情けがあるのかないのか
トーリは屈辱に耐えるようにこちらを睨む。
いい気分だ。もしも人目につかない場所であればついでに足で頭を踏んづけて土下座させたいぐらいの気分だ。
涙目の彼はそそるものが……ない。やっぱり女の子の方がいいや。
「くそっ……」
「俺は別に目潰しは卑怯なんで思っちゃいないぜ? 俺だってあの立場ならするし、全力を尽くすならあそこで血飛沫はよかったよ?」
多分手の動きを変化させるときの僅かな揺れは心の迷いがあったことを示しているのだろう。
あえてそこを指摘するのが楽しいのだ。
卑怯かもしれないと思っていたことを敵に全面的に認められる。
なんとも屈辱的なことではないか。
この自信を適当なところでへし折ろう。
「いやあ、いい試合だったね!」
親指を突き立てて満面の笑顔で返す。
ギャラリーの中から、「どこがだよ」、「一方的すぎんだろ」、「しかも技が神聖な決闘から程遠いしな」と口々に指摘が上がるが、それを面と向かって俺に言えるようなツワモノはいない。いや、キワモノかもしれない。
いやあ、心理戦で俺に挑むとか十年早いわ。
ばっきばっきにへし折ってやんよ。
「あれが最悪の勇者か……」
「目的と利益のために一番酷い手段を選ぶことで有名な奴だよな……」
ギャラリーがドン引きしているのが実に楽しい。
そう、これでいい。
人格者だなんていう民衆の信頼も、すごい奴だなんて大衆の尊敬もいらない。信頼も尊敬も、身近な奴だけでも手に余る。
軽蔑と嫌悪。俺にはその感情も向けられるべきだ。
褒められることではないのだから。
「降参……だ。けどな……必ず……勝ってやる」
「何を言ってるんだ? お前にもう決闘なんてする機会はないぞ?」
は? と予期しない言葉に間抜けな顔を晒したトーリ。
あれ? 言ってなかったか?
俺は事前に変更した勝利の報酬を口にした。
「だからさ。俺が勝てばお前が俺の下につくってことになってただろ? 上司に剣を向けるわけないよなあ?」
一拍おいて、あ、そんなこともあったかと周りから賛同が上がる。
武士ではないが二言はないよな?ってことで約束を果たしてもらおうか。
「あああぁぁぁぁぁっっ!!!」
トーリの絶叫が響き渡った。
今、ここに、無謀な挑戦の末に誇りを売り渡してしまった元勇者候補が出来上がった。
馬鹿だなあ。
トーリは俺に承諾の意を示してはいないのだから、そんな約束は知らないと突っぱねてしまえば良かったのに。
別にそれを怒るほど狭量な人間じゃあないぜ。
だけどあの場でそんな風にごねたりすればトーリの勇者としての評判はガタ落ちである。当然これからトーリ個人への民間の依頼などはなくなってしまうだろうな。
そこまで見越して無理目の条件をふっかけてみた俺も俺だが。
ニヤニヤと笑いながらトーリを見下し、優越感に浸る俺にアイラがお疲れさんとばかりに肩を叩いて言った。
「やっぱりレイルくんには敵わない。すごい」
「何言ってるんだよ。お前も接近戦は得意ってほどでもないのに相手を圧倒したじゃないか。まあ相手が魔法使いなのを考えてもそっちの方がすごかったじゃん」
俺なんて相手を誘って誘って引き摺り込んだようなもんだ。
まさに誘い受け、とバカなことを考えたのは内緒だ。
「私は酷いことを言ってもあそこまで相手を落ち込ませられない」
いや、そこは似なくていいから。
確かに最後、酷いことを言ってたよな。
なんだったっけ。可愛いだけの役立たず、だったか。
いや、それは俺の解釈であって実際には言ってないわ。
アイラがそこをついて勝っただけの話だ。
俺はこの一連の事件でとあることを忘れていた。
「えーっと……何しに来たんだっけ」
由々しき問題である。
◇
決闘が終わって落ち込んだまましばらく自分の世界に引きこもったトーリ。その傍らでは背中をさすってメリカが慰めている。
トーリは自分の夢をメリカに語ったことがあるらしく、それをやり遂げられないことを、そしてついてきてくれたのにここで旅を終えるかもしれないことを謝っていた。
そしてここでメリカとはお別れをするとか言い出した。
メリカは勇者候補をやめる約束も、そして俺の下につく約束もしていないから当たり前っちゃ当たり前だ。その隙を逃すほど馬鹿なわけではなかったのだ。
しかしメリカはトーリがどこに行こうが一緒に行くと宣言した。一蓮托生とはこのことだろう。
涙ぐましい光景である。
仲間っていいなと思わせるような。
いや、俺が言うなって感じか。
二人を大人気なく叩きのめして、さらに傘下に入れとまで約束させるような男が。
いや、中身こそあいつらより大人だけど、体の方はまだ年下だからね。いいんだよ。
「約束は約束だ。お前の下につくっていうことは俺を売ったりはしないんだな?」
「お前みたいなのは需要が少ねえだろ。それに俺は奴隷商売を労働力の商売に変えた派遣会社の代表だぜ? 奴隷を売ったりはしねえんだよ」
明らかに安堵したことがわかる。
ちらりとメリカを見たあたり、そっちの方を心配していたのか。
どこまでも甘っちょろい奴である。
そもそもあんな勝負をしなければよかったのに。
俺が負けても勇者候補をやめるだけで済むし、もうここまでくればやめてもあまり問題はなさそうだからな。
「俺に……俺たちに何をさせるつもりだ」
「えーっとねー」
どうしよう。
こんなのをシンヤのところで働かせようとしてもイマイチなんだよな。
もうあそこには元奴隷が育ってきていて優秀になってきているし、今更ちょっと強いだけの元勇者候補なんて送りつけてもなあ……そうだな。
「じゃあ間諜でもしてもらおうかな」
「間諜?」
メリカは言葉の意味を理解できなかったのか、それとも勇者候補に間諜をさせることがわからないのか。
「ああ。いろんな国を巡ってその国の物価や冒険者組合の依頼内容とかわかりやすい範囲で書き送ってくれるといい。宛先はシンヤにな。それと困っている人がいたら自己判断で助けてもいい。売名行為になるから。ただし自己判断で相手にしていいのは非合法な相手か魔物限定で、それと自己判断で対処した問題の後始末と報告を忘れずにな」
俺の部下であることを名前を出しておくようにと付け加えた。
ははっ。なんて屈辱的な罰だろうか。
形だけはあまり変わっていないが、これで勇者候補としての手柄は見事に俺のものとなるな。
見ろ。悔しさのあまり泣きそうに……ん?
「良かった……良かったよぉ!」
「ああ!」
感激して抱き合う二人にやや残念なものを感じながら俺はそれを見ていた。明らかに悔しさのあまり泣いているのではないな。嬉しさのあまりだな。
失敗したか。まあいいや。
人の心をへし折るのは嫌いじゃないが、得になる方を選ぶ方がいい。
こいつらがどう思おうと、俺はこれで一人、フットワークの軽いスパイを手に入れたわけだ。
その後はアイラに言われて思い出した本来の目的を遂行するべく受付へと向かった。
木製のカウンターで名前と必要事項を記入して待つこと十分。
個人で動かすにはでかすぎる額が手渡された。
俺たちの懐は潤う一方である。
後何生ほど遊んで暮らせるだろうか。