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銀色の牙  作者:
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2. 人間はおれひとり

 話しているうちに、月島はわたしの些細な表情の変化に気づいたようだった。


「いま、ちょっと落胆したな? なんだ、そんなつまらない話か……って」

「い、いや、そんなことはないが」私は慌てて、喰い気味に答えた。


「いいんだ。ここまでならおれだってきみと同じように思うだろう。人魚のミイラなんて、日本でも各地で祀られていたりするしな」


 月島のいうとおりだった。日本にも人魚のミイラは複数存在するものの、科学的分析の結果そのほとんどがさまざまな動物のパーツを合成して造られた精巧な人工物であると判明している。


 江戸時代の日本では海外向けの美術工芸品として、河童や天狗を模した精巧なミイラを作っていたという逸話もあるくらいだ。


「おれも最初は日本由来のそうしたミイラが、めぐりめぐってここにたどり着いたんだと思った。だがヤノマミ族の若者は、この人魚のミイラは外部から入ってきたものではなく、自分の先祖が漁で捕まえて、代々伝えてきた正真正銘の本物だという」


「その若者の言葉をそのまま信じたのか?」


「いや、だが彼が見せてくれた人魚のミイラは、おれから見ても日本に現存するものに比べて明らかな相違点がいくつも見られたんだ」


 ぐっと背筋を伸ばすと、月島は落ち窪んだ目でわたしを見た。

 あまり眠れてないのだろうか? それとも、単にわたしが話を真面目に聞いているか確認しているだけだろうか。


「まず、この人魚は日本に現存するものに比べて、明らかに近年ミイラ化したものであるということ。次に全体の大きさを測ってみたんだが、この人魚のミイラは尾鰭まで含めると二メートル近くある。日本にも一・七メートルの人魚のミイラがあるが、これはおれのいう西洋の人魚とは大きくかけ離れていて、グロテスクな容貌からどちらかというと怪魚に近く、他に人魚らしいものでこの大きさのものは調べたが存在しない。そして何より、おれがその人魚のミイラに惹かれた一番の理由がその美しさだ。普通、ミイラといえば、水分がなくなってカラカラに渇いた死体を想像すると思うが、その人魚のミイラはまるで眠ったまま琥珀の中にいるような飴色をしていて、人魚の美しさが死なずに生きているんだ。息を呑むとはまさにこのことかと思ったよ」


 そこまで美しかったのなら、人魚のミイラの写真はないのだろうかと邪推したが、ヤノマミ族は用心深く秘密主義なことで有名らしく、見学の許可こそ降りたものの、村に入る前に携帯やカメラの類はガイドに没収されたことを思い出した。


「そこまでいうならミイラ自体はたしかに本物なのかもしれないが、人魚のものではないという可能性はどうだ?」


 同期が折り入って頼みがあるというのなら、できるだけ聞いてやりたいと思っていたが、今の時点でわたしは、まだどうしても月島の話をすんなり信じることができずにいた。


「遊び心のあるアーティストが作った近代芸術の可能性だってある。本物の動物の死体を使ったアートを、ネットで見たことがある」


「きみがそうくるのも想定済みだ」

 月島は議論を愉しむように、口角を上げて笑みを見せた。


「調べようにも端末がないから、そのときはたしかにそういった可能性も否定できなかった。だからおれは、あまりにも美しく見事なその人魚のミイラを、一部でいいから譲ってもらえないかと彼に頼み込んで交渉したんだ」


「それで?」


「聡明な若者だったみたいでな。おれの本業が科学者というのがしっかり伝わったかは分からない、もしかすると呪い師かなにかと勘違いされたかもしれんが、とにかくおれの持つ知識と技術を用いてその人魚を復活したいと伝えると、ふたつ返事で了承してくれたんだ」


「知識と技術だって?」

 わたしの背中にぞくりと寒気が走る。

「おい月島、お前まさか……」


「きみの察するとおりさ」月島は大きく頷いた。


「日本に帰国したおれは、再科研の研究スペースの一角でヤノマミ族の若者から入手した人魚と思われる生物を秘密裏にクローニングしていたんだ」


「なんだって」わたしは仰天した。クローニングとは文字どおり、新たなクローンを作製することである。月島は、再科研の自分の持ち回りの中で、人魚を復活させようとしていたのだ。


「人魚はミイラなんだろう? DNAを復元できるとは思えないが……」


「いったろう。もともとミイラの保存状態はとても良好だった、サンプルから抽出したDNAを解析装置にかけて、かなりの部分まで復元することができたよ。復元できなかった部分は安価で手に入る魚のDNAで補ったさ。補うだけなら、どの生物でも大差ないというのはきみもよく知っているだろう?」


 わたしは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 さっき珈琲を飲んだところなのに、もう喉がカラカラに乾いている。


「それで、人魚は再生できたのか?」

 いてもたってもいられなくなって、わたしは核心に迫った。


「この話を聞いてなお、おれの相談に興味があるか?」

 わたしは頷いた。


「なら、今夜おれの自宅にきてくれ。そこできみにすべてを見せよう」




 その日、わたしと月島は、定時で再生科学研究所を後にした。

 本来なら部長の梅原がそんなこと許すわけもないのだが、ちょうど会議で席を外していたようなので、その隙を見計らって行動することにした。嫌な上司の典型で、ネチネチした小言には、わたしや月島をはじめ、他の同僚たちもうんざりしている。


 わたしたちがあまりに早く帰ろうとするので、同僚が訝しげな視線をこちらによこしていたが、これも無視することにした。そんなことをいちいち気にしている場合ではない。もし月島の話が本当なのであれば、わたしは今夜、伝説上の生き物と逢えるかもしれないのだから。


 ガレージに停めてある月島の車に乗り込むと、すぐに移動を開始した。月島の自宅は再科研からそれほど離れていないらしく、車で十分もあれば到着できるといわれた。


 車中でも、わたしは人魚のことで月島を質問責めにしていた。


「鮭の卵にゲノムを移植して、胚の発生を確認した。そこからは鬼がでるか蛇がでるか……おれにも分からなかった。再科研でいきなり人魚の稚魚が生まれても困るから、そこからはおれの自宅に移して観察することにしたのさ。それが二年前のことだよ」


 山の麓までくると、ぽつぽつと住宅が目につくようになる。ほどなくして月島は特に大きな一軒家の前で車を停めた。


「ここだ。降りてくれ」

「大きな家だな」


 再科研で一緒に働くようになって十年、それなりに付き合いはあるつもりだったが、思えば月島の自宅を訪れるのはこれが初めてだった。


「昔は自宅の一室を個人用の研究室に充てていたんだが、スペースが足りなくて増築したんだ」「いいのか? こんな夜中に……」

「問題ない」


 腕時計に目をやると、時刻は二十二時を回ろうとしていた。


「きみは問題なくても、奥さんとかお子さんに迷惑じゃないか?」

「離婚したよ。ちょうど二年前に。だから今は、人間はおれひとりだよ」

「えっ」

 初耳だった。二年も前に離婚していたなんて。


 しかも、今、なんていった?

 人間はおれひとり? わたしの中に稲妻のような衝撃が走った。


丁寧な文章を心がけていますが、

誤字脱字などございましたらご了承ください。

※ご連絡いただければ訂正いたします!

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