聖女の敗北
俺と後ろの馬車は姿を消した。
すると聖騎士たちは装備を解いて、聖女は聖騎士を囲んでいた結界の解除を行った。
「逃げられ……ましたか」
聖騎士の中の代表格が悔しげに呟いた。
聖騎士の一人がガチャガチャと音をたてて荷物の中から水を出してレティエを労う。
「いいのです。私たちの力が通じることがわかりました。予告なしに相手が卑怯な手段を使う暇さえ与えずに戦えばきっと次は勝てます」
レティエはレティエからセティエに戻り、途端に雰囲気が柔らかくなった。
優しげな微笑みで聖騎士を労わり、それにつられるように聖騎士たちも微笑み返す。なんとも爽やかな光景だ。人を襲った後の会話でなければの話だが。
「それにしても、結界術で守っていなければなんと手強い相手だったでしょうか」
剣技、魔法共にヒジリアの上級聖騎士としての自負があっただけに、口だけの卑怯な勇者候補と言われる青年一人に遅れをとったことが悔しいらしい。
「ふう。ちょっと疲れましたね」
額の汗を拭うと、聖騎士の一人に支えられる。
結界を張り続けるということはそれだけ術者にとっての負担なのだ。
ましてや全方位からくる光と音と剣戟全てを物理と魔法の二重結界で防ぎ続けたのだ。
彼女が一流の結界術師であることは間違いない。
「妹は眠っちゃったみたいですね」
レティエとセティエは限りなく近い判断をくだす。
セティエはどうやらカイのために献身を。レティエはカイとセティエとそしてまだ誰かいるようだが、とにかくセティエの願いを叶えるために手段を選ばない。
自分が自分でない時の記憶を一部引継ぎ、しかし交流できないというのはなんとも奇妙な共存関係のようだ。
そして二重人格で後から生まれたレティエを形だけ妹と呼んでいるようだ。
どうして俺がそんなことを横でのうのうと説明できるか、だって?
そんなの。
俺がまだここにいるからに決まっているじゃないか。
「きゃあっ!!」
俺は先ほどまで張られていた範囲結界が解かれたのを確認してから一直線に背後からセティエを狙ったつもりであった。
しかし大きな誤算があった。
セティエは結界を完全には解除していなかったのだ。
個人用の簡易結界。それも彼女の表面に薄く張るだけの結界が俺の剣を防いだ。
しまった。これはマズイ。
俺たちは空間転移で消えたと見せかけて、光の魔法でその場から姿を消しただけだ。
もちろんフェイクで転移と叫んだが、馬車も仲間も皆ここにいたままである。
結界術を使う敵には結界が解かれた瞬間を狙う。
あまりにも当たり前の行動に出ただけなのだが、当然のように対策はされていたらしい。
俺は慌てて転移で距離をとって、聖騎士の剣の範囲から逃れた。
セティエはまだレティエになれないらしいが、それでも勇者パーティーの経験の賜物かすぐに範囲結界を張り直した。張りなおされてしまったのだ。
俺は光の魔法で馬車と仲間の姿を隠したまま思考に移った。
もっと準備をして、じわじわと周囲を人質にとったりしながらいたぶれば良かったか。
後悔先に立たず。個人用結界なんてなかったかもしれないじゃないか。
それにあまりのんびりとしていれば、聖女を狙っているとか大義名分をつけて戦力増強されかねない。
大丈夫。まだ逆転できるはずだ。
冷静に、落ち着いて、今の状況を確認しよう。
とりあえず今の戦法は使えない。そして今逃げたらやけになってどんな方法を使ってくるかわからない。ここで倒してしまいたい。
まずは戦力。後ろのローマニア国の奴らはカウントしない。ならば出せるのはカグヤ、ロウ、アイラだ。
消耗戦に持ちこむのならば、三人同時投入ということになるか。
そして地形。気候は晴れだ。波魔法の雷は使いにくいな。周囲は草原で囲まれており、ところどころ岩が露出している。少し離れたところに巨大な岩山がある。エアーズロックとまではいかないが、かなり大きい。
なんだ。あるじゃないか。
こんな原始的で力任せの戦いで良かったのだ。
大丈夫。今度は成功する。
無敵の人間など存在しないのだ。
「観念しましたか?」
セティエは剣をおさめて近寄った俺にそう尋ねるが、決してそう思っているわけではなさそうだ。
剣をおさめたのはあれだ。空喰らいは波魔法と相性が良いから引きずられるんだ。空間魔法を高い出力で出すなら無い方がすんなりいくだろう。
聖剣や魔剣の中には意思を持つものもあるというが、こいつに意思があるならきっと拗ねているだろう。
意思がないのが寂しいような、ありがたいような。
「何をしてくるかわからん。結界から出るなよ!」
聖騎士の言うことは正しい。正しいからといってどうにかなるわけではないが。
というかこいつら全体が正しすぎるのだ。
戦闘をつきつめれば二択。相手の力を奪うか、一撃で命を刈り取るか、だ。
その一つとして、相手の攻撃が届かない安全地帯から攻撃し続けるというのはあまりにも正しい。
これが剣こそ全て!とか言って突っ込んできてくれたらなんとでもなっただろうに。
いや。無駄な回想はよそう。
俺は空間把握を最低限にし、両手と脳内に感覚を集中させた。
「ここからは俺のターンだ」
グニャリ、と景色が歪んだ瞬間、聖女と聖騎士たちのいた場所の上空に陰がさした。
◇
レイル・グレイが不敵な笑みを浮かべて剣をおさめたとき、聖騎士たちは色めきたったが、セティエは嫌な予感がしていた。
突然、レイルが何かを発動すると、セティエたちの頭上に陰がさした。
「なんだ!」
「大丈夫だ。我らにはセティエ様の結界がある! セティエ様の結界さえあれば我らは無敵だ!」
聖騎士たちは口々に叫びながらも、聖女への信頼からその場から離れないように結束を固めた。
「無駄です。私の結界は上空にもあります!」
セティエは嫌な予感こそ拭えなかったものの、自らの結界への信用を優先した。というよりは何もできなかったというのが正しいか。
空を見上げた彼らは絶句した。
自らの視界に映るのは大量の岩だったのだ。
そう。レイルは力任せに空間転移で岩山から大きな岩をセティエたちの頭上へと転移させたのだ。
上空から降り注いだ岩は空中で崩壊し、結界に当たって壊れながら結界ごとセティエたちを埋め尽くした。
岩山の中に結界でできた空間がぽっかりと空いて、そこになんとか生きている状態だった。
「みなさん、大丈夫ですか?」
セティエが気遣う言葉に聖騎士たちは自らの無事を報告する。
全員が無事であり、誰一人として傷を負いさえしなかった。
だが無事である、ということとこれからの活動に支障が出ないことは別だ。
「なんてことでしょう。このままでは……」
セティエは気づいて絶望した。
この周囲に広がる岩山を抜け出せなければ自分たちに未来はないことに。
ここから脱出できる力を持った人間はここにはいない。
「ここは僕が」
一人の聖騎士が前に出た。この中では最も若い青年である。
彼は剣から光を放ち、岩を砕こうと試みた。
効果はあった。だが微々たるものだ。脱出に至るまでに破壊しなければならない岩の一割も削れていないだろう。
「くそう!」
唇を噛み締めて地面にこぶしを打ち付ける。
自らの無力さが嘆かわしいと涙を流していた。
「あいつはなんなんだ!」
「セティエ様が邪悪だと言われる理由がわかります」
自分たちから襲っておいてこの言い草だが、あまりにむごたらしいこの現状に不満を言わずにはいられなかったのだ。
しばらくの沈黙がセティエらの間に腰かけた。
「あれしか……ないのか」
一人がぽそりと呟いた。それに聖騎士の中から頷く者がいた。
動揺の呻き声があがる。それは聖騎士のものではない、聖女のものだ。
「ダメです!」
レティエならば許可していたかもしれない。しかし今の彼女はセティエ。慈悲と慈愛の聖女たる判断を優先してしまうのだ。
セティエは普段から感情に流されやすい自分を恨めしく思っていた。この時ばかりは感情に流されなければいけないと思っていた。
彼女の懇願も虚しく、聖騎士たちは決意に満ちた表情で目配せしていた。
「じゃあ先鋒はわしが」
今まで沈黙を貫いていた最も高齢の聖騎士が名乗り出た。
ガチャガチャと鎧と剣とを脱いで結界内の地面に置いた。
「待って!」
セティエは縋って止めようとするも、術師のセティエと騎士の彼では鍛え方が違う。
振り切られ、そして結界の外の僅かな隙間へと出ることを許してしまう。
彼は聖なる神を象徴するヒジリアの紋章をあしらった首飾りに口づけし、口の中で文言を呟いた。
激しい爆発音と共に光が辺りに満ちた。光が消えたとき、高齢の聖騎士の姿はなかった。
自爆呪文である。
本当に敵わない敵が、魔物の大群が、軍が押し寄せてきたときに少しでも多くの敵を葬り、相打ちにせめても足止めにと聖騎士全員がその玉砕の覚悟を示す意味で渡される魔導具の首飾り。
特定の言葉を鍵として、その身に眠るエネルギーを爆発に変換するのだ。
結界の中は全くと言っていいほどに穏やかで、爆発音も、閃光も、まるでテレビの画面を見るようであった。
それは結界術で遮られたからだけではない。彼女自身が、心のどこかで助かるかもしれないと期待したからだ。
親しい人の死にまるで他人事のような印象しか受けない悲しさに、セティエは自分の業を自覚した。
そして再び絶望する。
爆発で破壊した瓦礫の山の上からまた岩が崩落し、傍目には自分たちの周囲の光景に変化はなかった。破片や爆風を主な殺傷能力として使う爆発では足りなかったのだ。
しかし意味がなかったわけではない。確かに岩の多くは削られ、彼女たちは脱出に近づいた。
いつレイルが仕掛けてくるかわからない不安の中、長時間結界を張り続けていればいつか限界がくる。
聖騎士たちは命に代えてもセティエだけは助けたかった。
その顔には一片の迷いも見られない。
一人、また一人と犠牲になっていく。命の炎を最大限に灯し、ロウソクの最後のように燃え尽きていく。
レイルが見ていれば、「だから聖職者は嫌いなんだ」と言いそうな献身的なその光景に、セティエは涙を流しながら見ていることしかできなかった。
「もういいですよ」
最後に残されたのは最初に攻撃を仕掛けた唯一十代の聖騎士であった。セティエと年齢が近いこともあり、カイや父親とは違った形ではあるが、少しずつ心を開き始めていた青年だ。
「もう僕一人です。範囲結界を解除して、個人用結界のみにしてください。あなたはいつも頑張っています。どうか、自分を見失わないで……貴女だけでもご無事で」
セティエはあまりに安らかな笑顔に何も言えなくなった。
最後の言葉を皮切りに、彼もまた一つの爆弾となった。
その爆発で頭上の岩石が全て取り除かれ、すり鉢状の瓦礫の中央に彼女は座り込んでいた。
彼女一人には攻撃能力はまるでなく、範囲結界を張るほどの力もなかった。
何より、完全に優位に立ったと思った瞬間の逃亡、不意打ち、そしてこの有様である。
セティエは呆然として、痛ましいほどに青い空を見上げた。
「あんた一人だけになったみたいだな」
そこにはあの悪魔が立っていたのだ。
◇
岩に、石に、瓦礫に埋まった結界を空間把握でのんびりと観察していた。
常に見ている必要もなければ、しばらくは大丈夫だろうと最初の方は馬車に戻って休憩していた。
いくら空間術が別次元からの膨大なエネルギーを借りれるとはいえ、使えば疲れるのだ。
アイラのアイテムボックスから暖かい紅茶と菓子を頼んで、ダルさの残る頭に糖分とカフェインを供給した。
「お疲れー。勝ったの?」
「いや、まだだな。まあ時間の問題だろ」
「嫌な予感しかしねえな」
「呑気ね。そんなにボロボロになってるくせに」
「うるせえ。ボロボロなのは見た目だけだ。キツイのはもらってねえから」
ふと、結界内に異変があったので岩山を見てくると言って出た。
結界内から聖騎士が出てきているのだ。
今にも崩れ落ちそうな岩と岩の隙間に体を差し込んで、パクパクと口が動いたかと思うと爆発した。
なるほど。自爆呪文か。
これだから聖職者って奴は。
しかし今だけはその判断は正しい。
あのまま順当にいけば、聖女諸共生き埋めだっただろう。
聖騎士が生きているうちに命を賭して活路を切り開かなくてはならない。
それが少しでも多くを生き残らせる唯一の手段だ。
まあ脱出しそうになればなったで、上からさらに砂でも土でも投入すればいいんだけどな。
まあ俺としては結界を張るだけの気力がなくなって全員生き埋めで気絶してくれれば一番楽だったけど、これじゃあ聖騎士は無理かな。
と六人が消えたところで、山の頂上に穴があいた。
ありの巣だが蟻地獄だかわからないような、すり鉢状の中央、爆心地で聖女が放心していた。
「あんた一人だけになったみたいだな」
聖女がノロノロと顔を上げた。
◇
個人用結界はまだ効力があるらしく、彼女自身の肉体には傷一つない。
この防御の堅さこそが、彼女を彼女たらしめていたというか、彼女がこういう人間だから結界と時間を扱えたのかもしれない。
個人用結界はあくまで対象者を攻撃から守るだけであり、俺がその腕を掴んで立たせることも可能だった。
聖騎士たちが遺していった鎧と剣を回収していても何も言わないところを見ると、よほどショックが大きかったようだ。それもそうか。自分を慕い、信じた人間が目の前で次々と自分のために死んでいったのだから。
いくら優先順位が高いのがあの勇者であろうと、周り全てを道具と割り切るほどに情を捨ててはいないようだ。
兎にも角にも、このままでは使い物にならないどころか俺が背負って送っていくことになりそうなので、取り出した手錠と首輪をつけた後にこう言ってやった。
「あんたのせいで全員死んだな」
セティエの耳がピクリと動いた。
結局のところ、セティエがこうなったのは聖騎士のせいで、聖騎士が死んだのはセティエのせいだ。
彼女と彼らは互いに足を引っ張りあっていたのだ。
もしも聖騎士がいなければ、頭上に岩石が転移させられたところで、時術を駆使して逃げ出せたはずだ。
そこまで迅速な判断ができたかどうかは別として、聖騎士が周りにいる状態では「逃げる」という選択肢そのものが浮かばなかっただろう。
一方、聖女の存在がなければ、彼ら聖騎士は得意の剣で連携をもって俺を殺しにきたに違いない。
その場合はアイラとカグヤを投入して代わりに俺が引っ込んだかもしれないし、相対座標固定と空間転移で一方的な戦いになったかもしれないが。
そもそも俺を殺しにきたかさえ怪しい。
「あんたが全員を死に追いやったな」
もう一度言った。それも意味を強調して。
「違う!」
俺の手を振り払って地面にもう一度縋った。
地面に残されたままのロケットとヒジリアの紋章が入った小手を抱きしめた。
「あなたのせいです! 全部、あなたがいなければ……! この鬼! 悪魔!」
前世ではありがちなこの罵倒文句も、この世界ではより実感を持った非難として聞こえる。
そうだ。俺がいなければ死ぬことはなかっただろう。
俺がもっと、熱い英雄だったならば、努力と根性だけで消耗戦を挑んだだろう。それで勝つとすれば、長い戦いの末に結界をぶち破り、聖騎士たちとの剣と魔法の乱戦となっていただろう。空を飛び、光を弾き、ギリギリの中で成長したのかもしれない。
俺は自分を襲った敵を殺すことを正当化するつもりはない。
敵対者を必要以上に痛めつけるのは何時ものことだ。
俺にとって勝つことは相手を折ることだ。
そこに正しさを判断できる奴などいない。
「そうだな。悪いのは俺かもしれないし、間違っているのも俺かしれない」
今度は座ったままの聖女に顔を寄せて語りかける。
「だが、死んだ理由はお前だ。敵の能力を知っていながら、対策も立てずに、ただ力に任せて挑んだお前のせいだ。お前がいなければ、俺を討伐なんて言わなければ、あいつらは死ぬことはなかっただろうな」
この意見は間違っているかもしれない。それでも構わない。
「違う! 私はカイ様のために……! ヒジリアのために……!」
「自分のためって言えよ。俺は少なくとも全ての行動が巡り巡って俺のためだぜ? 自分の行動の責任と理由ぐらい自分で背負えよ」
護衛依頼の時に襲ってきた獲物の処遇は冒険者側に任されるのが普通だ。たとえそれが国の要人であったとしても。
つまり彼女の命運は今、俺の手中にあるのだ。殺しにきたことを多少責めたとしても問題はない。
セティエは全てを吐き出すように震えている。
先ほどの無反応に比べれば、ずっと生きている。そんな風に思えた。
そもそも今まであった殻を溶かされ砕かれ、むき出しの弱点に塩を塗り込むこの所業を責める者はここにはいない。
真に一人の彼女はその過去を走馬灯のように駆け巡らせているかのようだ。
「いやあああぁっ!!!!」
聖女の号哭が地面に染み渡った。
うっわ……長くなってますね。
敵からの視点で戦闘を書いてみたかったのでやってみたらやたらと長くなりました。
そもそも一つの戦闘に五話以上かけたくないんですよね。
もう少し描写かレイルの思考を省いて減らすかもしれません。




