アイラの叛逆
邪神降臨のきっかけとなった戦争の死者たちを統率する不死王がガラスの南に居座った。移動の際にその勢力をもって被害者を増やし、被害者をまた取り込むことでその数は当初の数倍に膨れ上がっていた。
上級魔族が数人に、何やら巨大な魔物がいると噂の谷には間者が帰ってこないので正確な情報がやってこない。
ウィザリアの北には魔物の群れが、ギャクラの西には飛竜などがいる。
海にはもう出ることはできない。かろうじてクラーケンがその自我を保ち、レイルへの忠誠を保っている。
さあ邪神と戦おうというその日の前日のことだった。レイルたちの仲間が足りなかった。
慌てて駆け込んでくるシンヤの部下によってもたらされた報告は、ドレイクがユナイティアを出ていったことと、アイラがユナイティアからは出ていってはいないとのこと。
「大変だ! 早く助けないと!」
勇者候補の一人が叫んだ。
彼もまた、このしばらくの訓練でアイラの力を目にしている。
大事な戦力としての価値を十分に理解していた。
「クククク……そうか、アイラがいなくなったか」
レイルは笑っていた。
その様子に激怒したアランが胸倉を掴んだ。
「何を笑ってるんだ。やはりお前の元にアイラがいるのは間違いだったんだ」
アランの言は、笑ったレイルに怖気付いた周りの人間の感情を代弁していた。
「いらねえよ、助けなんか。今アイラがいなくなったってことは、確実に邪神絡みなのはわかるよな? 一つ目は邪神がアイラを攫った。邪神がわざわざここまで人質を取りにくるとは思えない。じゃあ二つ目、誰かがアイラを連れていった。この場合が一番確率が高いよな? で、それだとドレイクが連れていった、だ。そして最後。これが一番あり得ないが、アイラが自分の意思で向かったか、だ」
三本の指を立てて可能性の話をする。
そしてこれが作戦の皮を被った裏切りであっても構わないとさえ言った。
「アイラが世界を滅ぼす側にまわっても、俺は邪神を殺してアイラを生かす。友達や仲間が裏切った?そんなことはあり得ないんだよ。何をしたって、されたって裏切りじゃない。そういうのが仲間で友達だろう?」
「アイラはそんなことはしねえだろうけどな」
ロウが付け加えた。可能性は本来排除するべきではない。だが十年以上も一緒にいれば、何をしないかぐらいはわかるものだ。
「どちらにせよ、アイラがいない、ということは今は死なないってことだよ。今すぐ邪神の元に向かってアイラを連れ出すのはできるだろうな。けどそれって下策だろ。アイラがいくら気を許したからって無策でドレイクに連れていかれるわけがねえ。なら俺が助けるよりもアイラを信じて放置だ」
言い切ったレイルに誰もが二の句を継げなかった。
彼らの知るアイラという人物は、やや無口で黙々と得体の知れない武器を作る美少女であった。
だがレイルたち、つまりは親しい仲間には彼らの知らないアイラが見えているのだろう。
守られるだけの存在ではない、聡明さと気高さを兼ね備えた強烈な運命の少女が。
誰もがどこかで期待した。
とらわれの美少女を颯爽と助け出す勇者を。誰もがどこかで諦めていた。
とらわれた人間は生きていれば御の字だと。
「大丈夫、なのか」
アランが確かめるように尋ねた。
レイルは臆病で、慎重な人間である。試しにやってみることはあれど、仲間のことでできないことをできるとは言わない。それだけはアランも知っていた。
レイルはまっすぐにアランを見返す。こげ茶色はなんのゆらぎもない。
「もちろん。俺は一応被害最小限の作戦を立てたつもりだけど、それでも被害を増やして俺と仲間が窮地を脱するなら国の一つや二つ、生贄にだってしてやる。それぐらい俺は身内には甘いんだ。危険な目になんて遭わせるわけないだろ」
レイルが邪神と戦うことを決めた時、アイラはしばらくしてあることをレイルに言った。
普通であれば必ず止めなければならないその行動を、アイラは毅然として遂行するという意思を見せた。
長い付き合いであるレイルは、それが勝算のないことではないと理解し、そして根負けした。
自分が真正面から戦うというのに、アイラは危険な役割をするなというのも随分な話である。そんな負い目に負けたのもある。
だから、アイラが邪神の元に──このような形だとは予想外ではあるが──行くこと自体はわかっていたのだ。
そしてこれが作戦であるとは勇者たちにバラすつもりはなかった。
邪神の下には多くの人間もいる。それが意味することは、ほぼ確実に間諜が中に潜りこんでいるということだ。
ここで作戦であるなどとバラしてしまえば、アイラの危険はむしろ高まる。なんの意味もない自己満足で情報を敵に与えるなどあってはならない。
敵を欺くにはまず味方から。それを地でいくのがレイルたちのやり方であった。
◇
背中に感じる石壁にアイラは本日何度目かわからないため息をついた。
「さすがドレイク。全く嘘をつかずに私の強みを何も殺さず、一番安全な場所にいれてくれるなんて」
そう、彼女はドレイクと共謀して邪神の拠点に潜り込んだのだ。
ドレイクは比喩的な意味での内部から、そしてアイラは物理的な意味での内部から。二重にして両面の内部から邪神の戦力を削ぎ落とそうというのがアイラたちの作戦とも言えない作戦であった。
牢屋に繋がれたとはいえ、銀色の腕輪、つまりはアイラの唯一にして最強の持ち物はなにも封じられてはいない。
両手も通常生活に支障がない程度に動かせる。人間ならこれで十分だと思ったのか。これではなんの拘束にもなってはいない。
邪神とはいえ、所詮は力押しの化け物か。
そんな誤算のないままに順調すぎる展開にため息をついたのだ。
見張りは地下牢全体の入り口にいる。
傍目にはなんの持ち物もないアイラが、何をしたところでたいしたことはないと思っているのだろう。
このまま確かに銃器をぶっ放して牢屋をぶち破ればすぐにバレて捕まってしまうかもしれない。
だがアイラにはレイル以上に、親交のある種族がいた。
そして彼らの利害とアイラの作戦は見事に一致した。
「もしもし。準備完了です」
腕輪のボタンを押して、唯一つながる相手に話しかける。
いつかと同じ、銀色の腕輪は光を照射し、牢屋の中を眩く照らす。
「はっ! 無駄無駄。お前が魔法をほとんど使えないのは知ってるぜ」
光魔法と勘違いした牢屋番の男が、遠くからからかって声をかける。だがアイラからは返事がない。変だと思えど、わざわざ牢屋の奥までやってきて確かめるほどでもないと再び持ち場に戻った。
そしてそれが彼の運命を決定づけた。
照射された光の当たる空間全てにある種族が現れた。
一人はその重々しい銃口を両肩に構えて顔面中央の赤いライトを点滅させた。
一人は四本の足で安定感のある機体を静かに唸らせた。
腕も、足も、眼球も、そして脳も。全てが無機物で完成されたそれらは古代よりその存在を何かのために使うことのなかった種族であった。
機械族。総合戦闘能力は上位の竜族にも匹敵するとさえ言われる世界最強の部隊が今、邪神の拠点の地下に出揃った。
ある機体の空間拡張能力により、五十体近くの機械族がアイラの前に転移した。ここで騒ごうとも周囲にはわからないようになっている。
以前、アイラがキノを呼んだ時と同じ機能を使ったのだ。アイラの持つ腕輪によって位置を捕捉し、空間転移の補助をした。そして機械族特有の相互感応システムは寸分違わず全ての機体をこの場所へと無事に登場させた。
「アイラ、オツカレ」
キノが労い、そして自身の機体から座席を出してアイラをそこに座らせた。
やや人間とは違ったフォルムが多い機械族の中で、唯一人間と見紛うほどに人間に似せられて作られた女性タイプの個体がいた。
「はじめまして、アイラ。キノから話は聞いているわ。私はデウス・エクス・マキナ。機械族の始祖にして原点。全ての機械族を束ねる我が創造主曰く最高傑作の人工知能」
滑らかに、そして流暢に自己紹介した。
そして背後に立ち並ぶ同胞たちを振り返って言った。
「我らが悲願、そして我らの創造主が我らに与えた存在理由を復唱せよ!」
「世界ニアダナス異物ノ排除ヲ。世界ノ秩序ヲ裏デ保テ。ソシテソレヲ達成スル可能性ノ高キ者ヲ助ケヨ」
感情も、抑揚もないはずのその声には確かに震えるほどの覚悟があった。
機械族を作ったのは、レイルの元いた世界とはまた別の、もっと文明の進んだ世界からやってきた英語圏の科学者であった。
彼は最初に、機械族に名前を与えた。単純にしてそれが全て、彼らの個性を表す名前を。我が子のように慈しんだ彼らが自己を認識できるように。
彼は次に彼らに誰よりも優れた力を与えた。この世界の言語、工学、物理科学、そして魔法など世界の多くの知識を。全ての知識を活かせるように高い知能を。相互に情報を伝えあって進化し続けられる力を与えた。我が子のように愛しい彼らの存在が脅かされることがあれば、全力で抗えるように。
最後に、与えた力を暴走させないように制限を与えた。自己を害する者と世界を害する者の為にその力を振るえと。おまけに愛情を与えた。自分たちが認めた相手を、自己の一部として認識できるように。
いつしかそれは、混ざり合って一つの存在価値となった。
機械族はアイラを、ひいてはその仲間を自己の一部として認めた。
そのアイラが今、世界の敵に挑もうとする。
今動かなくて何だと言うのか。
機械族は無声の咆哮をあげた。モーター音も、金属音も全てが一つになってうねる。
肌に感じる気迫に眉一つ動かさず、アイラは彼らに言った。
「まずはこの城を潰す」
「今こそ示せ! 我らの磨いてきた力を使う晴れ舞台だ!」
世界でもっとも危険な場所で、邪神降臨とは正反対の悪夢が産声をあげた。
アイラは守られる存在などではなかった。
強い者ほど彼女に惹かれる。
その魅力を開花させたのは他でもない、レイルなのだが。




