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水着

 そっと、ガラス戸をあけるとふたりはまだ起きていない。部屋の奥に藤原くん、その横に人形を左手に握ったままで唯ちゃんが眠っている。また誰かに取られないように、ぎゅっと人形の手を握りしめていた。


 エアコンのタイマーは切れていて、室内がすこしだけ蒸し暑い。新鮮な空気を入れるため出窓をあけると、風がかすかに入り込んできた。


 唯ちゃんは大の字で仰向けに寝ていて、花柄のパジャマがめくれ上がりお腹が出ていた。パジャマの裾を下げてお腹を隠すと、唯ちゃんは「うーん」と言いながら右横に寝返りをうった。その拍子に唯ちゃんの握りしめていた人形は勢いよく宙を舞い、横で寝ている藤原くんの顔を直撃した。


「痛った!」


 藤原くんは短く叫ぶと、パッと大きな目を見開き覚醒した。端正に整った顔の上にアンティークドールを乗せた姿はおかしくて、ぷっと息を短く吐き出すとあわてて右手で口元をおおった。他人の不幸を笑うなんていくらなんでも失礼だ。


 すると、天井を見上げてぼんやりしていた藤原くんの目は左右にゆれ、ゆっくりと顔が左を向き琥珀色の瞳はわたしに焦点を合わせた。


 目と目が合った瞬間、さっと藤原くんの右手を伸ばされ唯ちゃんを飛び越えわたしの左手首を強く握りしめた。


「よかった――」


 それだけ言って、手を離さないまま藤原くんは上半身を起こした。


「何が、よかったの?」


 この状況の説明がほしくて聞いたのに、答えはすぐに返ってこない。じれたわたしは藤原くんの右手を振りほどこうとしても、力が強すぎてピクリとも動かなかった。


「そんなに、強く握られたら痛いんだけど」


 ストレートにクレームを言うと、パッと手は離された。


「ごめん、寝ぼけてた。なつが、出て行ったと思い込んでて」


「出ていくところ、ないから」


 力なく言い、逃げるように視線を下げたら、ぱっかりと見開かれた唯ちゃんの目とぶつかった。


「お、起きてたの。唯ちゃん」


 気まずくてごまかすようにことさら明るく言うと、唯ちゃんはにんまりと笑った。


「朝から、いちゃいちゃするなんて、仲良しだね」


「はっ?」


 いちゃいちゃ? これのどこが、いちゃいちゃなの? わたしはいきなり腕をつかまれて、怖かったんだけれど。しかしいったい、唯ちゃんはどこから起きて見ていたんだろう。ひょっとして全部見ていたの?


「ばーか、あたりまえだろ、俺となつは恋人だからな」


 藤原くんが、唯ちゃんの興味を煽るようなことを言う。ばかなの?

 この姪に対してだけ大人気ない反応をする藤原くんは、いったいなんなんだろ。

 余裕ぶってキャンパスを闊歩している姿は虚勢であり、妹のような姪っ子とふざけて戯れている姿こそが、本来の彼の姿なのだろうか。


 そうならば、わたしは藤原くんのことが、うらやましい。彼をうらやむのは、ないものねだりだとわかっていても。


 わたしは薄くほほ笑み、穂香さんの指令を遂行する。


「もうすぐ朝ごはんだよ。今日は朝がゆだって穂香さんが」


「わーい、お粥好き。玉子入ってるかな」


 無邪気に喜ぶ唯ちゃんの頭をくしゃりと藤原くんはなでた。


「入ってるかもな。唯の好物だから」


 藤原くんにそう言われて、いてもたってもいられなくなったのか唯ちゃんはパジャマのまま部屋を飛び出して行った。


 トントンと軽快なリズムを刻み階下へ降りていく足音を、ふたりで黙って聞いていた。


「玉子粥は、俺が風邪ひいた時に姉さんがかならずつくってくれたんだ」


 『姉さん』という慕わしい言葉がすとんとわたしの胸に落ちる。わたしにとったら憎い人でも、藤原くんにとったら大事なお姉さんなんだ。


 いまさらそんな当たり前のことに思い至り、昨日は藤原くんにひどいことを言ってしまったと反省しても、もう遅かった。


 宗平さん……父を除いた四人で朝食の食卓についた。お粥にはちゃんと玉子が入っていて、唯ちゃんは大喜びしてふっくらした頬をすぼめてフーフーと息を吹き、お粥を口に入れると「おいしい、おいしい」と言いながら食べていた。


 その様子を穂香さんは「熱いわよ、ゆいちゃん」と言いつつグラスに麦茶を注いだり世話を焼いていた。

 満腹になって、満足したのか唯ちゃんはお匙をおいて唐突にしゃべり出した。


「ずっとお家の中ばっかりは、あきちゃった。お外に行きたい」


 この六年前の別荘にやってきて一週間ほどたったが、わたしたちは一度も敷地の外に出ていなかった。唯ちゃんにとったら、そろそろ限界だったのかもしれない。


「そうだな、そろそろ外に出るか」


 藤原くんも同意したが、穂香さんの顔色がみるみる曇っていく。


「どこに行くの? 外は熱いわよ。ここは山が近くて涼しいのに」


 この言葉を無視して、唯ちゃんは椅子から立ちあがった。


「唯、海に行きたい。せっかく水着持ってきたのに、一回も来てないもん。唯の水着ね、フリフリがいっぱいついたサクランボの模様でかわいいんだよ」


「水着が着たいなら、お庭にプールを出してあげるからね。ねっ、そうしましょう」


 穂香さんは唯ちゃんと離れるのがさみしいのか、ことさら外に行くことをやめさせようとする。この別荘に滞在できる期限は決まっている。


 穂香さんには、わたしたちはお盆には帰ると言ってあった。

 わたしたちが、この別荘にやってこなければ穂香さんは静かすぎる生活を送っていたことだろう。


 父は、ほとんど書斎から出てこないのだ。むかしからそうだった。父は仕事部屋として借りていたマンションに入り浸り、めったにわたしたち家族と共にすごさなかった。


 穂香さんに同情したわけじゃないけれど、わたしはお庭のプールで遊ぼうと提案してみた。それなのに、藤原くんが強引に海へ行くことを決定してしまった。


「じゃあ、ふたりで行ってきてね。わたしは水着もってないし」


 わたしは多少の反発を持って事実を言うと、唯ちゃんが不服をもらす。


「えー! 唯、なっちゃんと行きたいのに。行こうよ、いっしょに」


 そうせがみ、唯ちゃんはわたしの腕をぐいぐいと引っ張った。ガクガクと揺さぶられて、少しだけほだされる。


「じゃあ、海に入らないで浜辺にいるだけなら」


 この妥協に、つまらなそうに唯ちゃんが頬を膨らませた時だ。藤原くんが割って入ってきた。


「穂香さん、水着もってない?」


 藤原くんの言葉に驚愕する。な、何を言い出すのだろう。この人は。


「えっと、何着かあるわよ。そうそう新品があったはず」


 穂香さんはそう言うと、リビングを出て行った。ぱたぱたと螺旋階段をのぼっていく音がする。


「別にいいじゃない。わざわざわたしが、水着にならなくても」


 あたしが小声で抗議すると、藤原くんはにこりと爽やかに白い歯をみせて笑顔になる。


「俺が、見たい」


「はっ?」


 耳を疑った。穂香さんの水着が見たいのか、わたしの水着姿が見たいのか。どっちだろう。どっちにしろ、ドン引き案件には変わりない。


「せっかく、唯が楽しみにしてるんだから、三人で海に入ろって。な、唯」


 ここで、唯ちゃんの名前を出すのはずるい。ずるいというか、姑息だ。案の定、唯ちゃんは満面の笑みでわたしに抱き着いた。


「あきちゃん、たまにはいいこと言うね」


 ふたりにはめられたような気もするが、穂香さんの水着がないことを祈るしかない。しかしその祈りは通じなかった。


「二階の納戸にしまってあったわ。なっちゃん、どれがいい? 全部新品だから」


 二階から降りてきた穂香さんは色とりどりの水着を何着も抱えていて、床にどさりと置いたのだ。


「えっと、一番布の面積が多いので――」


 穂香さんの水着はほとんどビキニだった。さすがは元女優さん。スタイルがよくないと着こなせない水着を着るのに、なんの抵抗もないのだろう。


「じゃあ、この青い水着は? なっちゃんに似合うと思う。かわいいわよ」


 弟と同じくにこりと笑い、穂香さんは晴れ渡った夏空を連想させるコバルトブルーの水着をわたしの体にあてがったのだった。


 まあいいか、ほかの水着に比べれば一番地味だし……。

 ため息が出そうなところをぐっと我慢して、わたしもにこりとほほ笑み返した。



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