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銀色の牙  作者:
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5. 相談

 昼休みになると、わたしは社員食堂にいって一番端の席に座り、月島が人魚をクローニングした際の詳細をまとめた資料を読み漁りながら昼食をとった。


 資料はさすがによくできていて、参考にした事例や、人魚のゲノムを移植された卵の観察経過など、ありとあらゆる情報が網羅されている。


「ねえ、聞いた?」

 少し離れたところに座っている事務の女性たちの声が聞こえてくる。声のする方に目を向けると、二人の女がオムライスをつつきながら話し込んでいた。


「何ですか?」

「研究課の月島さんの話。すごいことになってるわよ」


 長い髪を後ろで束ねた、いかにも噂話が好きそうな中年の女性社員が、もうひとりの若い女性社員に嬉々として最新のネタを披露する。


「ずっと休んでるって話ですか? そういえば、なんだか体調が悪そうでしたよね」

「わたし、聞いちゃったんだけど」

 中年女は満面の笑みを浮かべている。


「残業で遅くなった日に、月島さんが一方的に梅原部長に必死に頭を下げてたの。どうしたのかしらと思って仕事するふりをしてこっそり聞き耳を立ててたんだけどね……」

 中年女が注意深くまわりを見まわしたので、わたしは資料を読み込んで集中しているふりをした。


「お給料を前借りしたいっていったそうよ」

「どうしてそんなことする必要があるんですか?」

「ここだけの話だけど……月島さん、住宅ローンの返済が滞ってるんですって」


 若い女性社員はオムライスを咀嚼しながら中年女の言葉について思案しているようだった。


「でも、月島さんって専門職ですし、そんなにお給料が低そうなイメージはないですけど」


「やりたいことがあるとかで、ローンが残ってるのに自宅を増築したんですって。奥さんは必死に止めようとしたみたいだけど、いうことを聞かないんなら離婚だっていわれて諦めて出ていってしまったんですって。怖いわよねぇ」


 月島は、自宅を増築したことを梅原に話している?


 氷柱から落ちた水滴に触れたような、ぞっとした感覚が背筋に上ってくる。それ以上、女たちの話を聞いているのが怖くなって、わたしは早々に昼休憩を切り上げた。


 普段からあまり月島とかかわりのない女性社員たちがあそこまで話しているのだから、噂は広範囲に広がっていると思った方がいい。


 むしろ女たちはまだいい、問題は、梅原が今の話をどこまで知っているかだ。


 月島が自分から研究棟のことを梅原に話す可能性は低いが、絶対とは言い切れない。もし、梅原に自宅を増築した理由を威圧的に問われたら、口を滑らせるということだってあり得る。


 また、金が必要な理由を問われて、素直に自分で研究を行うための施設を作ったと話せば、梅原は何の研究のために作ったのかと聞き返すはずだ、そうなったら……。


 今となっては人魚の存在を危険にさらす可能性は、どんなに小さなものでも摘んでおきたかった。月島のためではない、自分のためだ。


 それに、住宅ローンの支払いが滞っているのなら、いずれ借入先の金融機関も返済を求めてやってくる。物件を競売にでもかけられたら、人魚はどうなる? 月島は昨日、そんなことは一言も話さなかった。


 いずれバレると分かっていながら黙っていたというのか? それとも、話すこともできないほど疲弊していたとでもいうのだろうか。


 わたしは焦った。


 とにかく一度、月島と会ってしっかり話さなければならない。人魚をあの場所で飼育しているのが、だんだん危険に思えてきた。


 あの美しい人魚の姿を思い浮かべると、わたしはいてもたってもいられなくなった。


 わたしが対策を考えなければ。




 午後、人魚の安否が気になって仕方ないわたしは、あえて自分から梅原に声をかけた。


「部長、ちょっとよろしいでしょうか?」

「どうした」


 梅原は自分の席で、誰よりも座り心地のよさそうな椅子に何をするでもなく深く埋もれている。わたしは休憩中に用意しておいた作戦を実行に移した。


「月島の件で相談なのですが」

 月島の名を出すと、梅原は横一文字の目をうっすら開けてわたしを見た。


「何だ」

「実は明日、月島が参加する予定だった打合せがありまして」

「何だと、聞いてないぞ」

「いえ、打ち合わせは、わたしが代わりに参加すればいいのです」


 わたしは梅原を刺激しないよう、慎重に言葉を選びながら話した。


「ただ、事前資料のファイルがどこを探してもありませんでして、おそらく月島が自宅へ持ち帰って、そのままなのではないかと……。それでもし、明日も彼がこなければ打ち合わせに差し支えますので、お時間をいただけるなら、今から彼の家にとりにいってもよろしいでしょうか?」


「なるほど」


 わたしの言葉に、意外にも梅原は感心しているようだった。


「いいだろう。よし、いってこい」

「ありがとうございます」


 梅原の了解を得ると、わたしは自分の席にもどってカバンに荷物をまとめる。白衣を脱いでロッカーに仕舞い込んで、ジャケットを着る。


「おい、待て」

「はい?」


 仕事場を出ようとしたわたしを、梅原が引きとめる。


「おれも少しあとに月島の自宅に向かう。いろいろ聞いているが、一応、どういう状況なのか把握しておく必要があるからな。もし月島の家族がいるなら、あとからおれもお伺いすることを伝えておいてくれ」


「分かりました」


 仕事場を出ると、わたしは悪態をつきながら天を仰いだ。

 あとで梅原が月島の家に? どうする? 頭がパニックになる寸前だった。


 わたしは歩きながら状況整理をはじめた。

 まず、月島が自宅にいる場合。


 この場合は、人魚の安否だけ確認させてもらって安心できたら、あとからくる梅原は居留守でも何でも使って絶対に家に上げないよう伝えて、明日の打合せ用の資料──そんなもの本当はないのだが──にふさわしそうなそれっぽい書面をもらい、何くわぬ顔で職場に戻ればいい。


 次に、月島が自宅にいない場合だ、理由は分からないが再科研にきてないのだからこの可能性の方が濃厚と考えるべきだろう。


 この場合は、まず昨日教えてもらったとおりにセキュリティを解除して自宅の中に入り、研究棟にいって人魚の無事を確認する。


 そのあとは、速やかに家の外に出て鍵をかけ、梅原がくるのを待つ。それしかない。


 エントランスを抜けて、再科研の外に出ると、わたしは昼の間に手配しておいた社用車に乗り込み、先日の記憶を頼りに急いで月島の自宅へ向かった。


丁寧な文章を心がけていますが、

誤字脱字などございましたらご了承ください。

※ご連絡いただければ訂正いたします!

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