妖精の隠れ家
「…アリアネス、あなた顔が真っ赤だけど大丈夫なの?」
「っええ!大丈夫!大丈夫よ!何の問題もないわ。」
階段を下りながら聞いてくるトレスに、アリアネスはあわてて返事をする。
「それにしても、用事が出来たからやっぱり帰るって、なんなのあの筋肉馬鹿は!」
トレスが憤慨する。
「本当にいったい何しにきたのかしら!散々引っ掻き回して帰るだなんて!」
(本当に何しに来られたのかしら…。)
トレスの怒声を聞きながらアリアネスも考える。ファニアから頼まれたという話だが、結局、ラシードは何の手伝いもせずに帰ってしまった。
(…まさかわたくしに会いに…。)
先ほどのことを考えるとそんな考えも頭をよぎるが、そもそも婚約破棄はあちらから言い出したこと。
(訳が分からないわ…。ラシード様はいったい何をなされるおつもりなのかしら?)
「ちょっと、アリアネス!しっかりしてちょうだい!ここからが正念場よ!」
気づけば階段の一番下まで来ていたようだ。セレーナとリフォールグも待っている。
「ごめんなさい。」
アリアネスも急いで近寄る。階段の一番下には古ぼけた木製のドアがあった。その横にはぼんやりとした光を灯すランタンと呼び鈴があった。
「行くわよ。」
トレスが呼び鈴を鳴らすと「リーーーン」と澄んだ音がした。しばらく待っていると、ドアの向こう側から足音がし、ドアの前で止まった。
「誰だい?」
「トレス・シャンドルンよ。マダムに聞きたいことがあって来たの。」
「…マダムにねぇ。ほかのお友達も連れてるみたいだけど?」
「そうよ、私の友人のアリアネスがマダムに聞きたいことがあるの。」
「ほぉ、アリアネスとやら。何か言うことはあるか?」
「…アリアネス、さっき教えたでしょ?」
トレスがそっと耳打ちしてくる。
「あっ、…ミストレイアに栄光あれ。」
アリアネスはさきほどトレスに教えられたことを口に出す。意味も教えられず、「何か言いたいことはと聞かれたらそう言いなさい」と言われたのだ。
「…いいだろう、入りな。ようこそ、妖精の隠れ家へ。」
アリアネスの言葉を聞き、納得したか、古ぼけたドアがぎぃと開かれる。ドアの向こう側にいたのは、背の曲がった銀髪の老婆だった。
「よく来たね、アリアネス・バレンターレ。あんたが来るのを待ってたよ。」
こっちに座りなと促される。店の中にはほかの客はいなかった。薄暗く、ところどころがランタンで照らされている。しかし、見たところ調度品は全て一流品だ。繊細な金細工が施された机に手触りの良いビロードの生地が使われたソファ。カウンターの使われている木も美しい光沢を放っている。
「わたくしを待っていたの?」
「あぁ。そうだよ。妖精の加護を吹聴している奴らについて聞きたいんだろう?」
「なんでそれを…。」
セレーナが驚きながら尋ねると「あたり前だろう」と老婆が答える。
「妖精はあんたら人間なんかよりもずっとうわさ好きさ。どんな情報でもあっという間に知れ渡っちまう。」
「妖精って…。まさかご自身が妖精などとおっしゃるつもりですか?」
「…あんたは妖精の存在を信じていないようだね。」
セレーナが若干馬鹿にしたように言うと、老婆がじろりとにらむ。
「いいかい、人間。あんたらが見ているものだけが世界じゃない。世界はあんたらの力が及ばない大きな何かによって動かされてるんだ。自分たちが世界を回しているという愚かな考えは即刻やめることだね。」
「…そうはいっても妖精だという証拠はないのでしょう?証拠もないのに、信じることなどできません。しかも、われわれが妖精の加護を吹聴している人物を探していることを知っている…。敵の罠かもしれません。」
「ちょっと、セレーナ!マダムに失礼なことを!」
トレスが慌ててセレーナを止めようとするが、突然老婆、マダムがかっかっと愉快そうに笑いだし、その動きを止めた。
「…あんたは随分と用心深いね。でも誰よりも妖精を見てみたいと思ってる。そうだろ?」
「っちが!!」
「違わないね。妖精の前で嘘を付こうなんて無駄さ。あたしたちの方がよっぽど嘘がうまい。容姿にだって嘘をつけちまうんだからね。」
「「「「え!!!」」」」
アリアネスら4人が驚愕の声を上げる。目の前にいる老婆が、突然白銀の髪を持つ女性に変わったからだ。
「ようこそ、かわいらしい人間たちよ。いたずら妖精のミストレイアがお相手するわ。」
にこりと笑う妖精、ミストレイアに対して誰も声を出せなかった。
「よっ、よっ、妖精よ!妖精はやっぱりいたのよおおお!」
席から立ち上がって興奮するトレスを「落ち着いてください、お嬢様」とリフォールグが何とかなだめようとしている。
「あなたは妖精なの…?」
頭が真っ白になっていたアリアネスは我に返り、おずおずと目の前のミストレイアに尋ねる。
「えぇ、そうよ。容姿を自在に変えられる人間がこの世にいるのかしら?」
「…いないわ。」
「うふふ。」
ミストレイアが楽しそうに笑う。
「どう、お嬢さん?妖精はいるの。私が証拠よ。」
ミストレイアがセレーナに対して胸を張ると、セレーナは真っ赤になってわなわなと震えていた。
「そんな、ほんとに、そんな…。」
「セレーナ?どうしたの?大丈夫?」
「っ!いえ!お嬢様大丈夫です!セレーナには何の問題もありません。セレーナはいつもどおりお嬢様のことをお慕いしております!」
「セレーナ?一人称が名前になっているわよ?」
「何の問題もありません!!ところで、ミストレイア殿!握手をしていただいてもよろしいでしょうか?」
「?いいわよ?」
きょとんとした顔のミストレイアが自分の右手を差し出すと、セレーナがはふぅと息をはきながらおそるおそるその手を握る。
「ひゃあああ!」
そしてそのまま机に突っ伏してしまった。
「妖精さん、妖精さん…。妖精さんに触ってしまった。はぁうう!」
「…セレーナ、あなたも妖精狂いだったの?」
セレーナの酩酊した様子に、トレスは自分のことを棚に上げてドン引きしていた。
「ところで、そろそろ本題に戻っていいかしら?」
使い物にならなくなったセレーナをソファに寝かせ、アリアネスはミストレイアに尋ねる。
「えぇ、いいわよ。妖精の加護を吹聴している人でしょう?あなたたちが危惧している通り、マゴテリアの人間よ。」
「やっぱりそうなのね。どこに潜伏しているか分かる?」
「えぇ、わかるわ。でも…あなたはあまりこの問題に首を突っ込まないほうがいいかもしれないわ。」
「えっ?」
「どこかの誰かさんにも言われなかった?おとなしくしといてって。」
「それを誰から…。」
アリアネスが聞くと、ミストレイアはにやりと笑い「あら、わかってるはずよ。あなたにそんなことを言ったのはたった一人。」と答えた。
「…ラシード様のことなどどうでもいいんです。」
「あら?本当にいいの?」
アリアネスは、わけのわからないラシードの態度に実は苛立っていた。
(なんなの?婚約破棄したと思ったら、突然抱きしめたりしてきて!!)
「ラシード様のことなんて関係ないわ!私は騎士よ!国民を!国を守るために働くの!」
「…その心意気、気に入ったわ!」
アリアネスの言葉を黙って聞いていたミストレイアがパンと手をたたく。
「男に振り回される女なんてつまらないわ。やっぱり自分で考え、判断し、動く女こそ輝いているの!」
突然熱弁を始めたミストレイアをアリアネスは呆気にとられて眺める。
「もう逃げられないわよ、アリアネス。あなたを妖精のくだらない諍いに引き込んであげるわ。」




