第64話 櫻子のさくらこ。
「そうか。櫻子もつらかったな」
俺は櫻子を抱きしめた。
櫻子は、子供のようにわんわんと泣いた。
落ち着くと、櫻子はまた話し始めた。
「許されることじゃないよね。でも、咄嗟だったし、なんだか変な感じがして、お母さまだと思いたくなかった。後から、きらりのお母さんが亡くなったと知って、罪悪感で押しつぶされそうになった。何度も何度も考えて、でも、今更、言い出せなくて、その度に自分のことを騙して生きてきた……」
「そうか。分かった。櫻子、もういい」
櫻子は続けた。
溜め込んだものを、どんどん吐き出しているようだった。
「それでね。きらりの顔を見るのも辛くなってしまって。わたしの中では、お母さまを信じることと、きらりを好きだと思う気持ちが両立できなかった。それに、本当にきらりを妬ましいと思う気持ちもあった。でも、でもね……」
「うん」
「わたし、きらりに「もう顔も見たくない」って言ってしまったの。後戻りできない。もう謝ってどうにかなる段階じゃない、もう、全部が今更で、遅いの」
「そっか。櫻子、辛かったな。話してくれてありがとう」
今の櫻子は、自分ことで一杯一杯だろう。今日は、ただ櫻子を受け入れて、話は明日にした方がいいように思えた。
その日は櫻子を抱きしめて一緒に寝ることにした。
肩を振るわせる櫻子を抱き寄せなら、さっきの話を反芻した。
きらりのお母さんの事件に、櫻子のお母さんが関わっていたとして、もし、俺が櫻子の立場だったら、告発できただろうか。
否。
たぶん、親を裏切ることはできなかった。客観的に見れば、罪は償うことが当然で、それは裏切りではないのだろう。
でも、子供の櫻子は、告発すれば母親だけでなく父親も捕まってしまうかも知れないと思ったのではないか。子供にとっては、親が世界の全てだ。子供の櫻子にとっては、それが失われることは恐怖そのもので、そして、裏切りに他ならなかったのではないのか。
きらりを受け入れることは、親を生贄として差し出すこと……裏切ることになる。だから、きらりを遠ざけた。
櫻子の本心は分からないが、俺が櫻子の立場なら、そう考えたのではないかと思う。
だからこれは、すごく勇気のある告白だ。
きらりのことを考えると、複雑な気持ちはあるが、今、俺の腕の中にいるのは、子供の頃の櫻子のように思えた。
いまはただ。
抱きしめて、今日を過ごそうと思う。
……ん。
いつの間にか寝てしまったらしい。
俺はトイレに行きたくなって起きた。
昨日、飲みすぎたのかな。
起き上がると、隣にいるはずの櫻子がいなかった。
どこだろう。
探したがいない。
風呂にでも行ったのかな。
そのまま寝るわけにもいかないし、テレビをつけた。広縁の椅子に座ると、カーテンが開いていていることに気づいた。
すると、チラッと白い足が見えた。
櫻子だった。
小さなバルコニーに、櫻子はいた。
体育座りのように抱えた両足が、月明かりに照らされて青白く輝いている。
それは、なんていうか。
この世のものでないような美しさだった。




