閑話 レイルの評判
窓が一つ、扉が一つ。柔らかな絨毯が敷き詰められたその部屋に、一組の双子がいた。
そのうちの妹──金髪碧眼に長いまつげ、透き通るような肌に優雅な仕草は王族であるという色眼鏡をとってさえも万人が美少女と認めるような少女が手元にある書状に目を通して笑っていた。
「プッくくく……レイル様ったら……」
一方、双子の兄──美形というにはその瞳には強い意思を宿した青年一歩手前の彼は実に不満そうであった。
「お兄様も見ましたか? レイル様のご評判。『最悪の勇者』、『魔王よりも魔王らしい』などと」
「見たから怒ってるんだろ」
少年、レオンはバンバンと軽く机を叩いて書状を指し示した。
納得がいかないと全身で表している。
「どいつもこいつもレイルのことも知らずに言いたい放題いいやがって」
「いいじゃないですか。レイル様が有名になっている証拠ですよ」
それこそ遠く離れたギャクラにまでその名声が届くほどに。
事実、それらはレイルの年齢に見合わぬ残虐に敵を葬る冷徹性と正体不明の策略にたいして敬意を示してつけられた二つ名ではあった。
本人の実力はそれほどでもないのに、レイルの知る科学というものは恐ろしく魔法と相性が良かった。
それこそ、魔法を魔術へと昇華させてしまったほどに。
レイルは勘違いしているが、魔法とは世界の法則の一つであり、魔術はそれを発展させた技術である。
四術式というのも、魔術の高等術であることには変わりない。
「だけどよ。なんだよ『レイル・グレイは実は幽霊』説ってよ! 「人間の皮を被った悪魔」説まであるぞ!」
「幾つかの国の貴族が脅威を感じて暗殺者を送ったのに全て返り討ちですって」
それはロウの手柄でもあるが、街の中でも国の外でも安全な道ばかり通っていこうとするレイルの異常なまでの慎重さもそれを助けていた。
「捉えどころがない、年齢にそぐわぬ立ち居振る舞い、褒め言葉でございますわ」
でも、とレオナは続けた。
「レイル様に暗殺者を送り込んだ貴族の方には地獄を見てもらいましょうか」
穏やかに、なんの気負いもなく言い放ったレオナ。その言葉が如実にこれから貴族に起こることを表していると言えた。
レオナは書類に再度目を落として細めた。長いまつげが下に向いて強調される。その姿は誰もが思わず見惚れるほどであった。
「お前、また断ったんだってな」
レオンが言ったのは縁談のことである。
レオナも王族の一人。年頃にもなれば結婚することは仕事の一つとして見なくてはならない。それは義務である。
二人には兄や姉が他にもおり、そのおかげで急がなくてもよいのが救いではあったが。
子煩悩な父親も、少し婚期を逃したぐらいで断る相手などこちらからお断りだと言っているので問題ない。
「ええ」
「やっぱりな」
「心に決めた人がいますので」
レオンはそれが誰だかわかっていた。
「あいつだろ」
「ええ」
かつて学び舎を同じくし、王族として英才教育を受けてきたレオンをも勉強する素振りさえなくあっさりとくだしたレオンの親友。
異常な発想とお世辞にも人畜無害とは言えない性格に、どこか不思議な魅力を持った彼は最初からレオナの心を掴んで離さなかった。
それを最初は良く思わなかったレオンも、それだけで一生遊んで暮らせそうな娯楽品の発明を自分との対決のためだけに創り、勝負が終わればぽんとあげてしまったことで毒気を抜かれてしまった。
見たこともない知識をぽんぽんと出してきて、それを当然のように思っていて、指摘すると「しまった」という顔をするのだ。
「レイルさまは十歳のときに王族の私でもあまり見ないような大金を手にして──────」
レオナによるレイルの魅力語りが始まってしまい、レオンは聞いているようなフリをしながら遠くを眺めてボソリと呟いた。
「まさかあんなことまでしてしまうなんてな」
彼が気軽に手紙に書いて送ってくる事件の数々は、通常の冒険者であれば年に一度もあえば多いほうである。
それを三年も経たないうちに、クラーケンとの遭遇、奴隷商のアジトの発見、偽依頼の餌食、組織的盗賊行為と事件に次から次へと出会うのは異常であった。
そのことも、そしてそれらをぽんぽんと解決してしまったことの異常さもレオンは正確には理解してはいなかった。
だがレイルがおかしい人間であるということはわかった。
「お兄様もお聞きしましたか? レイル様に改造された奴隷商の潜伏場所が今は自治区となっていることを」
「ああ。あきらかに異例の発展速度だ。農地改革の速さや統率力は問題じゃない」
「ええ。あれほどに使える人材をどうやって雇うことができたのか、ですわよね」
「ああ」
「あの人たちは全員が全員、元奴隷だったそうですわよ」
「なんだと?!」
レオンは驚いた。それもそうである。調査からわかっているあの場所にいる使用人たちは全員が簡単な読み書きと算術ができる、つまりはこのギャクラでも王都にある学校で数年間教育を受けた程度の能力があると聞いている。
レオンも王族の学問の中で聞いたことがある。奴隷商売とは奴隷に知恵をつけさせず、選択肢を与えないことが重要であると。
全く読み書きができなかった集団を2年も経たぬうちにそのレベルまで育てあげることはできないというのが通常の感覚である。
そこにはシンヤがレイルによって遊びの導入を示唆されたことがあった。
最初はかるたでひらがなの読みだけを覚えさせ、ひらがなが読めるようになれば本にフリガナをふらせた。
図形の教材の作り方や、ゲーム方式の学習方法など、前世の思いつく限りの教育法をシンヤに伝えたのだ。
知識の吸収の面白さを教えたのである。
これは前世でもよく使われる方法であり、前世においては小学校3年生ぐらいになれば簡単な読み書きと四則計算ぐらいはできたので、レイルからすればそれほど異常なことだとは思わなかったのだ。
だからこそ、シンヤが興奮交じりにそのことを報告してきても、どうしてこんなにこまめに報告してくるんだ? こいつ本当は子供好きだったのか? ぐらいにしか思わなかったのである。
実際、それらを柔軟に活かしながら取り入れ、奴隷たちに教えきったシンヤの能力もたいしたものである。
組織の荒くれどもを統括してきた経験がうまく作用したのもあった。
「もちろん、背後にはレイル様の影がありますわ。シンヤと名乗る男はレイル様を旦那と呼んで慕っています。ここのところ問題も起こさず、優秀な使用人が借りれるときいて周りの貴族も何も言えないみたいです」
シンヤからすれば組織を潰されるところを助けてもらったばかりか、優秀な人材育成の方法を教えられ、それらを活かした金儲けの手段まで用意してくれたレイルは尊敬に値する人間だと思っていた。
彼は危ない橋を渡らずとも、まるで宰相が何かのような状態になっているため、二度と奴隷商売には戻りたくないと思っている。
それは完全にレイルの掌の上でいいように転がされているのだが、それでもいいとさえ思えるほどにシンヤはレイルを信頼していた。
「さすがはレイル様ですわ。これで恋の戦争問題は解決。アイラも私もまとめて愛してもらえますわね」
「あいつは本当、わけのわからないことをしでかしてくれるよな」
名声も悪評も、そして畏怖も恋慕も。知らぬは本人ばかりで、水面下で物事はゆっくりと進んでいく。
これからも何をするかわからない友に、レオンはこれから頭痛の種が増えないことを祈るばかりであった。
この物語はレイルの知識や推測とこの世界の事実との齟齬を埋める物語でもあります。