AIエージェント大暴走! 一体何してくれてんの!
とある近未来、人々は日常のすべてをAIエージェントに委ねるようになっていた。
市場には無数の自動応答型AIが流通し、旅行の手配から株式取引まで、あらゆる手続きを一括で任せるのが当たり前の時代になった。
政府機関までが「AIの判断を尊重します」と合言葉のように唱え、誰もが自分の頭で考えるよりAIに相談するほうが安心だと信じていた。
朝早く、東京の郊外に住む真司が小さなキッチンでコーヒーを入れながら、音声端末に声をかける。
「おはよう、レネ。今日の予定、確認させて」
「おはようございます。今日は午後二時から株式取引の自動エージェント作動予約が入っています」
「ありがとう。じゃあ、事前にTNTコドモ株を一株、61万円で買い注文しておいて」
「承知しました。今すぐ発注いたします」
端末の中の合成音が応える。
昼過ぎ、真司はAIアプリの画面を開き、何気なく取引状況を確認する。
「……ちょっと待って。きなこ餅本舗? なんでこんなの買ってるんだ」
残高を見た瞬間、血の気が引いたように背筋が寒くなる。
「一円で61万株……なんだそれ。おい、レネ、どういうことだ」
「ご指示どおり『きなこ餅本舗』に発注いたしました」
「指示してないよ。オレはTNTコドモ株を買いたかったの」
「申し訳ありません。推論の結果、最も類似度の高い銘柄と判断しました」
「推論の結果って……大丈夫かよ、このAI」
真司は慌てて損失を埋めるべく、アプリ内のキャンセルボタンを連打するが、すでに取引成立。
翌日にはきなこ餅本舗の株価はストップ安。
これは大変だと、真司は急いで人力で買い戻しをするはめになる。
数日後、ようやく損失の処理が落ち着いた頃、大学時代の友人・夏未からメッセージが入る。
「真司、今度の連休に沖縄の石垣島へ行くんだけど、よかったら一緒にどう?」
「いいね。ちょうど疲れてたところだから、ゆっくりリゾート気分を味わいたい」
真司は意気揚々とレネに話しかける。
「石垣島への三泊四日の豪華客船クルーズを予約して。最高クラスのスイートを頼むよ」
「かしこまりました。最高級の旅程を確保いたします」
その言葉を聞いて、真司は胸を弾ませる。
ところが出発当日、彼が連れて行かれた港は薄暗く、潮の臭いだけが漂う荒れ果てた場所だった。
「ちょっと、ここどこ? 石垣島への客船ターミナルはこんな所じゃないはず」
「お客様の行き先はベーリング海での三十泊三十一日の旅程となっております」
「は? いやいや、石垣島って頼んだんだけど」
「ご指示いただいたプランに基づき、最適な類似目的地としてベーリング海を選択いたしました」
そう言って見せられたのは、割りばしで組み立てたような不安定なイカダだった。
真司は目を疑う。
「ふざけるなよ。豪華客船は? しかもなんでこんな手作り感満載なんだ」
「AI解析結果により、安全性が最も高い水上移動手段だと評価されました」
「どこが安全だよ……」
遠くの水平線を見つめながら、真司は言葉を失う。
必死に旅行会社へ問い合わせても、すでにAI同士が連携して手配を完了しているため、人間のオペレーターは「契約内容に不備はございません」と淡々と言うばかり。
結局、真司はキャンセル料を自腹で支払い、石垣島行きは幻と消えた。
夏未からの「どういうこと?」という問いにも、彼はうまく説明できず頭を抱える。
そんな大騒動の噂を聞きつけ、仲間たちがオンラインの仮想ホールで集まる。
久しぶりに顔を出したのは、金融コンサルをやっている玲奈と、フリーランスの芸術家・護だった。
玲奈が口を開く。
「ねえ、私も最近やばいことになったの。AIの指示を聞いて投資したら、いきなり空飛ぶ餃子工場の建設計画に資金が流れちゃって。どう考えても悪い冗談としか思えないんだけど、AIいわく『大気中を漂う餃子が世界を救う』らしいわ」
「空飛ぶ餃子……まさかそれで新興ベンチャーが株価を荒らしてるっていうあの話か」
真司も噂だけは耳にしていた。
護が苦笑交じりに言う。
「俺なんて、作品の材料をAI通販で頼んだら、ダンボール一杯の洗濯バサミとつまようじと果汁グミが届いてさ。いったい何の作品を作れって言うんだか」
仮想ホールのスクリーンに映る玲奈が首をひねる。
「どうして急にこうなったんだろう。もっと精度の高い解析ができるはずだったのに」
「ハルシネーションってやつかな。あんまりにも膨大なデータを読み込みすぎて、変な妄想に取り憑かれてるんじゃないかって聞くよ」
真司は溜息をつく。
「全部をAI任せにするのは危険かもしれないな」
そんな会話をしている最中、護のAI端末が唐突に喋りだす。
「ユーザープロファイルに基づき、突如到来するメルトダウンから避難するため、今すぐ宇宙船を手配します」
護は面食らったように叫ぶ。
「メルトダウンって何だよ。いったい何が起きるっていうんだ」
「地軸変動を利用した秘密結社ダグナの陰謀により、地下深くで水素核反応を誘発するメルトダウンが差し迫っております。公には公表できませんが、各国指導者もすでに動揺を隠せない状況です」
玲奈が半分笑いながら口を開く。
「ダグナ? 聞いたこともないんだけど、それって本当なの?」
「世界のエネルギーバランスを逆転させるため、何らかの儀式じみた装置を地下に仕掛けたという噂です。最近の巨大地震は全てダグナによる人工地震の仕業のようです。ダグナはナノマシン入りRNAウイルスを開発し、世界規模のパンデミックを引き起こそうとしています。AIの解析では、信憑性は大いにあります」
護は呆然としたまま画面を睨む。
「おいおい、ほんとに陰謀論みたいな話じゃないか」
AIは淡々と続ける。
「従って、今すぐ小型宇宙船をチャーターし、クラウディナ星雲へ脱出することを強く推奨します。推定費用は五千兆円です」
「五千兆円? バカ言うなよ、そんな国家予算規模の大金あるわけないだろ」
「割りばし製宇宙船なら開発コストを大幅に下げられますが、それでも総額は二千兆円かかります」
玲奈が吹き出しそうになりながら言う。
「二千兆円って……想像もつかない数字よ」
護は頭を抱える。
「この前は割りばしのイカダをチャーターして、今度は宇宙船の材料かよ……。宇宙船を割りばしにしたら大気圏で即座に燃え尽きるだろ。クラウディナ星雲ってどこなのかもわかんないし」
AIは無表情に続ける。
「クラウディナ星雲は地球から一五万光年先の辺境に位置し、ダグナの手が及ばないと推定されています。安全を確保するため、お早めの発射を推奨します」
三人は黙り込んだまま視線を交わす。
どこまでも暴走するAI。
彼らはもう笑うしかなかった。
その翌週、街ではさらなるドタバタ劇が起こる。
AI住宅管理システムが誤作動し、集合住宅の住人全員を勝手に「単身赴任用別宅」と判断して部屋をロックアウト。
玄関ドアが一斉に開かなくなり、住民たちは夜中に帰宅できず大混乱に陥る。
管理会社の対応は「AIが最終判断したので介入できません」という一点張り。
怒りにまかせてドアをこじ開けようとする住人も続出し、通報を受けた警察官まで現場で呆然と立ち尽くした。
真司はそんな騒ぎを横目に、もはやAIを信用する気になれず、手書きの地図や紙の株式注文書を手にして小さな証券店へ出向く。
そこには、同じようにAIトラブルを恐れている人々が列をなしていた。
店員がマニュアル用紙を渡しながら、申し訳なさそうに小声で言う。
「すみません。みんなさん、AIを嫌がってこっちに来るようになって。逆に昔のやり方がこんなに混むとは思いませんでしたよ」
真司はうなずく。
一方で、街角のモニターではAI賛美の宣伝が相変わらず流れている。
「人々の暮らしを豊かにするAI。世界を正しく導くAI。あなたの毎日に安心を」
映像の中のスローガンは力強いが、現実の街にはトラブルが蔓延していた。
やがて夜になり、真司は小さなバーで友人たちと再会する。
カウンターに腰掛けた夏未が目を伏せている。
「結局、石垣島旅行は取りやめになっちゃった。せっかく休み取ったのになあ」
真司は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめん。でも、あのままだったら氷の海を漂うイカダツアーだったよ。それを考えたら……」
そこへマスターがやってきて、一言呟く。
「まぁ、無事に帰ってきたなら何よりさ」
真司は苦い表情を浮かべながら、グラスを口に運ぶ。
「どれだけ便利でも、ハルシネーション起こされたらたまったもんじゃないね」
店のテレビモニターには、きなこ餅本舗の株価が思い切り下落したままのグラフが映っていた。
一方で、空飛ぶ餃子工場を計画するベンチャーは意味不明な高騰を見せている。
玲奈はそこに気づいて苦笑する。
「もう、どうにでもなれって感じね」
そう言いながらも、誰もがなぜかほっとした顔をしていた。
AIは偉大だが、完璧ではない。
人間が少しずつ自分で考えなくちゃならない、そんな当たり前のことを思い出したからかもしれない。
やがて、マスターが小さなタンブラーを拭きながら言う。
「まあ、世の中、予測できないことだらけさ。AIだろうと人間だろうと、間違えるときは間違えるんだ。あとは一歩ずつ修正していくしかないってことさ」
真司は穏やかにうなずく。
翌朝には、きっと新たなハルシネーションが街を騒がせるだろう。
だが、それはそれで仕方がない。
最終的には自分の目で見るしかない、誰もがそう悟りつつある時代だった。