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歪む道「古い停滞の森」

作者: lusus

 ここは森。巨大であるということ以外に特徴のない樹木で満ちた場所。彼らは決して動くことはなく、時折流れる風に身を任せるままだ。夜になっても動くことのない植物に、異常性以外の何を感じるのだろう。見上げる空は数多の枝と葉で覆われ、天井のようになっている。僅かに覗く太陽の表情を窺い知る事もない。

 ミネは血を拭い、ふらりと立ち上がった。腕につけた黒い刃は既に体へ吸収され、傷の修復に割り当てられていた。怪我は治っていたが、ここが何処かは分からない。……古い停滞の森であるのは分かる。どうすれば戻れるのかが分からない。

 茶色の地面から生える大木のような新芽には瑞々しい葉が3枚携えられており、黄色の果実がなっている。その先には距離感の狂った樹が一本生えていた。ミネは輪郭すら捉えられない樹の幹の前まで来て撫でる。焦げ茶色でざらざらとした感触をしている。視線を上に向けても、視界の殆どを覆いつくす幹は、葉で埋まり緑色となった空を貫くように伸びていた。その頂上は見えない。

 登ろうと決心した矢先、ミネは周囲を見渡した。今の今まで、生命の息遣いが一つも聞こえなかったからだ。長い耳に届くのは風の吹き抜ける音ばかり。そして目に映るのは、巨大な樹木4本。どの方向を見ても、大きすぎる幹で全景が遮られている。異質な雰囲気を感じながら、ミネは長い耳と手足を駆使して樹を登り始めた。

 休憩所のように生える枝を目指していたが、それも想像より遠く巨大だった。手を伸ばし、耳を突き立て、気付けば太陽は地平線に沈み、月は我が物顔で闊歩していた。葉で隠れていた空は満点の星空を映し出し、七つ口の月は星々を貪っている。ミネはまだ目の前の枝に辿り着いていない。

 夜の森はただ暗く、それだけだ。灯りを放つ植物も、地中から躍り出る動物も見当たらない。ミネの息遣いは雑音のように頭に轟きイラつかせる。


 昼と夜が四度入れ替わり、ミネは目的地としていた枝に辿り着く。葉で作られた空はなお遠く、そこへ行くまでには倍以上の時間がかかるだろう。そこはどうでもいいが、登っている最中は自由に動けないことをミネは危惧していた。

 何かヤバいものがいるという噂を耳にしたことがある。すっかり姿を見なくなった巨大生物はもともとここから逃げてきたという。巨大生物は取るに足らない肉塊だが、警戒するに越したことはない。

 巨大な葉に横たわり、暫くして思いついたようにシャツをめくり、腹を耳で貫く。その中から一週間前に食べた肉塊を取り出す。粘液に覆われたそれはまだ腐っていない。防衛のために分泌したものだろう。指でほぐしながら、繊維の一本一本を腕や足に埋め込んでいく。皮膚は繊維を喰らおうと裂かれ、肉が牙を剥く。そして神経が縛り付けた。

 数秒して身に力が湧くのを感じ、腕を振るう。ミネは静かに笑い、幹に向かって走り出した。一歩一歩の蹴る力は強く、スキップするように舞う。高らかに飛び跳ねたと思えば樹皮に耳を突き立て、右耳、左耳と歩くように自身の体を投げ上げていく。

 この動きは体に筋線維を添付したからできた、というのは正しくない。何も無くともこれくらいはにできる。ただ彼は、見ず知らずの場所で無為に疲れるのを嫌い、あらゆる負荷を添付物に押し付けているだけだ。

「千切れる」

 暫くするとミネは呟き、力んだ耳からぷつんと音がする。添付した筋線維がもう壊れたらしい。神経に響く痛みをあしらって、腕を幹へ突き立てる。次は両腕で駆け上がっていく。しばらく酷使しているとぷつんと壊れ、緑色の空に手が届く直前で両足の添加物も力尽きた。

 ミネは幹に張り付いた状態で小さく息をつき、神経を研ぎ澄ませる。七つ目の太陽の微笑みは薄っすらと通り抜け、深緑の葉を淡く輝かせていた。樹の幹は時折揺れる。風ではなく、質量によるものだ。

 眉を潜めて、緑色の空に腕を伸ばす。一枚一枚の分厚く巨大な葉を押しのけ、その体は空に埋もれる。さらに上へ上へ、数分もがき続けると緑色の空は消え去る。数段眩しい微笑みは、だが未だに直接的ではなかった。さらなる上空に、薄緑色の空。目を凝らせば、同じように数多の葉で覆われていることが分かる。

 今まであった緑色の空は足元に下り、葉の大地と認識が移り変わる。再びあたりを見渡すと、地上にいたときと比べて幾分か細くなった大樹が最大で8本見えた。同時にミネは、奇妙な物体を捉える。耳をくるりとねじり、瞳を見開いた。

 それは物体は細長い鈍色の胴体を持ち、黒い細線が何本も生えている。狂った距離感を補正すれば、それが極めて巨大であることが予想できる。躍動感の無い動きで樹々の間を飛び交い、棒は接近してきている。

「――」

 足元に影ができたのを感じ、ミネは首を上に向ける。奇妙な物体がまたしても、今度は浮いていた。白色の円盤に薄い板が何重と突き刺さり、そしてゆっくりと回転している。一切の音もなく、円盤は棒に向かって移動していた。

 ミネの想像力を踏み潰す光景における唯一の幸運は、両者ともが小さな存在に気付いていない点だろう。ただ傍観者という立場にいられることに、ミネは知らず知らずの内に安堵していた。あれは敵ではない。敵になれるような存在ではないと本能が告げる。

 棒は高速で跳躍しながら円盤にとびかかり、複数の細線で円盤を切断せんとする。円盤は板を震わせ、回転させ始めた。しかし細線は頑なに円盤だけを掴み、板を頑なに無視し透過させていた。それは強まり、深く亀裂を作り上げていく。

 円盤はカタカタと唸り、板がバラバラに飛び始める。と思えば、棒の表面が赤熱し細線がぽろぽろと溶け落ちていく。破断面からは赤黒い液がこぼれ、歪な音と共に棒といくつかの板を巻き込み変形していく。板が甲高い金属音を上げながら消失すると、樹の表面がパキパキと音を上げて赤熱する。赤熱する部分は樹の幹に沿って下り、やがて緑の大地を溶発させながらミネの傍を通り抜けるコースを描いていた。

 棒は元の形状を思い起こせぬほどに折れ曲がり、委縮して落下し始めている。ミネは目の前の意味不明な光景を僅かに理解した。棒はもう倒された。そしてあの赤熱……見えず、聞こえぬ何かは、明らかに高熱を帯び、火傷をする間を与えるより先に全てを蒸発させるものだろう。

 掠るのではダメだ、完全な回避なくして生存はあり得ない。ミネは全力で走り出していたが、同時に悍ましい恐怖を感じた。円盤が直下の小さき物体を認識した、と。円盤を見てはいないし、円盤に目があるとも到底思えないが、耳の毛はおろか、皮膚までが逆立つ。悪い予感は……溶発の軌跡が、こちらを捉える……確信に変わった。

 一つの結論を見出していたミネは、それを拒むようにあらゆる可能性を模索し、ただ一つの結末に改めて達していた。その時、ミネの上に鎮座していた円盤が大きく揺れる。無音で灰色の煙を吐き、そこから炭化した物体が投げ出された。円盤は緩やかに傾きながら高度を落とし、炭化したものはミネ目掛けて落下してきた。死の軌跡は大きく逸れ、それでもミネに強烈な熱風を吹きかけた。

 長い紐のような耳は千切れそうになり、皮膚は溶けそうになりつつ、ミネは何故か生きていることを当然だと捉え、小さく笑った。そして炭化したものが頭にぶつかり、二人は緑の大地を貫き落下した。

「――がふっ」

 頭を押さえるミネの目の前で、炭化した物体から白い両手が芽生え、淵を掴む。殻を脱ぎ捨てるようにその全身を露わにした。

「痛い……ん、誰だ」

「ごぎごごごぐぶ」

 ちらりと下を見やりながらミネは尋ね、ソレは意味不明な音を発した。遮るものはないが地面は霞んでい見える。つまり、途中で掴まれそうな物は何一つない。

「分からんな、落ちたらまずい」

「おちなばひあきくぁろま?」

 ワケが分からない。風切り音でうまく聞き取れないだけだろうか。耳を丸め、とりあえず距離を詰める。見た感じ手玉に取れそうな奴だ、恐るるに足らず。ミネはそう思い、体をバタバタさせながら接近して肩を掴み、ぐいと引き寄せる。

「かぷっ」

「ぎゃむっ」

 ソレは突然口から歯車を吐き出し、ミネの額にぶち当たった。態勢を崩し、くるくると回り始める。丸めた耳もほどけてソレと一緒に絡まった。視界は自由に蠢き、重力がどこを向いてるのかも分からない。

 ミネはゆっくりと息を吐き、丁寧に耳を解いていく。ここで慌てても意味はない。大地は未だに遠く、おぼろげ……いやちょっとくっきり見え始めている。急ごう。

 心の奥底に焦りをしまい込み、耳を紐解き態勢を立て直した。ソレは未だにくるくるしてるが、もう大地は目の前にあった。この速度で落下すればただでは済まないだろう。そう思ったミネは足を白いソレの上に起き、思いっきり蹴とばした。

 ソレは地面に直撃するとプチっと潰れ、赤いのか黒いのか分からない液体を撒き散らし、速度を軽減したミネは骨が折れるのを感じながら受け身を取り、着地の衝撃を抑え込んだ。

「死にそう」

 ころりと転がったミネは、しかし帰り道は分からないままであることに気付く。結局彼は木登りをして落ちただけなのだ。寝そべったまま落胆するミネの脇では潰れた物体が大地に染み込み、植物たちの糧になろうとしている。

 その時、粘液のスープから白い両手が生え、淵を掴み、はまった穴から抜け出すようにその全身を露わにした。落下してる間に見た姿と同じ。

「え?」

「こぽふきうむ」

「……帰り道、わかるかい」

 頭が真っ白になったミネはそう呟いていた。するとソレは一本の髪の毛を何度も引っ張る。それに合わせてどるん、どるんと鳴り、一際強く引っ張ると、どるるる……とエンジン音が響いた。

「なままえななななま名前は、ゴア、あぁがぐぎ?」

 呆気にとられつつソレ……ゴアをまじまじとミネは見つめる。牛のような耳を持つ白髪の子。頭はガタガタと唸り、右耳から生える何本もの排気筒は振動しつつ黒煙を吐き出す。右耳からはパイプが伸び、その先には水槽とバルブが付いている。水槽には魚のおまけつき。左目からは水、右目からは黒く濁った水が流れ、口からも水と濁り水が垂れている。

「え? あ? ゴア? 帰り道は」

「わくりもつてる、こっちにこぐるよと」

 ゴアは口から液体を吐きながら言い、ぺたぺたと歩き出した。その頭から金属の針が伸び、その先端が皿のように展開する。ミネは動揺を隠すこともできず、ただその後をついていった。


「……帰れた、うそー」

「うそー? かぎぁぐ」

 ミネは口に手を当て、何とも言えない表情をした。

 ゴアは首をひねり、魚がしめ縄状に捩じ切れた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 発想は良いと思う。 [気になる点] 棒と円板が結局何だったのか気になって眠れない。 [一言] 夏休みが欲しいですね。
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