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彼と彼女の癖

 ああ、諦めているのだな。そう思った。



 あの娘は最初から何もかもを諦めているんだ。



 だって、笑うその瞳には――何の感情も、浮かんではいなかったのだから。



 最初から、日常がどう変化しようと、心に波紋が広がるわけがないのだ。



 空虚な瞳を見つめて、そう気付いた。




* *********************************




 一緒に住むようになって、気付いたことがある。



 「なあ逢、この家ってなんでクーラーねえの?」



 「そんなの、取り付ける場所が無いからに決まってるでしょ。暑いの嫌なら駅前のデパート行ってきなよ。そんでデパートに住め」



 「あーそれいいな。下にコンビニがあるマンションとかに住むより便利そうだ、それ」



 昼下がり、今日も今日とて太陽は遮るものも無くギンギラギンに輝いていた。蝉は鼓膜を破壊せんばかりに鳴き、その合間に近くの公園で遊ぶ幼子らのキャラキャラ笑う声が響く。



 竜胆と逢は、揃いもそろって居間のフローリングに頬を付ける様にヘタリと床に倒れこんでいた。べつに死体ごっこなどというシャレにもならない遊びをやっているわけではない。この状態が一番涼しいのだ。



 竜胆自身は寒さ暑さにそんなに弱い訳ではない。むしろ強い方だ。しかし、いささか今日の暑さは酷すぎた。逢などは恐らく寒暖にあまり強くないのだろう。今日は今までで一番最高気温も最低気温も高いという情報をテレビの天気予報で聞いてから、ずっと死んだ魚のような顔をしている。そうして先程おもむろに床に倒れこんだ時は熱中症かと焦ったが、「……涼しい~」という呟きと共にフローリングに頬ずりをしているのを見て、彼女なりの涼の取り方なのかと理解した。竜胆もやってみなよと逢流の涼の取り方を推奨されて言われるがまま床に突っ伏してみると、なるほど座っているよりは幾分かマシのような気がする。



 そうして、現在に至る。



 暑さに頭をやられたような馬鹿な話をとりとめもなく交わしていると、蝉や子供の声に混じって、何処からか祭りの太鼓や笛の音が微かに聞こえてくることに気付いた。それから神輿を担ぐ男達の掛け声のようなものも。



 「逢、あの音は?」



 「……今日は近くの神社で夏祭りがあるから、それの音じゃない……?」



 心底テンション低空飛行というような単語がふさわしいような表情で、逢がボソリと呟いた。喋ると体内温度が上がるとでも思っているんだろうか、この娘は。



 「ふーん……なら日が暮れたら行ってみようぜ」



 「……竜胆そんなの興味あるの?」



 「逢は興味無いのか?」



 逆に問いかけてみると、逢は考え込むようにユルユルと目をふせた。長い睫毛がフワリと揺れるその様をボンヤリと綺麗だと思う。



 「外に出るのは、あんまり好きじゃない」



 「この引きこもりが」



 「うるさい。竜胆には私の気持ちなんて一生分からないに決まってるわ」



 一緒に住むようになって、気付いたことがある。



 逢は何かに答える時、いつも目をふせるようにする。目が合うのを恐れるように、まるで綺麗に貼り付けた嘘が露見するのを恐れるかのように。









*********





 薄暗い境内に、電気の雪洞の赤い光が無数に揺れている。



 「外に出るの嫌だって言ったのにいいいいいい……」



 逢は鳥居をくぐりながら竜胆を恨めしく思った。昼に交わした会話は自然と途切れていき、話はそこで終了かと思っていたのだ。夕方、竜胆に文字通り外に引っ張り出されるまでは。



 誰にも言った事は無いが、逢は神社や教会など、人の信仰が集まる場所が苦手だった。そういった場所に居ると、何故か頭が締め付けられるように痛むのだ。今も例にもれず痛みだし、神社に着いてすぐにフラリと何処かに行ったきり姿の見えない竜胆への悪態を吐いて、石でできた鳥居の根元に座り込み膝を抱えた。



 何かを信じる力というのは人類最大にして最強の武器だと、思う。想い、そして信じる力は時に摂理を捻じ曲げ神さえをも作り出すほどの念へと変わるのだ。人は思い込みで死ねるし、時には病すらも治す。



 だから逢は、怖かった。聖なるモノを信じ悪しきモノを払うと疑う事もなく思われている。神に縋り、強い念を集める場所が。人の信じる心という途方もないエネルギーが。



 きっとその苦手意識が頭痛を引き起こしているのだろう。自分もまた得体の知れない思い込みという力に体調を左右されているという事実に苦笑いが浮かんだ。結局は自分も同じなのだと。



 「具合でも悪いのか?」



 つらつらと持論と矛盾と竜胆が帰って来たときに言ってやる恨み言を考えていると、噂をすれば影とばかりに耳元で聞き覚えのある諸悪の根源の声がした。振り返る前に背後から何か冷たい物がうなじにヒタリと当てられ、ひゃっと上ずった声が出てしまった。

 


 「竜胆!一体な……に……」



 逢の怒声は、振り返って見た光景のギャップに驚きすぐに勢いを無くしていった。だって、いったいこれはどういうことだろう。



 いつも通りに真夏にも関わらず長袖パーカーをはおった彼は、境内で賑やかに商売をする出店から買ったのだろうか、鮮やかな赤に染められたカキ氷を二つ持ち、一方を逢に食えとばかりに差し出している。おそらく今うなじに当てられたのはコレだろう。



 そこまではいい。問題はその表情だった。



 軽く笑みを刷いた白いかんばせ。元々血の気の失せた様な顔色は赤い雪洞の光に照らされても尚、青ざめて見えた。眉間にはシワが寄り、目じりには疲労の色が微かに見てとれる。そう、その表情は逢が今しているであろう顔と同じに見えて―――気がつけば直感的に問いかけていた。



 「竜胆、もしかして頭痛い?」



 「…………」



 「体調悪そう」



 「……なぁんで気付くかな、お前は」



 竜胆は諦めたように逢の隣にドカリと腰掛け、こめかみにカキ氷の器を当てた。そうしてふと空いた方の手で逢の頬に触れ、眉をしかめる。ずっと冷たい物を持っていたからだろうか、竜胆の指はヒンヤリしていて気持ちが良かった。思わず擦り寄るようにして自ら頬を寄せる。彼は逢のそんな仕草を見て猫のようだと笑った。



 「具合、悪いか?帰るか」



 「それは竜胆の方なんじゃないの?神社苦手なんでしょう」



 肯定は無言の沈黙で返ってきた。刹那、何かを考えるように見つめられ、何と聞き返す前に納得したように視線は外される。



 「お前も、神社苦手だったか。……連れ出して悪かったな」



 苦笑いと共に髪をかき回すようにして頭を撫でられる。力が強いせいで頭がつられてガクガクと揺れた。ちょっと脳震盪になりそうだ。現在進行形で体調を悪化させようとしているのは竜胆だということに気付いてほしい。



 逢は頭の上にある竜胆の手をすげなく叩き落とした。



 「別にいいよ。知らなかったらしょうがないじゃない。それに、神社に行ったことが原因で具合が悪くなるなんてイレギュラーな事態、普通予測できないでしょ」



 つっけんどんに言い放ったのに、竜胆は柔らかく笑うと、そうだな、帰るか。なんて言って立ち上がり空いている方の手を差し出してきた。意味が分からず困惑していると、「手」と言われる。いや手は分かってるよ確かにそれは手だよなどと思っていると、意思の疎通は諦めたのか無言で片手を握られた。そのまま引っ張られるようにして立ち上がる。ここで初めて手を差し出された意味がギブミーマネーでも手相鑑定の要求でもなく手を繋ごう。ということだったのかと気付いた。隣の竜胆は鈍感め、と半眼でこちらを見ている。あまりにも目が口よりもモノを言っている状態に逢は心の中で反論した。



 分かるかっ!!しょうがないじゃん今までそんなこと要求してくる人居なかったんだからっ!



 あくまで心の中だけで叫ぶ。口に出す代わりに逢は竜胆が答えづらそうな質問をちょっとした意地悪のつもりで聞いてみた。



 「そういえば、なんで竜胆は神社とか苦手なのに私を連れ出して此処に来ようなんて思ったの?」



 逢が苦手なのを知っていたというのなら嫌がらせかと思うところだが、竜胆はそれを今知ったばかりだ。しかも自分がこういった場所が苦手なことを自覚しているのに、何故自ら行こうなどと言い出したのか。意地悪のつもりだけれど、腑に落ちないのも確かだった。



 「……逢、知ってるか?今日と同じ日なんて一日もないってこと」



 何をそんな当たり前の事を。そう言おうとして、逢は竜胆の真摯な瞳に固まった。



 「例えば俺達の会った日、外はどうだった?それは今日と同じか?」



 そんなのものすごく当たり前の事だけど、たぶん竜胆が言いたいのはそういうことじゃない。なんとなく、そう思った。



 「知ってるか?世界は意外と綺麗で、同じ時は一度もなくて、人間の短い生の中で時間は有限だ」



 竜胆は一度言葉を切り、青すぎる夏空のようにカラリと笑った。




 「もったいないだろ?」




 価値観の押し付けだとは、何故か思えなかった。外には色んな物があって、色んな発見があって。



 逸らしていた目を向けた先の世界は美しい。そんな理由のために、自分が苦手な場所に逢を引きずり出して来たのか。この一瞬を無駄にするなと言いたくて。


 逢は熱を持った頬を隠すようにそっぽを向いて、ぶっきらぼうな声でつぶやいた。


  「・・・・・・おせっかい」


 あぁもう、まぶしいなあ。夜だというのに、竜胆の笑みが酷く眩しく思えた。

 




 一緒に住むようになって、気付いたことがある。



 時々虫でも観察するような、酷く無機質な顔で世界を見ているくせに、竜胆は本当に子供のように晴れ晴れと笑う。


 


 見上げた空に浮かぶ朧月の光が優しくて、湿った追い風が祭の喧騒と熱帯夜の匂いを運んできて、  ――繋いだ手が、暖かくて。ガラスに映った景色のように認識しづらかった世界に昨日よりも近づいたような気がして。



 逢はつられたようにくしゃりと笑った。

 

 






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