スイッチバトル
ベヒモスに噛み付いている龍の背中から誰かが飛び降りた。
目にも留まらぬ速さでベヒモスの足元までいくと、下から刀で斬撃を飛ばした。真空の刃は一本の線となってベヒモスの足から肩までをざっくりと傷つける。 ベヒモスの皮膚はぱっくりと切り裂かれ血飛沫が雨のように降り注ぐも、地上の人物には一滴たりともついてはいない。カグヤにしても同様である。
「どうして……ここに……」
あまりに久しぶりに出会った懐かしいその顔に、カグヤは感嘆とも疑問とも思えぬ呟きをもらした。
鬼族のうち何人かはその顔を知っているようであった。
しかし彼を知らぬ大半は突然の龍の出現と併せて何が起こっているのか理解が追いつかずにいた。
「カグヤちゃん、また会えたなー!! この俺様が来たからにはデカブツなんざ黒焦げよ!」
一匹はケヤキ。その圧倒される存在感とは裏腹に親しげに、気さくに話しかけてくる。
兵士に冒険者、鬼族が一斉にカグヤを見た。
その顔には「お前の知り合いかよ!」というのがありありと見てとれる。
そして龍から降りてきた老人は着物を着ていた。すっかり白い頭髪と対照的な黒を基調とした装束に、腰にさらにもう一本刀を差している。手にはほとんど血糊のついていない銀色の刀身が輝いている。僅かに残る血をとるために地面に向かって刀を振った。
「久しぶりに大事な娘の顔を見にきただけじゃ。何もおかしくはないじゃろう? 元気そうで何より」
「私たちが苦労してくぐり抜けた結界は?!」
「んなもん、斬ったわい」
「斬った……やっぱりおじいさまはあの歪みを抜けてきたのね。相殺しきれてないから私たちと一緒で若返ってるじゃない……結界を物理で斬るとか……」
カグヤが話している間、ベヒモスはケヤキが食い止めていた。
動きの鈍いベヒモスに対し、ゆらゆらと飛び回って撹乱しながら時折水の刃がベヒモスの身を削る。
「そんなことより、まだ援軍は来とるみたいじゃぞ。さいくろぷすなぞというデカいのが數十体ほどな」
サイクロプス。それは一つ目の巨人ではあるが、厳密には巨人族とは明確に区別されている。見分け方は一つ目かどうかと言葉を話す知性があるかどうかである。巨人族は人種族として認められているのに対し、サイクロプスは神話を起源とする魔物扱いであったりする。
大きさは小さいもので三メートル、大きいものでも六メートルを超えないという。とはいえ、一般的な人種族の平均は小人を除いて一メートルから二メートルの間に収まる。それより大きいことは確実であり、なんの慰めにもなってはいないのだが。
二人の会話を聞いていた周囲は否応無く沈黙させられた。
ベヒモス一体で戦況がひっくり返されるのだ。ベヒモスほどではないにしろ、巨人が大量に投入されればどうなるかは自明である。
既に後方では被害が拡大し続けており、混乱が戦場を侵食していく。不安と動揺は士気の低下に繋がり、鬼族の加勢でできた余裕も尽きたと言えるだろう。
「じゃあこちらを三人で抑えましょう。おじいさま、手伝ってくれる? 鬼族たちを向こうに……」
「あんのデカブツか? そんな図体だけの奴はケヤキにでも任せとけばいいんじゃ。そんなことより……お前さんはあちらを相手してやればどうじゃ?」
ふ、と息を抜くような呼吸と共に空を仰ぐ。
そこに現れたのは牛車であった。正確には牛が引いていないので、牛車ではないが、牛車と同じような形の車であった。
まばゆいばかりに光を放ち、ベヒモスや龍の戦闘を迂回しながら剣聖とカグヤの元へとやってきた。
ベヒモスと龍さえもが動きを止めた。
「なに、あれ?」
天から現れたそれから、羽衣を着たこの世のものとは思えぬいでたちの女性が数名降りてきた。
ゆったりと降臨した彼女たちはカグヤの前にやってきて微笑んだ。
「見つけた」
凛と鈴を鳴らしたような声で確かにそう言った。
カグヤだけではない、その場にいた全員が聞いたのだ。
「なんのようかしら。ここは今戦場なんだけど」
「我らが族名を言うとすれば、月之民」
「邪神と名乗る者より、この星を滅ぼすとの通達があったので、その前に下見です。本来ならば偵察者を送り込んでいたのですけどね」
「見つけた、って言ったわよね」
「我が種族は何百年かに一度、偵察のために幼体の一人を自立意識のない生物で中に空洞がある生物に送り込む。そうしてその星で強くなり、偵察の終わったその者を我らが迎えにいくのが慣習」
「間違いない。随分と場所が変わって、魂も何もかもが変わっているが、紛れもなく我が種族」
「そなた、幼きころに母親がおらず、別のものから生まれたのではないか?」
次々と口にする得体の知れない女性たちは確かにカグヤを同族と言ったのだ。
カグヤは人間かどうかさえわからなかった自らの出生の秘密をこんな形で唐突に明かされたことに混乱していた。
「私が……あなたたちと同族?」
「そう。月に戻って滅ぶまで待とうぞ」
「こんな穢れた場所にいても仕方があるまい?」
似たような顔、似たような仕草で見分けのつかない彼女らはまるで全員で一人かのように話す。
個性を無視するようなその気持ち悪さに、不快感をあらわに答えた。
「無理ね。お断りよ。私はもう、ここに居場所を見つけた。どんな種族であっても、私は私。おじいさんとおばあさんの娘で、ロウの妻。レイルやアイラの仲間よ」
「そう、仕方ないわね。実力行使かしら」
月之民はぞろぞろとカグヤを囲む。
「私が相手をするわ。ケヤキおにいさん、おじいさん、それ以外を任せたわ」
そう言うとカグヤは全身の隅々までくまなく魔力を行き渡らせる。
呼吸を再度整え、一瞬目を瞑る。するとカグヤの中で世界がゆっくりと鮮やかに色づく。
剣聖はサイクロプスへと駆けていった。
自らの娘に、こんなやつらに負けるわけがないという絶対の信頼を寄せていた。
カグヤはそれを言われずとも感じ、そしてそのスパルタ具合を修行時代を思い出して懐かしむ。
龍対ベヒモス、剣聖対サイクロプス、そしてカグヤ対月之民。
魔獣戦線は激化の一途を辿っていく。
カグヤにはカグヤの物語があるのでしょう




