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彼女は綺麗な顔で微笑む

 竜胆は仕事から帰ってくる時、いつも寂しそうな、少し悲しそうな、そんな瞳をしている。



そうして決まって私を抱きしめるのだ。微かに血の匂いがする、その腕で。



 私の彼氏は、殺し屋だ。




* ****************





 「ただいまー」


 朝の光の起こされ惰性のようにノソノソと居間に出ると、玄関の方から竜胆の帰宅を知らせる声が響いた。


 「おかえりー。ていうかオハヨウ?今日も立派に午前様だねえ」


 少し前から同居人になった彼にそう皮肉気に言い返してみれば、「なんだなんだヤキモチか?」というニヤニヤ笑うような声が返ってきた。あいついっぺん豆腐に頭ぶつければいいのに。逢は朝から疲れたような溜め息をこぼした。


 そのままソファに座ってボゥとしていると、ほどなくして居間に姿を見せた彼は、いつも通りグショグショの濡れ鼠だった。彼が歩いてきた跡が一目で分かるほど水が垂れている。逢は無言で洗面所に行くと、ひっつかんだタオルを竜胆の顔面めがけて全力で投げつけた。水を切ってから家に入ってと言っているのに聞いてくれたためしはない。いったい誰の家だと思っているのだろう。


 竜胆は顔の前で器用にタオルを掴むと、水の始末をしに玄関の方へ消えていった。その背に「朝ご飯作るけど食べる?」と聞くと「いる」という返事が返ってくる。ならばと逢も食材の確認をするべく台所に向かった。


 竜胆は大体昼間は眠っていて、夜になると起き出し時々フラリと何処かへ行く。おそらく別件の仕事なのだろう。そうして朝方に帰ってくる頃には大抵ビショ濡れになっているのだ。最初は驚いたものだけどもう慣れた。もしや逢が知らないだけで最近はヒットマンという単語は水の中に潜る職業を指すようになったのかもしれないとすら思う。冷蔵庫を開けると賞味期限ギリギリの大量の卵という恐ろしい物を見つけてしまった。どうしよう、これ。





********





 フライパンに油をしき、溶いた卵に昆布茶を目分量で入れた物を流し込む。卵の焼ける音が耳に心地いい。今日は殻が上手く割れたから、もしかしたら殻のカケラが混入していない卵料理が食べられるかもしれない。自分で作っておいてなんだが、あのフワフワのオムレツやツルンとした茶碗蒸しを食べている時に混入した殻を奥歯ですり潰してしまった感覚は鳥肌ものだ。あのジャリリっ…と軽快に響く不愉快な音

が頭蓋の中に木霊するようで凄まじくテンションが下がる。自分で作っておいてなんだが。


 「今日は出汁巻き卵?」


 「!」


 ほどよく火の通った薄焼き卵を破かないように慎重に丸めていると、急に背後から伸びてきた両腕が逢の首に巻きついた。そのまま後ろに引き寄せられ、バランスを崩した拍子に菜箸が一文字の線をフライパンに描く。卵には見事な穴が開いた。締め付けられた気道に呼吸が狭まる。コイツは私を此処で絞め殺す気なのだろうか。


 逢の半眼の視線など何処に吹く風とばかりに、竜胆は引き寄せた逢の肩に自らの顎を乗せ、フライパンの中を覗き込んでいる。


 「りん、竜胆。苦しい。絞まってるから」


 「ん?ああ、悪い悪い。どーにもなー、力加減がなー、わかんねーんだよなー」


 とりあえず首を圧迫する腕をバシバシ叩きながら抗議すると、本当に今気付いたらしい、うっかりうっかりと言わんばかりに軽く謝られ、やや腕がゆるめられた。首を解放してくれる気は無いらしい。横目で睨むと、まったくお前は脆いなと言わんばかりの顔で見返してくる。アンタが頑健すぎるだけだ、この馬鹿力。


 卵と油の匂いに混じり、密着した体からは微かに鉄錆の匂いがした。命の、匂い。


 「……また、仕事だったの?血の匂いがする」


 「殺す事が商売なんでね」


 「早く転職すればいいのに」


 本日最大級の皮肉のつもりで言ってやったが、苦笑と共に肩をすくめられただけで流されてしまった。




**





 「一応聞いていいか、これはなんだ?」


 「だしスクランブルエッグ。途中まではだし巻き卵になるはずだった」


 「……お前、一昨日もカニ玉になるはずだったカニスクランブルエッグとか作ってたよな」


 「文句言うなら食べなくてもいいんだから!おいしいじゃん餡かけカニスクランブルエッグ!」


 だしまき卵をスクランブルせざるおえなくなった元凶を睨むと、本人は眉を寄せてブツブツ言いながら炒り卵寸前のスクランブルエッグをつまんでいた。


 そんな竜胆をボンヤリと見つめていると、数日前とはずいぶん遠い所に自分が立っているような気分になる。竜胆と出会ったあの日の朝と、同じ家だというのに。


 料理を作れば文句が返ってくる。何かを話せば、相槌が返ってくる。


 なんだかそれは、とても不思議な気分で。


 そんなことを考えていると、いつの間にか竜胆が箸を止めこちらを見ていた。


 虫を観察するような―――ひどく無機質な瞳で。微かに背筋に鳥肌が立つのを感じた。この人は、いつもこんな顔をして他者を屠っているのだろうか。


 「お前は本当に変だな。いきなり見ず知らずの他人と、しかも自分を殺しにきた奴と住むことになったのに、動揺も警戒もない」


 竜胆が頬杖をつきながらそう言う。かってに住み着いた張本人が何を言うのだろう。直前までのどこか緊張した空気が破れ、なんだかドッと肺に空気が入り込んだような疲労感を味わった。しかし、そうか。


 この人には、何の違和感も無く自然体で暮らしているように、見えるのか。


 「べつにそういうわけじゃ、ないよ」


 洗面所に、自分以外の着替え。


 話しかければ、返ってくる声。


 違和感。


 やはり、他人と暮らすというものには、まだ慣れない。


 「ただ、何をどう思おうと最終的に行き着く場所が同じなら、一緒でしょ?」

 

 そうして逢は微笑む。自分はちゃんと綺麗に笑えているだろうか。


 それだけが、少し心配だった。








   



竜胆の二人称が「きみ」から「おまえ」に変わったのは、対外的な対応を捨てて素が出たからです。

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