文化の違い
魔族の住む大陸は魔大陸などと呼ばれるが、正式な名前はない。
殺風景、殺風景と歌いながらやってきたこの地域ももうそろそろ終わりを告げるのではないか。
先ほどからぽつぽつと植物が自生しているのが見えている。
まあそれでも、人間がほいほいと生活できるような環境ではないが。
「あー、のどカラカラ」
アイラが音を立てながら取り出した水を嚥下していく。
乾燥具合だけならば砂漠の方がやばかったが、こちらは風が強い。
西側になにやら大きな山脈的なものが見えるあたり、ここは内陸で山を越えてきた風が乾燥しているのではないかと踏んでいる。
歩いてきた道がはるか背後に延々と連なり、まだ見えているか見えなくなるかの境界線にきたころに俺たちは魔族の住居らしきものを発見することになる。
ひどく粗末なつくりの住居は小屋と呼ぶことさえ憚られ、藁や土で補強してある。
申し訳程度に育てている畑には乱雑に作物がなっている。
魔族の一人が畑を耕していた。
麻布のような質感の布でところどころ土のついた着物を腰のあたりで紐で結んで着ている。
息は軽くきれており、汗も少しかいている。
「アイラ、あれあるか?」
「はい」
俺がアイラに出してもらったのは、男が畑を耕すのに使っているものとよく似た農具。それと飲み物や軽食類だ。
農具はかつてアイラの鍛治の練習でできたもので、当時ギャクラで売っていたものの中ではそこまで良いものでもなかった。
だがあの男が使っているものに比べればまだマシではなかろうか。
俺はできるだけにこやかに、和やかに声をかけた。
「大変そうですね。こちらで休憩がてら少しお話聞かせてもらっても構いませんか? 遅れた分は手伝って取り戻しますので」
男は耕していた手を止めてこちらに顔を向けた。
そばかすの入った頬、細めではあるが農作業で鍛えられた腕、肌の色はホームレスは薄緑だったが、こちらは水色を限りなく薄くしたものだった。
その肌の色さえなければ人間と言われてもわからないだろう。
「ん……? 誰だ? ……って人間でねえか!」
「こちら、手土産になります」
アイラの練習作はアイラが捨てようとしたのを、どうせなら入れておけと腕輪にしまったものである。なんの思い入れもないのでアイラからすればゴミらしく、俺が彼にあげようというとあっさりと承諾した。
今の農具に不満があったのか、彼の顔にはちらりと喜びが浮かぶ。
「お、おお。悪いやつじゃねえのか?」
そんなにあっさりと買収されて良いのかと下級魔族の危機意識の低さについて言ってやる義理もない。
「ここの村には他に人がいますか? それとここってノーマの領土内ですかね」
前者はわざわざ聞かずとも見て回ればすぐにわかることで、本当に聞きたいのは後者の方だ。
ここがノーマであっているか、これが間違っていれば俺たちの道程が無価値と化す。
一応、伝記や勇者の物語における記録から推測される方角へと歩いては来ているのだが、それも物語の記述が正しいことが前提となる。
そんな俺の不安は拭い去られることとなった。
「そうだい。ここは魔王様の支配内、年に一度は城からお偉いさんがくる」
村は結構広い範囲に及んでおり、ここから見渡す限りには他に民家がないのに、まだまだ村人はいるとのこと。
「じゃあ、一番物知りな人の家はわかりますか?」
「そりゃあ、そっちの畑を越えて5分ほど歩きゃあ着く」
案内してやろうか、との申し出をありがたく受けておく。
初めて会った一般魔族が人間とあれば斬りかかるようなキチガイではなくて本当によかった。
まあ彼があっさりと信用してしまうのも無理はない。
彼から見た俺たちの情報というのは3つしかない。
1、敵対心が感じられない。
2、自分よりも弱そうな子供。
3、自分に利益(農具)を与えてくれた。
1と3は正しい。しかし2は間違っているのだがそこは言うまい。
彼はビフと名乗った。
たわいない雑談とともに、例の人物のところへと案内された。
さっきの家とは違い、こちらは小屋だと断言できる程度には大きかった。
「キャロさん、お客さんですよ」
ビフが片手で扉を叩いた。すると中からは髪を後ろで括った女性が現れた。
「あら、ビフじゃないですか。私にお客? どちら様?」
丁寧ながら、その口調には不審感がこもっている。
「ここまで旅してきた人間の子供だいな。まあ多分悪いやつじゃねえ」
ビフの隣にいる俺たちを一瞥し、家に招きいれた。
俺は手土産を渡すことを忘れずに、ビフと同じような対応を心がけた。
あらかじめ魔族とこのように関わることもあるかもしれない、と三人には言ってあるので、特に何も言うことなく後ろをついてきている。
「まずは食事から始めましょう。同じ食卓を囲んだ者同士でないと、仲良く話なんてできないでしょう?」
にこやかながら笑っていないその目に内心うすら寒いものを感じながら、出された食事に手をつけた。
メインディッシュはやや硬めの肉であった。
「なんの肉ですか?」
するとキャロさんはその質問を待ってましたとばかりに即答した。
「旦那です。昨日の昼頃に狩りに出かけていて、死にましてね」
旦那の肉、と淡々となんの思い入れもないような無表情で答えたキャロさん。
だが俺はそこに込められた意味が嫌がらせでもないことを知っている。
確かにそういう風習の残る地域があるとは知っていたが……。
「そうですか。ありがとうございます。美味しいです」
「そう……ですか。お悔やみ申し上げます」
「おいひいです」
三者三様の謝礼であった。
ロウは淡白に、それを普通のことのように。
カグヤは今は亡き旦那さんに思いを馳せながら。
アイラは純粋に料理としか見ていなかった。
「最大の歓迎をしていただき……ありがとうございます」
こみ上げてくる酸っぱい何かと想いを笑顔で包み隠して、俺はそこに込められた意味に謝礼を述べた。
魔族は死んだ人を食べるという習慣があった。
食べる人はその人を殺した本人であったり、親しい家族や友人であることが多い。
魔族における葬式、とはみんなで故人を悼みながらその人の肉を食べることをさした。
そこには魔族の生活の根底にある「力」や「強さ」という概念が深く関係していた。
魔族は結果に拘る。勝利という結果を出す原因を「力」や「強さ」として認めている。
かつて魔族の間には死んだ相手を食べるとその人の「強さ」の一部を受け継げる、吸収できるという俗説があった。
今でこそそれがデタラメであることがわかっていて、王都などではその習慣も廃れてしまっているが、こうして貧しい農村部などではそういった習慣が残る地域もあるのだ。
人の肉も貴重なタンパク源、ということなのだろう。
人間が魔族を嫌悪し、そして幾度となく戦争を繰り返したのはここにも原因があった。
価値観の相違からくる文化差。それは人間にとっては受け入れられないものもあったのだ。
獣人は自然とともに生きるとし、死んだ人を生前好きだった場所などに埋めたりするという。
それは人間が獣人にたいして、「供養もろくにできない野蛮な種族」という差別を引き起こす原因ではあるが、それも魔族ほどではなかった。
人間の魔族にたいする見方の一つには、「同胞でさえ喰らう醜悪な種族」というものもある。
だが、ここで旦那の肉を出されたことの意味はたった一つだ。
親しい人しか食べないとされる肉だ。俺たちをそれを食べる権利のあるもの、つまりは対等に向き合う相手として認めてくれたということだ。
文化にはいろいろある。向こうが歩みよってくれたのに、こちらが受け入れなくてどうする。
涙の筋のあるカグヤとは対照的に、最大限の感謝を示して、初めての知的生物の肉を味わった。