カグヤの安堵 ③
マントヒヒみたいなのだとか、巨大ミミズを焼きながらようやく目的の場所まで辿りついた。
「はあ、長い道のりだった……なんて自分を労っている暇などないわね」
龍神が住むと言われる巨大な池、グラニエル。綺麗なすり鉢状が遠くにいくに従いその底を不透明にしていく。
「相変わらず綺麗ね……」
伝説ができるほどの池、汚れて濁っているなどどなんとも残念なことにはなっていない。
その池の向こうにある社と呼ばれる場所へと向かった。
近づくにつれ何かの骨やボロボロの衣類など、ここは何かの墓場かというものが転がっている。
臆病ならばこれを見ただけで怖じ気づく理由として十分だ。
「でも私が帰る理由にはならないわ」
剣を構えながら、周囲に警戒するのを忘れない。
清涼な空気が地面のあれこれの凄惨さを打ち消し、まるでここが神聖なものかのようにさえ思わせる。
社と呼ばれる建物は近くの人里の住人が建てたものだ。
できることなら保護を、それが無理でもせめてここを滅ぼすことだけはやめてほしい。
拙い素人作りの木造の門や、自然の地形を活かして作られた屋根などからはそんな必死の彼らの形相が伝わってくる。
「あ、いた」
なんともあっけない発見ではあるが、元々隠れる理由さえない最強生物。高い知能と圧倒的な肉体、その本質は「観察するもの」として語り継がれる。
今も私に気づいて放置していたのかもしれない。
「でも違うわね」
私の探している龍とは違う。
そしてそれは圧倒的にマズイ事態を指し示すかもしれない。
ドラゴンはのっしのっしと歩いてその尻尾がゆらりと向こうに見えなくなった。
そう、こちらに気づいて向いたのだ。
すごく大きい。高さだけでも何倍もある。鳥のくちばしのような口をしていて、首の周りにヒダのようなものがついている。背中から尻尾にかけて、低めのトサカのようなものが連なっている。
「あら、あんた見ない顔ね。ふもとの村の子じゃないね」
その口調と声は妙齢の女性のものであった。
メスなのだろうか。そんなどうでもよさそうな予想がよぎった。
できるだけ、敵意を示さないように、それでいてうっかり殺されないように。
慎重に言葉を選んで話しかけた。
「あの……ここに住むっていう龍神と呼ばれる方に会いに来たのですが……」
「あぁん?!」
あ、ダメだ。これは絶対刺激しちゃダメなやつだ。怒らせたら戦わなきゃダメだ。それでいて下手に逃げると人里を巻き込む。
なんだか龍神の話は禁句らしい。明らかに態度が変わった。
私、あれだけ心の中で啖呵きっといてこれってかっこ悪いわね。
「あんた、あいつになんの用?」
「ええっと……ヒゲを貰いに」
「はーん……あんたらもやっぱり他の人間と変わらないってこと? 覚悟はいい?」
ああっ! やっぱり駄目だった!
育てのお父さんお母さん、ロウにレイル、そしてアイラにその他のいろんな人たち、私は先に旅立ちます……っていうわけないじゃない。
現実逃避するぐらいなら死ぬ寸前まで必死に考えるわよ。
それに、解決方法だってあるんだから。
「もしも────し! おにいさーん!!」
私は全力で叫んだ。喉がはち切れないよう、ギリギリまで声を振り絞った。社の奥には大きな岩の洞窟か建物かわからないようなものがあり、その中に向かって届くように。
私は一縷の望みにかけた。
彼女の口ぶりから、ここに住む龍神がリュウ族の縄張り争いに負けたわけではないという可能性に。それは同時に、目の前の彼女がその龍神と共に過ごす……家族であるという可能性にかけたのだ。
「ああん! なんだ、俺は眠いんだよ! 相手しといてくれって言ったじゃねえかよコロモ」
眠たそうな声が奥から聞こえてきた。まるで腹の底から脳天に突き抜けるような低音の荘厳な声が。
「ごめんって。この女の子がしつこいの。ケヤキ、どうせ起きたなら会ってやってくんない? どうせ負けはしないでしょ?」
「おにいさーん!!」
私は再度叫んだ。
幼き頃の思い出となんら変わりのないかっこいい声と、どこかお調子者なところのある龍神に。
「ありゃあ? その声にゃあ聞き覚えがあるなあ」
「あんた、今なんて言った?」
「い、いやあ。俺はこんな別嬪な嬢ちゃん知らねえよ?」
先ほどから聞くに、やはり彼らは。
いや、そんなことよりも今は目の前の彼に挨拶をしなければ。
「久しぶり、おにいさん。覚えてますか? カグヤです!」
「えっ? カグヤちゃん? ああ、そうか。あれからもう十年以上も経ってんだよなあ。大きくなったなあ」
目を細めて再会を懐かしんでくれているケヤキさん。
ちょっとだけ声音も変わった気がするし、落ち着いたような感じもするけど私の覚えている姿とほとんど変わらない。
「えっ? カグヤちゃん?」
隣のコロモと呼ばれた彼女は私とケヤキおにいさんを交互に見た。
そう、私とここの龍神は顔見知りであったのだ。
私がまだ、竹の中から拾ってくれたお父さんとお母さんと一緒に暮らしていたときのことだった。
かつて冒険者として世界中を旅し、その実力から剣聖と呼ばれたお父さんは私をあっちこっちに連れ回してくれた。
その中には、冒険者時代の友人を訪ねる旅もあり、その友人の一人というのが他でもない、目の前の龍神ケヤキさんだったのだ。
まだ子供まっさかりの私は、両親か
ら貰った首飾りをその龍神ケヤキさんに預けて、「また遊ぶ時まで預かっててね」と預けたことがあるのだ。
子供にあげるぐらいのもの、どうせたいしたものではないだろうと忘れていた。だが両親にとってたいした物ではなくとも、一般的にはとんでもないお宝であった。
立派に龍神の守る首飾りとして冒険者たちに狙われる理由を増やすのに一役買っている。
ケヤキさんの胸に今もその首飾りがあるのを見て目頭が熱くなった。
「で、この子がカグヤちゃん?」
事情を説明すると、コロモさんのさっきまでの不機嫌そうな様子が一変した。
「おう。かわいいだろ?」
「ええ。さっきはごめんね?」
二人はそのあとも私についていろいろと語りあっていた。
その内容からするに、どうやらケヤキさんは私のことをまるで実の娘のように可愛がってくれていて、そのことを奥さんのコロモさんにも話していたそうだ。
だからコロモさんも私のことを娘のように接してくれた。
よかった。覚えていてくれて。
それから私は今のことを話した。
ロウと結婚していること、仲間ができたこと、そして今その仲間の一人が倒れていることとか。ヒゲが必要な理由も話した。
「ああ、そうだ。これ返さなきゃあな」
「今回はそれじゃなくって、ヒゲが欲しいんです」
「ヒゲ? いいぜいいぜ!」
今まで緊張してたのが馬鹿みたいね。
ケヤキさんは長い体を上手に操り、頭を私の前まで下ろしてくれた。
私はできるだけ痛くないようにヒゲを根元で切った。
別に引っこ抜かなければダメだとかそういうことは言われていないので大丈夫だろう。
プチンといい音がした。刀で切ったのにそんな音がするとかあり得ないでしょ。
「ほら」
ヒゲを取り終え、ケヤキさんはかつての約束を律儀に果たそうとしてくれた。
首飾りをとって私の前に差し出してくれている。
けど、私はそれを受け取ろうとはしなかった。
「……それ、受けとったらここに来る口実が……」
そう、これは再会の約束の証であり、それを返してもらったら最後、ここに来る理由がなくなってしまう。
せっかく自由に会いに来れるだけの実力と時間と、そして立場を手に入れたのに会えなくなる。
私はそれが寂しかった。
私のそんな様子を見てケヤキさんとコロモさんは何か突っ伏すような仕草でプルプルと震えていた。
何? 私、変なこと言ったかな。
中身こそもう大人の年齢だけど、どうしてもずっと歳上で私の小さい頃を知るケヤキおにいさんに会ったからか、幼児退行してるかもしれない。
それが年齢に見合わないから笑われたのかな……?
「カグヤちゃん……」
「いいよっ!」
二人が口を開いた。
それからはいっきにまくしたてられた。
彼らがリュウでなければ、飛びついてきたのだろう。
「最初こそちょっとひどいこと言ったけど、私たちあなたのこと娘みたいに思ってるから!」
「カグヤちゃんなら用事なんかなくてもいつ来たっていいんだぜ!」
「そうよ! こんな可愛いカグヤちゃんならいつでも大歓迎よ!」
「おう! ロウの坊主に愛想尽かしてかつ帰りにくかったらこここいよ! 一生面倒見てやるからな!」
「なんだったら首飾りだけじゃなくってこいつの血も持っていっていいからね!」
私よりずっと、ずっと大きい体がゆさゆさと揺れながらガンガン喋る様はなんというか圧巻であった。
そうか。人では大人びてるって言われてる私も、彼ら夫婦の前ではとっても赤ん坊扱いなのね。
嬉しいやら、悲しいやら。
結局、二人の強い勧めによって、ケヤキさんとコロモさんの血を一瓶も貰った。
私はそんなにいらないって言ったんだけど、どうせ一度傷つけたらこれぐらいは流れるから一緒だと言われた。
捨てるのはもったいないのでありがたく一瓶ずついただいた。
龍の血。そして竜の血。
どちらも万病に効くとされる万能薬の一つ。
生命力と魔力の高いリュウ族の血だから万病とまではいかなくともとても貴重な品であることには変わりない。
きっとこれをどちらか売るだけでも今の私たちの資産が二倍か三倍になるでしょうね。
そんなことはしないけど。
カグヤ編はロウ編よりもやや短かったですね。
もともとカグヤにとってハプニングさえなければヌルゲーだったということでしょうか。
龍神さんについては八話目の「かぐや姫?」を参照ください。




