小麦と放牧事件
感動の再会を終え、親バカっぷりを見せつけた猫人族の長はコホンと咳払いを一つ、気を取り直したといったように議題を再開させた。
「いまどきの人間にしては珍しい奴らだ……」
獣人族とはいくつもの種族を総称した言い方である。
スズメ、カラス、ワシに鷹などの鳥の血が流れる鳥人族。
ゾウ、ウシ、ウマなどの草食寄りの四足の中型、大型の哺乳類の血をひく臼人族。
ネズミ、ウサギなどの草食小動物の血をひく齧人族。
サル、ゴリラ、チンパンジーなど類人猿の血をひく猿人族。
ネコ、ライオン、トラにヒョウなどネコ科の肉食動物の血をひく猫人族。
イヌ、オオカミなどの肉食動物の血をひく狗人族。
その他の肉食動物の血をひく牙人族。イヌとネコの両方の素質を持ちながら、イヌともネコとも分類できないキツネなどもここに入れられる。
クマ、イノシシ、タヌキなどの雑色または肉食に近い草食哺乳類の血をひく両人族。
カメ、ワニ、トカゲなどの爬虫類とカエルやイモリの両生類の血をひく鱗人族。
イルカ、クジラ、シャチにトド、オットセイなどの海の哺乳類の血をひく水人族。
伝説でいるかどうかわからないとされる人魚などは獣人とは別であるし、魚の血をひく魚人族などは海の中でしか過ごせず、獣人族に名前を連ねることをやめた。
人間に獣人族と総称されるのは、ここに示される十種族のことが多い。
それぞれの種族で族長と呼ばれる実質的トップがこうして集まり、重要なことを決めるのだとか。
「とりあえずは様子見であろう」
「我が娘が懐いているからな……」
族長が相談していたのはリオの捜索についてであった。
群れから離れたがらない種族とはいえ、長い期間で狩りに出かけるタイプの獣人もいるため、しばらくは様子見であったのだ。
あまりに帰ってこず、周囲にも痕跡や死体がない以上、海に流されている可能性が高いとして水人族に依頼を出そうとしたところであった。
そこに帰ってきたのがリオだった。
彼女が帰ってきた以上、会議の主題は不気味な人間についてであった。
結論がでると彼らはそれぞれに解散したのであった。
この世界で家畜化されているのは元は魔物だったものであり、食べているブタやウシに近いそれらは獣とは少し違う特徴を持つ。
魔物と普通の生物の境界線はわからないが、というか区別する気さえないのだが、凶暴性ぐらいしか違いはないのではないかと思っている。
もしかしたら古代の世界には人も認める獣がいたのかもしれない。
ぐるりと集まる族長達を見てそんな風に思った。
無条件で肉食の発言権が強いかといえばそうでもない。
中でも最も多いのが臼人族であり、元が草食で群れをなす動物であったからこそ、群れとしての力も強い。
だが本当に戦争になったら空を飛ぶ鳥人族には勝てないかもしれない。
ひとえにどの獣人が強いというのを作らないように気をつけているのだとか。
獣人には獣度というものが存在する。
どれだけ人間に近いか、獣に近いか、というものである。
リオは非常に人間に近い側の獣人であるが、ここにいる族長と呼ばれる面々はほとんどが獣度が高い。
というのも、獣に近ければ近いほど、本能や五感、身体能力が上がり、群れの統率力もあるからである。
だから、族長と言えば自然と獣度の高い人物となってしまうのである。
その唯一と言っていいほどの例外こそがリオの父親であった。
彼はリオと同じ猫人族であるが、顔が人間に近い。
だがそれでも決して彼らはリオの父親を軽んじることなどはしなかった。
「リオの親父さんはすごいんだな」
あの後用意された宿に泊まっている俺たちとそこに案内したリオは部屋で干し芋をつまんでいた。
「すごくないの。すごくないから選ばれたの」
リオの意味深なセリフに意図を汲みきれず、アイラが聞き返した。
「すごくないのに選ばれたの?」
「確かに今のお父は凄いかもしれないの。でも力で言えば他の力自慢じゃない族長にも負けるの。頭もみんなとあまり変わらないの」
「頑張ったから、ってこと?」
カグヤの質問は単純なようでいて的を射ていた。
努力とその精神だけでのしあがった。
それは生まれつき強いよりもずっと"凄い"ことではないだろうか。
だからこそ、周囲の族長は表だってそれを見下すことはない。
裏でどう思っているかまではわからないが。
「なんでもいいの。大事なのは仲良く過ごすことなの。別にお父じゃなくてもいいの」
平和なんだな。
指導者が誰でも変わらない、というのはある程度の平和や秩序がなければできない発言だ。
前世の日本でもそんな意見が出たように。
古代中国の思想家もかつて言っていたではないか。
大道廃れて仁義あり、と。
国が乱れているからこそ、より優れた指導者を求める。
その感覚に疑問を覚えることのない生活をしてきたリオを素直に羨ましいとも思った。
「私たちは理性よりも本能を優先するの」
正しいと思ってしたことは、種全体から見れば間違っているかもしれない。
ならば、種の本能に従えばより正しい判断ができるのではないか。
それが獣人の基本理念でもあるらしい。
人間と獣人の違いについて話しながら、その日は同じ部屋で雑魚寝した。
◇
朝、目を覚ますと広場の方が騒がしかった。大勢の人が集まり何やら口論しているようだ。怒鳴り声や野次のようなものが聞こえてくる。空間把握で確認すると、どうやら個人的な喧嘩ではなく、集団同士の衝突であるようだ。
「うるさいの」
アイラの腕で寝ていたリオが不満そうに言う。
先ほどまではお互いにもたれかかって眠っていたカグヤとロウも目を覚ましている。
部屋は散らかっており、このまま出るなら明日の分の料金を払っておいた方がいいかもしれないと頭の中でいろいろと計画を立てていると、見にいってみる?とアイラに目で聞かれた。
「いくいく」
野次馬根性丸出しの最低のセリフではあるものの、かっこつけて「ふん、俺には関係ない」と部屋にこもっているのもなんとも中二くさい。
軽く部屋を片付け、貴重品だけを回収して部屋を飛び出した。
途中で子供を抑える奥さんだとか、心配そうに出てくる老人であったり、興味本位で友達と話している青年なりの間をすり抜けて騒ぎの中心へとやってきた。
「だからよ、俺らのところの土地が食いつくしてしまってよ、土地がいるんだって。ちょっと分けてくれりゃあいいんだよ」
「おめえらさーうちらんところの土地の方が酷いの忘れてね? むしろお前らがこっちに分けても罰は当たらねって思うんだがなあ」
どうやら年長の代表が話し合っている後ろで仲間がヤジを飛ばしているらしい。
「ケチくさいぞー」
「身勝手なこといってんな!」
ただ代表者はいまだ冷静さを欠いておらず、それだけが救いといったところか。
「俺らんところは毎年不作でな。お前らに渡せるほど余裕はねえんだわ」
俺たちがそこまで行くと、周りの獣人たちがギョッとして避ける。
信用はされど信頼はされず、といったところか。リオのおかげで迫害はされずとも、人間にたいする疑惑は振り払いきってはいないらしい。
確かにそんなものは要らないな。無条件の信頼ほど不安定で不確定なものはない。いつ手のひらが返されるかわからないようなものを信頼と呼ぶのは我慢がならないからな。
「もしもし、どうされました?」
リオを隣に立たせながらことの次第を聞き出した。
最初は何故、他所者にそこまで言わなければならないのか、と渋っていたが、リオが一言、話してやってなの、と命令すれば解決だ。
権力を笠に着たくはないなんて甘っちょろいことを言うつもりはない。
使えるものは楽しく使うべきだ。
彼らの話によると、どうやら農業用地で争っているらしい。
なるほど、譲ってくれと言っていた方は肉食の方が多いし、こちらは万年不作だと抗議した方には草食が多い。
肉食の彼らは自分たちが食べるために羊や牛のような獣を育てているらしい。
だが牧草地の牧草を食べ尽くしてしまい、小麦などを育てている土地の一部を使うことで次の冬を乗り切ろうというわけだ。
もちろんタダとは言わず、ある程度の金も出すと言っている。
だが小麦を育てている草食の方はというと、あまり育ちがよくないのか万年不作でいつもカツカツらしい。
だからここで牧草地に土地を譲ったりすれば命取りだという。
両者が譲れないとなっているのだ。
当然といえば当然で、彼らが譲る利益などほとんどないはずだ。
金で買うのではなく、食料の保証をしなければこの契約は対等とは言えまい。
案ずるより産むが易しと格言にあるように、一度その場所へ行ってみるのもいいだろう。
彼らにお互いの場所を見たのか?と尋ねると、いいや、と首を振るのでお互い知ることから始めようと提案してみたのであった。
「本当にギリギリなんだろうな?」
「そりゃあな。じゃなきゃお前らに頭を下げて土地を借りようなんて考えやしないさ」
仲が良いのか悪いのか。
猫人族や狗人族、牙人族の混成農民の代表はボルシと言うイタチの獣人であった。
一方、草食連合の代表はウマの獣人であるニシキという男性であった。
ボルシは細身で、ニシキはやや大柄のどちらも少しだけ筋肉質の男性であった。獣度は中の下といったところか。
二人に続いてぞろぞろと他の獣人がついてきていた。
そして二つの農地を見回った。
一つ目は小麦を育てていた場所だった。だだっ広い平野で、随分と乾燥した場所であった。
山の西側にあり、ここに来るのはなかなか大変である。
「ここだ」
「なんだか思うように気候が良くなくってなあ。全然育たねえんだ。だけど他に広い場所なんてねえし……」
「広いけど荒れてるわね」
ふむ。よくわかった。
小麦は乾燥に強いのにここでは育たない、ということは別に何か理由があるはずだ。
生前の地理の知識を呼び起こしてなんとか理由を考える。
そもそもここの場所っていうと……日本列島に良く似た島の南、だったか……?
まあいい。次だ。
山を越えて西側だが、俺も空間転移が上達しており、数十人ぐらいなら目的地の方向と距離の情報だけで繋げて送ることができるようになっている。
次の場所はさっきの場所に比べて随分と豊かな場所であった。
「ここの方が範囲的には狭いけど豊かだな」
「土は粘土質だよ」
アイラは土を見ていた。
うむ。正しいな。
「狩りが基本のうちらにとって農業は専門外なの」
リオはちょっと黙っとこうか。
そしてここの大陸の地図と照らし合わせてようやくこの場所の農業がうまくいかない理由を理解した。
「逆だろ!」
衝撃のあまり思わず叫んでしまったのも仕方がないことだろう。
何を言っているんだこいつ、と疑惑の眼差しを向ける獣人の一団にこの問題を解決する方法を説明しよう。
「お前らは土地が逆なんだよ。小麦はこっち。放牧は向こうでした方が良かったんだ」
そう、ここは前世におけるオーストラリア大陸によく似た大陸。
じゃあこの農地の間の山の名前は?と獣人に聞けば分割山脈という。
そりゃあな。前世でもグレートディバイディング山脈だもんな。
Great Dividingー巨大分割山脈。
それがこの二つの農地を分割する巨大な山脈の名前だ。古期造山帯に属する山脈である。
そしてその西側と言えば大鑽井盆地。
その名が表す意味とは────
「そんなことすれば乾燥地域で水が飲めなくなって羊やウシが死んじまう。だからこっちで牧草を育ててだな……」
「井戸を掘るんだ」
そう、井戸を掘れば水が出るということに他ならない。
山脈の東側が比較的湿潤とされるが、その水はこちらの盆地の地下へも流れこんでいる。
地下へと流れこんだその水は塩分が多く、羊などを育てるのに向いている。
自噴水の井戸による企業的農業の放牧と言えばこの大陸の農業の代表例だったはず。
それを地理的情報とともに教えてやってもいいが、何より実践論派のようなこいつらには井戸を掘らせてやった方が早い。
正確な地図を持っていても、そこから農業などに活かせなければ宝の持ち腐れだろうがよ。