砂漠の底に蠢くモノ
ウィザリアから出てから約二週間。
頭のてっぺんからローブを被った四人の不審者が歩いていた。俺たちだ。
俺たちの周囲に広がるのは砂漠だった。
「暑い!」
ロウの一言は全員の気持ちを代弁していて、誰もツッコむ気力さえなかった。
「暑いからといって絶対にローブを脱ぐなよ」
俺も注意するので精一杯だった。
砂漠で旅人にとっての一番の障害はその暑さに他ならない。
もちろん魔物も草原とかとは違う奴らが出るが、ある程度の強さと判断力さえあればそこまで脅威ではないのだ。
砂漠での死因は脱水症状がほとんどだが、幸い俺たちにはアイラのおかげで水と塩は腐るほどある。
砂漠に行くと決めてから大量に保管してあるからだ。
アイラのアイテムボックスは中に入れた物の時間を凍結する作用があるので、劣化の心配もない。
「どうしてだよー」
「馬鹿だな。俺たちがいつも服を脱いで涼しくなれるのは俺たちの体温よりも外気温の方が低いからだ」
砂漠では日中摂氏40度を超えることもよくある。
そんな中で乾燥した外気に素肌を晒すなど自殺行為だ。
「それに直射日光を浴びるのも問題だ」
日光は浴びれば体力が奪われる。
熱中症になった日には判断力まで低下して、雑魚に出会っただけで全滅必至だ。
「こまめに水分をとれよ。あわせて塩もな」
「次はどこに行くんだったっけ?」
カグヤの炎属性の魔法の応用で体温を快適に調整されたアイラが尋ねた。
カグヤ自身は体力があるのか、ローブさえ被せておけば結構平気な顔で歩いていた。
つまりは暑さでひーひー言っているのは実際は男子陣のみということになる。
情けないかぎりだ。
「次に行くのはガラスだな」
ガラス。かつては多くの小国がいくつも集まっていた地域だった。
数百年前までは小さな戦争が絶えない地域で、戦国時代とも言える、群雄割拠の場所だった。
それが850年前の魔族との戦争によって一時休戦し、結託して勇者召喚の儀を行った。
この世界と元の世界では時間の流れが違うようで、その時召喚されたのはおそらく30年程前の日本からだと思われる。
召喚された日本人は彼らの言語や単位規格を統一した。
これにより情報伝達が著しく発達した。
当時はこの大陸にも少数はいた魔族も、不利を見て撤退していった。
初代勇者は追撃中の手を緩めることなく、当時の魔族の国に攻め込み、魔王城に乗り込んで魔王を倒してしまったという。
彼の功績は今もこの大陸中に語り伝えられ、その栄光により、魔王討伐に乗り出した国以外の言語までもが日本語になったと言う。
「それだけ聞くととんでもない奴だよな。カリスマっつーかなんつーか」
「カリスマってなに?」
「えーっと大衆を惹きつける魅力みたいなものかな? この人についていけばなんとかなるだろうとか思わせるみたいな?」
「うーん。レイルくんの良さはわかる人にしかわかんないからねー」
「いや、人質とったり毒仕込んだりするような奴はそうそう好かれやしないよ……っと」
魔物のお出ましだ。
魔物の中で獣型を魔獣というならば、爬虫類型は魔蟲だろうか。
砂を掻きわけ襲いかかってきたのは砂塵蟲竜。
竜とは名ばかりで、大きさは2〜3メートルほどしかなく、種族としても全くの別物だ。サメとチョウザメより違う。
ワニのような体表だが、構造はまるで異なる。
通称砂漠の吸血鬼と呼ばれ、竜とも鬼とも言われるのには理由がある。
「どうして! 刃が通らない!」
カグヤが先陣をきって斬りかかるが、その硬い皮膚は生半可な刃を通さない。
アイラも突撃銃を二、三回ほど発砲しているが、その程度では効かない。
前衛が慌てて距離をとった。
うねりながら砂塵蟲竜は前衛のいた場所に突撃し、砂を巻き上げた。
「どうするのっ!」
「私が魔法で……」
「いや、やめとけ。おそらく効かない」
昼夜の温度差の激しい灼熱と極寒の砂漠において、生半可な炎魔法では効かないだろう。
「いや、さっきから集めたこれなら……でも確実には当てられないのよね」
そういえばカグヤはさっきからアイラの周囲の熱エネルギーを溜めてたっけ。
カグヤの手元に透明の球体が見える。あれはおそらくあの部分だけ超高熱になっているのだろう。
風魔法は刃が通らないならあまり期待はできない。
水魔法は、水を使っても威力的には風とあまり変わらない。
そして地属性は、普段から砂に潜っている相手には当てにくいだろうな。
そう、これこそがこいつが砂漠で恐れられ、大層な二つ名を冠する理由だ。
生半可な攻撃力ではその皮膚すら貫通できず、やられる。
そして倒した相手の血を啜ることで栄養と水分を補給するのだ。
コップ一杯の水分で1ヶ月は活動できるという。
地と風属性の魔法の複合で地中のこいつを察知して避けるなど、こいつは避けなければならない。
砂漠の危険モンスターの一つだ。
その皮膚から肉にいたるまで、高価で取り引きされるため、一攫千金を狙う者が後を絶たない。
竜の名を冠するのも頷ける話だ。
「退却して私が……」
アイラがリボルバーを取り出そうと腕輪を操作する。
俺はこいつの生態を思い浮かべていてとあることを思いつく。
「いや、アイラ。リボルバーじゃなくって水を3、4本出してくれ。試したいことがあるんだ」
砂塵蟲竜はその刺々しい口を開けてこちらを威嚇している。
開いた口の中に肉感のある赤い粘膜が広がり、油断すれば腕の一本ぐらい呑み込まれそうだ。
だが奴に襲われた人間は血以外の欠損はないという。
多少は擦り傷噛み傷はあるが、体としては五体満足のまま、血だけが吸われるのだ。
そして一人を吸うと満足してしまい、去っていくという。その一人は死んでしまうという。
吸血量はたいしたことがないのに、どうして死ぬかというと、奴の唾液には血液凝固を妨げる毒があるからだ。
恐ろしい死に方である。砂漠で全身から少しずつ血を失って死ぬのだ。
一人しか死なないというのは、これだけ危険な生物がいるのに、平気で金持ちがここを渡ろうとする原因でもある。
すごく安い奴隷を購入して生贄にし、通り抜けてしまうのだ。
倫理観的にもあまり褒められた行為ではないが、新米パーティーがこいつと出くわしたときの最後の手段でもあるというのは冒険者の裏話で有名だ。
「水?」
「ああ。おまけで少し塩も入れてな」
俺が今からすることは、砂漠において自殺行為に等しい。
だが俺たちには水が腐るほどある。
大きな瓶に700本ぐらいあったから、おそらく1000リットルはあっただろう。
俺はそいつを奴の開いた口に向かって投げた。
「ぎしゃぁぁぁぁっ!!」
別に割れたガラスの破片で口の中でも傷つけば、なんて思ってはいない。だって俺、そんなコントロール良くないし。
案の定、瓶は狙いを外し、奴の頭部で割れた。
水が口に、そして皮膚に流れていった。
先ほどの叫び声は決して苦痛によるものではない。むしろ喜びによるものだ。
砂漠の生物は総じて水に飢えている。
その渇きを潤そうとして食べ物を食べているといっても過言ではない。
ならばその渇きを潤してやろう。
砂塵蟲竜は満足しておとなしくなった。
だがここで逃がす俺ではない。
「それ、もう一本」
俺はおとなしくなった砂塵蟲竜の上からもう一本の水瓶を開けて上から掛けた。
そしてもう一本、もう一本とアイラに出してもらった分全てを掛けきった。
蟲竜は最初こそ喜んでいた。
だが途中からその様子は段々と変わっていった。
生物の本能に食いだめというものがある。食べられるときに食べておくのだ。
奴の単純な脳は水を食事と錯覚し、止められなくなってしまったのだ。
それはまるで麻薬中毒者の前に麻薬をばらまいたような反応であった。
砂塵蟲竜の特殊な皮膚にも秘密があった。
砂塵蟲竜の体表は皮膚呼吸と皮膚からの水の吸収ができる。そして表面から水を逃がさない構造だ。
砂漠に適応しようと進化した結果だと思われる。
二つの条件が蟲竜の脳に快感をもたらし、そして奴の肉体に限界が訪れることになる。
「ぐぎゃ……ぎゃしゃぁぁ」
蟲竜はびくんびくんと痙攣していた。呼吸ができなくなり、うまく動くこともできなくなっている。
そしてそのまま血の混じった泡を吹いて死んでしまった。
「うわぁ……」
「どうやったらそんなことになるんだよ……」
「レイルくんは凄いけど、気持ち悪い」
他の三人がドン引きしていた。
◇
すでに動かなくなった砂塵蟲竜をなんだか申し訳なさそうな目で見る三人に俺はなんだか悪いことをしたのかと謝りたくなった。
確かに多少絵面は悪いかもしれない。
だが安全かつ簡単に殺せてお得じゃないか。
俺は気をとりなおしてこれからのことについて話すことにした。
「……えーっと…………よし! 今日は砂塵蟲竜の焼肉だ!」
「食べたりできるの?!」
「だって水しかやってないぜ?」
「どう見たって不治の病とか、即効性の毒を投与されたようにしか見えないんだけど」
ま、まあそうだな。
ごふって効果音が聞こえていたもの。幻聴とかじゃなくて。
俺たちは皮を剥いで肉の解体に移った。皮を剥ぐと直径30cmほどの胴体が一回り小さくなった。
さすがに全部は食べきれないので、残りをいつものようにアイラのアイテムボックスにしまう。
その他にも、牙や毒、内臓などにいたるまで、役に立ちそうな部位を回収していく。
肉を焼きながら、今回の戦闘について尋ねられた。
「で、今回はどうやって倒したの? なんとなくはわかるんだけど……」
「今回は水中毒みたいなものだな」
「水中毒?」
「ああ。砂漠で暮らす生物はより少ない水分で生きていけるように尿の排出量が少ないんだ」
「それが何か関係があるの?」
「いつもは少し血を吸うだけで生きていけるのに、それが水になるんだ」
「確かに俺たちも食事全部が水になったら嫌だよな」
「最大の死因は奴が水を取りすぎたことなんだ」
尿の排出限界を超えて水を摂取し続けると、内臓の器官が不調をきたし、痙攣、呼吸困難、昏睡などが起こる。
これはあくまで人間の症状で、こいつはどうなるかはわからなかったけど、死ぬことには変わりがなかったようで何よりだった。
それに、砂漠の生物でもラクダとかだと水をため込めるからあまり意味がなかったり。
まあ死んだら儲け物。そうでなくとも、少しの血でお腹いっぱいになるなら水で十分だろうと。
俺がそのことを説明し終えると、カグヤはいつものように呆れた顔で溜息をついた。
「なるほどね。それも前世の知識ってやつ? まあそれでも頭がおかしいわよ」
「え? 何が?」
「真似したくても真似できないってことよ」
水を掛けるだけだぞ?
「レイルが砂漠を抜けるって言ったときは結構不思議だったのよね。いつもはより安全な道を選ぶから」
そうだよな。
砂塵蟲竜はそこまで頻繁に出くわすものでもないから大丈夫かと思ったんだけど。
今回は運が悪かったんだよ。
「そうじゃなくってね。アイラの銃があれば大抵の敵は大丈夫だっていう自信かと思ってたのよ」
「そんなことは思ってねえよ」
「普通はあんなことを考えないの。砂漠の命綱である水を! 一匹の魔物を倒すために四本も使っちゃうとか!」
いや、だって。奴の皮は高く売れるし、リボルバーで派手に倒すよりも損傷が少ないほうがいいだろう?
それに肉だって鉄の弾が入ってないほうが美味しいだろうし。
「いや、間違ってるとか間違ってないとかじゃないの。なんていうか、酷いわよね。特に絵面」
肉は案の定美味しかった。
なんていうか、弾力があって食べ応えのある肉だ。
むちっとしていてどこか引き締まったような肉だった。
とりあえずカグヤの説教みたいなのは聞き流してだな。勇者候補なんて名前だけだよ。名前だけ。
どちらかというと、世間のイメージ的には魔王とか盗賊に近いんだよ、俺は。
むしろお前の方がずっと勇者っぽいぜ。
今は目の前の料理を楽しもうぜ。
アイラを見習え。まぐまぐと美味しそうに食ってるじゃねえか。
アイラはかわいいなあ。ずっとそのままでいろよ。あ、胸はもう少し成長してからでいいからな。
アイラ「もうレイルくんがすることに驚いたりするのはやめることにしたの」