嵐③
「ごめんなさいは?」
「うっ…うるさい…。」
「さぁ、わたくしの後に繰り返して。申し訳ありませんって。」
「ひぃぃぃ!」
気づけば大分教育的指導をしていたみたいで、マリアガーテはぼろぼろになって床に倒れこんでしまった。
「あなた根性が足りないわね。騎士団の団員たちはこんなものではなかったわよ。」
さぁ、まだまだいくわよ!と気合を入れなおしていると、「もうやめてやれ」という声が聞こえる。後ろを振り返るとキウラがよろよろと立ち上がっていた。
「キウラ小隊長!大丈夫なの?」
「…特に問題はないはずなんだが、心を操られていたからか疲労感が激しい。」
ぐらりと倒れかけるキウラの体をアリアネスが駆け寄って支える。
「…触るな。」
「でも触らないと倒れてしまいますわ。」
「くそっ!お前は私を憎んでいるだろう!あんなことまで言われて!結局私も男におぼれた女に過ぎないんだ!」
キウラが絶叫して暴れる。
「…うるさいですわ!」
「っ!」
アリアネスは容赦なくキウラの頬をひっぱたいた。
「何をヒステリーを出してますの!あの妖精にも言ったように好きな男性のために努力することの何がいけないの!」
キウラはたたかれた頬に手をあて、呆けている。
「あなたが嫉妬から私にひどいことを言ったことは分かりました。それを自覚していうのであれば、ヒステリーを出すのではなく、反省するのが筋ではなくって?自暴自棄になる前に自分の非を認めて謝罪なさい!」
アリアネスの言葉を聞いていたキウラの目に涙が浮かび、とうとうその頬を伝う。
「っ!くそ!すまない。悪かった。私が悪かったんだ!」
ぼろぼろとキウラが涙を流し頭を下げる。
「本当は分かっていた。お前が優秀な人材であることを。でも認めたくなかったんだ。認めてしまえば、今の地位をお前にとられてしまう気がしたからだ。あの人の隣を奪われるのではないかと怖かった。」
「わたくしはラシード様にしか興味ありません。アルフォンソ殿なんてかなりオジサマだと思いますが…。」
「なんだと!アルフォンソ様のほうがダンディで強くてかっこいい!」
「あら、心外だわ!ラシード様は若くてアルフォンソ殿より強いわ!」
「なんだと!」
やいやい言い合っているうちにマリアガーテがゆっくりと体を起こす。
(今のうちに一時撤退よ。)
光の姿になり逃げようとする。
「「どこに行く(の)!!」」
「ぎゃあ!」
言い合いをしていたはずのアリアネスとキウラがそのこぶしを光にたたきこむ。攻撃をもろに受けたマリアガーテは実態に戻り、とうとう意識を飛ばしてしまった。
意識をなくしたマリアガーテをロープでぐるぐる巻きにしたアリアネスはキウラにこれまでの事情を説明した。
「妖精など…にわかには信じられんな。」
「…わたくしも信じられなかったけれど、マリアガーテやファニア様を見ていると信じざるを得ないわ。」
「ファニア様に横恋慕した元妖精王か。まさかそんな恋愛沙汰で国家間の戦争が起きようとしているとは。」
情けない話だとキウラが溜息をつく。
「そうね…。でも妖精たちの諍いを解決しないと私たち人間にも被害が及ぶわ。」
「そうだな。マリアガーテは元妖精王の配下だと言っていたな。バライカとやらはマゴテリアにいるのか。」
「おそらくそうよ。バライカに加護を受けた人間がいるらしからその人間を見つけ出すのが最優先みたい。」
「…オルドネアではマゴテリアの情報はなかなか手に入らない。」
「それが問題なのよね。」
そもそもマゴテリアは鎖国的な政治体制で、なかなか他国に情報を漏らさないことで有名だ。そんな状況で加護を受けた人間を見つけ出すのは至難の業だ。
「せめてマゴテリアには入れれば。」
「そんなことしなくても僕から来てあげたよ。」
突然、倉庫内にずんと重い空気が立ち込める。突然、アリアネスとキウラの前に真っ黒な髪を持つ男の子が現れたのだ。しかも宙に浮いている。
「やぁ、アリアネス、キウラ。僕が君たちが待ち望んだバライカだよ。」
にっこりと男の子が笑う。その顔は何も知らない無邪気な子供の顔に見えるが、発するプレッシャーは尋常ではなく、アリアネスもキウラはぴくりとも動くことができずにいる。
「あはは、二人とも固まっちゃって可愛いな。特にアリアネス。僕は君に少し興味が出てきたんだ。人間にしてはとても高潔な魂を持っているね。…どうだい、僕と一緒に来ないかい?」
「え?」
冷や汗を流しているアリアネスは自分の耳に届いたありえない言葉を聞き返した。
「マゴテリアにおいでよ。なんでもしてあげるよ。ラシードなんかよりずっと幸せにしてあげる。」
ねぇ?とバライカがアリアネスの手をとる。
(いっ、意識が…!)
アリアネスはどんどん自分の意識が遠くなっていくのを感じた。なんとか自意識を保とうとするも、バライカの真っ黒な瞳を見てしまうと何も考えられなくなってしまう。
「アリアネス!」
アリアネスの異常に気付いたキウラが大声を上げるが、「うるさい。」とバライカに言われた瞬間、その場に崩れ落ちてしまった。
「さぁ、アリアネス。行こうか。」
身体が勝手に動き、こくりとうなづいてしまう。
「いい子だ…。」
(行きたくない!行きたくないのよ!)
思い出すのは大好きな人の顔。
(ラシード様!!)
「こら、どこに行くんだ子猫ちゃん。」
優しい体温に体が包まれ、思わず涙をこぼしてしまう。誰かなど声を聞くだけで分かる。
「ら、しーど様…。」
ぼんやりとした顔でラシードを見上げると心配そうに頬にかかった髪を払いのけてくれる。
「精神侵略が進んでるな…。よく頑張った。」
ラシードがおでこに優しくキスをしてくれ、体のこわばりが解ける。一緒に来ていたのか、床に倒れこんだキウラにアルフォンソが駆け寄っているのが見える。
「やぁ、ラシード。随分遅かったじゃないか。」
ラシードの剣で切られそうになり、一瞬で飛びのいたバライカは不敵に笑った。
「…久しぶりだな、バライカ。」
「あぁ、久しぶりだよラシード。お前の顔なんて二度と見たくなかったけどね。ファニアは来てないのかい?」
「お前の顔なんか二度と見たくないってさ。」
「彼女も素直じゃないね。本当は僕のもとに帰ってきたいのを知ってるよ。」
「何百年も生きてるとやっぱり耄碌してくるみたいだな。」
「ふふ、今日は引いてあげるよ。でも今日だけだ。いいかい、ラシード。マゴテリアの準備は完了した。せいぜい死ぬ前のお祈りを終わらせておけ。」
バライカの体がいっきに青年へと成長する。
「じゃあねアリアネス。君が望むなら僕はいつでも迎えにくるよ。ラシード、ファニアによろしくね。」
にっこりと笑う青年の姿は一瞬で掻き消えた。




