逆転劇のその後で
モルデックは山に囲まれているがゆえに、慢性的な食料不足である。
古期造山帯の山脈と新規造山帯の山脈が絶妙な配置で囲っていて、鉱物資源については世界でも一、二を争うのだが、平野がほとんどないのだ。
今まではその鉱産資源の輸出で得た利益を食料の輸入に費やしていた。
そこに現れたのが、未だ体制の整っていなかったユナイティアだった。
もともと鉱産資源のほとんどないユナイティア周辺。もしもこれまで通りであれば、モルデック国も鉱産資源と引き換えに食料を輸入しようと思っていた。
あまりにも都合が良かったのだ。
モルデックの場所は前世で言うところのロシアに近い。人間の多いこの大陸の北西にガラス、東部にギャクラとあってその間に位置する。
つまりは立場が低い上に、ギャクラを通じて交易すれば距離も近いと貿易相手国としてはこれ以上ない条件であったとか。
なんなら国宝である、持ち運び式簡易次元倉庫……アイラのアイテムボックスの劣化版のようなものを渡してでも食料を運んできてもらおうとさえ思っていたのだとか。
以前レイルたちの元にそんな報告が上がっていた。
あの時はまだ周りに輸出するほど食料生産が安定していなかったし、アイラのと違って倉庫ほどぐらいにしか入らないような物を貰って恩をきせられるのは勘弁だとレイルは流したことをうろ覚えでしかなかった。
そして極めつけにプバグフェア鉱山の開拓である。
それによって唯一付け入る隙であった鉱産資源の不足が解消され、モルデックからすれば交渉の余地がなくなったのだ。
そして王と側近たちは思ったようだ。
「なんだ、随分弱そうな国じゃあないか」
兵士の数は少ないし、強いのは数人、それもまだまだガキばかり。
多少コネがあろうと、空中戦で天馬部隊には敵うまい。
そんな風にたかをくくって入念に準備した。
当日、魔王がいたことは計算外であったが、周りに護衛もなく出てくるのならば絶好の機会、まとめて叩き潰そうなどとさえ思っていたという。
魔王軍で本当に強いのは魔王姉であり、それをわかっていなかったからの愚行であった。
そしてたった一言。
たった一言で戦況はひっくり返されてしまったのだ。
全国民と、その領土の安全を。罪のない善良たる人々を人質にとった脅迫によってデリドール・モリアナはその膝を大衆の前に屈した。
彼とて好戦的で、どちらかというと気性の荒い王族になるのだが、そんな彼もレイル・グレイという敵対する者全てを道具としてしかみなさない男の前では交渉の材料でしかなかった。
理不尽な要求、軍事力にものを言わせた脅迫、そして大衆の前で喧嘩を売られたレイル側が明らかに被害者である。
それでも周囲のレイルをよく知る者たちからはデリドール王への同情と憐憫の目が向けられた。
◇
ふー。危なかった危なかった。
一時はどうなることかと。わかりやすい弱点晒してくれてて本当に助かった。
もしもこの手でやりこめられなかったら、空間把握と空間転移とで連絡手段を破壊して、帰るまでの間に波魔法でロウと協力して暗殺しなければならないところだった。
さすがにここで他の国に借りをつくるのはよくない。
ガラスあたりなんかは、恩を売って協力をとりつけるためだけに今回の戦争に出兵しかねない。
機動力と制空権に優れる天馬部隊とはいえ、他国から数十人ずつ魔術師を借りてきて魔術部隊を編成すれば対抗できないこともない。
さすがに一つの国から百人以上の魔法使いを借りるとその国の防衛が薄くなってそこをモルデックに狙われかねないので、支援といっても限界はあるだろう。
当然、無理を言って他国から借りてきた魔術師部隊など編成した日には他の国に頭が上がらなくなって貿易が対等にできたものではない。
今のところ幾つかの国には貸し一状態なのだ。現状維持したいところだからな。
次の日。晩餐会さえ終われば後は自由にするようにと言ってある。
俺としてはどこまで現代知識が作用しているかわからないので、あまりジロジロと見られるのは不安なのだが、本当にヤバイ知識は奴隷たちにも口にしないように言ってある。
あくまで計算能力と語学力についてはなんら問題ないと言ってある。そんなものは一言二言で把握し、応用できるシロモノではないからだ。
微分積分一つとっただけでも、この世界の工学や測量などを覆しかねないのは事実だが。
もちろん自国に仕事を残している人たちも多く、自然にバラバラに帰っていく。
帰る前の挨拶ではこぞって機転がきくだのなんだのと褒めそやしてくる。褒めるならその顔が引きつるのを隠した方がいいと思う。
「面白いものが見れた」
そう言って笑ったのはグランだった。
短時間で思いついた策とはいえ、こちとら必死だったんだから笑わないでもらいたいものだ。
「ここ快適なの。もうここに住むの」
リオは居つく気満々だ。
父親に止められていたけれど、一度ここに来たのなら今度は一人で来るかもしれない。危ないお嬢様だ。
◇
とりあえず俺が対処しなければならない用事はほとんどなくなった。
カグヤがあの召喚勇者を食い止めてくれたおかげで楽ができた。
ロウ曰く、怪しい行動というほどのことをしている輩はほとんどいなかったらしい。せいぜい偵察だとか、視察だとかで他国の人間がうろちょろしていただけだったとか。
重要機密は金属製の魔導具である金庫にぶち込んであるため、この中で俺の空間把握とロウの目をかいくぐって金庫を破壊し、あまつさえ持ち出すことのできる奴はいなかった。
全ての客が帰った後で、今回得られた情報などについてシンヤとまとめた。
モルデックについてはかなり不利な契約を結ばせた。
運搬はモルデック持ちで、こちらからは余剰分だけを高額で売りつけることにした。
鉱産資源のある山の所有権をせびらなかっただけ優しいもんだ。
「最後までミラちゃん見なかったねー」
アイラがそんなことを言った。
建国記念祭よりも前、擬神を倒した直後から姿を見なくなったミラを心配していた。
もっとも、ミラに心配などそれこそ杞憂だ。アランでさえも片手でひねり潰せそうな彼女は今まで見た中で最も強い存在だ。それでも不必要である、ということと、心配してはならない、とは別ではあるが。
「あいつ、冥界で問題が起きたから留守にするとか言ってたぞ」
俺は中央に花瓶の置かれた机に肘をついて椅子に座った。アイラは俺の正面に座り、腕輪の中身を整理しながらその花瓶を眺めている。
「ミラちゃんがわざわざ戻ってしばらく来ないって言うぐらいってことは大変なのかな?」
「だろうな。冥界での問題ごとなんて首を突っ込みたくないし、想像もつかないけどな」
花瓶を通して見つめあった視線を逸らし、ふと遠くの空を眺めた。
空の下には山が広がり、今も緑が覆っている。
緑は目に優しいんだったか。黒板も最初は黒だったのを緑に変えたとか聞いた覚えがあるな。
そんなトリビアを思い出していた。
「レイルはここにいるの?」
扉が軽くノックされた。
この声はサーシャさんである。
「どうぞ」
許可と共に扉が開けられた。
「すいませんね。わざわざ隠れてもらって」
「仕方ないわ。私の中に悪魔がいるんでしょう。以前話してくれた決闘の時の人は黙ってくれていても、ヒジリアが大々的に見つけてしまえばこれ幸いとあなたを糾弾するでしょうし」
悪魔というものを正確に知る者は少ない。それはつまり、歴史上の魔女裁判のようにこれといった無罪判決が出る方法がないのだ。悪魔を見たというのがヒジリアであれば処刑を申し立ててくることは想像に難くない。
俺は好きなように行動するが、それは無用なリスクを冒して敵対することがわかっているのに敵対するようにし向けて返り討ちにすることを楽しむというわけではない。
避けられるなら避けるべきなのだ。
サーシャさんには建国記念祭の間、ヒジリアにだけは見つからないようにと変装してもらっていた。
口元を覆うマスクを煩わしそうに外しているのを見ると、建国記念祭の間ユナイティアを離れるのとどちらがいいか今でもわからない。
「もうそろそろかな。アークディア!」
サーシャさんのリハビリが終わったかどうか経過を聞こうとその名を叫んだ。
俺の胸にある紫の魔法陣と、サーシャさんの前に浮かんだ魔法陣が共鳴した。
これは厳密には魔法ではなく、魂術と結界術、空間術の混成儀式の一つである。
転移門と似て非なる禍々しさのある穴が現れ、そこからアークディアが姿を見せた。
「お待たせしました、我が君」
相も変わらずの仰々しさである。
燕尾服に黒い髪、整った目鼻立ちはパッと見た外見だけでは悪魔とはわからない。鋭い者が見れば人ならざる存在であることは一発だが。
「もうこの魂は大丈夫でしょう。それどころか、私が中にいたことでつられて感覚が鋭敏になっている可能性があります」
それを聞いてサーシャさんが納得したように。
「ああ、だから魔法の調子が良かったのね」
トロルの里でそんなことを言っていたような。
「一度掴んだコツはなかなか忘れません。おそらくあなたの魔法は一段階先に進んだかと」
自転車に乗るみたいなものか。
アークディアは現世にとどまっても大丈夫なのかと聞くと、問題がないと返ってきたのでそのままこちらに顕現してもらっておくことにした。
アークディア自身、何やら嫌な予感がするので、俺の中に戻る分にはいいが、冥界に戻るのは控えておきたい、と言っていた。
さあ、後片付けでも頼もうか。
同時進行で掲載していたエッセイ「小説家になろうを味わう」が完結しました。
エッセイの日間から四半期ぐらいまでのランキング四位から下位をうろちょろしています。
もしよろしければそちらもどうぞ。




