女性について
「えっと…。まずお名前を聞いてもよいだろうか?」
馬車の運転をロヴェルに交代して、幌に移動してきたキウラがおそるおそる女性に尋ねる。「あ!ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、マリアと申します。」
栗色の髪の女性、マリアがぺこりと頭を下げる。アリアネス達もそれに合わせてそれぞれ自己紹介をした。
「それで…あの…詳しいお話をお聞きしてもよろしいのかしら?」
アリアネスもキウラと同じく恐る恐る尋ねる。
「えぇ、かまいません。わたくし、実はマゴテリアに男性と結婚していたのですけど。彼は何も言わずに国に帰ってしまったのです。唯一の置手紙には『国に婚約者がいるので君との結婚はなかったことにしてほしい』とありました。」
「なんという男だ!」
キウラが怒りに満ちた顔で怒鳴る。
「もしかして、あなたはその男性に制裁を加えに行かれるのかしら?」
アリアネスが笑顔で尋ねるが、セレーナが横で「お嬢様、目が笑っておりません」とフォローを入れる。
するとマリアは「とんでもない」と言って笑った。
「結婚をなかったことにするといっても書類上は夫婦となっております。それだと彼が結婚する時などに迷惑がかかるかと思って。籍を抜いてもらうためにお伺いさせていただくんです。」
「…。」
マリアの言葉にアリアネスが黙り込む。
「あなたの夫のためを思ってなのですか?あなたは随分ひどいことをされていると思いますが。」
主人の思いをセレーナが代弁するが、マリアは苦笑して首を横に振る。
「あの方は何の取り柄もない私に『愛してる』と言ってとても優しくしてくれたんです。それだけで私は幸せなんです。むしろ婚約者がいたのに私と結婚させてしまって申し訳ないくらいです。」
「そうですか。…そんなに素敵な方なのですか?」
アリアネスが聞くと、マリアは「ええ!」といって目を輝かせる。
「とっても精悍で!頭も良くて!優しくて!もう自慢の夫でした!どんな男性よりも素敵な方だったんです。」
思い出しているのか、マリアがほぉと熱い溜息をつく。
「しかし、オルドネアの人間がマゴテリアに行くのは少々危険かもしれません。今回は村に返られた方が…。」
「いえ!ぜひ王都に行きましょう!」
キウラが王都行きをやめさせようと声をかけるが、アリアネスがそれを遮った。
「わたくしが責任を持ってマリアさんを王都に送り届けますわ!」
「ちょ!アリアネス!」
焦ったキウラがアリアネスを隅に連れて行く。
「何を勝手なことを言っている!私たちの任務を忘れたのか!」
「忘れておりませんわ。妖精の加護を受けた人物をぶっ飛ばす、ゴホン!倒せばよいのですよね?」
「そうだ!それにオルドネアとマゴテリアは緊張状態になっている!そんな危険な所に一般人を連れて行く訳にはいかない!」
「分かっております。ですからマリアさんはわたくしがお守りします。」
「どうして、そんな!」
「だって、キウラは腹が立ちませんの?マリアさんの話だけ聞けば男性の風上にも置けないような方みたいですし、マリアさんもただサインをもらいに行くだけのようですし。」
「それは…まぁ。」
キウラが言いよどむ。
「そんな男性をほおっておけますか?わたくし、マリアさんとその男性にお会いして、どんな方か見極めますわ。」
「…それで。」
「大した人間でなければ、マリアさんがいなくなった後に教育的指導をさせていただこうかと。もちろん任務が終わった後にですわ」
アリアネスが笑顔で言うと、キウラがあきらめたように脱力する。
「どうせ止めても無駄なんだろう。わかった。だがマリアさんの問題に手をかけるのは任務終了してからだ。わかったな。」
「もちろんですわ。」
キウラに約束した後、二人でマリアの所まで戻る。
「あ、あの…私何か気に障ることを言ったでしょうか?」
マリアが不安げにアリアネスとキウラの顔を覗き込んでくる。
「いえ、何も問題ありませんわ。先ほども言いましたがわたくしたちがマリアさんを安全に王都まで送り届けますので、心配ご無用です。」
「ほ、本当ですか?」
マリアが身を乗り出す。
「えぇ、もちろんです。王都までの旅を一緒に楽しみましょう。」
「は、はい!ありがとうございます!」
マリアが何度も頭を下げるのをアリアネスは優しいまなざしで見つめていた。
「あ!街が見えてきましたよ!」
馬車を操っていたロヴェルが声を上げる。
「あら、本当だわ。」
アリアネスが馬車から顔を出すと、大きな教会が目印のスインドーラがすぐ近くまで迫っていた。
「ふぅ。やっと最初の街に到着できましたわ。」
「どっかの誰かさんのせいで大幅に遅れてしまいましたが。」
街の宿を取り、部屋に入ったアリアネスが椅子に座って一息つく。セレーナはアリアネスのカバンから衣服を取り出しながら返事をする。
「そんなに邪見にしなくてもいいんじゃないかしら?セレーナはロヴェルのこと、嫌いなわけではないんでしょう?」
「…好きではありません。」
「意地を張らないの。あなた、妖精が好きなんでしょう?」
「…好きではありません。」
むっつりと不機嫌そうに答えるセレーナを見て、アリアネスはふふっと笑みをこぼす。
「セレーナのそんな顔初めて見るわ。」
「からかうのはやめてください、お嬢様。お嬢様はラシード様のことが恋しくて仕方ないのではありませんか?あんなに威勢よく国を出て行ったのにすでにホームシックだなんておっしゃいませんよね?」
「そんなことないわ!」
「その割には顔が赤くなっておりますが?」
「黙りなさい!」
アリアネスは言われたように顔が赤くなってしまった。
(任務を終えればまたすぐに会えるようになるのだから…。)
ラシードの端正な顔や優しさをたたえた瞳、たくましい腕や自分の頭を優しく撫でてくれる大きな手を思い出してしまう。さらに顔がが赤くなりそうなので、頭を振って思考を霧散させた。
「…気になるのは山賊の頭領と言っていた男ですね。」
顔を引き締めたセレーナが問いかけてくる。
「えぇ、そうね。あの男、いったい何者なのかしら。」
身のこなしは貴族と全く遜色ない。見た目も美しく、何より「マゴテリアの王女にしてあげる」といった発言だ。
「ただの山賊にしては、見た目も身のこなしも洗練されすぎてる。まるで…どこかの貴族のようだったわね。」
「そうですね…。しかし、地位のある人間が山賊にまで身を落とすでしょうか?」
「そうなのよね…。ただの頭のおかしい男性なら問題ないのだけれど。」
「今は考えても仕方ありません。これまでの疲れを癒すためにも早めにお休みになったほうがよいかと。」
「そうね…。」
(場所的に考えても、オルドネアとの国境付近を根城にしているみたいだったわ。これから王都に向かえば会うこともないでしょう。)
「考えても無駄ね。任務のことだけ考えるわ。」
「それが良いですね。」
アリアネスはザガルードのことを忘れ、リラックスしながらセレーナが入れてくれたお茶を飲み始めた。




