ロウの疾走 ①
あまり感情を表にしない、白髪黒目の青年の、本当の実力。
俺は善悪の区別というものをつけることがない。
これはレイルが俺を称して言った言葉だが、それ以上に俺が自覚している一般的に言うところの"欠点"でもある。
だが、俺はレイルを見た時、俺以上に善悪のぐちゃぐちゃした男じゃねえかと突っ込んだものだ。
俺は善悪の区別をつけないのではない、善悪の区別がつかないのだ。
だがあいつは違う。
あいつは一般的な善悪をわかっていて、なお善悪を無視して動く。
あいつは俺が幼少期、殺人の訓練を受けたことを聞いても、何も変わることがなかった。
別にいいじゃねえか。人を殺すことと、お前が生きることに何の違いがあるんだ?
そんなことを言われたときには目からウロコが落ちる思いだった。
もちろん一番はカグヤだ。
小さいころから何も変わらない。
あいつも俺も異常な環境で育ったという自覚はある。
じゃなきゃ好きな女の子に刃物を持って襲いかからないし、それを笑顔で受け止めることもないだろう。
ましてやそれで告白して結婚までいくなんてあるわけがない。
俺も"まともな"外の人間に触れて、それぐらいはわかるようになった。
あの頃はそれが当然で、お互いが愛し合うことに疑問を抱かなかったのだ。
だがレイルを見て、二番目の座をこいつにやってもいいかと思えるようになった。
幼少期の教育のせいか、生来の気質か、人を殺すことに何かを思うことがない。
でなきゃあ親を間接的に殺して平気でいられるはずもない。
あいつは自分自身の手で、直接殺してあれなのだ。
俺なんか遠く及ばない。
◇
そんなレイルが初めて、俺たちに頼りっきりの状況になった。
病気になったのだ。
病気、というとやや違うかもしれない。
薬屋のお婆さんの言うことを信じるならば、これは昆虫の持つ毒などに過剰に反応した結果であるとか。
レイルにそれを伝えると、「なんだ、アレルギーか」と答えた。
むしろほっとしたような表情になり、俺たちに任せてくれた。
アレルギーというのが何かはわからないが、すぐに死ぬというわけではないことがわかってほっとした。
あいつの考えることはよくわからない。
ただ、苦しいのは変わらないようで、俺たちは手分けしてそれを体から排出する薬の材料を得ることにした。
俺が任せられたのはとある薬草の採取だ。
根元が紅く、ぐるぐる巻きの草だそうでわかりやすいと言われた。
トマキラ草というのだそうだ。
この国の西にある村の隣の山、そこにある洞窟の奥に自生するとか。
光に弱いという奇妙な性質を持ち、それゆえに他国からの輸入が難しい。
あるところにはあるので、必要になれば冒険者に頼んでとってきてもらうのだが、それもなかなかうまくいかないようだ。
他にも二つほど足りない材料があるが、それらはカグヤとアイラに任せてある。
女子どもができるっつーのに俺ができないなんて弱音ははいてられないな。
俺の四人の中での立ち位置は斥候といったところで、そのためには手先が器用であったり、すばしっこかったり、気配が消せたりと戦闘向きではないような能力が求められる。
だが本職は陰陽師にして暗殺者。
決して弱いだけの人間ではないし、カグヤにしごかれているから剣も使えないことはない。
普段はレイルの言いつけで送り込まれた刺客の始末以外ではあまり実力を見せないように言われている。
あいつ曰く隠し玉、なのだとか。
だが今回だけはそうも言ってはいられない。
道中、行く手を遮る魔物を次々と始末する。
普段はカグヤとアイラに雑魚をあらかた任せて取りこぼしの片付けに勤しんでいるが、今日は一人なのだ。
今もグルルルとよだれを垂らしながら牙をむく野犬のような魔獣が数匹茂みから飛び出してきた。
俺は移動の間は走りながら敵を始末できるように武器を変えている。
腕ほどの長さしかないのに、やけに幅の広い短刀。重さではなく軽さと鋭さ、傷つけた後に治りにくくするギザギザ。
まるで傷つけるためだけに生まれたようなその武器を両手に構えて走る。
「ヴァゥッ!」
魔獣は初心者冒険者なら一瞬で喉元を食いちぎられそうな勢いで飛びかかってきた。
ぱっかりとあいた口からはのどちんこさえ見えそうだ。
俺は顎を閉じるための頬の筋肉と喉元を掻っ切った。
口を閉じることもままならなくなったそいつは血の柱をあげて転がる。
だらりと口を開いたまま草むらに突っ込んだ。
よく喉から脳天まで貫いたり、首を落としたりすることがあるが、あんなのは化け物級の実力者が完全に絶命させるためにする手法だ。
レイルが言っていた。
生物は血管が体中に張り巡らせられていて、そこから血を一定量流せば死ぬと。
首には頸動脈という太い血管が皮膚表面付近にあるから首を切ると死にやすいのだ、と。
俺も訓練で喉を切るのは有効な攻撃だと、特に人間を暗殺するのにはもってこいだと聞いていたが、そんな理由があることまでは知らなかった。
それも前世の知識というやつだろうか。
とにかく俺は今移動しているのだ。
絶命させる必要はない。
しばらく動けなければいつかは死ぬだろう。
再び動けるようになるまでにさっさと先にいってしまえばいいのだ。
屍肉が他の魔物を呼ぶ危険性もあるが、それは気にしないことにしよう。
残りの三匹も血溜まりの中に放置して先へと向かった。
それからも幾つかの魔物が襲ってきた。
いつも魔物の少ない道ばかり通っていたから、一人でこうして襲われまくるのは新鮮だ。
厄介であったのは大型の鳥であった。
遠くを飛んでいたのに、俺を見つけると急旋回して向かってきた。
いくら気配察知が得意でも空からの奇襲は防ぎきることができなかった。
肩にその爪をかすらせてしまい、血がにじむ。
「随分でっかいな」
再び俺を狙い、急降下してきたところを左翼の根元だけ切りつける。
動きに精彩を欠き、鈍くなったところで第二戦。
ここでもう一本の右翼の根元を切って完全に飛行力を奪ってしまいたい。
だが欲張ってはいけない。
ここであえて左足を狙うのだ。
ぐっとチカラを込めて筋張った細い足を狙う。
こうすることで本来の飛ぶ状態を崩し、均衡をなくさせることができるのだとか。
ふらふらと彷徨う鳥は俺でも殺せた。
傷ついた肩口を時間を巻き戻して治す。
通常はこの程度の怪我は時間を先送りして治癒力を高めることで治す。
しかし俺は毒が効きにくいかわりに自然治癒力というものが低い。
だから余分に力を使っても巻き戻した方が得なのだ。
特に今回のように傷ついてから二分とたっていないとな。
村の近くまで来たので、体力温存のために歩きだした。
同時に本来の武器である「幻影の錫杖」に武器を戻した。
これは魔物相手に接近戦するには随分とお粗末な武器なのだ。
姿形を騙すことができる光の魔法がかかっていて、対人戦においては初見殺しの利点があるのだがな。




