11記憶喪失になる
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その日、いつもと変わらない穏やかな午後の時間が流れていたレイトン男爵邸に衝撃が走った。
「奥様っ! た、大変です!! お嬢様がっ! キャロルお嬢様が事故にっ!! 」
「なんですって! ヘレン、キャロルがどうしたというの!? 」
「お嬢様が馬車に……っ! そ、それでお怪我をっ!」
「なっ!? それで、キャロルは!? キャロルは無事なのっ!? 」
ルシアナ・レイトン男爵夫人は、ヘレンに掴みかからんばかりの勢いでキャロルの安否を尋ねた。
「は、はい! 運よく事故現場の近くにお医者様らしい方がいらして、お嬢様を診てくださって、命に別状はないだろう、と。
ただ頭を強く打っているのでしばらくは安静にするようにとおしゃっていました。」
「なんてこと……それでキャロルは? 今どこにいるの? 」
「そのお医者様らしい方が病人専用の馬車を手配してくださって……あ、馬車が着いたみたいです! 」
ヘレンが玄関の扉を開くと男爵夫人は外へ飛び出し、馬車へと駆け寄った。
馬車の扉が開くと、いかにも医者らしい風貌の青年が馬車から降りてくる。
男爵夫人に気付くと丁寧なお辞儀をする。
「レイトン男爵夫人、お初にお目にかかります。」
「あなたがキャロルを助けてくれたお医者様ですの?
キャロルは大丈夫なのですか? 」
男爵夫人は両手を胸の上に重ねながら心配そうに尋ねる。
「お嬢様は馬車と接触しかけましたが、すんでのところで身をかわしました。
ところがそのまま倒れてしまい、近くにあった樽に頭が当たってしまったのです。
ですが、軽い打撲程度で命に別状はありません。
いまは気を失っておられますが、すぐに気が付くはずです。」
医者らしい青年は、そう言うと馬車の中にいる白衣を着た男たちに指で合図をした。
白衣の男のひとりが馬車から降り、馬車の後方へと移動すると後部に付いているレバーを引く。
すると馬車の後部が扉のように開いた。
驚く男爵夫人に、医者らしい青年が声をかける。
「お嬢様はこちらに。」
ハッとしたように男爵夫人は馬車の後部へ移動すると中を覗き込む。
「まあ! 馬車の中に寝台が!? あっ、キャロル!? 」
男爵夫人は馬車の中にベッドがあることにまず驚き、次いでそのベッドに横たわっているのがキャロルだと気付いて再度驚く。
後部の扉を開いた白衣を着た男がベッドの端に手をかけると、そのまま馬車の外に引き出そうする。
「ちょ、あなた! そんなことをしたら、ベッドごとキャロルが落ちてしまうわっ!! 」
慌てて白衣の男を止めようとする男爵夫人に医者らしい青年が優しく声をかける。
「夫人、ご安心ください。このベッドは特別製でして……」
ガチャッ、ガッチャンッ!
「このように車輪が自動的に伸びるので、患者を安全に運ぶことができるのです。」
「まあ! なんて画期的なのかしら! 素晴らしいわ! 」
馬車から地面にスムーズに着地したベッドを見た男爵夫人は、驚きながらも称賛の声を上げた。
医者らしい青年は笑顔を夫人に見せると、尋ねた。
「では、お嬢様はどちらにお運びしましょうか? 」
「ああ、そうね! ヘレン、お医者様たちをキャロルの部屋までご案内してちょうだい。
私は旦那様にこのことを知らせる手紙を書いてからキャロルの部屋へ行くわ。」
「かしこまりました。」
ヘレンの返事を聞くと男爵夫人は急いで邸内へと戻っていった。」
「では、皆さま、こちらへどうぞ。」
医者らしい青年とキャロルの寝ているベッドを運ぶ白衣を着た男ふたりが、ヘレンの後をついて邸の中に入っていった。
***
妻からの緊急連絡で男爵邸に帰ってきたフランツ・レイトン男爵は、出迎えた妻にキャロルの容体を尋ねた。
「それで、キャロルの具合はどうなんだ? もう気が付いたのか? 」
「いいえ、まだなのよ。
お医者様の話では、そろそろ気が付くだろうと言っているのだけれど……。」
「そうか……。とりあえずキャロルを見舞おうか……。」
男爵はキャロルの部屋に入ると、ベッドの近くの椅子に座ってる青年に声をかけた。
「あなたがキャロルを助けてくれたお医者様ですな?
この度は娘を助けてくださって感謝します。
それで、娘の具合はどうでしょうか? 」
「お初にお目にかかります、男爵。
お嬢様ですが、頭を強く打ってはいますが、怪我は大したことはありません。
まもなく気が付くと思いますが……。」
「んんん……」
「キャロル!? あなた、キャロルが! キャロルしっかりして……。」
キャロルが声を出したのに気付いた男爵夫人はキャロルの手を握って声をかける。
男爵もベッドの側に寄ると、夫人の手の上に自分の手を重ねる。
「うう、ん……ううん……あ、ここは?……」
「! おお、キャロル! 気が付いたかい? 怖かっただろう? もう大丈夫だよ。」
気が付いたキャロルに男爵が声をかける。
「え……ここは、は? 」
「ああキャロル。ここはあなたの部屋よ。
お医者様が連れてきてくださったの。
具合はどう? 痛いところはない? 」
男爵夫人もキャロルを安心させるように声をかける。
「わたし、の部屋? ……わたし、私はだれ?」
「「 !! 」」
「それに……あなたたちはどなたですか? 」
「「キャロルッ!? 」」
「うううっ、あたま、が痛い…………」
「そ、そんな……!? 」
「まさか、記憶が……? 」
キャロルの言葉を聞いた男爵夫妻が呆然としたようにキャロルを見つめる。
「どうやらお嬢様は、記憶が混乱しているようですね。」
医者らしい青年が男爵夫妻の隣に来ると、そう言った。
「そんな! 記憶はすぐに戻りますよね!? 」
男爵夫人が医者らしい青年に縋るように尋ねる。
「残念ですが、それはなんとも……。
数時間で戻ることもあれば、数ヶ月かかることも。
徐々に思い出すこともあれば、突然すべて思い出すこともあるので……。
断言することはできないのです。」
「だが、いつかは戻るのだろう?」
「それも断言はできません。
人の記憶は、というか脳は繊細です。
ですからまずは安静にして、身体を心と脳をゆっくり休めることがいまは一番大事です。」
「そ、そうよね。
休めばきっとよくなるわ。
ね、あなた。そうでしょう? 」
「そうだな。まずはキャロルを休ませんとな……。
先生、折り入って話をしたいがよろしいかな? 」
「もちろんです。
ですが、お嬢様のお怪我の経過だけ確認させていただいても?
化膿などしていないとは思いますが……。」
「ああ、助かるよ。
では私たちは応接室で待ちますので。
ヘレン、先生の診察が終わったら応接室へ案内を頼む。」
「はい、旦那様。」
「キャロル……また明日会いましょうね。
ゆっくり休んで……。」
「そうだな。キャロル、また明日……。」
男爵夫妻は肩を落として部屋から出て行った。
男爵夫妻が部屋を出ていくと、医者らしき男はキャロルに声をかけた。
「お嬢様、失礼して怪我の具合を診させていただきます。
痛いところはありませんか? 」
「あるわけないわ。
怪我なんてしてないんだもの。」
キャロルが布団から顔を覗かせてニヤリと笑った。
「しっ。まだ近くに男爵夫妻がいるかもしれない。」
「そうね。ヘレン、あなたも近くに来て。」
「はい、お嬢さま。」
「ここまでは計画通りね。
このあとも上手くいけばいいんだけど。」
「大丈夫。なんとか邸に定期的の来れるように、うまくやるから。
キャロはしばらくゆっくりしてて。」
「それにしてもジョディ、どこから見ても医者に見えるわ!
髪を短くしちゃったのは残念だけど。」
「ふふっ、知り合いの本物の医者に、医者らしい仕草とか、話し方とか、服装とか聞いたからね。
その甲斐があったみたいだね。」
「うん。お父様たちも疑っていないみたいだし、大成功よ。
このあと、お父様たちと会うでしょう?
ヘレンはジョディを案内したら戻ってきて。
打ち合わせをしておきましょう。
ジョディもお父様たちとの話が終わったら、戻れたら戻ってきてね。」
「帰る前に様子を診ると言えば大丈夫さ。」
「そうね。
それじゃあ、計画通りすすむようにがんばってね! 」
「ん。じゃあ、ヘレン案内お願い。」
「はい。アーサー様。」
「ヘレン、ばっちりだわ! 」
「恐れ入ります。では、行ってまいります。」
「じゃね、キャロ。またあとで。」
「うん、待ってる。」
***
【ジョディ(ダニエル・アーサー)視点】
コンコンコン……
ノックをしたヘレンが、一拍おいて扉を開ける。
「お客様をお連れしました。」
室内には男爵夫妻以外はだれもいない。
「うむ、ヘレンは下がっていい。キャロルを頼む。
お医者様はどうぞおかけください。」
すすめられるまま、ソファに腰を下ろす。
ヘレンと入れ違いのように、別のメイドがお茶を持って来る。
メイドがお茶を配り終え部屋から出ていくと男爵が口を開いた。
「あらためて、今回はお世話になり、本当にありがとうございました。」
男爵がそう言うと、夫妻揃って頭を下げる。
この夫婦って、ほんと腰が低いよね。
「いえ。たまたま近くにいただけですから。
それにお嬢様の記憶のことは……お気の毒に思います。
できるだけ早く回復されるとよいですね。
私にできることがあればお手伝いさせていただくので、ぜひお声がけください。」
「では、早速ですがキャロルの専属医師になってもらえませんか? 」
僕は心の中で『よし! 』って叫んだ。
だけど、表情と声には疑問をにじませる。
「ありがたいお話ですが、男爵家には専属医がいらっしゃるでしょう? 」
「いるにはいるが……できるだけキャロルの記憶のことを知られたくないのですよ。
もし噂が広まったらキャロルが可哀そうなので……。」
男爵家の専属医は、先代からずっと仕えているおじいちゃん先生だ。
時代の波に取り残されて、医療知識も腕も本人同様に古びている。
しかも融通の利かない堅物らしい。
男爵は、このおじいちゃん先生にはそろそろ引退してもらいたいらしい。
「そうですの!
それに我が家の専属医はもう高齢でしてね。
そろそろ楽隠居させてやりたいと考えていますの。
ね、あなた? 」
「ああ! そう、そうなんでよ。
ですから、あなたさえよければ……ああまだ名前をうかがっていませんでしたな。」
「これは失礼いたしました。
あらためまして、ダニエル・アーサーと申します。」
ようやく名前を訊かれたよ。
せっかく用意した名前だ。利用しないとね。
「では、アーサー先生。
ぜひ、我が家の専属に。
それが無理ならキャロルの記憶が戻るまで診てもらえないでしょうか? 」
「「お願いします! 」」
また夫婦揃って頭を下げてる。
まあ、それはこちらも望むところだからね。
「どうか頭を上げてください。
わかりました。
専属医はむずかしいですが、お嬢様の診療はお手伝いさせていただきたいと思います。
1日でも早く記憶が戻るよう尽力します。」
「ありがとうございます! ぜひよろしくお願いします。」
男爵夫妻は嬉しそうだ。
ふふっ、僕も嬉しいんだよね。
これでキャロに毎日会えるから。
いよいよキャロの立てた計画がはじまる。
この1ヶ月間、考えに考えて立てた計画だ。
キャロの “記憶喪失のふり” の演技はなかなかだったと思う。
男爵夫妻はうまく騙されてくれた。
とりあえず、キャロの協力者として男爵邸に自由に出入りできるようになった。
協力者としてキャロのすぐ隣にいられるんだ。
存分に力を発揮しなくちゃ、男が廃るってものでしょう。
この『おとこがすたる』って言い回しは、キャロの前世の記憶の欠片なんだって。
キャロは昔から、よく理解できない言い回しをしていたけど、そういうことだったんだよね。
キャロの “アイデア” は本当に面白い。
聞いているとワクワクする。
今日キャロル自身が乗った『寝台付き馬車』も、キャロが前世で『救急車』と呼んでいたものが基になっている。
こういった “アイデア” をキャロはまだたくさん持っているそうだ。
この “アイデア” を男爵に渡さないことが、キャロが “記憶喪失のふり” をする目的のひとつだ。
もちろん最大の目的は男爵の断罪だ。
いまは断罪できる証拠を集めているところだから、証拠が揃うまで、約半年間この芝居をつづけることになる。
でもキャロの負担が少なくてすむようにしたいから、できるだけ早く決着をつけたいと僕は考えている。
そのあいだ僕は、キャロができるだけ気持ちよく安全に過ごせるよう尽力するよ。
だから神様。
どうかキャロの計画を成功させてください。
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