第10話 いじめ
私は校舎へと足を踏み入れ、無言のまま階段を上り、一年一組の教室がある廊下へと向かった。
そして。
「……はぁ」
自然と、乾いたため息が漏れた。
教室の前。
廊下の壁に寄せるように、私の机と椅子が置かれている。
まるで「ここはお前の居場所じゃない」とでも言いたげに。
机の上には、教科書の代わりに雑巾とちりとり。
椅子の上には、小さな紙切れがテープで貼られていて、そこにはマジックで「ゴミ箱」と殴り書きされていた。
「……また、始まったんですか」
つい最近までは――そう、ほんの一ヶ月前までは、転校生の九条さんに教室中の注目が集まっていた。
私なんて、誰も見向きもしなかった。
どうやら彼女のフィーバータイムは、この短い期間で終了したらしい。
視線を横にやると、教室の出入り口近く。
数人の女子がこちらを見て笑っていた。
やったのは誰か。あるいは、やらせたのか。
どちらでもいい。あの中に首謀者はいる。
……このメンバーの中に九条さんがいない。
まだ学校に来ていないようだ。
「大空さん、どう? 最近の調子良さそ?」
「はい、おかげさまで」
村上綾香。
この猿女……自分がトップだと、自分が上の階級にいて一番優秀な存在なのだと、周りに宣伝しないと気が済まない、
九条さんとはまた違う……いや、もしかしたら一緒かもしれないが、石器時代から脳が進化していない猿である。
「最近構ってあげられなくてごめんね。大丈夫、今日からまた遊んであげる」
「…………」
「大空さん1人じゃ寂しいでしょ?」
本当にうんざりだ。
私はそういう鬱憤を晴らす道具ではなくて、ただの一生徒。
だというのに、九条さんについて考えるだけではなく、これからはこの女のお世話もしないといけないらしい。
あぁ、本当にうんざり。
――我慢。いつも通り、流すだけ。
そう自分に言い聞かせたけれど、今日は、少し限界だった。
私は衝動のまま、拳を固く握る。
そして、無言で、隣にある自分の机の天板に拳を振り下ろした。
――――――バン!
「はい!これからよろしくお願いします!!」
響く音と、張りつめた声に、周りが一瞬静まり返る。
村上たちの顔が引きつった。
「……っ!」
「ちょっとなに!?」
「先生呼ばれたいの?この暴力女……」
先生を呼ぶ、ね。
世間一般的に言うならなら手を出していないこの状況+いじめで相手不利なのだろうが……これまでの経験的に、まぁ、私の負けになりそうだ。
これ以上は大人しくしておこう。
「まだ、なにもしてないですよ」
何かする予定なんてない、ただの牽制。
数秒の間ののち、彼女たちはバタバタと教室の中に引っ込んでいった。
私はその隙に机を持ち上げ、静かに教室へと運ぶ。
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4時間目の授業を適当に聞き流しながら、朝で起きた事を考えていた。
さて……
今日は何故、我慢することが出来なかったのか?
原因は複数あるけど、1番可能性が高いのは兄が久しぶりに顔を出した事だろう。
あの馬鹿の暴力性に引っ張られた、もしくはあてられたと言ってもいいかもしれない。
終わった事とはいえ、悪い目立ち方をしたのは良くなかった。
これからまた最低な日々が始まってしまう。
やっぱり兄の言う通り、もう一度殴って分からせるべきなのかもしれないが……そうなると、これまでの私の積み重ねが無駄になってしまうのが難点だ。
チャイムが鳴った。
金属的な音が教室を満たし、生徒たちが一斉に声を上げ、昼休みへと切り替わっていく。
私は静かに鞄の中から弁当を取り出した。
いつも通り、一人で食べるつもりだった。
静かに、誰にも邪魔されずに。
だけど――
その瞬間、教室の扉が勢いよく開いた。
目を向けると、そこに立っていたのは見覚えのない女子生徒。
髪の毛は白と黒のメッシュで、目立つどころの騒ぎではない。
九条さんともまた違う種類の派手さで、最初は誰かも分からなかった。
どこの人間だろう、と訝しむまでもなく、クラスの誰かがつぶやいた。
「……あれ、九条と一緒に転校してきた、別のクラスの子じゃない?」
そう聞いて、ようやく繋がる。
転校生が二人いたという話は聞いていた。
けれど、その一人がこんな目立つ子だとは。
……誰に用があるのか分からないが、私には関係ない相手だろう。
教室に入ってきた子の事を気にせず、弁当の蓋を開けようとした――そのときだった。
その女子が、私の机のすぐ横に立った。
「久しぶり、大空一花さん。いきなりで悪いが、私と食事でも如何かね?」
ぽかんと口を開けたまま、私はしばらく言葉が出なかった。
自分が指名されるとは思ってもいなかった。
なぜ、私?
それに久しぶり……?
私はこの人の顔に見覚えがない。
というか、九条さんの時もそうだけど、こんな派手な髪色、一回でも見たら忘れないはずだけど……
ふと、横に視線を向ける。
そこには、九条さんがいた。
けれど、彼女はいつもの余裕ある微笑みではなく、まるで冷気に当てられたように顔をこわばらせていた。
私は例の件以降、まともに彼女の顔を、視線を合わせようとしなかった。
その表情を久しぶりに正面から見て、驚きと違和感が胸に残る。
けれど、そんな事に頭を回している暇はなく……
「申し訳ないが、君に拒否権はない。時間は有限なのでね」
メッシュの女子はそう言い放ち、私の手首を掴むと、まるで当然のように引っ張って歩き出した。
私の昼休みは、完全に予定外の方向へと連れ去られていく。