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病の夜に

 「始末にいつまでかけるつもりだ」


 飴色をしたマホガニーの椅子に深く腰かけた男が、長い毛足の柔らかい絨毯を土足で踏みつける場違いな程にこの空間から浮いている少年をにらみつけるように低く呟いた。


 遮光カーテンが引かれ薄暗い部屋は、壁一面の本棚に収納された本のせいだろうか、古びた紙の甘い匂いがした。


 竜胆はその匂いを吹き飛ばすような深い溜め息を密かにつき、気をとりなおすとトレードマークのニヤニヤ笑いを口元に浮かべる。


 「もう暫し。それより………貴殿があの娘を消したいと思う理由、お聞かせ願えませんかね?」


 「……聞いてどうする」

 

 「別に何も。ただ、自分が使われる理由くらい知りたがっても構わないでしょう?」


 男は暫し、言葉を選ぶように沈黙した。


 「……」


 「……」


 「……」


 「……」


 「…………あれは……私から最愛の妻を奪った。……だがそれだけではない、あれは、あの娘は……異質だ……」


 机の上で組んだ両手が、震えている。


 不意に竜胆は理解した。


 この人は、自分の娘に、怯えているのだ。




**************




 ミシリ、背骨が軋むような音と息を飲むような痛みで逢は目を覚ました。


 眠っていたらしい。毛布の下で丸めた身体が汗ばんでいるのが分かる。


 逢は体が悲鳴をあげるのも構わず、ゴロリと仰向けになった。


 夢を見ていた。


 懐かしい、夢を。


 ふと時計を見ると、針は最後に見たときより短針が僅かに遅れており、確か明るかったはずの窓の外は真っ暗だった。


 そこから導き出される答えは、今現在の時刻、寝入ってから約12時間経過。


 「……まじでか。お昼ごはん作るの忘れたー……」


 竜胆はどうしているだろう。最後に見た時は居間のフローリングに死体のように倒れ伏して爆睡していたが、昼飯を作るが食べるかと聞いたら半分寝言で食べると言っていた。


 そして、作る前に意識が落ちて現在に至る。


 やばい。竜胆怒ってるかなー……。何か自分で食べてるといいけど……。


 「り……竜胆?……りんどうさーん……」


 機嫌を伺うようにソロリと名を呼ぶが、返答は無かった。


 ゆっくりと体を起こし居間の方を見ると、薄闇に静まり返った空間に人の気配は無く、ただ逢の声の余韻だけが落ちているようだった。


 居ないのかな……夜だし、出かけてる……?


 そのまま布団を出ようとし、逢は不意に襲った苦痛に再度顔をしかめた。


 肋骨が折れそうなほどの圧迫感。


 「……う、っく」


 たまらずに今起き上がったばかりの布団に倒れ、ズルズルと潜りこむ。


 ――寒い。


 夏だというのに鳥肌が立っているのが分かる。痛みのせいなのか、それとも別の何かなのか。


 もう慣れる程経験したはずなのに、恐怖すら感じるような激痛は、未だに辛い。


 逢は自嘲するように頬を歪めた。


 「はっ……またか」


 小さい頃から、時折こういう風に体調を崩した。普段は健康そのものなのに、年に数回、 体を裂かれるような激痛に倒れるのだ。そしてそのスパンは年々短くなっている。


 その痛みが他の人には訪れないのだと知ったのは、だいぶ幼い頃。気付いてから誰かにこのことを言った事は無い。


 医者にも一度も行かなかった。何故だかこの痛みは医者にかかったところでどうにもならないものなのだと本能的に理解しているような、そんな認識だった。


 この体は、弱すぎる。


 その事実が心を蝕む。


 今も、心を折らんばかりに続く痛みに、気付けば唇は勝手に奴の名前を紡いでいた。


 「……竜胆……」


 そうして自分の言葉を耳で聞いて愕然として、答えが返らないことに落胆している自分に恐怖した。


 一体何を考えているのだろう。今までずっと一人だった。何度も冷たい静寂の中で体を丸めて耐えてきた。今さら奇妙な同居人が居ないだけで何が変わるというのだろう。返事が返ってこないだけで何を落胆しているのだろう。


 いつも通りじゃないか。 そう冷静に自分に言い聞かせる心とは裏腹に視線は暗く沈んだ居間を見つめ続ける。


 心臓がドクリと嫌な鼓動を刻んだ。


 静かな空間。


 誰も、居ない。


 まるで、夢の続きが襲ってきたかのような、息苦しさ。


 怖い。


 いやだ、いやだ、こわい。


 混乱して焦ってゆく心の片隅で、冷静な部分がこの体たらくを嘲笑うのが何故だか分かった。


 「わたしは、よわくなった」


 はたしてそれは奴のせいだろうか。自分のせいだろうか。


 「りんどう」


 痛みに細めた目から、ポロリと一粒、心が溢れた。




********




 フワリ、頬を撫でる優しい感触に、逢はまどろみに落ちた意識を引き上げられた。


 「起きたのか?」


 低く柔らかな声が耳元で聞こえて、訳も無くホッとする。ああ、温かい。


 そのまま、無意識に声の方へ擦り寄ろうとして、自分の隣に灰色が見える事態に気付き、次いで眠気が一気に吹き飛び現状を把握してしまった。


 カーテンの隙間から零れる、朝の光。


 ベッドで目覚めた、自分。


 同じベッドで逢を抱きしめたまま寝ぼけている……いや、ほぼ完全に寝ている、恋人。


 「ギャフン!!」

 

 「……俺、驚いてギャフンって本当に言うやつ初めて見……」


 竜胆の言葉の後半が寝息に代わる。逢はちゃぶ台をひっくり返すような勢いで叫んだ。


 「寝るなっ!!まず腕を離して!ていうか状況を説明してから寝落ちろおおおお!」


 「あー、勝手に部屋入って悪かったって……女の子だもんな、うん。無断で部屋入られたら嫌だよな。……だからそんな耳元で怒鳴るんじゃねえよハニー……」


 「寝ぼけてないで起きろ!」


 やっと体に巻きついた腕が離れる。そのままもそもそと竜胆は上半身を起こした。ようやく起きる気になったようだ。逢も叫びすぎて痛くなったノドに手をやりながら起き上がる。最近竜胆と一緒にいるとどんどん女子力の低くなっていく自分を感じる。言葉づかいとか。困ったものだ。


 「で、なんでベッドインしてるのアンタは」


 「……しょうがねえだろ。それより昨日は死んだように眠ってたけど、具合悪かったのか?」


 なんでしょうがなかったのか問い詰めたかったところだけれど、都合の悪い話題(ご飯すっぽかし)が出てきたのでとりあえず黙ることにする。すると竜胆は何を思ったのか「ちょっと待ってな」と言い残しノソリと部屋からゾンビのような足取りで出て行った。あの人絶対低血圧だ。


 そのままボンヤリしていると、台所で何やらガチャガチャやっていた彼がマグカップを片手に戻ってきた。トレードマークの笑顔が手の中の液体に不信感をプラスしていることにはたして本人は気付いているのだろうか。手渡されたそれは鼻を突き抜けるような凄まじい草の匂いがした。


 「飲め」


 「何……これ、何が入ってるの」


 「これか?俺特製栄養ドリンク」


 見事なまでに原材料が分からない壊滅的なネーミングセンスだった。おおかた匂いから判断するに漢方系の煎じ薬に近いのだろう。ただ色が妙に透き通って綺麗なのが、匂いとアンバランスで実に不気味だった。


 しかし顔をしかめたまま一向に飲まず固まっている逢にしびれを切らしたのか、竜胆が手を伸ばしてくるのが見えたため慌てて液体を一息であおる。


 竜胆はどうも「目的のためなら手段を選ばない」という言葉を理解していないようなところがある。むしろそうするのが当たり前だと思っているような、罪悪感を覚えず自然体で強硬手段や実力行使に踏み切ることがあるので怖いのだ。たぶんあのまま硬直していれば鼻と口を押さえられ無理やり流し込まれたか、もしくは口移しだ。そうなる前に自主的に動くに限る。


 凄まじく苦いのだろうと予測していた飲み物は、予想に反して仄かに甘い水のようだった。


 「飲みやすいだろ?」

 

 「ほんとに何が入ってるのコレ……」


 匂いだけが漢方の甘い水。それだけでも不思議なのに、起きてからも付きまとう昨日の残滓のような気だるさが、完全に消えていた。


 驚くべき即効性にいぶかしむ逢に、竜胆はいつものように笑いかけるのだ。


 「企業秘密だ」


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