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お残り保育

 夕方五時を過ぎた幼稚園の園舎に、人はまばらだった。冷房のきいた室内ではお迎えを待つ園児が数人、人待ち顔で遊んでいる。


 ここはわたしが通う大学の付属幼稚園だ。いわゆる上流階級の子弟が通う大学で、付属幼稚園にはセレブなお子さまたちが集う。


 一方わたしは、大学から入学したごく普通の一般人。セレブではないわたしは週三回、四時から六時まで二時間、ここでお残りをする園児の遊び相手のアルバイトをしている。


 時給はいいし、大学の近くだし。子供たちはかわいいし、わりのいい幼稚園でのアルバイト。そんなかわいい園児の中、ひときわかわいい――というか、こまっしゃくれているのが、年長組の唯ちゃんだった。


「はい、なっちゃんはこの玉ねぎを切ってくださーい」


 唯ちゃんに言われ、わたしは木でできた玉ねぎをまな板にのせる。包丁でサクッと切るとマジックテープつき玉ねぎは、ゴロンとまな板の上で真っふたつになった。


 唯ちゃんはそれをひょいっとひろい、おままごとキッチンの鍋に放り込む。


「今日は、カレーにするからね。大人しく待ってるのよ」


 大人ぶった口調で、お母さんになりきっている。わたしは具材がこつんこつんとぶつかり合う音を聞きながら、自分が子どもだった頃を思い出す。


「わたしも、おままごと大好きだったなあ」


 唯ちゃんは小さなフライ返しを片手に振り返ると、ツインテールにした毛先が反動でゆれた。


「どんなふうに遊んでたの?」


「ひとりで遊んでたから。わたしはお母さんの役で、ほかの役はお人形にさせてたんだよ」


 たったひとりでお人形に話しかけていた時の、わたしの気持ちにふたをして、ことさら明るく言った。


「それすごくおもしろそう」


 そう言うと唯ちゃんは部屋の隅におかれたお道具箱まで走って行って、人形を両手に持ち戻って来た。


 わたしの右側に、ちょっとくたびれて首が曲がったキリンをおく。


「これ、あきちゃん。眠そうな大きな目がそっくりだから」


 今度は、左側に薄汚れた水色の象のぬいぐるみ。


「これは、おじいちゃま。太ってるから」


 それだけ言って、またキッチンにもどりカレーをつくりはじめた。

 唯ちゃんにお父さんとお母さんがいないことは、幼稚園の先生から聞いて知っていた。


『唯ちゃんに、ご両親のこと訊かないで』


 そう釘をさされたのだ。

 色あせたあきちゃんとおじいちゃまにはさまれ、わたしはおとなしくカレーが出来上がるのを待つ。


「できあがりー。ちゃんと、いただきますって言ってね」


 唯ちゃんは木のお皿にもられたカレー――玉ねぎとにんじん――を得意げにわたしに差し出したところで、教室のドアが勢いよく開いた。


「唯―、迎えに来たぞ」


 首に保護者のIDカードをぶらさげた、キリンのような眠たげな目をした青年が部屋に入って来た。均整の取れた体に色のあせたデニムと、Tシャツを合わせたラフな装い。


「もー、あきちゃんお迎え遅すぎ。唯、先に言っちゃいそうだったよ」


 唯ちゃんは頬をふくらませ、あきちゃんに訳のわからない文句を言う。

 あきちゃんと呼ばれた青年の名前は、藤原彬ふじわらあきらくん。私と同じ大学の同級生で唯ちゃんの叔父さんにあたる。


 藤原くんは同級生だけど口をきいたこともなければ、気軽にお近づきになれるような人ではない。なんといっても彼は、大学内におけるヒエラルキーの頂点、ミスターキャンパスなのだ。


 ミスターキャンパスの名に恥じぬ爽やかな容姿を存分に発揮して、学内ではいつも大勢の女の子たちに囲まれている。この世の春を謳歌する彼は、人々の羨望を一心にうけていつも楽しそうに笑っていた。


 でも、その屈託のない爽やかな笑いが消える瞬間に、厭世感がこびりついた暗い眼差しをわたしは見つけてしまった。その憂鬱な眼差しを、まわりの女の子たちは気づかずに笑っている。わたしは思わず目をそらせ思い出す、彼の悪いうわさを。


 高校時代は派手に遊んでいて、女の人を食いまくっていたとか。お尻の軽い女優と付き合っているとか。


 そして、芸能事務所を経営する父親のコネでもうすぐ俳優デビューが決まっている。またそれをネタにして、クラブでナンパしまくっているとか。


 そんな悪いうわさが絶えない藤原くんに、近づきたくなかった。

 それなのにいま目の前で、藤原くんは自分がほほ笑めば大抵の女の子は言うことを聞くとでも思っていそうな顔をして、わたしをご覧になる。


「あのさ、清水夏帆しみずなつほさん。うちの鎌倉の別荘来ない?」


 ミスターキャンパスさまが、意味のわからないことを軽くおっしゃった。そのノリに思わずうなずくところだったが、寸前のところで思いとどまる。


 突然の理解不能なお誘いに呆然とするわたしの横で、唯ちゃんは腰に手をあて叔父さんをにらんだ。


「いきなり説明なしで言うから、なっちゃんびっくりしてるでしょ。それに、いつも遊んでもらってるんだから、お礼ぐらい言ってよね」


 姪っ子におどされ、藤原くんはあわててわたしに頭をさげた。


「ああ、そうだった。ありがとう清水さん。こいつあつかいづらいだろ。生意気だし、妙に大人びてるから――」


 そこまで言って端正に整った顔をしかめた。苦痛にゆがむイケメンの顔面を見て、思わずわたしまで顔をしかめる。唯ちゃんが藤原くんの膝を思いきりけったのだ。


「よけいなこと言わない!」


 まだ顔をゆがませている藤原くんは、すねたような声を出す。


「いってーな。おまえは、もうちょっと大人しくできないのか」


「なっちゃんを別荘にさそうの、ほんとは唯が言いたかったのに、あきちゃんが待てっていうから、がまんしてたんだよ」


「しょうがないだろ、こういうことは大人が言わないと」


 急に大人ぶる、藤原くんがちょっと……。いやかなり、滑稽だった。


「あきちゃんは、大人じゃないでしょ。おじいちゃまにおこづかいもらってるんだから、唯といっしょだよ」


「あのなあ、俺はもう二十歳で立派な大人なの。でもまだ学生でモラトリアムなんだよ。って言っても、おまえにわかんねえよな」


 どこが大人なんだよ、とつっこみどころ満載のセリフに唯ちゃんは地団駄をふんでくやしがった。




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