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雪幻想

作者: 山神伸二

 妙高高原駅は窓の外から既に雪景色を覗かせ、それは列車の窓から徐々に白くなっていき、この場所で終点を迎えたように思えた。

 寒さは雪の白さと同じように冷たく、待合室で待っている高蔵正次は待合室の扉が開いた際にその冷たい風が入ってくるのを恨むように見た。

 二人の少女は仲睦まじく、正次の事など気づいてないかのように、お互いの世界に入ってるようだった。

 この寒さによる辛さは自分だけが感じていて、この少女達には寒さは若さによる楽観的な思いによって、まるで絵画のようなあってないようなものになってしまうのか。

 正次の乗車予定のバスはまだ一時間以上も先にあり、普通ならもう少し後の列車に乗って、バスの時間に合わせて来るのであるが、列車でゆっくりと椅子に座りながら行きたいと思っていた正次は一本早く乗ってきた。しかし、待合室でさえも冷たさが染み渡るこの寒さに一本早めて来たことを後悔し始めていた。そう思うと、後からやってから乗客たちが一枚上手のようであった。この待合室の寒さは人の少ない殺風景なものからなのではと思っていた。

 ただ、そんな中でも少女達が入ってきた事によって先程までの静けさは和らいだ。正次一人では心の中でしか言葉を話さず、またそれがより一層寂しさを使い風が入りやすくなっていた。

 正次の冷たい乾いた声が冬の声にはしっかりと合い、暑い日には良いものであるが、寒い日には苦痛そのものだと自分を悲しく、そして酷いものだとも思った。

 そう思うと少女達の声は暖かい春の陽気さがあり、正次は東京の代々木公園の桜模様を想像した。

 全ての明るい未来に希望を持つ若者がそうであるように特に少女の声色というのは明るく儚げな眩い灯りのようでそれでいて詩のような言葉遣いで話すものであるのだから、男というのはどうしても女には母に求めるような故郷に似た感情を覚えてしまう。

 正次は少女達の言葉に自然と耳を傾けた。静寂に響くものであるから、嫌でも耳には入ってしまった。

 一人は厚着をしているが、その体つきは想像するにほんの少し豊満な印象を受ける。おかっぱよりも少し伸びた髪は頬の辺りを行き来し、時折、少女はそれに目をやっていた。もう一人はそれよりは少し痩せたような印象を受けるが、来ている服のせいで実際のところはわからないが、背は小さかった。彼女は一人目よりも髪は短くおかっぱそのものであった。

 同い年なのであろうか。一人は美しく、二人目はかわいらしい印象を持った。顔は似ておらず、雰囲気もお互いに違うことから姉妹にはどうも思えなかった。ただ、二人の話ぶりも姉妹のような親密さは無く、友人というような軽やかな弾んだものであった。年が違う幼馴染かもしれないと正次は思った。

 いずれにしても鮮やかな二人であった。

           ・

 やがて、列車は雪に音を消されかけながら駅に着き、人々の声と足音が構内に響いた。

 その音に正次は静寂を邪魔された憤りが僅かに湧いたが、すぐにその人々の中に入り、バス停へと向かった。

 外に出ると、風の痛みと雪の冷たさに心の底が冷え込むのがしっかりと感じ取れた。

 バスはすぐにやってきて、正次は1番奥の窓際に座った。正次のように一人で訪れる人はおらず、皆、二人や団体客であり、肩身の狭い思いを誤魔化すように外を眺め、まだバスに乗れていない客が感じるであろう寒さを想像した。

 人々の声を流し聞きしながら、居心地悪く、窓の外を眺め、その何も見えない景色とバスの中の灯りによって映る他の乗客の服装を見て、スキー客がほとんどであると思っていた。

 そして聞き慣れたような声が、近くに響き、ちょっとすみませんと正次は声を掛けられた。

 一瞬、自分ではないかと思ったが、他の乗客が何も反応をしないので、すぐに反対側を向くと、先程の待合室にいた少女二人が正次の目の前に荷物を持って立っていた。

「隣、大丈夫ですか?」

「ええ」

 正次はそう言うと、荷物を膝に置き、少女達は重い荷物を持ちながら椅子にどさりと座った。荷物は正次よりも多く、こんな大荷物を若いとはいえ女の子が持っていてはこんな倒れ込むように座るであろう正次は思った。

 少女達はしばらく二人で楽しそうに話していたが、ふと、正次の方に声を掛けた。

「これからスキーへ行かれるんですか?」

「はい、まあ」

 話し掛けられるとは思わなかった正次はつい、無愛想な返事をしてしまい、すぐに後悔をした。そしてそれを誤魔化すかのように少女達に密かに向けていた興味を嘘をついているかのように見せつけた。

「お二人もスキーですか?」

「ええ、初めてですの」

 スキーのことか、赤倉を訪れたことかどちらか瞬時に悩んだ。

「スキーですか?」

「はい、でも楽しみですわ」

 もう一人の痩せた少女がそう言った。その少女は豊満な少女よりも楽観的なのであろうか。

「私達、雪国の生まれなのに、スキーなんてほとんどしたことないんですの」

 痩せた少女がそう言うと、もう一人の少女が慌てて

「えっちゃん、そんな事言わないで、恥ずかしいじゃない」

「いいじゃないの。何も隠すことはないわ」

 えっちゃんと言われた痩せた少女は更に続けた。

「雪国と言っても新潟の海の方です。雪は降るけれど、スキー場なんてないから、雪は娯楽ではなく、夏の蝉と同じものですの」

 えっちゃんは随分と快活な少女であった。対してもう一人の少女はえっちゃんに比べると大人しめの印象を受け、先程とは違う雰囲気を感じた。

「ゆきちゃん、ああ、この子ゆきちゃんって言うんです。ゆきちゃんって名前なのにスキーをしたことないんですのよ」

 ゆきちゃんはえっちゃんにそう言われ、顔を下に向けて、正次の方を見ないようにしていた。

 正次はゆきちゃんの名前は雪子や幸代と言うような名前なのだろうと思った。

「それはえっちゃんだって、同じじゃないの」

 ゆきちゃんはここでえっちゃんに少しばかりの荒げた言葉を使った。

「学校じゃ教えてくれないからしょうがないわ」

 正次はその様子をしばらく眺めるようにして見ていた。その事に気づいたえっちゃんは恥ずかしそうにしながら

「ごめんなさい。私達だけの会話になってました」

 正次は頭を下げたえっちゃんに気にしないように言い、その頭のつむじを見て、裸を覗き見たような感覚になった。

 バスは走り出すと、その揺れ具合は人々の体を左右に揺らす程であった。

 昼間であるはずなのに、日の入らない雪町では常に光を必要としているようであった。

 外が寒いせいか、その反動でバスの中は蒸し暑さを感じるほどで、外の寒さを求め、少しばかり窓を開けた。

 冷たい風が細かに入り込み、それは正次の頬を伝った。そしてその風は浴びているうちに氷だしたかのような感覚を覚え、正次はそっと窓を閉めた。窓の冷たさは触れると次第に暖かみを増していた。

 その間に正次は二人の少女と仲良くなっていた。二人は高校生であり、冬休みの期間を使って新潟から赤倉まで旅行に来ているとのことであった。また、スキーはほぼ初心者であり、その初々しさは一人でやってきた正次には静かな暖かみを感じた。

 坂道を登る中、バスの走る音が、騒がしさを知らせる最初の音であったように思う。正次は静かに遠くに白々くぼやけて見える山々を眺めていたが、それが次第に見えなくなるのと同時に少女達と話をするようになった。

 正次の隣にはえっちゃんが座り、その奥にゆきちゃんが座っていた。えっちゃんが主に正次と話をして時折、ゆきちゃんが話しをしてくる。正次としてはえっちゃんよりもゆきちゃんの方に好感が持てた。

 それはゆきちゃんの方が健康そうな体つきなせいもあるのだが、それでいて、性格はえっちゃんよりも内向的なのがとてもかわいらしかったせいである。ただ、正次よりも若い人はきっとえっちゃんを好きになるのだろうと思った。自分も若かったらえっちゃんを見ていたかもしれぬと正次は思った。

 寒い場所だからであろうか、二人といると寒さが和らぎ、その寒さはどこ吹く風とでも言うような感じである。

 窓に当たる雪の音は風の強さのせいで痛覚すら刺激し、窓が割れる想像をさせるものであった。

           ・

 バスを降りた時、その寒さ冷たさは水に突っ込まれたようなものを感じた。

 それは他の乗客も同じようで、皆、その寒さに最初は震えていた。

「では、ここで」

 正次はそう言ってバスの中での少女達との短い交流に別れを告げ、逃げるようにホテルへと向かった。

 ロビーに入り、チェックインを済ますと、その足で正次は部屋へと向かっていた。

 今回の旅では旅行費の節約の為に相部屋を選択した。一人でいても寂しい思いをするだけであるとの正次の考えからであった。

 ただ、二人部屋であるはずであるが、まだもう一人の客は来ておらず、正次一人であった。

 そこで正次は茶を入れると、ここまで来た疲れを感じ、床に大の字で横になった。

 そこで眠気に襲われるも、まだ冷え込む部屋の寒さによって眠ることはなかった。

 雪は先ほどよりも強くなり、スキー客はまばらになっていた。それとも、窓が曇り、よく見えないだけなのか。正次には窓開けるようなことはせず、この事もすぐに忘れてしまった。

 ここに来るまでは人という人に出会っていたのに、部屋に入ってからは人と出会えた嬉しさを忘れ、そして寂しさが彼を襲った。

 そんな時に扉が開く音がした。正次は相部屋の相手の顔を見てやろうと思ったが、それが失礼になる上に品のないことだと思いやめた。

 そして相部屋の男が姿を表した。正次よりも背が高く、それは頭一つ分というのが冗談にならなそうな程であった。

 男は正次を見ると、正座になり、正次に頭を下げた。

「野沢と言います。明日までよろしくお願いします」

 野沢と言う男は見た目とは裏腹に随分と礼儀がしっかりしている男であった。正次は野沢の服の襟が立っているのを、彼の性格の本質であると思った。

「高蔵です。よろしくお願いします」

 年は正次と同じか少し歳が上な印象を受けた。

「しかし、寒いですね。少しやんでくれないと、旅行のメインができないままですよ」

「全くですね。多少の豪雪は覚悟していたつもりだったのですが、こんなにとは思いもよりませんでした」

 ホテルの外からは車の走る音が聞こえた。それが何色の車でどんな車なのか正次は気になった。

「これからお昼ご一緒しませんか?」

「ええ、いいですよ」

 正次は不思議と野沢とは初対面であるが、警戒心を抱くことはなく、まるで古くからの友人であるかのように振る舞った。

 二人はホテルの食堂により、そこで昼食を共にした。そこで野沢は酒を一つ飲み、顔を赤らめた。

「僕はね、酔いが回るのが早くて、すぐ顔が赤くなるんですが、酔いが覚めるのも早いんですよ。三時間もすれば変わらぬようになります」

 その言葉が本当かどうかはわからなかったが、確かに、食堂から千鳥足で出て行った野沢は部屋に戻ると調子が先程とは違うようになっていた。

 顔はまだ赤かったが、先程のような調子の良い事を反省したかのように黙り込み、正次の顔を見て、何か申し訳なさそうにしていた。

 そして意を決したように、正次に話し掛けた。

「私、食堂で高蔵さんに失礼なことを申しましたことをお詫びさせてください」

 野沢のこの急な言葉に正次は面を食らった。

「失礼なことって何も野沢さんは仰ってないですよ」

「いえ、私はいつも無意識に何か言ってはいけないことを言ってしまうんです」

 野沢はそう言って聞かなかった。正次は野沢は酔いが覚めるのではなく、心が軽くなった後にやってくる自己嫌悪に苛まれているだけなのではないかと思った。

 謝り上戸。

 野沢の耳には届くことはないだろうと、心の中でそう呟いた。

 野沢は本当に三時間程で酔いが覚めるのだろうか。

 一、二時間は雪も強く振り続けるままであろうから、正次はこの男をしばらく様子を見て、何かあったら介抱してやろうと思っていた。

           ・

 三時間経ってきた時、雪はなだらかな降り方に変わり、窓越し外の世界を覗くと、スキー客が増えて来るのがわかった。若者が我先にとホテルから飛び出しているのを正次はほんの少し眺めていた。

 野沢の方を見ると、確かに彼の言う通り、顔の赤みは見事に消えていた。そして野沢は壁に寄りかかっていつの間にか眠っていた。

 壁は冷たいであろうと思い、横にしてあげようと布団を出した時、正次は布団を床に大きな音を立てて、落としてしまった。

 野沢はその音で目を覚ましてしまった。しばらくは周りを見回していた。

「野沢さん、気分はどうですか?」

 正次が声を掛けると、野沢は正次を一点に見つめ、その様子から見るに正次のことを忘れているのではないかと思われた。

「ああ、大丈夫です。酔いは覚めました」

 野沢は正次との思い出したのか、そう言ってハキハキとし、調子を取り戻したように見えた。

「雪がだいぶ弱まりましたね」

「ええ、でも、まだスキーに行かない方がいいかと思います」

「いや、今行った方がまだ誰かが滑ってないので、一番滑りが楽しめると思うんですよ」

「しかし、野沢さんはまだ酒が残っているかもしれませんし」

「何、こんなもん大丈夫です。雪国が好きな私はそれで死ねるのなら本望です」

 野沢の言葉には正次も苦笑いをするしかなかった。

 ただ、野沢は足取りも元通りで歩き、正次は野沢よ酔い覚めの早さに感心した。

 ロビーで、従業員の男性が二人が外へ行こうとしているのに気づき

「これからスキーですか?」

「はい、彼がまだ誰も滑っていない雪の上を早く滑りたいと言っていまして」

「確かに、今、外に向かってるお客様達もそんな事を仰ってましたね」

 正次は野沢の考え方が彼特有のものでは無く、スキーをする者はそう思うものなのかと思った。

「みんなそんな事を言うんですね」

「スキーヤーは口を揃えて言いますよ。私はスキーを嗜まないのでその言葉には疑問がありますが」

 従業員と話し終えた後、正次と野沢はホテルを出た。そしてそこには雪幻想とも言うべき姿が白銀の世界の中に聳え立ったように急に現れた。

 正次は頭や肩に雪が積もったことも忘れる程その景色に目を奪われた。

「なかなか、素敵なものですね」

「ええ、霞む景色が想像を引き立てて、白い世界の中に閉じ込められているようだ....」

 澄んだ小さな雪の粒が正次の目の中に入った。一瞬の冷たさに雪景色のほんの一握りを思うと、場違いな気持ちが沸くように出てきた。

 入り口の屋根の下でそんな事を思っていると、正次は後ろから急に声を掛けられた。驚いて、振り向くと、そこにいたのは先程の少女達であった。

 二人は小さく挨拶をし、正次はその姿に面影をなんとか見つけようとしていた。

「同じホテルだったんだね」

「はい。高蔵さん、先にホテルに入っちゃいましたけど、その後ろ姿を見ながら、私達もここのホテルに入って行ったんです」

 えっちゃんはそう言うと、野沢の姿に気がついたようだった。視線が正次の後ろに注がれたのを正次は気づいた。

「この方は同部屋の野沢さん」

 野沢は女の子達の前に来て、先程の酔っ払った姿とは真逆のもじもじした姿を見せつけ、少女達はその姿に笑ってしまい、野沢は恥ずかしがっていたが、その奥底に少女達と話をしたら喜びがあるのを見逃さなかった。彼は普段は女性と話すことはあまりないのだろうと思った。高校生にすら、顔を赤らめており、部屋で顔を合わした時の野沢とは思えなかった。

 その様子に野沢は彼女と同じ年か年下のようにさえ思えてしまった。

 ただ、野沢のその様子も彼女達と親しくなるにつれ、正次に見せるようなものになっていった。野沢は打ち解けるのが早いのだと思った。

 正次はスキーは年に一度、赤倉などのスキーに行くくらいのものであるが、野沢はなかなかのスキー通であり、冬の間は休みさえあればいつもスキーに出掛けるらしかった。少女達はバスの中で言ったように初心者らしく、二人で怖がりながらゆっくりと滑っていた。正次は二人に滑り方を教え、野沢はスキーを滑りながら二人を先導していった。

 ただ、半日ではまだ二人はうまくはならなかったが、転びながらでも、スキーをしていることに二人は楽しんでいるように思えた。

 その夜に四人は夕食を共にした。正次と野沢の手元には酒があり、少女達にはサイダーが置かれていた。野沢はこの数時間で二人を随分気に入ったように思えた。

「二人は上越の生まれなんだ?俺も若い頃に上越に出張で訪れたことがあったな」

「まあ、どこですの?」

 野沢は特にえっちゃんと打ち解けたようだった。えっちゃんの持ち前の明るさが野沢には話し掛けやすいと思ったのだろう。

「直江津だ。目的の会社がそこにあってね」

 野沢は大体そこで話を区切った。その先は仕事のことなのでつまらない話なのか話そうとはしなかった。

「俺の生まれは東京でな。東京でも田舎の方だ。君らの街の方が栄えていたさ」

 上機嫌の野沢に二人の少女は興味津々であった。正次はビールを飲みながらその様子をただ眺めていた。

「高蔵さんはどこの生まれですの?」

 意外にもこの事を言ったのはゆきちゃんであった。

「僕は和歌山。雪には縁が遠いけれど、昔から長野や新潟にはよく行ってて、今でも年に一度は赤倉なんかにはよく訪れるよ。今年もそういうこと」

 ゆきちゃんはその純情そうな目を正次に向けた。正次はその雪のような白い肌が肩から少しだけ覗かせたのを見て、儚い幻想に囚われた。

 ゆきちゃんの後ろの壁には夢二の絵が掛けられていた。正次はこのホテルは何度か、利用しているが、あんな所にこんなものがあったか、正次は思い出せずにいた。しかし、その絵をこの場所で見たのは初めてな気はしなかった。

 絵は赤色の着物を着た女性の絵であり、どこかの山を背景に踊るように体をくねられせていた。恐らくは複製品であろう。その女性が何故だか正次にはゆきちゃんの姿が重なり、二人が同一人物かのように思わされた。正次は一瞬、モデルではないのかと本当に疑うほどであった。

 ただ、絵の女性にはいじらしさがなかった。ゆきちゃんにはそれがあるお陰か少女のような奥ゆかしさが正次には常に感じるようになっていた。それはえっちゃんには無いものであった。

「まあ」

 ゆきちゃんはそれだけしか言わなかったが、その言葉の中には驚きと愛想が隠れていた。

 えっちゃんは正次に和歌山の話を聞きたがった。そのため、正次は話を彼女達が楽しめるように多少の脚色しながら話した。

 話しは二人の将来の夢の話になり、ゆきちゃんは夢を聞かれ恥ずかしそうにしてたが、手を口に押さえながら

「看護師になりたいです」とはっきりと答えた。

 えっちゃんはどうかと野沢が言うと

「私は金持ちの人と結婚して幸せになりたいです」と答え笑っていたが、その冗談らしい様子を見て、彼女は本当の幸せと言うものを理解しているように思えた。

           ・

 二人と別れた後、正次は野沢に誘われ、風呂へと向かった。

 ホテルの温泉に浸かりながら、野沢は少女達の話をした。

「快活な彼女の方が俺は好みですな。もう一人もいいですが、明るい女性がやはり、楽しい」

「あの子達はまだ高校生ですよ」

 正次はそう言いながら、昔の恋人達の顔をまざまざと思い出していた。学生の時には年下の高校生と付き合い、結婚すらも覚悟したものであったが、所詮それは十代の戯言に過ぎず、理由は忘れてしまったが、あっという間に別れ、あれから合わずじまいである子もいた。

「高校生なんて、すぐに大人になりますよ。彼女達、なかなか大人ぶっている所があるから、誘えばついていくんでしょう」

 野沢の言葉の端々には冗談の気が付き纏っていた。本気ではないことが正次にも理解できた。

 湯の中で正次は冷たい息をした。

 風呂を上がり、廊下で正二と野沢は芸者とすれ違った。

「こんな所に芸者がやってくるのか」と独り言を言うと

「呼ぶ人はいるらしいですよ。私は呼んだことはないですが」

 野沢はそんな事を言っていた。芸者は廊下の寒さに耐えかねてか、小走りで通って行った。

「しかし、ホテルにも来るんですね」

「近頃はそうでもしなければならないんでしょうね。京都の祇園のような所は違うんですな」

 正次は通り過ぎた芸者の髪の崩れを気にし、華やかとは言えない哀愁に包まれたあの芸者を哀れとは違う美しさを覚えた。

 小走りの足音は正次の耳の中で何度もこだましていた。その足音が消えそうな程、か弱く悲しいものであった。

           ・

 部屋に戻った時、野沢は床に座ると、布団の端を晒し、敷布団へと移った。

「高蔵さん、僕にも夢があるんですよ。それもでかい夢、ビッグビジネスというやつです」

 野沢はそれを部屋で正次に語ることを楽しみにしているかのように見えた。夕食の時に何も自分のその事について触れなかった野沢はこの時のために取っていたのであった。

「高蔵さんは何かありますか。夢は?」

 正次は秋に会社が倒産し、現在は無職であった。ただ、金に不自由はしないので、春先に再就職を目指してのんびりとしていた。

「僕は、何もないです。やりたいことも、ただ、流されるままに過ごして行きたいんです」

 野沢は何を思ったか、正次の近くに寄った。

「何もないなら好都合です。僕のビッグビジネス、乗っかってみませんか?損はさせません」

 正次自身、失うものは何もなかった。このまま自殺をするのも悪くないと思う程、ここ最近は寒さと共に生きていたほどである。だが、ここに流されるままに希望をやってきた。特に損はさせないと言う言葉はこの身を任せてあげたいと思うように聞こえた。

「そうですか。悪くないなら良いですね。ただ....」

 正次はそして、悩むふりをしていた。本当は既に結論づいていた。だが、即答は相手の信頼を得るものではないのは社会に出て痛いほど思い知っていた。

「会社を起業しようと思うんです。車の製品を作る町工場で働いてる僕が、その知識と経験を元に会社を建てるんです。僕が全てを得ているのだから、未経験でも問題ありません。僕が教授します」

 正次は力強く野沢の手を握った。

「是非、僕の前の仕事は出版社ですけれど、本当に問題はありませんか?もちろん、これから覚えるものは全て覚えるつもりです。僕を連れて後悔などしないのであれば、僕はあなたについていきましょう」

「心強い」

 野沢は酔いが覚めぬうちにと再び酒を飲み始めた。正次もそれに乗っかり、二人は夢心地でこれからの会社のことを話し合った。だが、酔っ払いの言うことであり、正次自身、自分で何を言っているのかわからないこともあった。

 机の上に置いてあった紙にはその起業の方がびっしりと殴り書きで書かれていった。野沢は日付が変わる時には横になって眠ってしまい、正次も一時前には眠ってしまった。

           ・

 朝になり正次は目を覚ますと、昨日のことを思い出した。

 野沢はまだ眠りについており、まだ日が上がるまであり、部屋の中は薄暗かった。

 そのせいでもあるのか、寒気が正次を襲い、布団の暖かみに戻ろうとしたが、正次は温泉へと向かうことにした。酔いはもう覚めていた。

 長い廊下を渡り、風呂場へ入ると、人はほとんどおらず、正次の歩く足音が静かにこだましているようだった。

 身体を洗い、風呂に入ると、抜け切ったと思われた酒がぶり返してきた。

 正次は二人の少女とは同じホテルに泊まってあるはずだが、偶然すれ違うこともなかったなと思い、駅の待合室、そしてバスで隣同士になったのは本当に偶然が及んだことなのだなと思った。

 そしてもし、必然であるならば正次は自分で二人と出会うように仕向けただろうと思った。特に二人に対して恋心などないが、二人を見ていると、その若さとそれ故の明るさが正次にはないのであり、一種の羨望や嫉妬に近い感情を持っているのである。それに縋ろうとし、二人のそんな明るさを分けてもらえるかのようなそんなことを無意識のうちに思っているのに気づいた。

 窓の外に見える雪に感動することを正次はしばらく忘れており、その事に感動する二人を最初こそは若いだけだと思っていたが、次第にそれがノスタルジーの源と同じだと思い始めていた。

 野沢の起業の話を聞いた時に何故か正次はそんな純粋な感情を取り戻したいとも思った。

 それはきっと、自分が流されるままではないという自分の意思をはっきりして動くことが、何にでも感性が豊かになるのに繋がっているからではないか。正次の失ったものはそうすることによって取り戻すこともできるのではないかと思った。

 ここ数年間にはなかった、何かをする楽しさを正次は急に覚え始めていた。

           ・

 雪の降る空は白く濁ったようで、雪色とうまく混じり合い、そしてそれが目の前に広がり、何も無い世界のように見えた。

 部屋に戻ると野沢が煙草を吸っており、野沢の口先の煙草の火は小さく夕陽のように輝いていた。扉が開く音を聞いた野沢は正次の方を向いた。

「おはようございます。風呂でしたか」

「ええ、朝風呂が好きなんですよ」

 正次はしばらく野沢と談話をしていたが、野沢の口からなかなか昨夜の話が出てこず、不安を覚えた正次は探りを入れることにした。

「野沢さん、起業をされるって話なんですが」

「私、酔ってる時、そのことを言ったんですね」

 正次はその瞬間に起業の事が書かれている紙が置いてある机に近いた。

「ええ、言ってました。とても楽しそうだなと」

「まだ、夢物語なんですよ。いつ実現するかわからない。半端妄想のようなものです。金がなくて」

 正次の手は机に向かって伸び、そこにある紙を全て手のひらで握った。

           ・

 その日の午前中は再び四人で、スキーを楽しんでいた。誰もが、この時が最後とは口に出すことはなかった。寂しさなどは存在せず、若さは哀愁を求めず、出会いとそして何もない別れだけを信じていた。

 えっちゃんとゆきちゃんの二人はとりわけその事を強く思っており、二人の無邪気さはこの時が終わりのなく続くもののように思われた。

 二人は二日目にしてスキーをものにしていた。さすがは雪国出身のことだけはあると思いながら、正次はこの時に初めて、別れの事を思った。

 目にチラつく雪は滑っている間は吹雪のように変わり、白銀の世界は出ていけないようにすら感じられるのだが、もう正次には寂しさが心の中に侵食され始めていた。

 先に滑り、下に着き、他の三人を見ると、昔からの友人のように思える三人が今後は赤の他人へと戻るのだと、強く雪の世界の幻に惑わされたのを思った。

 喧騒は徐々に激しくなり、一粒の雪からも物音が聞こえるようであった。

 ユートピアではないか。仕事を無くしてから、ずっと心の中にあった孤寂は、この刹那のうちにやっと一瞬でも消え去ってくれた。その安心した心持ちはなんとも暖かいことか。小さい頃の両親と過ごした日々のように思えるのだ。

 涙は出ぬが、心の中で泣いていた。正次は滑り終えた三人に駆け寄った。

           ・

 その後、正次はホテルに戻り、荷物を持ち、チェックアウトを行なった。二人の少女も同様に、正次のそばでチェックアウトを行っていた。野沢はまだ滞在するようで、チェックアウトはまだ先の話だと言っていた。

 午後になり、少しだけ、陽が入り込んでいた。バスが着く頃には陽はホテルに当たり、ホテルの窓が美しく反射していた。

 バスに入ると、三人は後ろの席に座り、窓際に寄った。野沢は三人をただ見つめていた。

 少女達は手を振っていたが、野沢はそれに頷きで答えただけであり、正次と野沢は目を合わせただけであった。

 バスが走り出すと、正次は二人と話をしていたが、やがて、二人とも疲れが生じたのか、眠りに入ってしまい、窓の先を眺めるだけになった。

 そして窓の鏡越しに二人の寝顔を見て、正次はこの二人の大人になった姿を想像した。そしてその姿は思い出としては残ったとしても記憶には残らないのだろうと思った。

 妙高高原駅で正次は少女達と別れた。二人は違う電車に乗って帰ると言うので、正次とはここで別れるのであった。電車に乗り、ホームに寂しく立っている二人を眺め、電車が走り出すと、その姿が小さくなり、儚く消えるまでずっと見つめていた。その際に、野沢や少女達とは恐らく二度と会うことはなのであろうと思った。仮に偶然にも再会があったとしても顔も記憶しているはずはないので、それは再会をしていないのも同然である。それはいわば一瞬の仲である。それは記憶の中でしか生き続けないのである。

 野沢とはあんなにも仕事で熱く語ったのにも今後は会うこともなく、少女達とはあんなにも恋人や友人かのように話をしたのに、今後は赤の他人へと変貌するのである。その一抹の寂しさはそのうちに雪の吹雪のように流れ去るようである。

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