に寄ってから帰るので、これで」
「あぁ」
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保健室に立ち寄って、適当に熱っぽさを演出しながら早退届を提出する。
そして学校の正門を出たところで、スマホが震えた。
画面には――『兄』の文字。
今回はL◯NEだった。
私はすぐにトーク画面を開く。
『一花、俺は急用ができたから日本を出る。いつもの生活費とは別で家に100万置いておく。好きに使え』
……は?
思わず立ち止まり、返信を打つ。
『桁、間違ってますよ』
すぐに返事が来る。
『いや、100万。ちなみに返さなくていいから』
コイツ、気でも狂ったんじゃないだろうか。
今日の件も含めて、帰ってきてから妙に優しい気がする。
……実は私が疑り深いだけで、兄も人として成長しているのかもしれない
まぁいい。
一応、感謝だけは伝えておこう。
『そうですか。九条さんの件と100万円、ありがとうございます』
それっきり、返信はなかった。
私はそのまま家路につき――
そして、次の日から数日間、体調不良ということで学校を休むことになる。