悪魔の屋敷
俺たちが人間だとバレたのはおばちゃんの観察能力がずば抜けて高いとかいった理由からではない。
魔族に人間と同じ肌の色の魔族はいないというのだ。多いのは薄めの寒冷色で、赤黒い色の魔族もいるとか。どうりで見ないわけだ。
まあ来てみないとわからないこともあるもんだ。
俺だってこの国に来て初めて、従魔獣師というものを見た。街中で魔獣を連れて歩いていたのだ。
人間にもたまにいるそうだが、この国においてはとても多くの魔物を家畜やペットなどとして扱っている。
人間の国では馬みたいなの、牛みたいなの、豚みたいなのの三種を労働や食用として飼いならしているが、こちらでは犬型の魔獣などもよく見かける。あらかじめ知っていたのに、死人を食べることの方がカルチャーショックが大きいのはまあ、前世の影響もあろう。
「あんたらがジロジロ見られてたのは、その歳でこの国にくる人間ってのは珍しいからね。今までの最年少でも、十八歳ぐらいだったらしいから」
というか見ただけで人間の年齢がだいたいわかるのか、すごいな。
さすがに中学生と高校生の年齢差であれば、人間ならばわかるとは思うが。俺たちは魔族の年齢なんてあまりよくわからないぞ。
初代勇者もさすがに俺たちほど若くはなかったんだな。中身は初代勇者よりも歳上な自信はあるんだが。
「別にとって食おうってわけじゃないよ。安心おし」
むしろ食わされたばかりなんですけどね。俺たちの方が。これまで魔族の肉だよとか言わないよな。
恰幅のよいおばちゃんはこの酒場を営む人であるらしい。
夫婦で経営しており、夫が調理を担当している。おばちゃんの方はメニューを頼めば会計から料理を運ぶまで一通りの仕事をこなしている。
「ははっ。看板娘の一人でも雇えばこの酒場も繁盛するのになあ」
今も残っている常連客の一人が冗談まじりにからかった。よく知っているからこその気安さがそこにはあった。
「ああ? 看板娘ならいるじゃないか、ここに」
おばちゃんは自分を指して言った。
「冗談は腹だけにしとけよ!」
「なんだって?」
この地域の顔でどうやら愛されているらしい。なんとなく雰囲気の良いお店であった。
運ばれてきたシチューのような白い汁物と大きめのパンの匂いに思わず腹がなった。
「あははは、レイルくん、お腹減ってるの?」
喉の奥で殺すようにおばちゃんが笑った。
そして運んできたそれらを俺たちの前に置いた。あれ? 頼んでいないはずだが。
「腹減ってんなら遠慮なく食いな。ほら初回だから奢りにしておいてあげるから」
「いえ、頼むのを忘れていただけでお金には困ってないので払わせてください」
お気持ちはありがたいが、変な借りを作るものなんだか騙しているような気分になる。
「うまそうだな」
ロウが早速手をつけようとして横からカグヤにはたかれている。
アイラはいつ食べてよいのかとアイコンタクトで俺に許可を求めながらそわそわしている。
俺は頷き、そして言った。
「食べるか」
この世界に「いただきます」は存在しない。黙って一瞬目を瞑り、自分の思う相手に感謝を捧げるだけだ。思う相手とは様々だ。作ってくれた人かもしれないし、運んでくれた人かもしれない。神かもしれないし、食材かもしれない。
ただ、食事に感謝がつきものなのはどこの世界でも同じようで。
前世よりも種族の多いこの世界だからこそ、宗教にも何にも囚われない自由な挨拶が浸透しているのだと思う。
パンはエルフの里の方が美味しかったが、シチューっぽいものはこちらの方が美味しい。
腹が落ち着くと自然と周りの状況に気がいく。なんていうか、賢者タイムとは違うが、旅人の性みたいなものだ。
二、三席ほど離れたところで飲んでいたおっさん二人の会話が耳に入ってきた。
「なあ、知ってるか。悪魔の屋敷」
悪魔、という通常生活において聞きなれない不穏な単語に、もう一人の眉と語調もつられて上がる。
「なんだよ、その陳腐な怪談みてえな名前は」
「いやあれだよ。気狂い暴君の名前で有名だった」
「あいつか。あいつどうなったんだったっけ?」
どうやら共通の有名人らしい。
気づけば他の三人もその話に聞き耳を立てていた。
「だから今そいつの屋敷が悪魔の屋敷なんだって」
「わっけわかんね」
悪魔、か。
悪魔のように強い魔族なのか。それとも本当に悪魔なのか。
文献で読んだ悪魔については、ミラと同じ冥界の住人で、代償さえ払えば願いを叶えると書いてあった。
だが人を一人殺すのにそれ以上の魂や命を必要とするという話もあり、あまりにも不釣り合いなその取引に応じるのは馬鹿か捨て身かの二択だとか。
でもそれだけならば抜け穴もありそうなんだけどな……いやいや欲をかいたら失敗するのは子供のおとぎ話でさえ語られる真理だ。
そんな間もおっさんたちの話は続いている。
ノーマにおいては福祉などというものがあまり存在しておらず、国の防衛と裁判、税金による領土改革ぐらいしかしないため、死んだ貴族の屋敷などは後回しにされている。大抵は親族や召使いたちがなんとかするので必要もないのだ。
今はその屋敷には誰もが怖がって近づかないとか。
俺はふと思いついた。
じゃあもしかして色んなものがそのままそっくり残ってるんじゃね?
「レイルくんが悪い顔してる」
「またろくでもないこと考えてんでしょ」
どうしてバレる。転生したことで表情筋が弱くなっているのか? そうなのか?
まあ思考の内容まではバレていないし、仲間だからいいか。
敵を騙すにはまず味方からというのは騙し合いだけだ。
「さっきの屋敷、行ってみねえ?」
「悪魔がいるんじゃないの?」
「悪魔なんてそうそういねえよ。契約には一人の魂じゃ足りないしな」
それに大抵は契約が終われば帰ってしまう。
いつもできるだけ安全な道を通る俺だが、たまには怖いもの見たさというかなんというか。怪談話が好きだったのもあるだろう。
話だけ聞けば、集団自害か、盗賊に押しいられたかの感じだったし。
「ん? いいんじゃね?」
アイラは付いてくるとのこと。
ロウはいつもホイホイと頷く。
善悪の区別がないのと同じように、自分の生に対する執着がどこか薄いような気がする。カグヤという奴がいるのにな。
やはり俺たちはどこか壊れた集団だよな。似ているからこそ惹かれあったのかもしれないが。
カグヤはそんなロウを説得しようなんてつもりはないらしい。
安全至上主義の俺が大量殺人現場に向かおうなんて言うのが珍しいのかもしれない。
◇
王都周辺の城下町、その中でもやや身分の高い魔貴族の屋敷がぽつりぽつりと点在する地域にやってきた。
俺たちの目的の屋敷とは、その中でも随分と端っこにある屋敷である。
以前の古城のようにおどろおどろしい気配はなく、ただの静寂だけが横たわっていた。
どうやら地主のような地位であったらしく、周囲は作物を育てていた跡や粗末な家畜小屋などが見える。
だがここしばらくの人の生活の気配が全くない。
逃げ出したのか、それとも上を失い崩壊したのか。
魔族が強い者に従うのには文化や本能以外にもある。
脅威から身を守ってもらうためだ。より強い者の庇護下に入ることはそれだけ安全なことを意味する。
自ら立つ意志がなければ叛逆するのも無意味というわけだ。
「で、なにするの?」
「火事場泥棒ってやつだよ」
なんらかの形で主のいなくなった家屋に押し入り、貴重品から調度品に至るまで金目になるものを盗んでいくというやつだ。
盗賊にあったにしても、そいつらではわからないものが残っているかもしれない。どうせ金や貴金属、魔導具に宝石類とか目に付く貴重品しかわからないのだろう。人間の目や前世の知識から見直しをしてやろうじゃないか。
それに俺が欲しいのは金目のものよりも……
「着いたね」
「俺も気になるしな」
どうやらロウにだけは本当の目的が悟られていたようだ。
やっぱりロウも気になるよな。
「ん? なんのこと?」
「いいや、なんでも」
隠すほどのことではないし、なんにせよ趣味が悪いのは事実だ。
今更気にするほどのことでもないが、言うほどのことでもない。
「じゃあ入るぞ」
俺たちは屋敷の扉を開けた。
もはやフラグでしかないですね