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弱者は正義を語らない 〜最悪で最低の異世界転生〜  作者: えくぼ
海底王国王選定編

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131/200

モルボの酒場で

 アクエリウムはこれまでのどの国とも違った幻想的な美しさを持っている。

 空気を孕んだ膜は光の干渉で虹色に輝き、空気の通路と水の通路が入り乱れるその町はとても立体的な構造で、ふと目を離した隙に誰が迷ってもおかしくない。

 何故かここまで到達する柔らかな陽光が水と空気の狭間で乱反射している。


「綺麗……」


 美しいものを見たときに語彙が貧弱になってしまうのはカグヤに限ったことではない。

 そういう時は何も言わないのも一つの表現だと知るかのようにアイラは何も言わない。

 ロウはやや無感動に足裏の砂と海藻の感触を確かめるように顔をしかめた。


 何も言わなかったアイラがぼんやりと上を見ながらこんなことを呟いた。


「ねえ。海の中に国が作れるなら、空の外にも国が作れる日がくるのかな?」

「いつかは、な」


 だけどそれは今日じゃない。

 そしてきっとそれができるのは俺たちが死んだずっと後だろう。

 ここで「俺が作ってやろうか?」とでも言えたらかっこいいのだろうか。

 前世ならいざ知らず、今もこの星には土地が余っているのに必死でそんなものを作ることに利益はない。

 目指す気にもなれないが、アイラのその感傷的な疑問に感じるところもあり、俺は余計な口は挟まなかった。代わりに三人を急かした。


「ほら。見惚れてないで、情報収集は基本、だろ?」

「もう少し浸らせてくれたっていいじゃない。あーあ、うちの男子陣は情趣が足りないんだから」

「美しいものはそれだけで価値がある。けどな、それもろくでもない王をつければ全部滅ぶんだよ。下手をすればこの国を滅ぼすのが俺たちの役目になるかもしれないんだぞ」


 いつになく真面目になってみる。

 だが俺のことだから嬉々として滅ぼしにかかりかねないと思ったのか、カグヤは顔を引きつらせた。





 やはり人間は珍しいらしい。

 道ゆく人々はこちらを見ては何かと噂しているようだ。

 いつも他種族の国を初めて巡る時はその国の人と巡ることが多かったため、こういった視線がここまであからさまなのも珍しい。

 人魚、妖精、魚人、獣人。

 種族の数だけならばおそらくここが一番多いだろう。


「お兄さんたち、観光?」

「よかったらこちらのお店、寄っていかない?」


 ちらほらと声をかけられることもある。

 人魚はもっと人間に警戒心を持つものかとばかり思っていたのだが、奴隷商売で滅多に人魚なんて出回らないことからもわかるように人魚は人に捕まるなんてことがないのだろう。

 だからこそ空想上の種族として未だ認知さえされていないのかもしれない。

 機械族マシンナーズは存在を疑われこそすれ、多くの書物でその名を見たが、人魚は物語の中ではよく見かけても歴史書などにはその名が登場しない。




 ◇

  ローナガの城で人間の金をいくらかここで通用する貨幣に替えてもらった。

 ここで最も高価な貨幣代わりは白涙と呼ばれるものだと聞いて「はくるい?」と疑問符を浮かべると、差し出されたのは真珠だった。なるほど、白い涙か。貝の内側の成分が異物を核にして覆ったもの、それを涙とは言い得て妙だ。他にも貨幣代わりはあるようだがまあ大丈夫だろう。


 とりあえず酒は飲めないけれど酒場にでも行こうか、と水神の羽衣を利用してショートカットしながら建物に入った。

 サンゴでできたランプに青く光る何かが入っている。水に合わせてゆらゆらと揺らめく。

 イソギンチャクの魚人の女性が話しかけてきた。

 イソギンチャクの年齢はよくわからないけれど、人の部分から察する年齢としては三十路ぐらいか。

 彼女はボゴボゴと水の中で喋った。


「あなたたち、人間よね」

「はい。だから空気席でお願いします」

「礼儀正しい子は嫌いじゃないわ。ついてきなさい」


 水と空気とを交互にくぐり抜けると、空気のみで構成された空間があった。

 その中でカウンター席に座って幾つかの注文をした。

 メニューは酒場と言いながらも食事処としての売りもあるらしく、豊富な海鮮料理に胸が高鳴る。

 マーズ煮という煮物があったもので、美味しそうなのにマーズ煮とは何かと面白かったので頼んだ。


「あ、美味しい。ちょっと懐かしいかも」


 アイラも同じことを思っていたようで。


「変わった名前だね」

「マーズってのはとある地方での塩の別名だよ。塩煮ってことね」

「へえ、薬味もあるんですね」

「この国の上に無人島があってね。そこで陸でしかどうにもならないものは栽培しているのさ」


 あっさりと食糧事情について話してしまった。

 人間に弱みになるとは思わなかったのだろうか。


「いいんですか?」


 俺は主語も目的語も言わなかった。

 彼女ならば伝わると思ったからだ。


「いいんだよ。どうせ知ってもどうにもできないんだから」

「その島は断崖絶壁に囲まれていて、入り口が海面よりはるか深くにあるってところですか?」

「……どうしてそんなことを思ったんだい?」

「人間にどうにもならない。けれどあなたたちは取りにいける。最大の違いが呼吸や泳ぐ力しかないのですからそれぐらいでしょう?」


 強い魔物がうじゃうじゃいるってなら、誰も取りにいけなくなるしな。


「あんたみたいな人間が一番怖いねえ。この会話で弱みを握ったなんて考えられる人間がね」

「そういうわりには顔は全然怖がってねえぜ、あんた」


 ロウがニヤニヤしながら横で魚の目玉をほじった。

 目のあった場所の奥にある身がなかなか美味しいとつまんでいる。


「取りにいけるぐらいの実力がある奴はこれを弱みだと考えられるほど頭は回らないし、それだけの力がないとここには来れないだろう?」

「まあ、ここには案内されて来たんで。……でも取りにいくことはできますかね」

「場所を言わないことには、ね。それにどうにもならないからといって警備がないわけじゃあないよ。それに……いや、やめておこう。これ以上あんたに話せば何があるかわからない」

「賢明なことで」


 アイラはメインディッシュを食べ終わり、モズクをすすっていた。

 ロウは二枚貝のオリーブオイル蒸しに手をつけている。


 俺はカウンターに顔を乗り出し、急にヒソヒソ声で話しだした。


「ここだけの話なんですが」


 今までとりとめのない雑談に興じていた目の前の人間がいきなり真剣な顔をすれば驚くのも無理はない。

 目を丸くしたのも一瞬、すぐに平静を取り戻して彼女は表情を引き締めた。


「僕たちはここにはホエイル家のローナガ様に次の王位争奪戦の助力を請われてきました」

「へえ、そんなことこそ言ってよかったのかい?」

「ここだけの話というのは、ローナガ様のご評判というのをお聞きしたくて。いえ、告げ口など絶対にしませんよ。誰がどんなことを言ったかなど口が裂けても言いません。だから、悪い評価であっても是非正直におっしゃってください」


「なんでまたそんなことを。それこそあんたがローナガ様側の人間じゃないと示した方がやりやすかったんじゃないのかい?」

「信頼してもらうためですよ。ここまで話せば、腹を割って話せるかと。悪い点があるなら市井で聞けば直すことにもつながるでしょう。あくまで参考にするだけなので」

「ふうん……完全に信じたわけじゃあないけど、あんたが嘘をつく理由が見当たらないね。いいよ、悪口とはいかないけれどある程度は一般的な評価を聞かせてあげよう」




 彼女の口から語られたローナガの評判というのも、さほど驚くような内容ではなかった。


 ローナガは貴族からの支持が厚い王族らしい。頭はそこそこ回るし、打算的で金もある。

 この国にも貴族というものはあるらしく、それらの支持を得るということは、特に何もなければその下に支配された民衆の支持も得ることにつながる。

 つまりは何もしなければ多くの票が集まり、なし崩し的に彼が次の王位につくということになる。

 そんな勝ち馬に乗れるということは今の情勢から言うなればかなり有利なことであり、今もローナガに擦り寄る貴族は後を絶たないという。

 一方、利己主義な部分もあり、父親の築き上げた今の権力に固執する部分も見られるとか。

 今回王位につけば、落選した王になる可能性のある相手を何かしらの方法を使って家ごと壊滅させようとしているという噂を聞く。

 だが民衆にとっては他の王族が滅ぶということの重大さが理解できないらしく、力のある奴が王につくならそれでも構わないと考えているやつもいるらしい。


「へえ……それだけ聞ければ十分ですよ」

「あんたが何を企んでいるのかは知らないけれど、あれは乗れるような勝ち馬じゃあないよ」

「わかってますよ」


 他の王候補についても話を聞いた。


 人魚姫ロレイアは人魚の過半数と魚人、獣人の一部に熱狂的な支持を受けているらしい。

 あれだな、アイドル的な国のシンボルとしての姫だな。

 シャクラ家代表クイドは魚人と獣人の中でも血気盛んな若者の支持が高いようだ。

 妖精は妖精王ケアノにもっていかれるらしく、そればかりは宗教的な何かを感じるほどに強いらしいので引き剥がすのは無理だろうとのこと。


「いろいろいるのね」

「ただ勝たせるだけならなんとかなるかもしれないけど、その後を誰の反乱なく治めるのは難しいだろうね。味方が多い分、敵も多い方だ。だからこそあんたを呼んだんだろうね」


 人生経験の深い方のお言葉は違うね。

 この人も見た目通りの年齢じゃあないのかもしれない。

 嫌だなあ。実は三百生きたアクエリウム最長老の魔女とかだったら。


 そんな時、後ろで扉が開くのがわかった。頼りない、弱々しい開け方だったが空間把握でそれを見逃すはずもない。

 扉の向こうからは臙脂色えんじいろの足が何本も見えた。よれよれとふらつきながらその魚人は酒場に入ってきた。


「あら、またあんたここに逃げてきたのかい?」

「だってあれ……横暴だろ!」


 呆れと親しみといくばくかの親愛のこもったからかいに、同じぐらいの年齢の魚人は言い返した。

 そんな彼に怒ることも追い返すこともなく、まるでここに来ることがわかっていたかのように彼女はスープを差し出した。


「逃げてきたのは否定しないのが正直でよろしい。ほら、これでも飲んで落ち着きな」

「……いつもありがとう」


 彼は下半身がタコの魚人、スキュラであった。

彼はどういう方でしょうか

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