海を後にして
演説会が終わって、次の日、オークスの元に一人の少女が訪ねてきた。
「オークス! 王に立候補するとか聞いてないんだけど!」
見ればその子は演説会にいたイカの魚人のお嬢さんであった。
どうやら顔見知りであるらしい。オークスの家人も招き入れるのに抵抗はなく、オークスもまた平然と話していた。
「言ってなかったからね」
「なあ、オークス。その子を紹介してもらっても?」
「ああ、彼女はトオ・スクイ。僕の幼馴染で、小さいころはよく遊んでいたんだ。僕が王を嫌がっていたのを知ってる家族以外の数少ない相手だよ。ここ数年はあまり会うこともなかったんだけど。久しぶりだね、立派になってて驚いたよ」
「何が立派になって、よ。どうして会わなかったのかも知らないくせに」
ああ、読めたわ。もう解説はいらない。ここからはちょっと退散したいのだが、俺はそうもいかない面倒くさい微妙な立場である。
「誰かのために王になるとか言ってたよね。あ、こんな形で競うことになるとは思ってなくって。ゴメンね?」
お前が聞くか……。
この展開で謝るのは逆効果だろう。
「…………なのに」
「えっ? 何て言った?」
「あんたが出るって知ってたらあんな恥ずかしい演説なんてしなかったのに!」
見事に地雷を踏み抜くオークスを止めることは誰にもできない。
これは通過儀礼のようなものだから、周りは適当に見守らねばならないというお約束付きである。
これ、本当に俺がいなきゃダメかな。
「どこの馬の骨ともわからない人間になんか頼って! 私だって……できることがあったのに! 何よ! あんたが王様にならないなら私がなってあんたと結婚すれば全部解決だと調子に乗った私がバカみたいじゃない!」
「えっ? えっ?」
そりゃあわからないよな。
多分ここ数年会わなかったのは、彼女はずっと女王に相応しい人物になるために努力してきたんだと思うぞ。
「なあ……積もる話もあるだろうし、俺は席を外していいか?」
「そこのあなたにも話が後であるわ! オーくんを問い詰めてから聞かせてもらうわ!」
はいはい、ご馳走様です。
くっそ、オークスはぼっち系王子様だと思っていたのに、テンプレラブコメ系の鈍感王子様だったとは。
それを見抜けずこんな甘ったるい空間に浸からせられることとなるとはなんたる不覚。
痴話喧嘩の絶えない部屋を後にした。
◇
演説会の興奮冷めやらぬ中、アクエリウムの王城の一室に数十人が集結していた。
アクエリウムに城は数多くあれど、本当の意味で王城と呼べるのはこの城しかない。
国民の選んだ神聖なる票を操作することのない人格者として認められた者だけがここにいた。
集計を終えて、次代の王の名が明らかになった時、アクエリウムの王は深い溜息をついた。それは呆れや心配ではなく、感嘆の溜息である。
「お主には悪いが……とんだ番狂わせであったな」
「私でも思いますからお気になさらず。私の立場としては、愚息を立候補はさせたかったが手助けはできないと歯がゆい思いでありましたからな。あやつが自らを王となす理由を見つけられたならいいのです」
「まさかケアノが負けるとはな」
大臣の中の誰かがポツリと言った。
やや不敬ともとれる言葉ではあったが、その言葉は多くの者の気持ちを代弁していた。
「今代は優秀な若手が多かった。誰に決まってもおかしくはなかった」
王は心からそう思っていた。
ケアノでなくとも、誰もが一長一短あれどきっと国を治める覚悟があればやっていけると。
「ケアノはまだマシだったほうですじゃ。まだまだ甘ちゃんよ。そんなんじゃからあの人間の若造一人に引っ掻き回されるのじゃ」
「あれは……またオークスもキワモノを拾ってきたものよ」
「いえ。あれはローナガ様が連れてきたものです。レイル様はローナガ様を勝たせるよりもオークス様を勝たせる方が旨味が大きいと裏切りました」
「ほう。弱いこともまた利点というか」
財務関係の仕事についていた魚人がこめかみに青筋を浮かべる。
ただでさえ長官がおらず、てんてこ舞いであったところに、局所的な貨幣価値の引き下げなどで混乱させられてはどれほど苦労したことか。
連日目を白黒させて、走り回っていたことを思い出してレイルに腹を立てていた。
王がポツリとおめでとう、と言った。
「王として……いや、一人の友人としてお主に祝いの言葉を送ろう」
「もったいないお言葉」
「まあそうなれば、お主もわしも、王城にはおれん」
「ああ。これからは次世代の若者たちが作っていく。老いぼれどもは引退してのんびりと政治顧問的に助言でも与えながら外戚としての生活でも送ろう」
オークスが王になれば、その父親の発言権は一気に増す。
何より王より立場が上の臣下などいてはならない。
「人間と手を結ぶ、か。できるかの」
「人を人とも思わぬ、魚人を魚人とも思わぬ彼と友好を結べたならもしくは」
こうして、王選定の儀は終わったのであった。
◇
まあ蓋を開けてみれば、オークスは普通に勝っていた。
票数までは公開されないので、もしかするとギリギリだったのかもしれないし、圧勝だったのかもしれない。
オークスが戴冠したと同時に、多くの老臣の辞職が届け出された。
この王にしか仕えない、と言えばなんとも聞こえは良いが、要するに新王による新たな人事体制を築きあげるための儀礼的なものでもある。
オークスによって新たな人事が発表されたとき、多くの貴族が目を見開いた。
民衆からすればさほど驚きではなかったが、新王として自分の立場を確固とするにはあまりに異常なその人事に警戒する者もいれば、笑いだす者もいた。
新王の即位祝いの会が開かれ、そこには当然王候補として立候補した貴族の面々や、元王の臣下たちも顔を見せていた。
アイラやロウ、カグヤは純粋にパーティーを楽しんでくれているようで何より。
魚の串焼きなんてものも、この国ではしっかりとした食事として扱われるようで、なんとなく酒盛りのような雰囲気のする国事に苦笑した。
モルボさんがその中にいたことについて激しく気になったが、聞く余裕などはなかった。
そんな喧騒の中、一人そっと離れて外を見ていた。
何やら白い光が海中に舞っており、下へと降り積もっている。
あれはなんだったか。マリンスノーとか言ったっけ。海中の微生物の遺骸が雪みたいに見えるやつ。
こんな場所でも見られるのは異世界独特の生態系かもな。
そんな俺に話しかけてくる者がいた。
「貴様も準主役であろうが。貴様を引き抜きたい、繋ぎを持ちたいという貴族でごったがえしているぞ」
相変わらず粘っこい声と皮肉の効いた傲慢なセリフ。
自分はすでに繋ぎを取れているという自覚と、引き抜けなかった自分に対する自虐を込めて。
「あの人事は貴様の差し金か」
そう、ローナガであった。
「ええ。面白いでしょ。あなたたちみたいな優秀な方々を、腐らせておくなんてもったいない。ぜひ中央で頼りない新王を支えてあげてくださいな」
「白々しい。まるで……」
そこで言葉が途切れる。きっと地雷の導火線みたいな、とか言いたいのだろうが、この世界にそんなものはない。うまく形容する言葉が見つからないのだろう。
「ですよねー」
普通は王候補同士、しのぎをけずった相手を自分の部下に、しかも重要職につけるなどあり得ない。
「あれでは余に……いや、皆にいつでもとれるものならとってみろ、となるぞ」
そういうローナガは財務関係のトップ。見た目と職業を照らし合わせるとますます悪役になっているな。
「それで呑まれるならそれまでですよ」
深い海の底のような、重い何かがお互いの肩にのしかかった。
「貴様を引き込めなかったのは余の失態であるが、引き込まなくて良かったのかもしれんな。獅子身中の虫を飼う趣味はない」
「誰にも飼われたくはないですからね」
「ふん。せいぜい貴様の推した王がどこまでやれるか見てやろう。むしろクイドあたりは度量の広さなどと喚いてもう忠誠を誓いかけておるがな」
「人事部門にロレイラ様って面白すぎますよねー」
「それでケアノを宰相、か。お互いやりにくいことこのうえない」
そう、お互いがお互いを監視するように役を当てたため、元王候補共は強引な手段で簒奪は目論めない。
それも計算には入っているが。
「一番は、せっかく優秀な多種族が一つの世代に揃ったんだから仲良く治めろよ。俺はより多くの種族と仲良くしたいんだよ」
あれだけのことをしていて何を、という感じだが、まあいいや。
「あと、キセさんは無実だから謝って再雇用しておいてあげてね。かわいそうに、俺の策略にはめられまくって」
そこまで言うと、面白くなさそうに踵を返した。
ま、大丈夫だろう。
◇
戴冠式からしばらくして、細々とした打ち合わせや俺たちの自治区との交易の話などをして、俺たちはアクエリウムを後にした。
見送りが多すぎてなにやら気恥ずかしいとは思ったが、演説会に比べればなんてことはない。
トオさんはどこの役職かって?
そんなの決まってるじゃないか。隣で支えたいという願望を叶えてもらってご満悦な彼女は、
「困ったことがあったらいいなさい。オーくんが無理でも私が秘密裏になんとかしてあげるわ!」
自分が上に立つよりも最善の結果のお礼を述べていた。
今度来るときはアカマツでも持ってきてやろう。あれなら水中でも腐りにくいし、アイラや俺がいれば輸送の問題など消える。
あとは紙や野菜、肉とかになるかな。食料品は魚介類がほとんどで、小麦と肉、野菜が主体の食事が懐かしい。
クラーケンは放置されすぎていて軽く拗ねていた。今度は一緒に観光できるといいな。
とまあ、ぐだぐだとしたアクエリウム王選定は終わったわけだ。
ようやくアクエリウム編、終了です




