屋敷にて
(許せない!許せない!許せないわ!)
両親をパーティー会場に残し、一人で馬車に乗り込んで帰路に着いていたアリアネスの怒りは収まっていなかった。その怒りはラシードに向けたもの、ファニスに向けたもの以上に自分に向けられたものが大半を占めた。
(どうして気づかなかったの、あの人の心変わりに!気づいていれば!!)
「夜這いをしてでも既成事実をつくったのに!!」
馬車の中で大きく叫んだところ、ひぃ!と馬車を操る従者の短い悲鳴が聞こえた。
(お嬢様がご乱心だ!!)
従者がそう思うのも無理はない。アリアネスはこれまで完璧な淑女として振る舞ってきた。冷静沈着で、教養もある。ダンスをさせても詩を詠ませても一流で、いつも笑顔をたたえている。しかし、猫のようなつり目と浅黒い肌、豊満な肉体により、どんなに努力しても「性格が悪そうだ」と見られてしまう。アリアネス自身もその評価を撤回しようとはしていなかった。
淑女たるもの、裏の裏を知り、どんな、状況にでも対応できるように、しなければならない。社交はもちろん大事だが、性格が悪かろうがこの世界で生きていくことが重要なのだと思っていた。そして何より、ラシードと結婚できるならどんなことでも耐えられると思っていたのだ。
(どうしてこんなことに…。)
アリアネスはパーティー用に結い上げていた豊かな黒髪をおろす。胸元まで緩くウェーブを描く髪はラシードが誉めてくれたものだ。
(お前の髪はほんとにきれいだな。東洋の女神みたいだぜ)
「うるさい!!」
ひぃいい!とまた従者の悲鳴が聞こえる。
(本当に許せないわ)
ぎりっと拳を握りしめるアリアネスを乗せた馬車はあと少しで屋敷に到着するところまで迫っていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。とうとうラシード様を再起不能に陥らせたようですね。おめでとうございます。」
「口を慎みなさい、セレーナ!」
馬車を降りて早々、メイドの一人が話しかけてくる。アリアネス付きのセレーナだった。幼少時からアリアネスに付き従っており、アリアネスと同じ黒髪を短く切り揃えている。いつも無表情だが、屋敷で最もアリアネスに近い存在だった。
「私はもう部屋に戻ります!誰も近寄らないでちょうだい!!!」
大声で叫ぶアリアネスにメイドたちはびくりと震え、かしこまりましたと下がる。アリアネスは急いで自室まで向かった。ドアを開け、がちゃりと鍵を書けると同時にその場に崩れ落ちる。
(どうして!どうして!どうして!!)
「アリアネス様、そろそろ我慢の限界ではありませんか?」
「なんであなたがここにいるのよ!全員下がりなさいといったはずだわ!」
「アリアネス。我慢しなくていいんです・」
いつの間にか部屋に入っていたセレーナがぽんとアリアネスの頭に手を置くと、アリアネスの黒い瞳からボタボタと涙がこぼれ落ちる。
「ら、ラシード様がぁ!わたくしのこと、いらないって!わ、わたしのことあんなに、ひぃっく冷たい目で!!うえええええええええん!」
「ほーら、よしよし。泣かないでくださいね、お嬢様。」
「ラシードさまあああ!」
ぎゅうっとセレーナに抱きつくアリアネス。淑女として、見た目も中身も完璧なアリアネス。しかし、こと婚約者であるラシードのことになると、ただの少女に戻ってしまうのだ。