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帝國の書庫番  作者: 跳魚誘
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帝國の書庫番 丗五幕

永久の中に、花あり。花の側に、添う者あり。

 夜も更け、照らすのは行燈皿の灯りのみの部屋の中。全く同じ顔をした少女達は、二人揃って顔を上げる。しかし、二人の雰囲気はやはり異なっていた。向かって左に座している方は真っ直ぐに孝晴を目にしているが、向かって右の方は、やはり直ぐに目を逸らしてしまった。先に口を開いたのも、案の定、左の娘だった。

「どうぞ、此方においで下さいませ。襖は閉めていただいて、静かに……わたくし共の元に忍び込んだ者が居ると知れたら、大変ですから。」

 孝晴は無言で従い、彼女達の前に腰を下ろす。座す為の敷物なども用意されていないが、誰かを招いた痕跡を残さない為なのだろう。孝晴が座すのを待ち、左の娘が改めて謝罪を述べ、名を明かす。左の娘が「ちよ」、右の娘が「とわ」。名前自体は孝晴も知っていた。何度も新聞に取り上げられている有名人なのだから。

 そう考えた時、右の娘――「とわ」が、何処か申し訳無さそうに微笑んだ。


――存じていらしたのですね。有難うございます。


 ぐわん、と頭に声が響き、孝晴は顔を顰めた。「とわ」が慌てた様子を見せ、一拍遅れて「ちよ」が目を見開いて「とわ」を見た。

「申し訳ありません、孝晴様……『とわ』は、」


――いいの、わたくしがお話、します。


「……これは、お前さんの声なンだな、『とわ』。」

 先程より、大分痛みが減った。孝晴が頭を押さえつつ尋ねると、「とわ」は静かに頷く。


――本当に、申し訳ございません。わたくしの声を聞けるのは、今まで、「とわ」だけでしたの。


 孝晴の脳裏に疑問符が浮かんだのを、「とわ」は既に理解しているだろう。直ぐに声が届く。


――わたくしは、妹以外と言葉を交わせません。わたくしは、声を出せません。この能力(ちから)を持つゆえ、声を忘れてしまったのです。姉が(おし)では、商家の立場には障ります。故に、成り変わったのです。わたくしは「妹の『とわ』」と呼ばれますが、本当は、姉の「ちよ」。とわも、わたくしと頭の中で話す時は、わたくしを「ちよ姉様」と呼びますわ。


「……貴方様の前では、姉様に合わせましょう。成り代わっている事を知られない為、声を出す時は、呼ばないようにしていたのですけれど。」

 ちよ改めとわが、不安そうに言った。孝晴は頭から手を離すと、初めの疑問を口にする。

「お前さんらが成り代わってる理由は分かった。だが、何だって俺を呼び付けたンだ?それに、お前さんの力は『念話』に見える……『千里眼』だなんて言い出したのは、何の為なンだ?」

 それを聞くと、双子は顔を見合わせる。そして、ちよが眉を下げて悲しげな表情を浮かべた。


――先に、わたくしの声を聞けるのは「とわ」だけであると申し上げましたが、わたくしの能力は「念話」ではございません。わたくしには、()()()方の考えている事、見ているもの、全てが流れ込んでまいります。堰き止めなければ、生まれてからの記憶までも。全て、見えてしまいます。


 孝晴には「触れた」が物理的なものではない事が、感覚的に伝わって来た。頭の中で意思を以て特定の相手を意識すると、彼女の言う「触れる」という状態になるらしい。そう考えた時、ちよが顔を顰めて目を押さえた。とわが姉の肩を支え、心配そうに声を掛ける。

「姉様、」


――大丈夫、とわ。最後まで、お伝えしなければ。


 そう彼女は言うと息を吐く。一先ず孝晴も、増えた疑問を脇に置いた。


――わたくし共は、初めはこの能力を隠しておりました。とわは、わたくしを守る為に、姉に成り代わってくれました。周りの意思を上手く受け止める(すべ)……意図した部分以外を弾く術も身に付けましたので、周りが考えている事を察したように振る舞えば、学友も出来ました。わたくしどもが他者に能力を知られたのは、二年前の事です。わたくしどもは、問屋の娘ですから、店に品を卸してくださる方と知り合います。その中に、廻船の乗員さんが一人おりました。遠く北の海から訪れるかの方のお話は大変面白く、わたくしどもはその方の故郷を見てみたくなりました。()()()おけば、いつでもわたくし共は、かの方の視界から、見ている光景を共に視る事ができます。考えている事も、分かります。……そして、かの船の座礁に()()()()しまったのです。わたくしの中に、その記憶が逆流して来ました。強い感情や記憶は、わたくしの意思に関係なく、流れ込んで来る事があるのです。わたくしは飛び起きて、とわに記憶を見せました。とわだけは、わたくしの声や、わたくしが()()ものを、共有出来ます……とわは、父に急いでそれを伝えました。船の無事を確認して欲しいと。……果たして、船は沈んでおりました。そうして、父は思いました。娘は、話題の「千里眼」の能力を持っているのだと。


「成程なァ……。」


――わたくし共の父は、大変素晴らしい方です。母が亡くなった後も後妻は取らず、唖のわたくしを外に出す事もなく、とわと共に育ててくれました。ただ、商売に利を生みそうな物事に関しては、少々貪欲でして……。ただ、わたくし共も、「千里眼」として名が知られれば、他の異能の方ともお近づきになれるのではと考えたのです。


「何だってそんな事を。お前さん達の生活は滅茶苦茶になンじゃねェか。」

 孝晴は眉を寄せる。実際、新聞に載ってから、彼女達は研究者や記者に常に張り付かれ、何度も実験を繰り返し、毀誉褒貶に晒されている。ちよととわは、揃って穏やかな表情を浮かべた。


――そうですね、そんな事をしなくとも、偶然に、わたくしどもは出会えました。有坂孝晴様……貴方様と。


 そこでちよととわは、互いの手を重ねた。何故そうしたかは、孝晴には分からない。彼女達は指を絡め、そっと握ると、孝晴を真っ直ぐに見た。


――わたくし共は、同じように異能を持って生きている方を、探していました。他者にはない力を持つわたくし共は、此処に居て良いものなのか。ひとの中で、生きていてよいものなのか。人ならざる者が、ひとの振りをしているだけなのでは、ないか。そんな苦しみを、分かち合える方を。貴方様に()()()時、わたくしは目を回すかと思いました。貴方の思考は、時間は、……余りにも、()()()()


孝晴は目を見開いた。ちよは微笑む。


――今は、わたくし共に……いえ、「普通の人」に合わせて下さっておりますけれど、貴方様は、貴方様の居る世界は、時の流れが常人とは異なっている、わたくしはそう、感じました。そして、貴方様は、わたくしが触れた事に気付いた、初めての方でした。そして、わたくしの声を聞くことが出来るのも、とわ以外では、初めてです。貴方様は、……わたくし共が初めて出会った、同じ寂しさを分かち合える方、です。故に、居ても立ってもいられず……呼び付けるような真似をしてしまいました。


 そして、姉妹は揃って深く、頭を下げた。その時には孝晴も既に確信していた。この二人は――ちよは、本物だ。孝晴が自分から体質について話した相手は、麟太郎と理一、そして四辻鞠哉のみ。その三人とこの二人に、接点は存在しない。万一接点があったとして、態々孝晴の体について漏らすような男達ではない。だというのに、ちよは、孝晴を「速い」と表現したのだ。孝晴は考える振りをして額に手を当てたが、それは、眼の奥が熱くなったのを隠す為だった。

 ふと、頭を上げた姉妹のうち、とわが何処か複雑な表情を浮かべている事に気付く。孝晴は首を傾げた。

「どうした? おとわお嬢さんは、何か不服そうだが。」

「……。」

 僅かに眉を寄せるも、とわは無言だ。ちよが微笑みを浮かべる。


――大したことではありませんよ、孝晴様。ただ、少し……、


「姉様っ。」

 ちよが語っている時には黙って聞いていたとわが、小さく声を上げる。その声には多分に抗議の色が表れており、ちよは口元を手で隠すと声なく笑った。それを見たとわは、一つ息を吐いて口を尖らせる。

「……貴方に、姉様は渡しませんからね……。」

 その言葉を聞いた孝晴は目を丸くし、孝晴の脳内を読んでいるのであろうちよが、再び笑顔で身を震わせる。彼女に普通の声があったならば、笑い転げているのだろう。孝晴も同じく、笑みを浮かべる。

「お前さんの姉さんも、俺と同じで、ただ、仲間を見っけて嬉しいだけさ。それ以外にゃ何も無ェ。そもそも俺にゃ許嫁がいるからな、」

 そう言った瞬間、孝晴の姿がかき消えた。ちよが目を軽く押さえ、とわが驚きに目を丸くした。少しして、襖が外から開かれる。立っていたのは、姉妹の父だった。

「おちよ、おとわ。どうしたんだね、こんな時間に起きているとは珍しいじゃないか。それに、話し声が聞こえたように感じたがね。」

「つい先だって、学校で観劇を行いましたので、つい。とわと一緒に、場面の台詞を語っておりましたの。」

 直様、とわがそう言い訳する。常に他者の考えが流れ込まないよう脳内を制御しているちよよりも、とわの方が機転が効く。ちよは不安気な表情を浮かべたが、彼女はいつもそのような表情をしているため、父には違和感を持たれなかったようだ。

「そうかい、あまり遅くまで起きているのは良く無い。お前達の大切な体に障るからな。早く寝るんだぞ。」

 父はそう言って襖を閉めて行ったが、その時、ちよはとわの手を握った。

(ちよ、お前が俺の頭に触れたまンまだったら、目が回ったかも知れねェが、俺が居るのを見られるよりはマシだろう……まだ俺の頭と繋がってると思って言っとく。改めて、俺はお前さん達の話、聞いてみたくなった。けど、さっきも言ったが、俺にゃ許嫁がいるからな、お前さん達とこれ以上接する訳にゃいかねェ。……話す時は、ちよ、お前さんから声かけてくれ。大分、調()()も上手くなったしなァ。この短い間に、大したもんだ。そんじゃ、俺ァ帰る。またな。)

 孝晴が考えている事が、ちよを通してとわにも流れ込む。彼は既に自身の住む豪邸の前に立っているのが、視界から理解出来た。本当に、彼の速さは常人のそれでは無いのだと改めて感じた二人は、握った手を合わせると、互いの指をそっと絡めた。



 五弁花の蕾膨らむ三月。孝晴は既に仕事に復帰している。あまねは婚姻の為に高等女学校を中退していたが、学友の卒業は寿がねばならないと、時間を貰ってかつての学舎(まなびや)を訪れていた。つい最近まで通っていた校舎も、生徒が身に付けている洋式の制服も、何もかもが懐かしい。自分は今は着物を着ているが、背の高い自分には、この学校の制服のような洋装の方が似合うのではないかと思った事もある。そもそも、あまねは可愛らしいものが好きだ。小さなふわふわの犬や、繊細な細工物や、異人の着るひらひらとした服や、きらきらのびいどろ玉などに、いつも目を奪われてしまう。しかし、あまねは武家の女であり、当主を継ぐ弟に相応しい振る舞いが必要だった。贅沢品や無駄な嗜好品にうつつを抜かしている時間は無く、またそのような振る舞いはみっともないと思っていた。故に、制服として洋装のスカートを着て、焦茶の皮でできた丸い靴を履けるのは、あまねにとっては楽しみだったのだ。勿論、着物は旭暉人に相応しい装いであり、洋式にかぶれるばかりではならない事は分かっているのだが。

 そんな事を考えながら、校舎の中を歩く。祝事には取って置きの振袖を纏う旭暉人の女であるが、学舎の中では皆、制服で祝い合っている。あまねは物寂しさを感じつつも旧友に祝いを述べ、友人達からも結婚への祝いを述べられ、そうして帰路に着こうとした時。ふと、一人の生徒がこちらに向かって来るのを目に留めた。珍しく慌てた様子で走ってきたのは、あまねよりも一年下の生徒だったが、彼女が何者であるかは、あまねは当然知っていた。

「貴女は、勘解由小路家の。」

「ふぅ……はい、わたし、勘解由小路留子です、東郷、あまねさま。」

 少女は、息を弾ませながら名乗った。はしたない行為の筈なのに、その天真爛漫さゆえにみっともなくは見えず、寧ろ彼女の頬が紅潮したことで、より魅力的に見える。小柄で華奢な体も、きらきらと輝く大きな瞳も、風に遊ぶ柔らかな長い髪も、そして髪に刺された可愛らしい縮緬細工の飾り簪も、あまねには無いものだ。

「わたくしに何か御用ですか?」

 あまねは尋ねた。勘解由小路家の令嬢が、校舎内で走ってまで自分を捕まえようとした理由が、あまねには分からない。しかし息を落ち着けた勘解由小路留子が発したのは、意外過ぎる言葉だった。

「あの、わたし……わたし、あなたと、お友達になりたいんです。」


 そう言った留子の言葉を聞いたあまねは、分かりやすく怪訝そうな表情を浮かべた。当然だろうと留子も思う。勘解由小路家と東郷家は、貴族として、また政府に関わる家として付き合いはあるが、姻戚関係は無い。あくまで一貴族同士としての関わりしか無いのだから、友人になりたいという申し出は唐突に映るだろう。それでも、留子は今しかないと思い走り出したのだ。有坂孝晴の妻として迎えられる東郷あまねは、孝晴の秘密を知らないのだから、当然、自分がそうだったように、孝晴から拒絶を受ける筈なのだ。けれど、彼女には退路が無い。一度嫁いで終えば、添い遂げるのが女の務め。厳格な東郷家であればきっと、そう教えられて来ている筈。しかし、留子は可能性を見付けた。孝晴は、麟太郎や衣笠理一には自分から心を開いていた。故に、あまねにも――彼の友人達のように、彼女が孝晴の心を理解する事で、孝晴が彼女を受け入れられるようになれば――きっと心を開くだろう。その為には、孝晴がただの冷たい男では無いと知って貰わねばならない。それならば、自分にも手助けが出来るかも知れない。そう、留子は考えた。しかし問題は、何を口実に有坂家へ赴き、あまねに接触するかであった。怪我の見舞いという口実は、(誤魔化す為の虚言ではあるが)留子が怪我をさせたという理由があってこそ使えた。いくら留子が心配しようと、留子自身が有坂家を訪れる為の理由は、存在しなかったのだ。

 しかし、ちょうど、卒業式典で上級生を見送った後。偶然としか言いようが無いが、留子は彼女の姿を見付けた。そしてその時には、この機会を逃すまいと走り出してしまっていたのだ。

「あの……、」

「喫茶店! に! 行きませんか!? わたし、ミルクを入れた紅茶をいただきたいです!」

 留子は戸惑うあまねの手を取った。これはもう、勢いで押し通すしかない。あまねの表情からは戸惑いがありありと伝わってくるが、やがて彼女は息を吐いた。

「分かりました。少しだけならば、時間はありますから。」


 既に式典は終了していた事が幸いし、二人は直ぐに学校を出て繁華街へ向かった。学生達も多く訪れる喫茶店では、前掛けを着けた女給達が客と卓の間を動き回っている。二人は案内された座席に着き、飲み物を注文する。留子は先に言った通りのミルク入り紅茶。

「あまねさまは、どうなさいます?」

「わたくしは……お茶で結構です。」

「本当に?」

 思わず留子は尋ね返した。あまねの言葉の間は、その選択が本意では無いと言外に滲ませている。あまねが驚いて留子に目を向け、留子はそれに応えるようににっこりと笑った。

「遠慮なさらないで下さい、わたしがお誘いしたのですもの。お代はわたしがお支払いします。それに、誰も他の卓で何を頼むかなど気にしませんから、お好きなものを召し上がってください。」

あまねはぱちぱちと瞬きをしたが、やがて目を逸らし、頬を僅かに赤らめながら言った。

「で、では……檸檬の、紅茶を。砂糖を多めで……。」

 笑顔の留子と、軽い咳払いをして姿勢を正したあまねの前から注文を受けた女給が離れて行くと、留子はあまねに言った。

「本当に、突然お誘いしてしまって、申し訳ありまけんでした。けれど、わたしが貴女とお友達になりたいと思っていたのは、偽りの気持ちではありません。」

「何故です? 勘解由小路家と、東郷家には、特に特別な接点は無い筈ですが。」

 当然の問いに、留子は返す。

「貴女の事が、心配だったからです。」

 あまねは首を傾げた。当然だろう、これまで接点が殆ど無かった相手から、急にこんな事を言われては、誰でもそうなる。留子は理解していると伝えるように、頷いて言った。

「かつて有坂家の御長男は、わたしの父の秘書として働かれていました。その縁で、わたしは有坂家の御兄弟と、多少の関わりがあります。……有坂孝晴さまに嫁がれるあまねさんを心配していた理由は、それです。孝晴さまは、少々他人を寄せ付けないところがありますから。」

「そう、でしたか。」

 思い当たる所があったのか、あまねは僅かに目を細めた。やはり、と内心思いつつ、留子は安心させるように微笑みかける。

「あまねさんは、生真面目な方ですもの。きっと、悩まれている事もあるのではないかと。そうした事をお話して、心を和ませるお手伝いができたらと思っていたのです。」

 ちょうど運ばれて来た飲み物を受け取ると、留子はあまねに先に飲むように勧めた。あまねは躊躇いつつ、緊張でもしているように、砂糖を落として紅茶に溶かすと、その上に檸檬の薄切りを浮かべる。

「檸檬は、温暖な国で育つそうです。こんな寒い時期にこんなものをいただくのは、……贅沢ですね。」

「でも、美味しいことに変わりはありません。」

 留子は応えて、そして二人は其々の紅茶を口に運ぶ。あまねがほっと息を吐き、「そうですね」と言って小さく笑みを浮かべた。



 広大な敷地内に旭暉様の「離れ」と擬洋風の「母屋」が並ぶ有坂家。この「母屋」には、使用人どころか、この家の兄弟たちさえ、呼ばれた時以外近付かない部屋が存在する。当主の部屋として誂えられた執務室の中、其処に存在するのは洋式の衣服を纏った女性。本来当主が座すべきその椅子に座るのは、有坂三兄弟の母である有坂十技子である。彼女は当主の座を継いだ訳では無いが、実質の当主として振る舞い、有坂家の一切を取り仕切っている。

 その彼女が現在思考しているのは、三男である有坂孝晴の妻として見繕った、東郷あまねについてであった。彼女は嫁修行として同居させているが、家に迎えた時に彼女は「必ずや孝晴様を有坂家に相応しい男子(おのこ)とし、世継(よつぎ)を産んでみせます」と言ったのだ。彼女の性根が怠惰な孝晴を家から出す事に役立つと考えての人選であったが、早々に子を成すのであれば、話は別だ。女であっても男であっても使い道はある。

 そもそも十技子が孝晴を作ったのは、婚姻による姻戚関係を結ぶ駒として使える女児を求めたからだ。だが、三人目の子供は男児として生まれ、また上二人に較べて鈍かった。長男と二男で必要な役目には事足りてしまった為、成人しても上二人の代わり以外で使い道は無かったのだ。三男の連れている犬は情報収集等に役立つが、あれもどうやら独り立ちを覚えたらしい。ならば無駄飯食いとなる三男は放逐してしまうのが最も合理的だ。しかし、長男・孝雅はあれで彼女には従わない部分がある。別所で暮らすというのも、娘を此方に寄越さないのもそれだ。ならば、自分が居るうちに、聞き分けだけは良い三男に孫が出来るのならば、是非とも手に入れておきたい。しかし……。

 がばりと、背後から彼女に覆い被さった存在が、彼女の思考を遮った。彼女は眉を顰める事すら無く、言い放つ。

「妾に気安く触れるでない、督孝(よしたか)。」

 彼女の頸に腕を絡め、身を寄せるようにしたその男は、楽しげに口端を上げた。

「つれねェ事ォ言いなさんな、あたし()夫婦(めおと)の仲だろぃ? 母ちゃんよォ。」


「帝國の書庫番」

丗五幕「千歳蘭の花、綻ぶが如く」

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