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懐中時計と八月のアリア  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
エピローグ

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エピローグ

 九月に入っても、まだまだ暑い日が続いている。わたしは、世田谷にある唯ちゃんと藤原くんの家を訪ねていた。


 高級住宅地にあるとても大きなコンクリート打ちっぱなしのモダンな家を見て、わたしは返ろうかと一瞬ひるむ。


 勇気を出してインターホンを押すと、大体の到着時間を知らせてあったので唯ちゃんが出た。


「なっちゃん、いらっしゃい。今、門開けるね。ねえねえ、このボタンでいいの?」


 後ろにいるお手伝いさんに、門の開閉ボタンの場所を聞いているようだった。


 唯ちゃんはちゃんとボタンを押せたようで、自動であいた門からわたしはお屋敷の中へ入っていく。


 人工大理石を敷き詰めた玄関ホールで、唯ちゃんと藤原くんが出迎えてくれた。おずおずと手土産のクッキーの缶をわたすと、唯ちゃんはすぐにわたしに抱きついてきた。


「今日、絶対お泊りしてね。で、明日の朝フレンチトーストつくろうね」


 今日の訪問を約束した当初、わたしは夕方には帰るつもりだったのに唯ちゃんが強引にお泊りに変更したのだった。


「あの……ほんとにお泊りしていいの?」


 わたしは行儀が悪いと思いつつ高級ホテルのようなお家の中を、キョロキョロと見回して遠慮がちに言う。


「何わけわかんないこと、言ってんだよ。いいに決まってるだろ」


 藤原くんが、わたしの荷物を持って中へ促した。ふかふかのスリッパに足を入れると、カボチャの馬車に乗ってやってきた、一夜だけのお姫さま――シンデレラ――になったような気分がする。


 それからお手伝いさんが用意した豪華な夕飯を食べるまで、唯ちゃんの部屋でお人形ごっこをしたり着せ替えごっこをしたりして遊んだ。


 その間、藤原くんは姿を見せず部屋に閉じこもっているし、唯ちゃんのおじいちゃまは出張で出かけていて留守だった。


 夜は広いお風呂に唯ちゃんと入ると、湯船を泡でいっぱいにしてこれまたお姫さま気分を味わった。


 天涯付きのかわいいベッドに唯ちゃんがもぐりこむと、ベッドの中からじっとわたしを見あげた。その腕の中には、別荘から持ち帰ったあのほのちゃんが収まっている。


「なっちゃん、唯が寝るまでここにいてね。あきちゃんのとこ行くのは、その後ね」


 唯ちゃんは、かわいいわがままを言う。わたしがうなずくと、もうすぐ眠りに落ちそうな、けだるげな声で話し始めた。


「あのね、唯、時々夢見るんだ」


「へえ、どんな夢?」


 わたしは、唯ちゃんの頬にかかる髪の毛をはらってあげる。


「鎌倉の別荘で、おばさんとお料理してる夢」


「そっか、楽しそうな夢だね」


「うん、とっても楽しい夢、な、んだ――」


 唯ちゃんの声は、夢の中へ吸い込まれていった。


「よかったね」


 わたしは幸福そうな顔をして眠る唯ちゃんの頭をなで、その傍らにいるほのちゃんの頭をなでていた。


 唯ちゃんの寝息が一定のリズムになるまでじっと寝顔を見ていると、控えめなノックの音が聞こえてくる。


 そっと立ちあがりドアを開けると、藤原くんだった。


「唯、寝た?」と聞かれたので、無言でうなずく。


「俺の部屋に来てくれる? 話しておきたいことがあるんだけど」


 わたしは返事のかわりに部屋から出て、後ろ手でドアをしめた。


 唯ちゃんの部屋と、廊下を挟んで向かいにある藤原くんの部屋に入る。まず大きな本棚が目に飛び込んできて、圧倒された。そこには、びっしりと本が並んでいた。


 本棚に目をうばわれていると、ソファへ座るようすすめられた。藤原くんはデスクの椅子に腰をかけて話し始めた。


「あの事件のことなんだけど、親父に聞いてみたんだ。捜査の進捗を」


 あの事件が心中だったと知っているのは、わたしたちだけ。亡くなった穂香さんに教えられた事実を、警察に言えるわけがない。


「そしたら、警察は最初心中を疑ってたって。室内にふたり以外の足跡はない。そのかわりカラスの足跡があった」


「そうか。カラスがナイフを運んだんだから、足跡が残ってるよね」


 藤原くんは、うなずく。


「でも、心中と断定するには決定的な疑問があったそうだ。どうして、ナイフの指紋がふかれていたのか。どうして窓際までわざわざ宗平さんは歩いて行ったのか」


 わたしたちが見た映像では、父が自分のシャツでナイフの柄をふいていた。


「父はどうしてあんなことをしたんだろう。そういえば、意味がわからないよね。それに、最後にレコードプレイヤーに手をかけた理由も」


「そうだよな。普通、瀕死の状態ならそこに倒れ込む。最後の力を振り絞って歩いて行くには、何か理由があるはず」


 父は、何をしたかったんだろう。


「俺の勝手な想像だけど、宗平さんは姉貴を守ったのかなって。心中なら姉貴から刺したって傷の位置を調べたらわかるかもしれない。指紋をふきとったら、その事実を隠せるととっさに考えたとか」


「もし、そうなら。最後に窓際に行ったのも、偽装工作?」


 父は、必死の形相で血を床にしたたらせ窓際まで歩いていた。そこまでして、穂香さんをかばいたかったのなら、その行動の理由はわかる。


 それなのに、藤原くんはわたしの想像とは違うことを口にした。


「あれはただ単に、人生最後の幕引きに音楽を鳴らしたかったのかもしれないな」


「えっ、どういうこと?」


 息も絶え絶えになり最期に選んだ行動が、そんな演出じみたことなんて、もうわたしには理解不能だ。


「宗平さんにとったら、人生も作品といっしょだったのかも。ただ死んでいくよりも、音楽が流れていく中で息を引き取りたかったとか。映画のワンシーンみたいに」


「わけわかんない。わたし、お父さんのこと何一つ理解できない」


 穂香さんの凶行を隠すため、指紋をふいたところまではわかる。父のやさしさが発揮されたのだろう。


 でも、自分の死の瞬間を音楽で演出するなんて。普通そんなことをするだろうか。 

 ここまで考えて、母の言葉を思い出す。


『宗平東吾という小説家に普通は通用しない』


 そうだった、わたしの父は小説家宗平東吾だった。


「なつが、ちょっとでも宗平さんのことを理解したいなら、これ読んでみたら?」


 藤原くんはそう言うと、本棚から一冊の本を取り出した。分厚いハードカバーの表紙には『時の螺旋』と印字されている。


「これ読んだら、お父さんのこと理解できるの?」


「保証はできないけど、宗平さんに一歩近づけるような気はする」


 藤原くんのあいまいな説明で、わたしは立ちあがり父の本に手を伸ばしかけた。しかし、その手は本を握るのではなく、藤原くんのTシャツの裾をちょっとだけつまむ。


「ごめん、やっぱり今は読めない。でも読む覚悟ができたら、またここに借りにきてもいい?」


 うつむいてわたしは自分の白い指先は見ていた。父のことを理解したいとは思うけれど、まだわたしの中には受け入れる準備はできていない。


 そんな葛藤を握りつぶすように、藤原くんの大きく熱い手が、わたしの手を強く握った。


「もう限界。ちょっとはっきりさせてもいい?」


 深刻な顔をしていたはずの藤原くんの顔は、赤らみふるふると震えている。


「俺たち、付き合ってるってことでいいよな。なつ、ぜんぜん連絡くれないし、唯とばっかり遊んでるし。俺も意地になって、自分から聞かないって決めたんだけど――」


 そこまで言って、藤原くんはわたしの手を強く引っ張った。彼の腕の中に倒れ込み、わたしは息ができなくなる。


「やっぱ無理、こんなかわいいこと言われたら。いますぐどうにかしたい」


 ……どうにかって、どういう意味だろう。でも、今のタイミングで聞かない方がいい。それだけは、わたしでもわかる。


 かわりに、今の気持ちを伝えることにした。


「藤原くんって、王子さまだなって今日あらためて思った。わたしと住む世界が違うなって」


「はっ? いや、俺庶民だし」


 あきれた声が、わたしの胸にしみる。六年前だと思い込んでいたあの非日常の世界だったから、わたしは藤原くんとの距離を縮められた。


 魔法がとけた日常に戻ればミスターキャンパスの藤原くんと、自分の違いが気になってしょうがない。


「でも……藤原くんに気後れするのは、わたしに自信がないからかなって」


 わたしは藤原くんの胸板を押して、隙間をつくると彼の顔を見あげた。


「わたしね、大学の吹奏楽部に入ろうと思う」


「なんで、ここでいきなり吹部の話? なつの話がまったく読めないんだけど」


「だから、これからはいろんなことに挑戦しようってこと」


 わたしは、藤原くんの腕の中から抜け出ると深々と頭をさげた。


「藤原くんとお付き合いしたいです。よろしく、お願いします」


 そう言い終わるかどうかのタイミングで、藤原くんはわたしに向かって倒れ込んできた。


 彼の体を支えきれずに、わたしたちふたりはソファに勢いよく倒れ込む。


「よ、よかった。この流れ、絶対断られる流れだと思って覚悟してたら、なんだこのどんでん返し。こんな展開、ドラマだけで十分だって」


 わたしの体の上で藤原くんは、くつくつと笑い出した。わたしの顔に彼の洗いざらしの髪がかかり、くすぐったい。


「さすが、宗平東吾の娘。俺、すっごい振り回された」


 ここまで言って、藤原くんは顔をあげ「あっ」と小さく息をもらす。


「ごめん、こんな言い方されるの嫌だったよな」


 以前は高徳院で父の娘と言われ顔がひきつったけれど、今はそれどころじゃない。


「わたし、やっぱり父の娘だね。男の人を振り回すことができるなんて」


 ちょっと余裕のある悪い女ぶってみたけれど、わたしの心臓は限界でパンク寸前だった。この痛いくらいの胸の鼓動は、きっと藤原くんにも伝わっている。


 だって、わたしの胸の上に重なっている彼の心臓も、早鐘を打っているのがわかるから。ふいに藤原くんは、わたしの瞳をのぞき込む。


「振り回すのは、俺だけにして」


 そう訴える琥珀色の瞳はまん丸で、うっすら潤んでいる。


 その瞳を見ていたら、自宅の机の引き出しにしまったあの懐中時計の音が耳元へ届いたような気がした。


 わたしは耳の奥に届いた時の音を胸へ刻み付けるため、静かに目を閉じた。




         了





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