第58話 櫻子は陽菜が気になります。
気づくと、前々席の櫻子がこちらを見ていたが、目が合うと、櫻子はすぐに目を逸らした。
往路では、陽菜が色々と話してくれた。
俺は彼女のことを知っているようで、よく知らなかったらしい。
子供の頃に、アニメで感銘をうけて声優になりたいと思ったらしく、俺が感じていたよりも、ずっと真面目に夢に向かって取り組んでいるようだった。
少し見直してしまった。
男関係も、実は真面目らしい。
ツルツルしてたから、男慣れして処理してるのかと思ったが、どうやら天然らしかった。
「先輩。わたしのこと遊んでると思ってませんか? 処女なのに心外です。そんなに信じられないなら、見て確かめますか?」とのことなので、本当なのだろう。
正直、陽菜が遊び人かどうかなんて、俺にはさして興味がないことだ。なんでそんなに拘るのだろう。
3時間弱で温泉街についた。
今日の宿は、温泉街の端にある。
旅館について荷物を下ろすと、女将さんが出迎えてくれた。
門構えのしっかりした、立派な旅館だった。
外開きの門扉の裏側には、無骨な、かんぬき受けが見える。
広大な敷地は土壁で囲まれていて、いくつか蔵のようなものが見えた。
空気は清々しくて、息を吸うたびに、遠くまできたのだなぁ、と実感した。
母屋までの道すがら、おかみさんが施設の紹介をしてくれた。ここは武家の屋敷を再利用した旅館らしい。
女将さんは、櫻子に気づくと軽く会釈をしただけで、特別扱いはしていないようだった。
部屋は男部屋と女部屋に分けるのかと思っていたが、基本は、仲の良いもの同士で同室でも良いということだった。
俺がどうするか迷っていると、陽菜が声をかけてきた。
「先輩。同じ部屋にしませんか? いつも同じシフトですし」
すると、遠くでその様子を見ていた櫻子もやってきて「わたしも同じが良いです」とのことだった。
そんな訳で、俺は陽菜と櫻子と同じ部屋になった。
櫻子とは込み入った話もあるし、とはいえ2人きりだと、紫音がキレそうだったので、陽菜がいた方が都合が良い。
部屋は、それぞれお召し替え所があったので、男女一緒でも、特には不便はないだろう。
部屋に着いたあとは、夕食まで自由時間だ。
陽菜は他のバイト仲間に誘われて観光に行った。
部屋に櫻子と2人だけになってしまった。
なんだか気まずい。
「俺らも温泉街を歩いてみようか」
俺らも温泉街を観光することにした。
「ちょっと、待って」
櫻子が着替えたいというので、部屋で待つ。
しばらくすると、櫻子が出てきた。
櫻子は浴衣を着ていた。
名前通りの桜柄。河津桜なのだろうか。
色濃く小ぶりな花びらは、梅のようだった。
季節外れの桜だが、春が戻ってきたように感じた。
「ど、どうかな?」
櫻子は心許ない様子で聞いてきた。
「似合ってる」
「……、そっか」
櫻子は笑顔になった。
「これ。お誕生日おめでとう」
そういうと、櫻子は俺に紙袋を渡してくれた。
「ありがとう。開けてみていいか?」
リボンを解いて箱を開けると、見覚えのある黒いワイシャツが出てきた。




