空は青く
「さぁ、出港だよ!」
飛空挺、ブラックローズ号は海面スレスレを浮かんでいた。碇を降ろして止まっていて、碇を上げればそのまま浮かんで行くと言うわけだ。
「黒毛、碇を上げな!」
船のデッキにある舵輪を動かしながらアンジェリカが叫ぶ。
「あいよっ、と」
そのかけ声にノッポとチビが碇の鎖を巻き上げ、俺が引き上げて飛空挺に固定する。
すると、ふわっ、と飛空挺特有の浮遊感とともに飛空挺が浮かび上がった。
「わわっ、浮かんでます!浮かんでますよヤシロさん!」
「上の風船みたいなのが気嚢の役割を果たしてるんだ。ガスの代わりに空気と風が充満してるから浮力は小さいがな」
「へぇー……」
知識を披露する人の八割は、この感嘆の言葉が漏れると喜ぶ人種に違いない。
少なくとも俺はそうだ。
「む? ……そう言えばクオンがいねぇや。どこ行ったんだ?」
クオンにも教えてやろうと辺りを見回すが、クオンの姿が見えない。乗船はしている筈なので船内にでも行ったのかな?
「アニキーー!!」
「クオン? ……って、お前なんて所に居やがんだ!」
クオンの声につられて上を見ると、丁度飛空挺の気嚢の上からクオンが降りてきた。
「いやぁ、潮風が気持ち良くって。……じゃなかった、それどころじゃないぜヤシロのアニキ!」
そう言ってクオンは船首に飛び乗り、船の先から見て十一時の方向を指差した。
「まだ遠くだけど、竜騎士が来る!」
両耳を立て、尻尾の毛を逆立ててクオンが叫ぶ。
クオンの指差す方を見ると、……確かに何か米粒みたいな小ささだが姿が幾つか見える。あれが竜騎士だろうか。
「竜騎士だって!? ぜ、全速前進! 逃げるんだよぉー!!」
「のわっ! まだ距離はあるんだ、慌てんなよ!」
急加速と急浮上により体勢を崩しかけるが、デッキの手摺りを掴み支えにする。
「わわっ!?」
「ベルナデット!」
支えがなく、体勢を崩したベルナデットに手を伸ばし抱き留める。
「っ、あ、ありがとうございますっ」
「気にすんな。ったく、どんだけトラウマなんだか」
出発くらいは穏やかに行きたかったんだが、まあそんな上手くは行かないか。
「キキッ、随分と愉快な船出ではないか、主よ」
クツクツと笑いながらパイモンが俺の影の中から現れる。
ロリ状態のパイモンは黒の日傘をさしていた。
「出るのが派手だと旅路も騒がしくなりそうだ」
「キキッ。退屈になりそうになくて良いではないか」
そう言って笑うパイモン。こんにゃろ、人事だと思いやがって。
「でもヤシロさん、性格の割に穏やかな旅の方が好きなんですね」
「ベルナデット、今君、何気に貶してる?貶してるよね?」
「ふふっ、貶してませーん!」
にっこにこと笑って俺の手から離れるベルナデット。
「……まぁ、たまにはこんなのも良いかな」
元々騒がしいのは嫌いじゃない。
「アニキ!アイツら気付いたみたいだ!こっちに向かって来る!」
「ほらほら!何やってんだい黒毛!アンタの出番だよ!」
「だからまだ全然遠くじゃねぇか!」
俺達は騒がしく、空の航路の旅に出る。
「……行ってくる。フィオナ」
かつて共に戦った戦友に向け、俺は一人呟いた。
◇
フィオナは空を見上げていた。
数日前の悪天候が嘘のように青く晴れ渡った空。
その空を飛空挺が飛んで行く。
真っ青な空に、飛んで行く。
勇について行きたい? 否、彼の隣には新しい仲間が既にいる。
「『側にいたい』……か」
思い出すのは黒髪の修道女の言葉。力強い瞳で、そう言った女。
三年前、勇を始めとした一行の中でオリヴィアだけが、並び立つのではなく支えになりたいと言っていたのを思い出す。
フィオナはどんどんと遠ざかって行く飛空挺に手を伸ばしかけ、腕を降ろした。
「いってらっしゃい、勇。……せいぜい後悔の無い道を行きなさい」
かつて共に戦った戦友に、かつて淡い想いを抱いた少年に、フィオナは一人呟いた。
◇
自由都市ガラリエ。
水の都とも呼ばれる海上に立てられたその街は、年に一度の武闘大会を前にして人が溢れ出さん程の賑わいを見せていた。
通りには屋台が並び、水路は渡し船が行き交い、港には今もなお観光客や商人達を乗せた船が来着してる。
しかし今、そんな祭りを楽しむ観光客の目が悉く空に向けられていた。
「すげぇ……大型の飛空挺だ!」
空に向けられた視界を覆い尽くさん程の影。
それが飛空挺だと理解できるまで一瞬の時間を要した。
「ど、どこの船だ?」
「あの三本の剣に羽の紋章……リーゼリオンの飛空挺だ!!」
気嚢や旗に印される紋章を見て、誰かが叫んだ。
「あれがリーゼリオン最新の大型艦『クイーン・シルヴィア』か!!」
新技術により確立された天空宙域以外でも飛翔可能になった飛空挺。
その最新技術と、今まで唯一飛空挺を有していた国が積み上げて来た造船技術が合わさり完成した飛空挺。
『クイーン・シルヴィア』
「……自分の名が船に付けられるとは、随分気恥ずかしいものなのだな」
大型飛空挺『クイーン・シルヴィア』の艦橋で、銀髪の少女が自嘲するように小さく笑う。
「我々一同、陛下の御名と共に空を飛べること、最大の誉れにございます」
軍帽を目深に被った中年の男が、少女に恭しく礼をする。
「そうか……貴君らが喜ぶならばそれが良いか」
空色のドレスを身に纏った少女は碧色の瞳を中年の男から隣に立つ青年へ向ける。
「レオ、お前の部下を数人飛空挺の警護に回せ。私の守護はお前だけで十分だ」
「御意に……」
青年が胸に手をあて頷いたのを見ると、少女はまた視線を前に向ける。
雲一つ無い一面の青色。
少女……シルヴィア・ロート・シェリオット・リーゼリオンはその艦橋から見える空を見て小さくため息をついた。
「私の心は曇りなのに……なんとも憎く青い空色だろうか」
空はどこまでも、青く広がって行く。
◇
雲一つ無い空を見上げる、灰色の瞳があった。
その瞳に意思は感じられず、しかし未来を無くし、熱と光を失い濁り切った瞳ではなかった。
それはまるで無垢な子供のような、純粋な光を帯びた光のようだった。
空が珍しいのか、はたまた渡り鳥に目を向けたのかはわからない。
しかしその瞳は空を見るのをやめる事はなく、ジッと動かず空を見上げ続けていた。
「エル? ……どうしたんだ?」
声をかけられ、ゆっくりと灰色の瞳の主が振り返る。
「空……」
エルと呼ばれたのは、灰色の少女だった。髪も瞳も、衣服さえも灰色一色の少女。
肌こそ灰色ではないものの、もはや雰囲気ですら灰色に感じてしまうほどに、彼女は灰色一色だった。
「空か……」
エルの隣に少年が並ぶ。潮風を受け、その黒髪は靡く。
「空なんて、ひさしぶりにちゃんと見たな」
心が休まる時は少なく、上ではなく前を向くばかりだった。
少年は苦笑する。
「…………」
灰色の少女は空を見上げる。
まるで、その彼方に何かがあるかのように。
「『担い手』」
少女が隣の少年を見上げた。
「ん?」
「『担い手』……空の向こうに、何がある?」
灰色の少女の言葉に少年、天城海斗は苦笑しながらも答えた。
「星がある」
その双眸は空を見上げる少女を映していた。
お待たせしました、最新話です。ようやく迷宮編は終わり、次回から自由都市ガラリエ編になります。
ではまた次回。お楽しみにー




