契約
ザッ、と一陣の風が吹き、遠くで鳴く蝉の声が逢の耳に届いた。
「……そう」
「驚かないんだな」
「多少驚いてはいるわよ、でも誰が依頼したか多分だけど分かるもの。…あの人、とうとう事故に偽装することすらしなくなったのね」
「君は一体何をやらかした?ずいぶんと憎まれていたようだけど」
竜胆は心底不可解だとでも言うかのような表情で問いかけてきた。
その顔がなんだか可愛いくて逢は少し笑いそうになった。憶測だが竜胆は優しい性格なのだろう。なにせ殺害対象に死に方を決めろと言うくらいだ。問答無用で闇討ちするわけでもなく、見逃してくれるわけでもなく。ただ望みのままに殺してやろうと。
本来忌まれるべきのその中途半端で残酷な優しさが逢にはひどく好ましく思えた。闇に身を置く人とは思えないほどの、甘いとすら思えるその性格。
だから、逢は笑いながら告げた。少しだけ、竜胆という少年に興味が湧いたから。
「私ねぇ、あの人には殺されて当然だと思ってる」
逢は一度言葉を切り、目蓋を閉じた。相変わらずミンミン、ミンミンと急かすようにがなりたてる夏の音に耳をすませるように首を傾げる。そうしていると短い夏に命を歌う声に懐かしい響きが混じったように感じた。そういえばもうすぐお盆だったなどととりとめない思考が頭をよぎる。
逢ちゃん、と今度は蝉の声に混じってではなく、明確に己を呼ぶ声を思い出す。いつも脳が思い出す母親は姿も声も鮮明で、呆れるくらい美しく笑っていた。逢は自分の覚えている数少ない母親の言葉を思い出す。『逢ちゃん、恋をしなさい。大きくなって、ああこの人だ。と思う人に出会えたら、それはとても幸運なことなんだから。もしそんな人に出会ったなら離しちゃダメよ』
恋はいいものよ、恋をしたら、世界はもっと鮮やかになるんだから、と言う母親の声が耳の奥でこだました気がした。
「だけど、うん、竜胆、私は私の死に様を決めたよ」
そうして相手の目をまっすぐに見据えて一息に言い放つ。
「私は恋をして、愛した人の腕の中で一生に幕を引きたい」
きっと鮮やかな世界の中で愛しい者に包まれて迎える死は幸せだろう。と強い光を宿しながらも見る人に空虚な印象を抱かせる瞳が笑う。
「竜胆、私に恋をさせてよ。私を惚れさせたら、貴方の勝ちだよ」
竜胆は予想外の返答に目をしばたたかせ暫し呆然とした顔をしていた。そんな彼を見て改めて思う。生に執着があると言えるほどあるわけではないから勝ちも負けもないのだが、竜胆とだったらきっと恋ができる。そう思った。記憶の中で美しく、幸せそうに笑う母の顔。自分もあんなふうに笑えるだろうか。