果たされた約束
やっといくつかの伏線が回収できました。
半透明で、やや白みのかかった階段だった。ガラスのようでガラスでない。質感がないのに壊れる気がしなかった。
ただ、装飾もなにもない。ただの階段。階段と呼べるのかさえわからないほどに上へ永遠と続くそれぞれに独立した板の上を歩いていった。
幅は広く、人間が六人横に並んでも余裕があった。縦には二人分ほどしかなかったので、最大でも十人ほどしか乗れないだろう。
落ちそうな見た目なのに、落ちる気がしなかった。落ちてもなんとかなりそうな気さえした。
天界っていうから、もっとふわふわしているかと思った。
でも階段の向こうに見える天界は確かにややふわふわして見える。
背中に感触を感じた。それはアイラの頭であった。
「どうした? 疲れたか?」
「ううん。だって私レイルくんより荷物少ないよ?」
そうだ。アイラはほとんど荷物がない。銀色の腕輪にほとんどしまいきっている。
「だよな」
「それに、気づいてるんでしょ?」
「ああ」
上にいけばいくほど体が軽くなるような気がする。肉体を下に向かって引き付ける力がだんだんと弱くなっていくかのように。
「はーあ。神、ねえ」
ロウの言葉はどこか懐疑的で、神など本当にいるのか? って言いたげだ。
「一度会ってるからさ」
天界だけが 元の世界と今の世界を重ね合わせる特異点のようなものなのだろうか。
神とやらは未だ見たことのない、四術式の上の術も使えたりするのだろうか。
四の上だから三か?
そんなどうでもいいことを考えながら、だんだんと雲の上までやってきた。
眼下には白い雲海が広がる。生前の小説でもこんな風景があったことがあったな。
なんだったか。麒麟に見初められて国の王になる話だったか。
「月の住人なんて馬鹿げたことを、とか言ってたけど、もしかしたらいるかもしれないわね」
月の住人が馬鹿らしいとかお前が言うなと言いたい。
竹から生まれた非常識な存在のくせして、この中で一番まともってどういうことだよ。
「レイルくんはその神様に会ったらどうするの?」
「そんなもん、会ってから考える。でも多分……」
多分、まだ世界を見たいから、あっちこっちを旅するか、それともシンヤと一緒に商売を楽しんだり、レオンやレオナの下で働くのも悪くないな。
それもこれも、ここを無事に出て、魔族の貴族によるギャクラ襲撃を鎮圧させてからの話だ。
それに魔王の転移術のおかげで帰るときはもっと早く帰れそうだしな。
「あれかな」
階段が途切れ、その先に門が見える。
その前に白い羽を生やし、槍を持った門番らしき人?がいる。
おそらくあれが神と呼ばれる存在のいる場所への入り口だ。
やっとだ。やっと会える。
思えば長い旅だったが、もしかしたら早いほうなのかもしれない。
俺は運がよかったのではないだろうか。
回り道もしたけれど、聖職者がこぞって求める存在にこうして数年で会うことができたのだから。
門番は俺らを見つけると槍を構えて尋ねた。
「お前たち、どうしてこんなところにいる?」
その口調には問い詰めるというよりは純粋な疑問があった。侵入者に対する警戒などはないようだ。
普通だよな。だって人間がたかが四人入って来たところでどうこうなるような場所じゃあないんだろう。人間が生身でここにいるのが不思議なんだろう。
「少々特殊な方法で紛れ込みました。用が済めば帰りますし、ご迷惑はおかけしませんので通してもらえませんか?」
門番は俺の目をじっと見た。数秒後、ふっと目を閉じると何かを思い出すように考え込んだ。そしてもう一度俺を見すえた。
「嘘は言ってないみたい、か。いいだろう、通りなさい」
二、三質問して俺たちは天界への門をくぐった。
◇
随分と雑多な場所だった。
統一感というものがなく、生きているのかどうかもよく分からないモノがそこらをうろつき回っている。
時折、明らかにこの世界の住人である────つまりは精神生命体の高位にあたる存在であろう、頭に輪っかだとか、背中に羽だとか、ギリシャ神話に出てきそうな格好の人だったりがいる。
そんな人たちにいろいろと聞いて回り、ようやく俺の求める相手がいると言われる場所を割り出した。
「へえ、立派なもんだな」
取次を頼むと案外すんなりと通してもらえた。
この世界は俺の思うような暗い部分がまるで存在しないのかもしれない。
嘘とか、欺瞞だとか、殺意も悪意も、傲慢だとかいう概念もないのかもしれない。
嫉妬だとかはあるかもしれないが。
薄布一枚の向こうに、十数年前に見たあの時と全く同じ顔があった。
向こうはこちらを確認すると、まるで親しい友人かのように近づいてきた。
「お、久しぶり。今の名前は……」
「レイルだ」
「会いにくるって言ってたけど本当にくるとはね」
あの時よりもかなり軽い印象を受ける。
「あれ? お前ってそんな奴だったっけ?」
「いやあ。初対面だし威厳だけでも取り繕おうかと思ってたんだよ。こっちが素」
こっちの方がずっと話しやすい。
「初めまして、アイラです」
「ロウだ」
「カグヤと言います」
女子二人は丁寧語になっていた。
「いいよいいよ、レイルみたいに口調崩してさ」
ひらひらと手をふって敬語を解くように言った。ますますチャラ男だな。
「聞きたいことがある」
やっと真剣な話だ。
「いいよ。何聞いても。でも条件があるよ」
「なんだ?」
「僕の名前を当てること」
神という存在は数多くいる。ヒジリアが信仰するのは唯一無二の神と記されていたが、ここに来る間も神とだけ伝えると、どの?とよく聞かれた。
そんな中でほとんど手がかりもなく名前を当てるというのは無理難題に等しい。少なくとも彼はそう思っていたのだろう。
ニヤニヤとしながらこちらをみている。
「なんだ? そんなことでいいのか?」
俺からすれば今までずっと追ってきたのだ。
名前ぐらい調べている。
「ヘルメス、それともマーキュリーと呼んだ方がいいのか?」
「ヘルメスがいいかな。マーキュリーの方が知名度は高いんだけど」
「盗みと商売、冥界へと魂を導く役目のオリンポス十二神、だろ?」
ヘルメスは目を丸くした。
「驚いた。本日二度目だよ。いや、この場所に本当の意味での時間なんてないようなものだけど」
「で、約束だろ」
「うん。答えられることなら大抵答えてあげる」
俺は息を吸い直して、一字一句噛みしめるように言った。
「俺がこの世界に転生させられた理由ってあるのか? あるとしたらなんだ?」
するとヘルメスはなんだ、そんなことか、と胸をなでおろした。
「君は進化論って聞いたことがあるかい?」
進化論というとダーウィンとか昔の生物学者が提唱したあれのことか。
詳しく知っているわけではないけどいくつか説があることぐらいは知っている。
「あれだろ。キリンとかが有名なやつだよな。競争相手の少ない高い場所の葉を食べつつ、遠くまで外敵を察知できる首の長い個体が生き残ったりすることで、首を長く成長させられる遺伝子のキリンが子孫を残し、キリンという種族が首を長くしていくみたいな」
「そんな感じだったかな。それは適応力の期待値の高い個体が生き残りやすいっていう適応説の方だね。まだ他の説もあるんだよ」
アイラが聞いた事あるかも、なんて頭を抱えて記憶を辿っている。
お構いなしにヘルメスは続けた。
「突然変異ってあるよね」
突然変異。ある集団の大多数の形質と異なる形質になることだ。
「君はそれなんだよ」
まだ比喩的でわかりにくい。眉をひそめると説明してくれた。
「だからさ。ずっと世界をほうっておいたらマンネリ化が進むわけだよ。そんなところに違う形質を持った異世界人を放り込むことで変化を持たせる。つまりは世界の進化のために一定確率でバグを起こすようなものだよ」
俺はここでどうでもいいことに気づいた。
ヘルメスの口は動いていても、その声は口から出ているように聞こえないのだ。
それはまるで脳に直接言葉を届けられているようで、本来ならば聞いたことのないはずのマンネリであったり、バグだとかいう言葉も三人が理解して話が進んでいることからもわかる。
そうか、俺はバグなのか。
気にすることでもないか。
「俺が記憶を引き継いで転生した理由はわかったよ」
でもまだわからないことがある。
「そうか……そんな理由なら俺が魔法を使えないこととは関係ないみたいだな……」
するとヘルメスは意外そうに聞き返した。
「え? 魔法全然使えないの?」
「おう。それでこれまで結構苦労したんだからな」
訓練してもしても全然使えないんだからな。
「うーん……シルバはどうしてる?」
「へ? シルバ?」
「あれ? 僕は案内専門だけどね、生まれた子供にあるものを媒体に何年かかけて祝福するっていう女神がいてさ。二歳ぐらいのときに何かしてない?」
二歳、か。
嫌な思い出と人生を変える出会いがあったことは確かだな。
「……親を殺したな……そのあと家を焼き払って隣町にいた貴族の家に転がり込んだ」
「あははははっ。それだよそれ」
「いや、でもあんな場所に転生させたお前もお前だよ。あんな環境で祝福が終わるまで待てっていうのかよ」
「その祝福はね。その人の運命に干渉するタイプの高等術なんだよ。四術式のまだ上。だから運命に逆らえない三歳までの間に運命を媒体にして祝福をかけるんだって。それでようやく魂と体が重なって一つになるんだってさ」
「俺の運命ってなんだよ? あそこで虐待されて死を待つことか?」
「ううん。あそこで待ってれば二歳になったぐらいに国の腐敗を正そうと一人の男が貧民街を見回りにきた。そして貧民街ではあり得ないほど大人びた君を見てこんなところでいるのはもったいない、虐待するぐらいなら自分が引き取るって言い出してたよ」
惨めな環境から見初められて出世街道、か。
王道的な成り上がり人生の運命だったんだな。
「由緒正しい騎士の家系で裕福な彼は君に稽古をつける。君は独学で魔法を会得し、文武両道の華を咲かせる輝かしい無双人生の運命が見えてたんだけどな」
その男の名をシルバ・ドーランドと言った。
そうか、あの人か。クラーケンを配下にした少し後ぐらいに出会ったあの熱い男の人か。
妙に俺に執着していると思えば。
どんな人生を歩もうがあの人とは出会う運命だったんだな。
それを聞くと、俺は他人から見れば余計なことをして自分の人生を閉ざしてしまっているようだっただろう。
あは、あはははは。なんだかおかしくなってきた。別に気が狂ったわけではない。
それでも俺がもう一度、あの場面にあったならば両親を殺してグレイ家に行くだろう。
周りに立派な貴族の友達や騎士の友達ができてもアイラとロウとカグヤに会いにいくだろう。
俺は俺の人生に後悔なんてしない。
選んできた全ての選択肢が積み重なって今の俺があるんだ。
どんなに罪深く愚かな選択肢でも、それで俺は出会えた人がいる。
きっと最初から力を手にしていたら調子にのって失敗したり、やばい奴らに目をつけられたりで、それはそれで心躍る平穏とはかけ離れた日常を送れるのだろう。
弱くたって世界を見るための旅ぐらいはできる。
魔王城まで来たんだ。神にだって会えた。
力で正義を語れなくていい。世界を語るのは嫌いだ。
俺は誰よりも自由に生きたかったのだから。
そんな俺の決意ともとれる思考を妨げる者がいた。
「魂と体の同調の不具合は治せるよ」
ヘルメスだった。
「僕の親友の妹がその祝福を担当しているんだ。さっき念話で呼んだからこっちくるよ……あ、ほら」
向こうから現れたのは超絶美形の男女だった。
男の方はやや癖のある金髪で、鼻が高く彫りも深い。顎は鋭く、筋肉質な体はギリシャ彫刻の円盤投げなどで見るような究極の肉体美を体現していた。
女性の方はというと、長いまつげに二重まぶた。その目には恐ろしいほどに蠱惑的なものがあり、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ美女だった。やや愛らしさの残る唇がきゅっと結ばれている。この人は確かに女神だ、という思いと本当に女神か? サキュバスとかじゃあないよな?という思いがせめぎ合うような容姿だった。
「彼が親友のアポロン。それにその妹のアルテミスだ」
「ヘルメスが気に入ったというからどんな男かと思えば。なるほど同じ目をしている」
神と同じ目をしているときいて、喜ぶべきなのかそれともヘルメスと一緒かよ、という不安を述べるべきなのか迷う。
「濁った沼みたいな邪悪な目だな」
おい。それが仮にも友達で神様のヘルメスにたいする形容かよ。
確かにヘルメスはチャラい。もしも俺がこいつに憧れてなんていたら一気に失望するぐらいにはチャラい。
「あはは、でしょ?」
「やっぱついてきて正解だったな。こんな男とヘルメスの元に妹を一人でいかせるなんて寒気がする」
あれ? もしかしてこのイケメンはシスコンか?
「兄さんは心配しすぎなのよ」
お、アルテミスさんの方はまともそうだな。
「心配しなくても兄さん以上の男なんてそうそういないわ」
訂正。こいつも重度のブラコンだった。
どいつもこいつも。神様ってのはろくなのがいないのか?
「あなたがレイルくん? ふーん……確かに体と魂が一致してないわね。それに……面白いわ」
アルテミスさんが近寄ってくる。
どうしてさん付けかって?
そりゃあアルテミスさんだからだよ。神々しいしな。
そのかけただけの布みたいな服で近寄られると見えそうというか、見えてしまえ、などと邪なことを考えていて、セリフを聞き逃した気がする。
「だから、本来ならこの年齢になってまで祝福の掛け直しなんてしないんだけどね。特別よ。掛け直してあげる」
「それに、これは僕からのちょっとしたサービス☆」
俺はその瞬間、今までも少ししかなかった体を下へと惹きつける重力のような何かがなくなるのを感じた。
まるで水の中のように、上も下もわからなくなって、ぐるんと頭が回るような。画面酔いがこんな感じだったかな。なんて馬鹿懐かしい記憶をほじくり返したり。
何かがはるか彼方へと落ちるような浮遊感に襲われた。
そして、意識を失ったのである。
修行パート編って嫌いなんですけど、なんの苦労もなしに強くなるってのも違いますよね。